第三章 機生界編

第17話 消せない闇


 あれだけの事があった後、一体何をどう間違えればこうなるのか。経緯は覚えているのに一つも理解できていなかった。

見渡す限りが機械で出来た異世界ーー。それが今俺の立つ場所・機生界だ。

地表すら機械仕掛けの鋼鉄で覆われ、その上に乱立するのは大中小様々なビル群。或いは居住区らしき施設や家。そのどれもがやはり機械仕掛けのナニカで造られている。

歯車のような原始的な部品を何千何万とかみ合わせて創り上げた施設もあれば、一つの階層の壁を丸ごと取り払っているのにその上に普通に次階層以降を建てている摩訶不思議なビルもある。

そのビルは分かり易く言ってしまえば浮遊している事になるが、その割りにはかなりしっかりと宙に固定されているので見えない壁があるんじゃないかと錯覚してしまった。しかし、強風が吹けばそのオフィスに置かれている椅子なんかは少しだけ動くので透明度の高いガラスで仕切られているわけではなさそうだ。

そういった巨大な建物に限らず、もっと身近に感じられる公共物にも俺の理解を超えた技術が使われていた。

それは俺の本来の世界ーー探求界ですらお目に掛かれないレーザーやビームのようなSF作品でしか聞かない仕掛けから動力を得て動いているとしか考えられないモノだ。

例えば街灯。それらはどんな仕掛けなのか光の灯ったガラスが空に浮き上がり等間隔に宙に並んでいる。であれば当然エネルギーなどは得られず、電池などによって一時的に蓄えたエネルギーを使わなければ光を発する事は出来ないはずだ。しかしこの街灯、楕円型のガラスの中に光の球が収められているだけで蓄電装置の類は一切見受けられなかった。にも関わらず絶える気配がまるで無いのは無線式でエネルギーを供給しているからとしか思えなかった。

例えばビルから浮かぶ映像。それらは立体映像で宙に映し出され、場合によっては触れればその感触が分かるようになっている。映像の種類によっては映し出されているモノの方から手を伸ばしてくる事もあり、さながらビデオ通話をしていると錯覚してしまうほどの意思疎通が出来た。

例えば地表から浮かぶレーザー光線。それらはガードレールのような役割だったり、道路の中央線のような役割をしているのか、道を走るホバー性の車両らしき何か同士を完全に分断している。何かの理由で手元が狂いレーザー光線にぶつかって停車してしまった車両を見たが、同一の光線を人影が跨ぐ事無く過ぎて行ったのを見るに特定の物質に対してのみ物理的な性質を持つのだろう。

このように、俺の知る常識では測れないような数多くの文明を見た。

それらは全て近未来から未来的な印象を受け、火氷界が特に原始的な世界だったからかかなりの衝撃を受けた。

そんな中で何よりも驚いたのは今の今まで生物を一切見ていない事だ。

無論知性を持つ存在自体はいる。

しかしそれは人や動物、まして植物でもなかった。

人型の機械ーーつまりはAIの搭載された人工知生体とでもいうべき存在の無機物だった。

それは端的に言えば二足歩行型のロボット。しかし人間とイコールになるような外見ではなく、どちらかと言えば機械としての認識が先にくるような外見をしている。

言うなればマネキンに近い見た目だった。しかし頭部に髪の役割を意味するのだろう装飾品がそれぞれに付いているため外見の人間らしさとは裏腹なマスコット的な愛らしさを全体的に付与し、マネキンのような無機質な不気味さを緩和していたためか初めて見た時も嫌悪感は無く、寧ろ好意的な印象を受けた。

彼らは、有るのかは不明だが男型と女型に二極化できるような容姿の二個体が存在し、人間さながらそこから更に容姿が派生していた。

見かけただけでも子供型・大人型・老人型のような年齢的な要素だったり、太い・普通・細いといった体系的な要素が三分割ではなくグラデーションによって存在している。

しかし、これほどまで人間としての[当たり前]が落とし込まれたロボットがいるのにその他の外見ーー犬や猫のような動物型や植物型のロボットは一つも目にしていなかった。

もしかしたら衣服を着ている個体の方が何も着ていない個体よりも少ない点に謎を解くカギがあるのかもしれないが、現状分かるだけだと何の関連性も見いだせなかった。

 ーーホンットに訳が分からないな……。

独り呆然と暗闇に染まった辺りを視力に補助魔法を掛けて見回し、唯一かつ爛々とした光を放つ幕の先を見る。

[道]から一人で先に出てきてしまった俺は彼女達とは全く別の場所に出てしまっていた。そのため彼女達が訪れそうな場所を探し回った結果が、この一際大きな施設だった。

そしてこの施設内に入れた俺だが、本来は関係者しか立ち入れない場所だ。

 ーー結局、二時間くらい捜してもシャルとフィルオーヌは見つけられなかったな……。ここで会えればいいんだが。

腰かけている鉄製の何かに尻の居心地の悪さを感じつつ舞台袖から漏れた光の溢れる場所を注視する。

そこには三人ーー三機の女型ロボットがいる。

背丈は見事に三種類に分けられていて、一番高い個体が大体175センチ、二番目が160センチほどで最も小さい個体は140センチ前後しかない。

踊り、歌い、光の中で光よりも輝いて見える彼女達は所謂アイドルと呼ばれる存在だった。

それぞれがそれぞれのイメージに合っているのだろう衣装に身を包み、機械的な要素をほぼ感じさせない人工音声で歌い、乱れる事などあり得ない思考によってダンスをコントロールしている。

そのパフォーマンスは演出も相まって圧巻の一言だったが、どうしても味気なかった。

はっきり言ってしまえば、アイドルとはかなり遠い位置にある軍事的な意味での統率の取れている動きがその印象を強くしているようだった。

 ーーなんて言ったのが事の発端だったか。

そう。俺はこの施設ーーパフォーマンス・シアターに初めて訪れた時に見た彼女達のステージでそんな感想を抱いた。

それをなんの冗談か彼女達に伝える機会が作られてしまったのだ。……彼女達の手によって。

 「ありがとうございました。次のステージは予定通り十分後です!」

 「と言いたいんだけどね~。ちょっとした手違いがあったのー」

 「悪いんだが明日の昼までお預けだ。詳細な時間が分かり次第シアターヴィジョンにて知らせる」

 「それまで待っててください!」

 「ごめんね~」

 「さらば」

光の中で汗無きステージを終え、告知を終えた彼女達は観客達に手を振ったり素っ気ない態度をとったりしながら暗闇の中へと捌けて行く。

捌けた彼女達が向う先にいるのはエンディングに合わせて立ち上がった俺だ。

 「これで良かったか?リューン」

 「大変ですね、外の世界の人って。たった五回のステージで疲労を感じるなんて……。しかも見てるだけなのに」

 「役立たず。無能。雑魚」

傍まで寄って来てそれぞれが思ったままの事を口にしてくる。

背が一番高くクールな衣装に身を包んだソーフィアは強い口調とは裏腹に優しく裏表がない。彼女のこの言葉は本心からだろう。

普通くらいの背でヘソ出しの快活で動きやすそうな衣装のキリィはステージ上の常識人的な敬語口調からは想像できないくらいに嫌味で口が悪い。本当にむかっ腹が立つ時がある。

そして最も背が低く、彼女達アイドルグループの中ではマスコット的な立ち位置にいるファズはとんでもない猫かぶりだ。可愛らしい猫なで声で話していたかと思えば低音域での暴言。フリフリの衣装に全く似合っていない。

俺をステージ上から見つけ、楽屋まで引き連れて来たのもファズで、有無を言わさず舞台袖に引っ張り、今までのステージ(計七~八時間)を見るのを強制された。

つまり今の状況を作ったのは彼女だ。

「は、はは。ありがとなソーフィア。今ので大丈夫だ。助かるよ。キリィはもう少しステージと同じように常識的でいような。具体的に言うと嫌味を言わないって事だ。で、ファズだが……」

一人ずつ、言われた事に対して言葉を返していく。

ソーフィアは微笑んだように両口端を上げ、キリィは口元に手を当てて何かを考えているようだがそれ以上は無くおとなしい。

そして問題のファズは……。

 「不要よ。私達に必要なのは次のレベルアップを行える者の言葉であって一般人のお気持ちじゃない。分かる?」

 「……スクラップ行きにするぞポンコツ」

 「やってみれば?その覚悟があるならね。プロデューサー」

 「だから!やると言った覚えはない!!」

そう。問題のファズは初めて会話した時から俺に[プロデューサー]という役割を与えようとして憚らなかった。

一切合切俺の意見を無視して。

 「そう。じゃあまずは明日のセットリストから話合うわよ。プロデューサーは何がいい?」

 「音感センサーぶち壊れてんのか!?話を聞け!」

 「聞いてるわ。で、どうする?可愛い系からクール系に変えてギャップで思考を掴む?それとも一発目に大ヒット曲を持ってきて一気にぶち上げる?」

 「聞いてねぇ!!」

俺の事など構わずにファズは左腕から浮かび上がらせた映像に羅列されている曲名達を弄りまわしながら呆れたように言った。

何度断ろうと彼女はこの調子だった。どうやら彼女の中では既に決まってしまっているらしくただの一ミリも意見を変えようとするつもりは無いらしい。

 「いいか!俺は!一緒に来た仲間を探さなきゃならない!お前らの相手をしてる暇はないんだ!!」

 「そうは見えないけど?ねぇ?キリィ」

 「うん~。だって本当に時間がないならライブ中に逃げれば良かったんですもん。でもいたって事は~……」

 「成る程、これがツンデレというヤツか!」

 「大正解~♪」

 「流石ソーフィア。理解が早くて助かるわ」

 「違うッ!」

俺の拒否に対して続けられるのはコントのような会話。多分ソーフィア以外の二人は分かっててやっている。

天然ボケのソーフィアと仕掛け役のファズ、そして流れを固めて逃げ場を失くすキリィーー。トリオとしての完成度の高さを見せつけられるのはこれで何度目だろうか。

ステージの合間合間で帰してもらえるよう説得する度に似たような会話が繰り広げられ、いつの間にか曖昧にさせられ次のステージがあるからと逃げられる。それがこの七~八時間の間の全てだった。

小賢しいファズの事だ。恐らくうやむやにし続けて少しずつその手の仕事をさせようとしているんだろう。

だが、そうはいかない。

俺には命を使ってでもやらなければならない事があるんだ。こんなところで時間を取られている場合じゃない。

 「とにかく!俺はプロデューサーなんて!絶対、ぜぇーーったいにやらないからな!ここまでのステージは仕方が無いから付き合ってやったが、これ以上は一切関わる気はない!!」

 「とか言ってますけど~?」

 「うん、ツンデレの典型パターンというやつだな!イヤよイヤよもなんとやらだ!」

 「言っておくけど、アイドルは恋愛ご禁制だからね。ましてプロデューサーとなんて」

 「ツンデレ違う!!恋愛も違う!!話を聞け!!ポンコツアイドル!!」

おかしい!相手はロボットのはずなのに全く会話が成立しない!こいつら本当に人工知能入ってんのか!?

 「ふふ、私とて無知蒙昧ではない。その否定も[ツン]というものなんだろう?分かっているさ」

 「お前が一番会話が成立しないんだよ!!バカ!」

得意げに腕を組んで微笑むソーフィアにはっきりと告げる。

実際こいつが一番たちが悪い。わざとやってる分他の二人は説得次第でなんとかなる可能性があるが、何も分かっていない素の状態でやっている彼女は説明したところで理解してくれるかが怪しく誤解を解けない可能性がある。

なにせ、このように怒っている俺に対して微笑みを崩さないどころかより笑みを強くする有様だ。

 「えぇ~?そんな事言って、やっぱりツンツンしてるじゃないですかぁ。デーレ!デーレ!」

 「完璧な知的存在の私達がバカなわけないでしょ?プロデューサーみたいに劣化していくだけの脳を持つ存在と違ってね」

 「うむうむ」

 「がぁぁぁ!!こいつらマジでムカつくな!!」

得意げに頷くソーフィアとニヤニヤと笑うキリィ。ファズに至っては本当に見下したような顔をしている。

否定すればするほど、強い言葉を使うほど何故か相手側の意見に賛成していると思わされていく。なんというか、完全に術中に嵌ってしまった感じだ。

 「ま、どれだけ否定してもらってもいいけど、最終的に貴方は私達のプロデューサーになってもらうからね。その見返りとして住処を提供してあげる」

 「だから!やらないって言ってるだろ!!」

 「でもぉ、お仲間さん?と合流するまでの間どうするんです?」

 「ぐっ……!そ、それは……」

 「そうだな。まずは当面の不安を取り除くのが最優先だろう」

 「機生界って結構広いですよ?両手を広げたくらいはあるかなぁ~」

真剣に考えている風のソーフィアの隣で笑いをこらえながら両手を大きく広げてみせるキリィ。

ソーフィアはともかくキリィはどう見てもバカにしてきっている。何が両手を広げたくらいだ。舐め腐りやがって。

 「そういう事。諦めてプロデューサーをやればいいの。そうすればここでの生活は保障してあげるわ」

二人の言葉の後、呆れたようにそう言ったファズは俺の返事も待たずに振り返ると舞台裏の出口へと向かう。

 「じゃ、そういう事でよろしくお願いしま~す♪」

 「私からもよろしく頼むぞ、ツンデレプロデューサー」

俺を小バカにした一礼の後、彼女を追うように出口へとスキップ気味に向かうキリィと恭しく頭を下げて俺が歩き出すのを少し先で待つソーフィア。

三人の中では俺が了承したものとして処理されたらしく最早意見を言う間すらもらう事が出来なかった。

 「あ、足元見やがって……!」

本当に腹立たしい。腹立たしいが……認めるしかなかった。

捜索するにしても、何処かで待つにしても、少なからず数日は落ち着ける場所が必要なのは確かだ。

野宿できる場所があるのか、そもそも野宿を実行しても問題が無いのか、第一食糧はどうするのか。何もかもが不透明な中でのファズの提案は、プロデューサーの仕事を代価として捉えるのなら取引としては寧ろ優しいまである。感謝こそすれ拒否する理由は本来一つもありはしない。

……ただ、この三バカスクラップの良いようにされるのが心底嫌だというだけで。

…………しかし…………。

 「……だぁーーーー!分かった!やってやるよ!ただし!仲間と合流するまでの間で、かつ探す時間も貰うからな!!」

 「やっとデレたな!その意気だぞ、プロデューサー!」

 「お前はマジで黙っててくれ!!」

沸き上がる苛立ちを何とか呑み込み己を黙らせた俺は大変不服ながらもファズの提案を受け入れる事にした。

きっとこれが大人になるという事なんだろうーー。心の中でそう自分を納得させ、とてもとてもいい笑顔で微笑むソーフィアの後について行った。



                           ーーーー ーーーー ーーーー


 ……ここは、どこだ?

いや、知っている。俺はここを知っている。

ここは[道]だ。薄暗い極彩色が流れる様にとぐろを巻いて、行く先に吸い込まれていくここは異世界と異世界を繋ぐ[道]に間違いない。

けど、俺は確か、ファズ達の後について行ってとんでもない高層ビルの最上階に行ったんじゃなかったか?

そうだ。その後、半分物置と化した空き部屋をあてがわれ、案内された風呂に入ってソファと一体型のベッドに横になったんだ。

 ーーなら、これは夢か?

独り言ちたつもりで、けれど言葉は漏れなかった。

ただ、そう思考したらしい。

 ーーそうか、ここは夢だもんな。部外者の俺が話せるわけないか。

腹の中で微かに膨らむ自虐的な笑みを思考して辺りを見回す。

そうして見つけたのはーー俺達、[四人]だ。

まだ、四人だった頃の俺達だ。

 ーー…っは。そうか、そういう事か。思い通りに出来ねぇもんだな、自分の心ってのは。

俺とシャルが仰向けで寝ているブラフの傍にいる。それをフィルオーヌが立ち尽くしたまま見下ろしている。

そう、これは俺の心の傷。トラウマとなった出来事のリプレイ。

ブラフが宝玉化した時の記憶の再生。

 『……!!』

 『………』

 『……………』

声が聞こえそうで、聞こえない。

あの時の俺達の行動が見えているのに、明瞭に理解できない。

 ーーああ、そうだよな。全部過ぎた事だ。今更取り戻す事も、やり直す事もできない。記憶はただ風化し、俺を蝕むためだけに再構築されていくだけだ。

早回しのようなのに嫌にゆっくりとブラフが宝玉化していく瞬間までが再生されていく。

夢見る俺に流れ込んでくるのはその時の多くの思考だ。

その時思っていた事も、今になってそう思う事も、幾つとなく流れ込んでくる。

怒り、悲しみ、後悔、無念、懺悔、謝罪、悔恨、嘆き、己の無力さ、思い描いていた未来、望みを叶えさせるために考えていた事。

それに……好きだという言葉への返事。

見ているモノ、聞いている音はこんなにも曖昧なのに、その思考の全てはまるで今思っているかのように俺を襲う。

……いや、今もそう思っているのに違いはなかった。

あの日以来、吐き気が止まらない。

あの日以来、世界が停滞しているようだ。

あの瞬間が頭から離れない。

あの別れの言葉が耳の奥にへばりついて消えない。

[俺は……これから何をすればいいんだ]と過去が問いかけてくる。

[俺は後、四名もの巫女の命を担わなければならないのか]と未来が膝を折りかけている。

彼女だけですら壊れかけているのに、後四名もいるのか?しかもその中にはフィルオーヌだっているんだぞ?と。

なのに、担えるのか?本当に?濃厚だったとはいえたった二日だけしか関りを持たなかったブラフを失っただけでこれほどまでに壊れているのに?

それ以上に関わりを持っているフィルオーヌを失えるのか?こんな俺を好いてくれているキャムルの何よりも大切な主なんだぞ?

そんな彼女を俺は、『魔王を殺すために死んでくれ』と言えるのか?

……いいや、そもそもだ。俺はそんな約束を彼女達にしてもいいのか?

ブラフやバルデル、ヴァヴァルに掲げた約束よりも重いはずの宣誓を護るどころか何もできなかったこの俺に?

なら俺は……。一体何なんだ。

一体何のために彼女を殺した。

彼女に宣誓した。約束をした。

何のために。

何のために……。

何のために………!!

俺は、俺は……!!

 『……リューン、着いたよ。[道]の果てに、着いちゃったよ……?』

シャルの心配げな声が耳に届く。

鼓膜にへばりついている残響を一瞬だけ散らしてシャルの声が届く。

それで自分は歩いていたのだと思い出し、その場に立ち止まった。

そうか。もう、そんな場所か。

フィルオーヌが言うには実時間だと三日はかかるって話だったはずだが、そうか、もう、か。

 『……ああ。そうか。分かった』

 『…リューン?もしまだ辛いなら……』

 『大丈夫だから。だから、そんな声出すなよ、シャル』

 『……。うん…』

嘘にすらならない嘘を吐き出してシャルに返事を返す。

本当に馬鹿だ、俺は。シャルだって辛いはずだ。なのに彼女は俺の心配までしてくれている。

それを俺は吐き気を耐えられないからって理由で、まるで黙らせるような言い方でしか彼女に返事してやれない。

 ーーはは、ここまで来ると笑えてくるな。どこまで情けなければ気が済むんだ、俺は。

頬の筋肉が自虐的に歪んでいくのが分かる。

そのせいでまたシャルの表情が変わるほど心配させてしまった。

しかしそんな彼女とは対照的に、隣を歩いていたフィルオーヌは面持ちを固くしていた。

彼女の顔に浮かんだ緊張は次の異世界へと繋がる道の果てーー深淵に行き当たったから……ではなさそうだ。

 『……リューン。次の世界に行く前に話があります』

今日一日を通して初めて口を開いた彼女の声色は一際真剣だった。

 『貴方の役目についてです』

そう言いながら深淵に向かって渦巻く螺旋の前に立った彼女は手にしている穂先と柄をリングで繋いだ槍の底を《カン》と地面に突き立てると一度だけ深い呼吸をした。

 『単刀直入に、はっきりと申し上げます。貴方はこれより魔王を殺すため、私を含む計五名の巫女の命を担います……いえ、奪います』

心臓が鷲掴まれる。

 ーー……分かっているくせにいざ言われるとこれか。っは。

 『ふぃ、フィルオーヌさん!そんな言い方…!』

 『彼がそう捉えている以上、なんと言い繕っても受け取り方は変わりません。であるなら、余計な気遣いは無用でしょう。違いますか?』

 『そ、それは……!そんな、事は……』

フィルオーヌの言葉にシャルは言い返そうとするも口籠る。

当然だ。フィルオーヌの言う通りなんだから。

何をどう言い換えようとも[担い手]というモノは大義の下に巫女殺しを行う外道だという認識を変えるつもりは無い。なら無駄に遠回りをした言い訳をする必要は一切ない。時間の無駄だ。

 『…話を戻します。内一名は火氷界の巫女であったブラフ・アイン。次に妖精界の巫女である私。そして今度は機生界の巫女である何者か。更に、獣人界の巫女と人間界または蟲人魔王界どちらかの巫女の二名がいます。貴方はその四名の命を担うためにこれよりは心せねばなりません。……この意味、貴方は分かっていますか?』

 『多分、な。俺の双肩には既に五名の巫女の命が乗ってる。そういう事だろ?』

問われ、逡巡し、答えを出す。

担い手としての役割が巫女の命を奪う事からしか始まれないとするのならば。巫女の死という結末が既に決まっているのだとすれば。責任は既に俺の手元にある。そこからは最早逃げられない。きっとそう言いたいんだろう。

……しかし、俺の思考とは裏腹にフィルオーヌは小さく首を横に振った。

 『ええ。ですが、それだけではありません』

 『……何?』

 『貴方の役目。それは私達巫女の命を担うだけではありません。いえ、そこに含まれてると言って良いでしょうか』

 『どういう事だ、それ』

想定していなかった返答に喉の奥に締め上げられたような苦しさがまとわりついてくる。

充分じゃない?この認識じゃまだ甘いって言うのか?

 『私達に、貴方になら命を担わせてもいいと思わせる。そういう事、です』

 『…………は?』

耳を、疑った。

いや、拒みたかった。

フィルオーヌが口にした言葉を否定したかった。

[命を捧げさせるために誘導しろ]と、そう言ったように聞こえたから。

 『……滅多な事言うもんじゃないぞ、フィルオーヌ。事と次第によっちゃ許さねぇぞ』

沸き上がってくる怒りと加速度的に増してくる吐き気を何とか抑え込み考え直すように言葉を繋ぐ。

だが、彼女は発言を取り消すどころかより頑強に補強するために口を開いた。

 『いいえ、これはそういう旅なのです。純粋かつ言葉通りに[世界を護りたい]と思っていたり思わせる事が出来たりするのであればそれに越した事はありません。ですが、恐らくは皆ブラフと同様かそれに近しい考えを持っている事でしょう。当事者でなければ私もそうだったでしょうから』

 『……待てよ、なんて言うつもりだ?おい。フィルオーヌ』

直感を覆う悪辣なナニカが言葉に乗ってフィルオーヌを威嚇する。

だが彼女はその口を閉じない。

 『手段は一切問いません。恋に煩わせるも、心底から貴方を信頼させるでも、何でも構いません。巫女達皆に『これこそが私にとっての世界で、そのためなら命を捧げられる』と思わせる。それが貴女の役目の本質の一つ。その先に…いえ、その先にのみ。魔王の殺害が存在しているのです』

ぐらぐらと臓腑が焼け爛れていくのを感じた。

彼女の口にした手段はそれほどまでに俺を怒り狂わせた。

何が言いたいのかを、その本質を理解してしまったから。

 『フィルオーヌ!!お前!!!』

衝動に呑まれるがままフィルオーヌの胸ぐらに右手が伸びる。

彼女の額が俺の額に当たらんばかりの勢いで引き寄せる。

己がそう行動したのだと理解したのは、それでも顔色一つ変えないフィルオーヌの顔をーー瞳を覗き込んでからだ。

 『何度でも言いましょう。平和のためなら何度でも言葉にしましょう。どんな手を使っても巫女に命を捧げさせなさい。はっきり言って、世界のために命を懸けられるなどという者は後にも先にも最初の剣魔界の巫女だけです。そのほかの者は私や、その他の巫女達のように自分にとっての世界のためにしか命は懸けられません。故に。再びブラフのように恋煩いを覚えさせ、その愛を捧げる先を世界と認識させるのです。そうすればただ一念のために命を捧げられる。世界を救いたいという一念のためだけに。彼女がそうし、事実そうなったように』

 『フィルオーヌ!!!テメェ!!』

 『でなければ魔王無き平和は創れないのです!!またその場凌ぎをして、いつかの末裔に艱難辛苦を飲み込ませたいのですか!!』

怒りが溢れて己がどうにかなりそうだ。今すぐにでも彼女を殴り飛ばしてやりたいと腹の中の狂気が咆哮を上げてる。

それでも……。それなのに拳が出なかったのは、例え俺がどんな行動をとったとしても意志を曲げる気など毛頭ないのだと確信させるだけの彼女の視線が原因だった。

見ている先が俺じゃない。

彼女の視線の先にあるのはもっと先。不確定で不定形な未来を最も良い方向へと導くにはどうするべきかを見据えたその視線だった。

だとしても。

だとしても、ブラフを引き合いに出されたのは我慢できなかった。

何も知らない俺が最初に殺してしまった彼女の名を出され、挙句に同じ手段で別の巫女も殺せとのたまう彼女が許せなかった。

……なのに。

 『ふざけんな!!!そんな事しなきゃならないくらいだったら俺は平和なんざ……!!』

 『平和と無抵抗を同列のように騙るな!!担い手!!!』

 『っ……!!』

なのに、彼女の言葉には俺の怒りすら霞む慟哭が宿っていた。

 『……私は決めたのです。これ以上、先延ばしにしないと。一度目が己の甘えであった事は認めます。その事についてどれだけの罵詈雑言を浴びせられようと構いはしません。全て受け入れましょう。けれど、これで最後にする。そのためならどれだけの外道を進もうと構わない。噓だって幾らでも吐きましょう。貴方達を利用だってしましょう。現に今そうしようと口説いている。我らが望む平和とはそういった行為の上にしか最早成り立たないのです。それを理解なさい。我ら巫女の担い手・リューン』

 『かっ…!勝手な事を……!!それが、それが謝罪の旅がどうのと言っていた奴の態度か!!』

 『愚問!!故に謝罪するのです!私には二度とその機会がない!私にはどちらかだけを選択する暇(いとま)は無い!であるのならば!!同時に行うしかないのです!!平和のために外道を往く旅と!我が甘えでそうせざるしか無くなってしまった者達に謝罪する旅!相反する二つであったとしても私は同時に行うしかないのです!!この旅の果てこそが私の命の果てであるのならば!!』

叫び、猛り、彼女は俺の額に自身の額を力強くぶつける。

脳を揺らす痛みが頭部を巡り背骨へと駆け抜けていく。眩暈を覚え、膝を屈してしまいそうになるような一発だ。

だとしても一歩も引くわけにはいかなかった。

一歩も引いてはいけないとより強い痛みが胸に走り理解した。

この痛みは彼女が受けている痛みの極一部に過ぎない。これまで受けてきた痛みの極々一部にしか過ぎない。

俺には想像すらできない長い年月を生きてきた彼女が今日までーーいや、きっと命を捧げるその瞬間まで感じ続ける、痛みの一部と言うのすら憚られる程度の些末な衝撃だ。

……そうだ。忘れるな。初代の巫女だったとしても、彼女やその他の巫女のせいで今日まで艱難辛苦が伸びてしまっていたとしても。

彼女も被害者だ。

魔王だと呼称されるような悪なる存在に全てを狂わされてしまった被害者なんだ。

ならば。彼女を責めるのはまるで間違っている。

 『……そうか。分かった。分かったよ。付き合ってやる。俺も付きやってやるよ!外道を進む旅を!フィルオーヌだけに道を踏み外させたりはさせねぇ。俺が一緒に進んでやる。空気ほども重くねぇ約束だが、旅が始まってからまだ一度も果たせてねぇ約束ってヤツだが、一緒に進んでいってやる。そんでそのツケを全部魔王に払わせてやる!それで俺に対する謝罪はチャラだ!!』

突き合わせている額に力を込めてフィルオーヌを押し返す。

軽い。なんて俺の言葉は軽いんだ。

約束?一緒に進んでやる?似たような事を言ったブラフはどうなった。

……分かってる。俺には見合わない大言壮語な約束だって事くらい。

それでも言うしかないだろ。

約束を掲げるしかないだろ。

死に向かうしか余命が無い彼女達にしてやれる事なんてこのくらいしかないだろ……!!

 『……ありがとう、リューン。これで私は心置きなく旅ができる』

 『礼はいい』

 『………ええ。けれど、それでも』

あまりにも虚しかった。

彼女の言葉が全身を突き刺して俺に無力を教えているようだった。

共に外道を進んだとしてその先にあるのは[フィルオーヌの死]というあまりに明確な答えだけ。

それを俺は今、彼女に約束した。

『君を殺す』とあろう事か本人に約束したんだ。

この約束を違えられるのならどれだけ良かっただろう。護らなくてもいいと言ってもらえればどれほど気が楽だっただろう。

けれどこの約束はきっと違えられはしない。

これを違える時が来るとすればそれは……。

……俺が魔王の下へと辿り着けなかった時だけだからだ。


                                ーーーー ーーーー ーーーー


 「……あぁ」

 真っ暗闇を見上げている。

何も見えない。視線の先に天井があるのは分かるのに、その天井までに何があるのかが分からない。

 「……怖い…怖いな。こんなにも怖いんだな、暗闇を見るってのは、こんなにも」

俺は、あいつにとっての光に一瞬でもなれたんだろうか。

それとも、誰かに縋るしかなくなるくらいまで追い詰めてしまっただけだったんだろうか。

吊り橋効果という心理状況があるように、共に苛酷な道を往くと理解していたからこそ生まれた感情を恋心と間違えてしまっていたんだろうか。

今となっては確かめる術は一つとしてない。

 「……ブラフ」

持ってきた中では最も新しい、薄汚れた小さな巾着を取り出す。

中にはーーーが入ってる。

それを包むようにして持ち、球の形がほんのりと分かるまで力を込めて握る。

 「笑っちまうよな。俺はまだ受け入れられそうにないなんて。誰よりも俺がしっかりしなくちゃならないのに」

沸き上がる恐怖が闇の中で膨れ上がっていく。

どこまでもどこまでも膨らみ、限界寸前まで膨らみ続ける。まるで膨張率を知らない風船のようだ。破裂する瞬間まで極大の恐怖を与え続ける爆弾のような風船そのものだ。

 「お前はこんなのを抱えたまま何年も普通のフリして暮らしてたのか?なぁ、ブラフ」

語り掛けたところで返事はない。

熱だって、感じられない。温もりほどの温かさすら、無い。

 「なぁ、教えてくれよ。俺はこの暗闇に耐えられるのか?それとも折れちまうのか?なぁ」

返ってくるはずの無い返事を待つ。

待って。

待って。

待ち続けて。

なお待って。

虚無が音のように俺の耳を襲った。

 「なんでもいいから答えてくれよ。なぁ、嘘だって……言ってくれよ。なぁ……、なぁ……」

額を強く殴りつける。

とめどなく溢れるこの涙は己の弱さだ。

とめどなく溢れるこの恐怖心は己の弱さだ

返事があるはずないだろう。微熱すらあるはずが無いように、声があるはずが無いように、ブラフはもういないんだから。

認めろ。受け容れろ。

心を決めろ。

この旅は俺にとって焼け針の道だ。

縋るな。頼るな。

この手は祈りを捧げるためにあるわけじゃ無いだろう。弱さを痛みで紛らわせるためにあるわけじゃ無いだろう。

 ーー仇を、取るからな。お前も、これから出会い、俺の弱さで宝玉化させちまう巫女も、みんな、みんな。

巾着を包むように握り、少しでもブラフに届くようにと念じる。

例え外道と呼ばれようとも真にすべき事からは外れないと。




to be next story.

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