第21話 言葉には出来ずとも


 …………映像の時間はおよそ十秒だった。

対象が対象だけに十秒という時間は一時間とも二時間ともつかない価値があるのは充分に理解できる。

だが、それはあくまで頭の中でだけの価値だ。実際の時間に置き換えた時の価値は一瞬よりはマシ程度でしかなく、得られるモノはタカが知れていた。

そんな映像から確認できたのは魔王の姿と、奴に挑む蟲のような特徴を持った数多くの人型の種族。

そして……幼き日のフィルオーヌを含む当時の巫女達。

巫女達の姿は画面の端に一瞬だけ映っただけだったので判別できたのは当人を知っているフィルオーヌと、撮影を始める瞬間に顔をドアップで撮ってしまっていたカタヌキだけだ。

カタヌキの見た目はパソコンの壁紙とおおよそ見た目が同じだったのでそれほど驚きは無かったが、当時のフィルオーヌは非常に背が小さく少しばかり面食らってしまった。それこそ十歳にも満たない幼女のような背丈だ。

けれど顔つきは既に大人以上に痛烈と悲壮で塗り固められていた。

その原因は次の瞬間に映った魔王に違いないはずだ。

全身を見た時の最初の印象は[人間のよう]だった。

けれどシルエットなどというものはなんの参考にもならないと一秒も経たずにアップになっていく奴の身体を見て思い知らされる。

何ものをも吞み込もうとする黒で塗り染められた両手の爪。

筋肉質で朱色の肉体に全てに紋様のように走る刺青。

浅黒い長髪を全て後ろへと流した頭部。

人間と同じ位置にあろうとも一つの瞳に複数の瞳が散らばり、それぞれが角膜を使って無順序にまばたきを行う眼。

人間と同じ位置にあろうとも閉じれば唇とは違う亀裂が一文字に走り、開けばぐじゅぐじゅと蠢く大量の白い牙がある口。

そして何よりも……絶望的なまでの巨大さ。

その巨大さは妖精城で見た大きなフィルオーヌが子供に思えてくるほどだ。

だとすればーー映像が止まり、砂嵐の後に切り替わる度に次々と命を散らされていく蟲の特徴を持つ人型の種族達や巫女達は蟻ーーなんて例えすら俺達にとっては分の良い言い訳になってしまう。

それほどまでに魔王は巨大で強大だった。

この後、戦いは激化し、断続的に観れた映像は終わる。

ファズの言った通り、声や環境音も含めて音は一切聞こえなかった。

…今は、それでいいのかもしれない。

この感情のまま悲鳴や断末魔を聞けば俺はきっとどうにかなってしまっただろうから。

 「これで終わりよ。……感想は?」

 「…ありがとう。やっと高揚が治まったよ」

 「…そ」

暗転した画面の右上端にカーソルを動かして動画を閉じたファズはそのままパソコンの電源を落とす。

コンマ何秒後かにはモニタから明かりが消え、俺の瞳を焼いていたブルーライトは消えた。

 「……ありがとう、カタヌキ」

 「代わりに答えてあげるわ。『お安い御用よん』」

瞳に残る魔王の姿が、捏造された戦いを続けている。

あの種族は再び突撃を仕掛け、巫女達はその間に何かの策を講じ、犠牲がこれ以上出ないように、無駄にならないように、決着を着けるために魔王に挑む。

そしてーー束の間の勝利を得る。

何千万年と訪れる平和と呪いを生む勝利を。

数多くの命の上に。

 ーーそうか。

挫けるように座り込んで天井を見上げる。

沸き上がるのは……虚無感にも似た落胆だった。

 「俺はまだ、犠牲にしなきゃならないんだな」

 「………」

俺が担うべきは五名の巫女だけじゃない。戦いが始まればその異世界にいる、或いはついて来た種族の命も戦場に立たされる。その命を担う責任が俺にはきっとある。

俺達が到着するまでに戦いが始まってしまったらならそのせいで死んでいった者達の分も担うべきはずだ。

 「……いいさ。ここまで来たらとことんまでだ。恨み言も全部担わせろ」

自虐的……と呼ぶには少し下卑た笑みが鼻腔から抜ける。

魔王のせいで多くが死ぬのなら俺は何なんだろうなと。そう思わずにはいられなかった。

 「…はぁ、ホント、バカなのね。あんたって」

 「…なに?」

座り込んでいた俺の視線に合わせるように膝を抱えて屈んだファズ。

彼女は心底呆れた視線を俺に向け、それ以上に呆れた口調で言葉を続けた。

 「だってそうでしょう?戦地に立つ者には皆それ相応の想いがある。行きずりだとしても、不可抗力だとしても、命が懸かると分かれば生物は意地でも臨む選択を行うものでしょう?逃げるか、戦うかを。映像に映っていた彼らは戦いを選んだ。その結果として死を受け容れなければならなかったとしても、刹那まで恨みつらみが募っていたとしても、そんなのは全部そいつのモノ。結局は部外者のあんたが気に病む必要なんて全くないのよ?なのにあんたはそれを分かって無いんだもの。バカって言うんでしょう?そういうのをニンゲンの間では」

彼女が口にしたのは正論だった。

巻き込まれただけの一般人ならいざ知らず、映像に映っていたあの種族達はみな兵装に身包んでいた。徴兵の可能性も捨てきれないが、少なくとも彼らの視線の中には怯えや後悔はあろうとも[逃走]の意思だけは感じられなかった。

だとするなら。だとするならだ。

彼らは望んであの場に立っていた。魔王に一矢報いるため、可能であればその首を叩き切るため、あの場に立っていた。

なら責任は全て彼らにある。死しか待っていない可能性が絶大の戦場で自ら望んで軍靴を鳴らしたのなら恨みも、つらみも、死も、死後の怨念も、全て彼らに依存する。

 「…分かってるよ、そんな事くらい」

そう、分かっている。

 「ならへたり込んでないで…」

分かった上で、なんだ。

 「分かった上で、俺が担わなきゃならないんだ。全部を」

 「…なんで?」

 「それが他者の命を使う者の使命だからだ」

立ち上がり、首から下げた巾着を右手で硬く包む。

手の内に布越しに感じる宝玉の丸さ。ーーそんな物を命とは感じたくはない。

けれどこれが現実なんだ。最早変えようのない事実なんだ。

 「誰が何と言おうが、選ばれた俺がもっともっと強ければ、他の選ばれた、選んだ奴らを救えた。でも俺は弱い。こんなにも弱い。だから救えない。だからみんなの命を使わなきゃならない。だったら、その使った命に対して責任を持つべきなんだ。その命が抱え込んだ暗闇も俺が担ってやるのが使命だ。何もかもが理屈とは外れていると分かっていてもそれだけは変わらない。誰に何と言われようと変えない。それが担い手としての俺が果たすべき……」

言いかけ、言葉を飲み込む。

[その言葉]を使うな。

お前の言う[それ]はあまりに軽い。

いや、言葉尻を変えたところでどれほど意味があるのか。……或いは無いのかもしれない。

だとしても使うな。

使えばまた、裏切る事になるかもしれないのなら。

 「…果たすべき、絶対なんだ」

今日までの間に何度も破ってきた【それ】を飲み込み、別の言葉で補う。

……ファズはそんな俺の弱さを見抜いただろうか。

 「………そ。合理性に欠けるわね」

 「だろうな」

膝を抱えていたファズは納得したのかしていないのか、落ち着いた声色で伏目がちに立ち上がる。

それから少しの間だけ沈黙を作ると俺に背を向けた。

 「いいわ。別にどうだって。何をどうしようと個々の自由。ニンゲンは縛られていた方が遥かに高く遠く飛べるのに安直な自由が好きだものね。好きにしたらいいんじゃないかしら」

 「ああ。そのつもりだ」

 「……じゃ、次はこの異世界に於ける巫女が誰かって話ね」

俺に背を向けたまま話を続けるファズは……恐らく俺には見えないようにするためその姿勢のまま胸の前で何かを始める。

 「まず、巫女っていうのは私、ロ・ル・ファズ。始まりの機生体であるこの私よ」

 「…そうか」

告げられ、けれど俺の感情の起伏は薄い。

……薄情なモノだ。『やっぱりな』と思っていたからといってここまで何も感じないとは。

 「あら、思ったより反応が薄いじゃないの。いつから気が付いてたのかしら」

 「確信があったわけじゃ無い。けど、ここまで色んな事情を知ってて無関係でしたは無いだろうからな。ここには他に巫女らしい奴がいるわけでもないし、総合的に見ればお前が巫女だと考えるのが妥当だ」

 「へぇ。急に賢くなった?それとも今までがバカなふり?」

 「好きな方でいい」

 「ふぅん?それがあんたの本質ってわけ。ま、いいわ」

会話をしながらごそごそと、何か金属を外すような音や擦れる音なんかを立てながらファズは胸の前で両手を動かし続ける。

それは大きな圧力抜きの音と共に終わり、代わりに何かしらの駆動音が小さく聞こえ始めたが彼女が直ぐに振り向く事は無かった。

 「……トモベは私にだけこうインプットしたわ。『巫女である私の跡を継げるのは私の全てを注ぎ込んで作り上げた貴女だけよん。いつか同じ使命を背負わされた異世界者が来たら、ここを案内してあげてねん』。ってね」

 「なのにプロデューサーか?」

 「まぁね」

少しばかり拍子抜けするカタヌキの口調につられて思わず冗談染みた物言いが口から出てくる。

それをファズは普段のように悪態を吐いたりせずに受け止め、理由を答えた。

 「プロデューサーをやらせるって話は他の二機を騙す口実だった。私の目的は初めからこれだけ。ま、あんたに勘繰られたりされるのが嫌だったのと、二機をしっかり騙すために少しやってもらったけど……まさか本当にそんな才能があるとは思わなかったわ。あの子達も喜んでた」

気難しすぎる担当アイドルから教えられた評価に一瞬胸の奥が熱くなる。

…が、今はそんな事にかまけている場合じゃない。

 「……お前がアイドルを選んだのはカタヌキが原因か」

……場合じゃないが、少しくらい理由を聞いてもいいだろう。

 「そうなるわね。あのヒトが研究に詰まった時は私がよく踊ったり歌ってあげたわ。……懐かしい」

 「そうか。なら、アイディアの元になったカタヌキには感謝しないとな」

 「分かってるじゃないの」

相変わらず背を向けたままのファズは得意げに笑う。

ーーそれから少しの沈黙が訪れた。

その沈黙の質は[決心の確立]までがもたらす心のーー彼女の場合は計算のーー揺らぎのはずだ。

…つまりは。

この沈黙の終焉の先にファズの顔がある。

 「…………ふん。本当にトモベは凄いわね。こんなに簡単な事なのに私の中には迷いがある。あんたにどう思われるのかって不安がある。結局はプログラムがもたらす幻覚なのにね。…本当、厄介」

 「安心しろ。これ以上お前に対して腹立ちは覚えねぇよ。今まで通りだ」

ロボットらしからぬ非合理的な思考パターンに藻掻くファズがいる。

なのに彼女の後姿が俺に見せるのは無機質な[ファズの後ろ姿]という成形だけ。

不条理だと思った。

権利だけを与えて理解を促せないなんてあまりに不条理だと。

 「そ。なら安心できるわね」

なのにファズは俺の言葉に納得したと思える音声を発してくれた。

そして、振り向いてくれた。

心臓の位置に当たる胸部を抑えていた両手を開き、遥か奥までが覗けるようになった己の身体を。

 「トモベは、私が永久休止している間に自ら命を絶った。あのヒトの周囲には数機の機生体と、この星を永久に存続させる装置があったわ」

プシュー、プシューと。

ゴウン、ゴウンと。

カコン、カコンと

よりはっきりと駆動音が聞こえる。今までの彼女からは決して聞こえなかった機械的な駆動音が開かれた胸から辺りに響き渡っていく。

 「数機の機生体は私が起動するまでの警備を、星の存続のための装置は万一にも私が休止していたりアンタらが来るまでの間に星が崩壊しないようにそれぞれ作られた。……だからまぁ、星の存続装置に関してはもうお役御免ね。私はもうこの異世界から旅立つわけだし」

どこか軽口を叩くような素振りで語るがだからと言って俺の緊張が解ける事は無い。

……それほどに彼女の胸奥に取り付けられていたただ一つの器官に目を奪われていた。

ーー[灼けたような橙色]の液体を沸騰させるフラスコのようなパーツ。

それが、彼女の胸奥に在ったモノだ。

 「これが私達機生体に必ず備え付けられている永久機関。ニンゲンや他の生き物で言うところの心の臓よ」

 「……だろうな。発光装置じゃない事くらいは俺にも分かる」

 「冗談を言えるなら上等ね。つまらないけど」

 「言ってろ」

絶え間なく沸騰のような現象を続ける灼けた橙色の液体。

だが不思議と沸騰する際に鳴る[ブクブク]といったような音は一切聞こえない。

 「話を戻すわ。数体の機生体は私の目覚めを待っていた。恐らくはそれが最も重要な役割だったわ。けれど、彼らにはもう一つ役割があったの」

フラスコのような器官を掴み、他の器官と繋いでいるのだろうチューブが張り詰めるまで前へと引っ張り出すファズ。

 「ここに、[あのヒトの脳を溶かす]という所業よ」

 「…………は?」

突然の告白に耳を疑った。

ファズは今、なんて言った?脳を、溶かす……?

そう、言ったのか?

 「あのヒトは常々悩んでは口にしていたわ。『心って何なのかしらねん』って」

 「ちょ、ちょっと待て、どういう事だそれ。話しについて行けないぞ!」

『脳を溶かす』と言った直後、彼女が話し始めたのはどう繋がるのか分からない心の話ーー。

早急に答えを知りたい俺は思わず話を遮ってしまった。

しかしファズはさも想定していたかのようにしたりと笑って話を続ける。

 「安心なさい。私だって彼らに教えられた情報しか無いもの。再起動した時には冷凍保存された脳しかなかったんだから」

 「な、ならもう少し話について行けるようにだな……!」

 「模倣している感情面では未だに理解できていないのは同じよ。でも私には機械としての合理的な判断力がある。そっちでは理解できているわ。最期の最期にインプットしたはずの情報が嘘なわけないとね。勿論、それを子である彼らがわざわざ意図的に虚偽に変えるはずも無いと」

 「なっ……!……そうかよ。じゃあ、続けてくれ」

自信も不安も無く、ただ事実を語るだけのファズの音声に感情らしさは無かった。

なら問い詰めて説明を求めたところで話は平行線だろう。……正直、嚙み砕いて話されても理解できる気もしないが。

やはりカタヌキはマッドサイエンティストタイプだったのだろうという事しかきっと理解できない。

 「……で、彼らは諸々の事情を説明してくれた後に私の永久機関で脳を溶かすように言ってきたわ。『博士の心はここにある』って言ってね」

 「こ、心……?」

 「ええ。研究のため身体を幾度と無く改造して一万年生き永らえたらしい、脳と音声だけの存在になっていたあのヒトの結論付けた[心の在り処]っていうのかしらね。それが脳だったって事」

 「い、一万…!?」

 「あぁ、まずはそこに引っかかる?まぁそうよね。若返りの薬があるのにって」

 「それもあるにはあるが……」

俺の感じた疑問はそれだけじゃ無かったが、聞き直すのは敢えてやめた。

どうすれば一万年も自我を保ったままでいられるのか。なんて疑問は、『脳と音声だけの存在』というファズの言葉だけで充分に想像できたからだ。

…それをより詳しく聞けば恐らく俺は正気でいられないだろう。

 「若返りの薬ははっきり言えばヒトリにつき一度きりの劇薬よ。生き物の成長はイコール老化。それを覆そうって言うんだもの、毒みたいなものでしょう?かかり過ぎるらしいわよ、細胞に負荷が。だから二度使えば細胞は機能を暴走させて、薬によって巻き戻された二度分の老化を纏めて引き起こす。または想定以上の若返りを起こし続けて胎児以下にまで若返ってしまう。……っていうのがあのヒトの立てた仮説よ。なにせ試せるのは自分しかいないわけだしね」

若返りの薬を使わなかった理由を教えられ、如何にその薬が諸刃であるのかを思い知る。

そしてその仮説を否定する方法が無く、カタヌキはより堅実な手段で生き永らえ続けたのだろう。

 「そんなわけであのヒトは脳以外の肉体的な自分を全て失ったわ。ただ、脳だけはどうしても捨てられず、ホルマリンを基にして作った活性維持液に脳を漬け込んで存在を続けたらしいわ」

 「……そうなるな」

納得は出来た今の話が、しかし脳を溶かせという命令とどう繋がるのかはやはり分からない。

……いや、心の在る場所が脳だと言いたいのは分かる。けど、本当にそう単純な話なのかが不可解だった。

 「なに?今のでも察しがつかないの?私の見込み違い??」

 「まぁ…そうなるな。悪い」

苛立ちを見せ始めた彼女は謝罪を聞くと大きくため息を溢す。

それから少しだけ天井を仰ぎ、口を開いた。

 「『心とは自身を構成する全てが作り出す感情で、心が何処にあるのかを問われた時、ほぼ全てのニンゲンは胸に手を当てる。けれどそれは心臓を示しているのではなく、自分全てを示してる。そう仮定した時、真に心が宿るのは自身を最も構成している部位であるはずよねん』。それがあのヒトが出した心という存在しないモノに与えた結論よ」

 「心は…自分で、けど、本当に心が宿っているのは……自分を構成する、部位……?」

分かりそうで分からない、もどかしい苦悶が脳内を駆け回る。

確かに、心は何処か聞かれれば俺も胸に手を当てる。だが実際に物を考えるのは脳だ。だからカタヌキが脳に心が在ると言った意味も分かる。なのに、カタヌキはより細分化するような複雑な表現をした。

……どういう事だ?

 「安心なさい。私も最初は意味が分からなかったわ。けど、ずぅっと考えているうちに答えが分かった。そう難しくはない、ってね」

 「そう、なのか?」

 「ええ。もしも私が本物のニンゲンで今と同じようにアイドルをしていた場合心はきっと喉にあるわ。パフォーマンスよりも歌に重きを置いているからね。他で例えるなら、スポーツ選手がいた場合、野球の投手ならボールを投げる利き肩に、サッカーのキーパーならボールを止める両手に。漁師や美容師や配送員のような仕事を生業とするニンゲンなら最も頼りにしている部位に。そういった部位に心が宿るとあのヒトは結論付けたの。勿論、何よりも頼りにしている道具は身体の延長線だと考えているニンゲンがいる以上、道具にだって宿るかもしれないわ」

 「……つまり心っていうのは、問われる時までの間に最も頼りにしていた部位に宿る…って事か?カタヌキの場合、死ぬまで使い続けた脳こそが心だって事か?」

ファズの説明でなんとなく糸口が見えた気になり湧きたった考えを告げる。

すると彼女は少しだけ笑った。

 「そういう事。ほらね?そんなに難しい話じゃなかったでしょう?」

 「ま、まぁ、思っていたよりはだが……」

あまり納得はいかない。が、カタヌキがそう結論付けたのは理解できる。

俺達人間は最も頼りとする部位を怪我した時や道具を失くした時、どんなに僅かなモノでも確かな喪失感に襲われる。

それは損なわれた安心感がもたらす物理的・心的な欠損だ。それをカタヌキは心の喪失と捉えたんだろう。

そんな理論的とも言える思考をする人間が行きついたのが、エンジンルームでの脳の融解、か……。

 「だからあのヒトは私の永久機関で自分の脳を溶かせと言ったのよ。自分の心の宿る脳を、身体を構成する上で絶対に外せない心臓のような器官で溶かせば、自身の想いが私に継承されるはずだと思ってね」

 「か、科学者のくせに随分非論理的な結論に達したな……」

どことない落胆に、しかしファズは首を振った。

 「そうでもないわ。知識としてしか知らないけど、臓器移植をすれば移植元のニンゲンの特性や感情が移植先のニンゲンに現れる事があるらしいじゃない?そう考えれば言うほど非論理的では無いわ。感情を模倣している機械とニンゲンで同じ事が起きるかは分からないけど試す理由にはなるわ」

彼女が例に出したのは医療系には全く疎い俺ですら何度か聞いた事のある事例だ。

これがただの機械に脳やら何やらを溶かしたり植え付けたりしたところで感情が加わる・入れ替わるわけは絶対にないだろう。学習するAIも恐らくない。

しかし、これほどまで人間らしさを模倣した完全な個としての機能を有す機械でならばどうか。

本来の持ち主を想像してしまうくらいには精巧に造られた人工の類人なら、本当の人間のように感じてしまう……なによりそう発想した当人が作り上げた機生体なら。

 「……自分を使った一世一代の実験だったってわけか。失敗したらおしまいだってのにイカれてるな」

 「けどあのヒトの実験は成功したわ」

俺の比喩を、ファズは比喩ではなく事実として受け止め、そして答える。

はっきりと、自分を持った声で、結論付けた理由を。

 「あのヒトが仮説を立てていた、巫女の力の結晶化が起こったからよ」

苦痛を走らせる言い回しで。

 「け、けどお前はまだ…」

 「ええ。機械だと勝手が違うのか分からないけど、永久機関の液体の色が大きく変わったわ。元は赤色だったのに今は橙色になっているの。それ以上は進んでいないけど」 

 「そうか……。宝玉化がもう……」

 「どういう名称かは知らない。あのヒトが残した研究データに書かれていたのは[次世代の巫女候補が同じ力を持つにはどうするべきか]って事だけ。その中に、[感情という解明不可能な現象が生み出す奇跡のような結果の中には事象に作用する[具現化]そのものがある。であれば、何代にも渡り抱かれた強すぎる念は物的な現象化も起こし得るのではないか]っていうのがあったわ。……これは流石に非科学的だと思ったけどね。あのヒトがそういうのならきっと間違いないはずよ」

読み上げるような物言いに胸を抉られ、俯く。

ああ、その通りだ。それこそが宝玉化だ。

 「…実際、当たったってわけか。っは、天才ってのはいるんだな。人間のくせに察しが付くなんてよ」

 「そう。やっぱり正解だったの」

問われ、頷く。

 「そうだ。巫女は何代も連綿と信念を持ち続け、その想いが形として具現化する奇跡を宝玉化って言うらしい。その宝玉は純粋な巫女としての力のみが形になってるそうだが、代償は巫女の肉体の消失。……髪の毛一本残らない完全な消失だ。残されるのは純粋な巫女の力の結晶である宝玉だけ。埋葬すらしてやれない、ゴミみたいな奇跡だよ」

 「……へぇ」

 「カタヌキの場合は独りで一万年も抱き続けてたんだろうな。並みじゃないだろうぜ?自分で自分の身体をとことんまで削ってまででも生きてた人間が抱き続けていた信念ってのは。それこそ百代続く悲願だって越えられるだろうよ」

 「その上私も同様に志していたからね。あのヒトを…トモベをあんな姿にまで追い込んだ魔王の消滅を。信念というのが機械にも生まれ得るモノだとするなら、私のだって相当のはずよ」

 「合作の宝玉ってわけか。笑えないな」

絶えず沸騰を続けるフラスコの中の液体を見つめながら己の胸元に手を当てる。

……首からぶら下げた巾着がそこにはある。中には当然、巫女の宝玉がある。

 ーー出来る事なら………。

服の上から巾着を硬く包み、ファズが宝玉化する瞬間を嫌でも想像してしまう。

 「……そういう事だ。お前には悪いが、俺達のために死んでくれ」

だからこそ余計な言い回しをせずに告げた。

俺は……フィルオーヌのように後から拭えない絶望を与えるのは御免だ。

 「御免被るわ。私は、あんた達のためにバックアップも取らずに消滅するなんて真っ平御免よ」

 「…だよな」

正面切って伝えたこちらの意志はきっぱりと突っぱねられる。

当然だ。疑問は一つも無い。

 「それでもお前には…」

説得とは到底言えない、ただの強要を口にしようとして。

遮るファズの声が届く。

 「死ぬならあんたのためだけよ。リューン」

…………聞こえたのは、それだった。

 「悪いけど私は見ず知らずのニンゲンやそれ以外の生物のためにも、当然他の機生体のためにだって消滅するなんて嫌よ。言うまでも無いけど、大好きなトモベのせいにしてこんな業苦をあのヒトに負わせるつもりも無い」

 「なら、なんで俺ならいいんだ」

彼女が機械である事を加味しても驚くほどはっきりとした発言に僅かな困惑が俺を襲う。

それほどまでに他に対して非協力的なのにどうして俺のためにならいいのか、と。

……その答えはあまりに身勝手だった。

 「あんたが私のプロデューサーだからよ」

彼女が無理矢理決めた[プロデューサー]という役割を盾に、彼女は俺にこう言ったのだ。

『あんたが私の命を握りなさい』と。

 「あんたはプロデューサーなんだから私のデータの行方まできっちりプロデュースしなさい。職務放棄なんて舐めた事、絶対に許さない」

眼前に突き出されたフラスコがーー彼女の心臓が、俺の視界全てを覆う。

その心臓を胸の奥にしまい入れながらも少しも逸らされない彼女の視線が俺の視線に真っ向からぶつかる。

 「……そうか。はは、そうか」

彼女は、ファズは本気だった。

プロデューサーという仕事を俺に無理矢理与えたのは自分であると忘れているわけはないだろう。

俺がその仕事を好んで続けているわけでもないと知っているだろう。

それでも彼女は身勝手な己の願望を貫くべく俺に叩きつけたのだ。

せめて死の使い道くらいは自分が決めると。

俺を納得の道具として利用してくれたのだ。

 「分かった。俺も男だ。途中で仕事を投げ出すような甲斐性の無い行為はしない。プロデューサーとしてもきっちり担ってやる」

 「当たり前でしょう?ていうか永久契約を申し出されたくらいで何上に立った気でいるの?『担わせてください』でしょ?プロデューサーなんかアイドルの足元にも及ばないんだから」

 「はっ。言ってろ三流アイドル。調子に乗るには実績が足らないんだよ」

命を任されたところで彼女の尊大な態度は変わらない。寧ろ一層酷くなったような気までする。

けれど…それが何処か心地良かった。

死に対して後ろ向きではなく、死によって生まれた新しい道を強要する。

それはあまりに前向きで、笑えてくるくらい人間の持つ強さに似ている。

 ーー…感謝しないとな、カタヌキには。

胸の内で漏らし、完全に胸の中に心臓をしまい終えて歩き出したファズについて行く。

 「さ、戻るわよ。四日後には私の最後のステージがあるんだから、半端な仕事したら許さないわよ」

 「ああ」

プロデューサーらしく数歩後ろでついて行き雇い主の暴言に笑った。

その胸中は軽かった。

彼女の死に責任があるとしても、今はまだ、その軽さに心地良さを覚えて痛かった。



to be next story.

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