第16話・幕間 望めなかった幸福の中で


 暗い洞窟の中をずっと覗き込んでいるような感覚だった。

アタシらには未来が視えちまう。それが良い未来か悪い未来かまでは分かんねぇが、他の奴らよりは生きる事に対してのドキドキってのがどーしても足りねぇのは事実だ。

そん中でもアタシは一際特別だ。

なにせ救世の巫女の子孫で、しかも救世を求められる世代だからな。どう生きようと最終的にやる事は決まっちまってる。

決まっちまってるからこそ、アタシにはその結末までの生き方が真っ暗な洞窟に思えて仕方なかった。

何をやっても結末が同じーー。って事は、何もしなくても結末は変わらないって言われてるようなもんで、だとしたら何をしてもムダでしかない。

本を読もうが、知識を蓄えようが、酒を煽ろうが、憧れを抱こうがだ。

生きる楽しさの全てが、アタシにとってはあっても無くても同じ。そんな程度のモンでしかねぇ。

そんな程度のモンでしかねぇのにどうしたら入れ込める?やってもやんなくても同じなのに、どうしたら大切に出来る?

幾らか物事を考えられる年齢の時に知ったんなら最初に反発する事も出来たんだろうが、教えられたのは五つか六つの時だ。良いも悪いも無く受け入れるしかなかった。

それから数年、頭の中にはずっと巫女の役目ってのがこびりついてた。

歳を追う毎に疑問や怒り、悲しさなんかが募っては来たが、まとめてドカンとじゃ無かったお陰で都度飲み込む事が出来ちまった。

だからなんだろうな。気が付けばアタシは、巫女の役目に対する反発心が怒りの限界に来る前に落ち着かせる術を見に付けてた。

そうやって年齢を重ねたある日、親父は言った。

『すまない』と。

新しく因果の観測が起きたからだ。何を見たのかはアタシもバルデルも分かってる。

だからバルデルは言った。『どうして先に生まれたってだけでこんな目に遭わないとならないんですか…?』と。

それに対してアタシは言ったよ。『いいんだよ、気にすんな。どーせ誰かに回るジョッキだ。構いやしねぇよ』と。

そりゃあ本心かと言われりゃちげーけど、キレても落ち込んでももうどうにも変わりゃしねぇんなら暴れるだけ損だ。受け入れて、そのように生きて、そうやって死んでった方が他の奴らのためになるってんならそれでいいじゃねぇか。

それがこん時の自分の抑え方だった。

だけど、それで良かったんだ。

全部を諦めて、全部が誰かのためになると思い込んで、全部が自分らとは関係ない大いなる何かによって動かされていると思い込むだけでアタシは真っ暗な洞窟の中にいる事が出来た。

いる事が出来たのに、あのクソッタレが現れた。

悪気も無く明かりを向けてきてくれやがるリューンのクソッタレが。

あいつは、初めて会った時からアタシをアタシとして見てくれやがった。

暴言と変わりゃしねぇ散々な物言いばっっっっかりだったが、それが嬉しかった。

そりゃあそうだろうよ。誰も彼もがーー自分ですら巫女としてしか見てねぇアタシの事をそんな事にゃ一切触れずにケンカを吹っ掛けて来たんだ。一も二も無く頭に血が上ったよ。抑えがなんざこれっぽっちも役に立たねぇ。

あいつのそんな態度はその後も続いた。アタシの洞窟をほじくり返すような事を遠慮無しに散々っぱら言ってくれやがった。

…………初めてだったんだ。

アタシだけを見てくれたのはあいつが初めてだったんだ。

嘆かれたり、悔やまれたり、そんな感情と一緒に結局は救世を託されたり。同じ炎凍龍族の奴らには悲劇の少女として特別扱いされたりしてた中でだ。親父とバルデルにすらそういう風に見られていたのにだ。死に際の母さんですらアタシの背負う宿命ばかり見ていたのにだ。

それなのにあいつはアタシに真っ向からブチギレた。

落ち込んだり、内に怒りを向けたりじゃねぇ。最初っから諦めるのが当たり前になっちまったアタシに[怒れよ]と言い続けてくれた。

堪らなくムカついたね。テメェに何が分かんだと。

とっくに無くなったはずの怒りってヤツがこいつの時にだけまた沸々と湧いてきて、いつの間にかぶっ壊したくなるくらい頭に血が上った。

けど、何をぶっ壊せばいいのか分かんなかった。そもそもこの怒りをどこに向けりゃいいのかすら分かりゃしなかった。

受け容れちまったてめーにか?それとも受け入れる以外の選択肢を用意してくれなかった親父か?もう少し遡ってアタシを最初に産みやがった母さんか?いやいや、根本に行きつけば魔王の野郎だし、それをぶっ殺してくれなかった当時の巫女達か?

思い当たる節が多過ぎて話になりゃしなかった。

そんな中でだ。あいつはアタシに明確に答えをくれちまったんだよな。

『俺を利用しろ』ってよ。

良い事が起きれば自分が何かしたから。悪い事は全部あいつのせい。

そんな無茶苦茶で身勝手な思考を、事もあろうにあいつは『求める』とまで言いやがった。

それはつまり、失敗して魔王にぶっ殺される寸前に『元はと言えば全部テメェのせいじゃねぇかよ!』なんつー理不尽極まりない妄言を叩きつけてくれと言ってるようなもんだ。

……実際、あいつはそういうつもりで言ったんだと思う。理屈の通った怒りだけじゃねぇ。これから先に生まれるだろうあらゆる怒りを、苦しみを、辛さを、『元はと言えばお前が』と前置きして言って良いんだと。

そうやって全ての負の感情の向ける先をアタシに与えてくれた。

これまでは湧かせる事すら自制していたはずの汚物をだ。

…はっきり言って、さいっこうに嬉しかった。

アタシの中に、やっと自我(アタシ)が産まれてくる感じがしたんだ。

だから望みが産まれた……いや、望みを思い出しちまった。

思いつくたんびに諦めて隠した沢山の望みを思い出しちまった。

……好きな相手に包まれながら眠ってみたいっつー、ガキくせぇ最初の望みすらだ。

けど、そんな望みを思い出すにつれてどうしても無視できない事がたった一つだけあった。

それは、アタシが龍族の中でも特別な炎凍龍族で、しかもかなりの失敗作だって事。

炎龍族は生まれながらに火の特性を、凍龍族は氷の特性を持ってるのに対し、炎凍龍族は最初はどちらかの特性を持って生まれ、成長するにつれてもう片方の特性が現れ始める。

その二つの特性がある時期になると同程度の力を持ち始めて、力が拮抗すると[融合]っつー現象が起きる。人間で言うところの第二次成長期みてぇなのだから炎凍龍族なら誰にでも起こるモンだ。

ただ、だ。成長期と同じで融合ってのはそいつの意志に関わらずに起こるもんだから成否が運任せになっちまう。んでもって成功と失敗じゃ最終的な龍の姿に大きな違いが出ちまう。

アタシはその融合が失敗した側の龍だ。

歪で、気持ちの悪いくらい入り乱れた二つの特性は今直ぐにでも爆発しそうな溶岩や崩壊しちまいそうな氷塊を思わせるモンだから同じ炎凍龍族の奴らにはちょいと煙たがられちまう。

対してバルデルは完璧な融合を果たした稀有な存在だ。綺麗に二つに別たれた炎と氷は共存しながらその特性を遺憾なく発揮できる上、それぞれの特性が莫大な潜在能力を有してる。魔法で表すなら超級並みの力だ。このまま使い方を覚えれば末は炎凍龍族の長にだってなれちまうはずだ。

んなわけで劣等感ってのがどーしてもあった。

勿論、それとこれとは別だからアタシは死んでもバルデルを愛してるし、絶対に幸せになって欲しいと心底から願ってる。尊敬の念すらあるぜ?

……だからってアタシのこの劣等感が消える事はねぇ。ぶつける先の無いこの劣等感はきっと死ぬ瞬間になって牙を剥きだしにするんだろうと思ってた。

そんな小汚いモンを抱えて何を望めるってんだ?

愛されたい、愛したい、結晶を育みたいだなんて公言できるわけがねぇ。声を大きくして良いわけがねぇ。子を育てていいはずがねぇ。

いいはずがねぇんだ。どこにも、何も。

それを何でかあいつに言いたくなっちまったんだ。

きっと最後の抵抗だったんだろうな。こんな野郎をって。化けの皮を剥がしてやるって。同族とすら結ばれないのに異種族となんか夢のまた夢なんだって。

……いや、違うか。

本当のアタシも受け入れて欲しい。そんなメス臭い部分のアタシが久々に表に出たんだな。きっと。

拒まれるに決まってると分かってて。そうなりゃきっと立ち直れねぇだろうとすら分かっていながら。

とことんめんどくせぇ生き物だと思うよ、アタシって女なは。分かってても試したくなって仕方がねぇんだから。

なのに。龍の姿を見たら抗えない恐怖に襲われてブルっちまうはずの人間風情が……リューンは、二度も三度も言いやがった。

噛み締めるように言いやがった。

『綺麗だ』って。

それで認めちまった。

ストンと胸の奥に落ちちまった。

最初で最後の、ずっと憧れてた恋ってヤツに落ちちまった。

巫女(アタシ)にとっての重要な最後の鍵だと視て知っていたのに。

受け容れちまえば最期。もう二度と引き返せない、拒めないのに。

…………だからさ、リューン。

そんな顔して泣くなよ。

悪態吐いてくれよ。

それがアタシの恋の始まりなんだからさ。


                               ーーーー ーーーー ーーーー


 ブラフと共に家へと帰るとみんなが出迎えてくれた。

……んだが、笑顔の龍族二人に対してシャルとフィルオーヌは何とか作ったような表情をしていた。

理由は恐らくバルデルのあくびだろう。寝起きの咆哮は経験した事は無いがキツイ事この上なかったはずだ。想像するだけで耳を塞ぎたくなる。

それはそれとして。無事に俺とブラフは親交を深める事が出来た。

それを見てとったヴァヴァルは満足げに微笑むと、俺達に次の異世界に続く[道]の場所を教えてくれた。

 「……ねぇさん。行ってしまうんですね?本当に…」

 「ああ。なにせこいつに求められちまったからな。ちゃちゃっと世界救ってくるわ」

 「…………わたっ…アタシは……」

 「あー、そうそう。お前が真似してるアタシの一龍称だけどよ、似合って無いぜ?吐くくらい気持ちわりぃわ」

 「そ…急にどうしたんですか……?ねぇさん……?」

 「姿ももういいだろ。出来損ないのアタシの姿を真似してどうしたかったのか最後まで分かんなかったけどよぉ、やっぱ不愉快だわ」

 「……っ!!そんなつもりは……!!」

 「別に意見なんざ聞いてねぇが?アタシの感じた事が全てなンだしよ」

俺達に見守られる中でブラフはバルデルを突き放すような物言いを続けた。

その度にバルデルは悲しそうな顔をしては何とか表情を作り、それでも崩れてしまいそうになる頬を無理に上げて笑みを作っていた。

今生の別れとも分からない旅立ちの会話を悲しみで染めたくは無いからだろう。

それを分かった上でブラフは強い言葉を使ってバルデルを突き離そうとした。

依存を続ければ死を知った時に取り返しがつかなくなってしまうと分かっていたから。

 「ま、埒が明かねぇわな。いってくらぁ。あばよ、母知らずの愚妹とクソ親父」

 「……ねぇさん」

 「さようなら、私の娘。せめて私を呪ってくれ」

 「そいつぁできねぇ相談だな。もう先約がいるんだわ」

 「それでも、だよ。男親の最後の役目はそのくらいだからね」

 「………っは!言ってろ」

ぶっきらぼうで分かり易い別れの言葉に無音が染みていく。

余韻が流れ、見合っていた家族は、踵を返すブラフによって均衡が崩れる。

 「行こうぜ。もう用はねぇだろ?」

 「…ああ」

 「……うん」

 「そう、ですね。ええ、その方がきっといい」

家族との代わりに向かい合った俺達は頷き、向ける視線の先をブラフと同じくする。

ーー時だ。

 「ねぇさん!!」

ブラフを呼び止める声が響いた。

今まで見てきたバルデルからは想像できないようなはっきりとした大声だ。

彼女の声には裏でだくだくと溢れてくる感情を抑えている様子が痛いほど伺える。

当然だ。彼女達はまごう事無き家族。たった数言の会話で最後になるかもしれない別れを終えられるわけがない。

ましてそれが造られた暴言に塗れていたのであれば尚更だ。

 「……ねぇさん。私は……それでも幸せでした。私には母はおらずとも貴女がいた。母のように接してくれて、母のように導きながらも姉として私と対等でいてくれた貴女がいた。姉として見本を見せてくれて、母として善悪を示してくれる貴女がいつでも傍にいてくれた。だから私は……母が亡くとも少しも寂しくはありませんでした。ですから…………心からの感謝を贈らせて下さい。ありがとう、ございました」

その声は次第に小さくなっていき、時折嗚咽に似た音も混じる。

 「…そりゃどーも。行こうぜ」

だとしてもブラフは振り返らなかった。

声色も瞳も表情も、何も変わりはしなかった。

ただ、一つ。

 「(じゃあな、最愛の妹。これまでのアタシの全て。今日でお別れだ)」

ただ一つだけ言葉を残して。彼女は俺達の先頭を行った。

決別を行動で示すとばかりに。

 「……バカなねぇさん。そんな事、言わなくても伝わってるのに」

 「恨むよ、祖龍神。あんたらの創った罪でなくとも、神であるのならあの子の運命くらい変えられるはずだろうに。手抜きばかりして」

残されたバルデルとヴァヴァルは家族とその仲間達の背を見送りながら共にそう溢すと、矛盾なる賢者によって変わり果てた大地を暫くの間見つめていた。

かつて視た因果を思い出しながら。



                               ーーーー ーーーー ーーーー

 

 異世界へと続く道の中に入って直ぐ、異変は起こった。

俺にはそれが何を意味するのかがまるで分からなかった。

いや、俺だけじゃない。シャルも理解できていない様子だった。

 『おい、おい!何でお前……!』

 『ブラフちゃん!!ねぇ!ねぇ!!』

突然その場に蹲ったブラフに最初に駆け寄ったのは俺だ。次いでシャルが彼女の身体を支えながら仰向けにしてくれた。

何もせずに……慌てすらしなかったのはフィルオーヌとブラフだけ。

彼女達はただ起こるがまま、成すがままに全てを受け容れるような顔をしていた。彼女の身体を襲う異常事態を。

 「っは、そんなに悲しそうな顔すんじゃねぇよ。聞いてんだろ?こうなるってよ」

 「聞いてねぇよ!!何が何なんだよ!!」

 「あぁ……?チッ、親父の奴、ここまで来て日和ったのかよ。なぁ、フィルオーヌさんよぉ」

聞いている?親父……ヴァヴァルから?何を??

 「……ごめんなさい。私にしてもこの話題はそう簡単に触れられるものではないから……」

幾つも巡るここ二日間の記憶の中にそれらしいモノは一つも無い。

なのにフィルオーヌは知っているような口ぶりだ。

何故?いや、何を知ってる!?

 「まぁ、そうだろうな。下手に触れてアタシと同じ目に遭ったらごめんなさいの旅が出来ねぇもんな」

 「ええ……。本当にごめんなさい」

 「ははっ!最初はアタシか!悪くねぇ!」

なのに、知っているのがまるで当然かのような口ぶりでブラフは笑う。

意味が、分からない。

意味が分からないって……言ってるんだ……!!!!さっきからずっと!!!!

 「何笑ってんだ!!!んな事今はどうでもいいだろ!!何でお前の身体が消えかかってんだよ!!ブラフ!!!!」

呑み込み切れない現実が言葉に現れる。

彼女に起きた異常ーー。それはブラフの全身が淡い雄黄(ゆうおう)色の光を纏っている事。

しかもその光の中には白く発色する炭酸のような粒が無差別に浮かび、少しずつ少しずつ増え、粒が増えれば増えるほど彼女の身体の存在感が希薄になっている。

まるで消えていくと示しているかのように。

 「そりゃあ笑うだろ。アタシにゃ有り得ねぇと思ってた宝玉化が起きてんだからよ」

 「は……はぁ!?」

 「ほ、宝玉…化……?」

 「お前、こんな時に何ふざけた事言って……!!」

 「っは。マジに知らねぇのか。なら教えてやらなきゃなぁ?だろ?違うか?フィルオーヌさん?」

 「……………」

俺とシャルの反応などまるで見えていないかのようにフィルオーヌを見遣るブラフ。

同様に俺とシャルも答えを知っているのだろうフィルオーヌに急いで視線を向けた。

[宝玉化]などという想像するのも嫌な言葉の答えを、想像とは違うのだと答えてもらうために。

 「…分かりました。これも私の務めの一つ。お教えします」

 「「!!」」

 「はっ。手短に頼むぜ?アタシが消えちまうからよ」

彼女は本当に知っている様子だった。

こんな不可解な現象の答えを本当に知っている様子だった。

だったら。だったら早く止めてくれ。止めろよ。

じゃないとブラフが……!!!!

 「[宝玉化]。それはあまりに長い月日によって[概念]ではなく[特異能力]となった巫女の力が物質として顕現するために起きるモノ。私自身、その可能性を知ったのは二百年ほど前。そして確信を得たのがおよそ五十年ほど前の事です」

 「概念……特異能力……?なんだよ、それ。どういう事だよ!」

あまりに淡白にフィルオーヌは答えた。

一つも理解できない……いいや、聞いた事も無い単語を二つも口にした。

だが違和感は無かった。理由は敢えて黙っていたと言わんばかりの口振りだったからだ。

ならその理由は何だ?何がフィルオーヌの口を噤ませた?どうしてそれほどまでに口にするのを躊躇った?

攻撃的な疑問が沸き上がる。その答えを教えてやろうと言うのかブラフは小さく笑い、フィルオーヌは意を決するためにかほんの僅かにだけ目を伏せ、続けた。

 「不思議に思わなかった?自分の子に代々巫女の力が受け継がれるというブラフちゃんの家の話を」

 「不思議に…って、どうして?魔法と同じで生まれた時から両親と同じ魔法を使えるとかそういう事でしょ…?」

 「そうね。きっとそういう解釈をさせるためにヴァヴァルさん達はああいう言い方をしたのだと思う」

 「なら……!」

 「けどね、普通、有り得ないの。だって巫女というのは後付けの称号。概念。巫女に選ばれた私達が子を産んだ場合、受け継ぐのは良くて超級魔法。巫女として選別された理由の一つである、元々持っていた超級魔法だけ」

必死に事実を否定しようとするシャルにフィルオーヌは変わらぬ事実を突きつける。

……ああ、そうだ。気が付いていたはずだ。称号を受け継ぐなら子供には[巫女の子孫]や[末裔]という言葉が付くだけのはずだ。だがフィルオーヌは子孫とではなく[巫女]と呼んでいた。初代とイコールであるかのように、そう呼んでいた。

だとすれば……。彼女はーーいいや、いいや。

…………彼女も。

 「でもこれは普通から逸脱した有り得ざる存在を抹消するための力。巫女という存在がいつか再び必要になるという確信によって魂に起きた変質。言うなれば具現化してしまった奇跡よ。……祝福とはほど遠いけれどね」

 「な、何だよその言い草。それじゃまるで巫女全員が…フィルオーヌだって…!!」

分かっていながらそう叫ばずにはいられなかった。

信じたくなかったんだ。認めたくなかったんだ。受け入れたくなかったんだ。

彼女も、その他の巫女もそうであると思いたくなかったんだ。

 「ええ、私も成るわ。成ろうと思えば今直ぐにでも」

けれど。都合よく事実が変わってくれるはずが無い。

 「私達最後の世代の巫女の役目は条件を満たして宝玉化し、純粋な祈りと力の結晶となって魔王を討つ素質のある者の助力と成る事。だから、選ばれた者はこう呼ばれるの。[担い手]と」

……気を、しっかり保て。

思考を白く染め上げて逃げようとするな。

膝を崩れ落とすな。

まだ、知るべき事があるだろ。重要な事実があるはずだろ。

己可愛さに[それ]から逃げ出すな。

 「でも私は自力で宝玉化を抑える事が出来る。それはきっと他の巫女には出来ない芸当。何故なら私は恐らく魔王と対峙した最後の生き残り。であるなら本来の[連綿と続いた確信がもたらす奇跡]である宝玉化発生の過程からは外れている事になる。だから自分で抑える事が出来るの」

ああ、そうだ。それだ。

引っかかっていたのはそれなんだ。

 「だったら、だったら止める方法もあるはずだろ……?結局どうすればこれを止められるんだ…!?なぁ!抑えられるなら分かるだろ!?フィルオーヌ!!!!」

腹の底から疑問が吐き出される。

巫女としての役目が最期の仕事だとまで言っていたフィルオーヌが未だに宝玉化していない。それはさっき言っていた『条件』を満たしていないか、満たしていても抑制する手段を知っているからだ。

それが意志の力なのか何かしらの道具や魔法なのかなんてのはどうでもいい。それを今のブラフに施せば、少なくともこれ以上進行する事は……!!

 「そいつぁ無理な話だぜ、リューン」

 「なっ…!?」

 「無理なんだぜ、リューンよぉ」

やっと答えに辿りつけそうだったのに、それを阻害したのは他でもない。言葉の意味を補強するかのように諦観した面持ちで俺を見つめていたブラフだった。

 「ごちゃごちゃ抜かしてたが宝玉化ってのは要は巫女の魂を形にしたモンだ。んで巫女の魂っつーのは[世界を救う]という決意が形となった力そのもの。……そこまで言や条件が何なのか分かるだろ?」

 「そ、それは……」

問われ、言葉が詰まる。

……分かったからだ。

宝玉化の条件とは、世界を救うという一念。まじりっけの無いただ一念が成せる自己犠牲故の奇跡だと。

かつて、ただ一人で命を投げ打った巫女のような献身が成せる奇跡だと。

だとすれば彼女に宝玉化が起きるのは……したくはないが理解できてしまう。

 「けどなぁ、アタシがなるわけなかったんだよ。確かに誰かにジョッキを回したくは無かったけどよ、じゃあそれだけで世界を救いたいって本気で想えるはずもねぇ。何より諦めてたわけだしな、テメェの事すら。そんな奴、命は捨てられても命を張れるわけがねぇ」

 「だったらなんで…」

 「アタシの中で定義されちまったからだ。命を懸けてでも護りたい世界ってのを」

諦観した表情に柔らかな笑みが浮かぶ。

後悔など何もないと。定義した世界とやらと永劫別れるとしても悔いはないと言いたそうに。

強く、無邪気な笑みを浮かべている。

 「……言い方を変えるぜ?アタシにとっての世界を護るためなら命なんざ惜しくねぇと思ったんだ」

 「ブラフにとっての……世界。それは、バルデルの事……だろ…?」

ブラフにとっての世界(すべて)。

そんなものがあり得るとすれば、溺愛している最愛の妹しかいないはずだ。

あんな分かり易い嘘で突き放してでも自分を嫌わせて忘れさせようとしていたくらいだ。そうに違いない。

……だが。

 「っは。っとに鈍い男だなお前。んなわけねぇだろ。もっと分かりやすく行ってやろうか?ガキ孕んでやってもいいと思えた相手の事だよ、ばーか」

唯一の心当たりは一蹴されてしまう。

そして、告げられた。

 「要はお前の事だ、リューン」

 「………は」

この俺こそが彼女にとっての全てだと。世界だと。はっきりと告げられた。

 「アタシは、最愛のお前が生きる世界を護るためなら死んでやれるっつってんだ。いい加減気付け、ばか」

僅かに恥ずかしそうに。けれどそれ以上に誇らしそうに。ブラフは続けた。

胸に穴を開けられたような虚無感が走る俺の事など無視してだ。

吐き気を覚えている俺を無視してだ。

絶望に襲われている俺を無視してだ……!

 「な、何だよそれ。何だよ……!それじゃまるで、俺が……!!」

 「ああ、アタシはお前に殺されたんだろうな。文字通り心臓を射抜かれちまったんだ。このアタシがだぜ?全く。責任、取ってくれよ?甲斐性無し」

そうだ。

そうだ。そうだ。

そうだ。そうだ。そうだ。

そうだそうだそうだそうだそうだそうだ。

そうだ……!!!!

俺が彼女を殺した事になる…っ!!

彼女が、俺を、俺を!!!!……愛してしまったが、ために……!俺が…………!!!!

 「ふ……ふざけんな!!嫌いになれ!今直ぐ、今直ぐに俺を殺したいくらい憎く思え!!そうすれば、そうすればきっと……!!」

 「無茶言うなよばーか。ここ二日で殺し合う関係からここまで好きになった相手だぜ?向こう一年は天地がひっくり返ろうと無理だわ」

 「だったらどうすれば嫌ってくれる!?言え!!言ってくれ!!じゃないと俺は…俺は……!!」

 「無理な相談だなぁそりゃあよ。仮に今ここでお前がアタシを無理くり抱いたとしても嫌いになれやしねぇよ。いや、寧ろ嬉しいかもな。ここまで至っちゃ初夜を迎えるなんざ不可能だと思ってるわけだし」

 「なら、なら……!」

どうすればブラフが俺を嫌ってくれるのかを思考した。

思いつく限りの悪人を片っ端から真似してやろうかとも考えた。

いっそ[道]を戻ってバルデルを殺してやると言ってやろうかとも思った。

なのに、ブラフは立てた人差し指を俺の口に当てるとより一層明るく、笑った。

 「ば~か。アタシのためにそんだけマジになって悩んでくれてる奴、そう簡単に嫌えるわけねぇだろ?ホンットにばかだよな~。ど~せ『バルデルを殺してやるって言えば』とか思ってんだろ?お前に出来るかよ、そんな事」

 「お、おま……」

 「はいはい、黙った黙った。そろそろ時間だからよ。アタシに残り全部くれよ。今までのアタシは全部くれてやったんだし、そのくらい良いだろ?」

 「……ッ!」

言われ、彼女の全身を見た。

雄黄色の光が大きくなっている。炭酸のような粒も遥かに多くなっている。

なにより、ブラフ自身の身体が、地面が見えるほど透け始めている部位が出てきていた。

それは腕や足のような先から始まっている。

否応なく[消える]という事実を押し付けてくる。

 「分かったろ?だからアタシに残り全部くれ」

微笑みを浮かべて口にするブラフに、俺は無理矢理にでも頷く事しかできなかった。

切なさすら垣間見える彼女の微笑みをどうにかしてやる事すら出来ずに。

 「じゃ、じゃあ~行くぜ。ンンッ!」

咳ばらいを一つしたブラフは頬を僅かに赤く染める。

それから口を開いたかと思うと、そのまま少しの間だけ硬直した。

 「は、はは。いざ言うってなるとちょい恥ずいなぁ~。一応、練習もしたんだけどよぉ~」

笑って見せて、けれど俺達は誰一人としてその恥ずかし笑いにつられてやれなかった。

 「……んじゃ、言うか。心して聞けよ、リューン」

表情に真面目さが戻った彼女に頷く。

…そして、彼女は言葉にした。

 「アタシはもう死ぬ。死にゃあその瞬間から過去の存在だ。考えたくはねぇが忘れる奴だって出でくるだろうな。だけどよ、リューン。お前だけは忘れんじゃねぇぞ?アタシっつー女がいた事を。アタシっつー一人の女が、お前っつー一人の男に心底から惚れていた事を」

俺を、愛していると。

 「じゃーな、アタシの初恋。生まれ変わったアタシを見つけたら、今度はアタシだけを見ててくれよ?今度はアタシも暗闇なんぞ見ねぇで最初っからお前の事だけ見ててやっからよ」

最早全てを受け容れたと。

今度こそ本当に受け入れていると。

 「……バカ、ッタレが。最期の言葉じゃねぇだろ、そんなの……!もっとあるだろ、お前を殺しちまった俺にしてやりたい事とか!言ってやりたい事が……!!」

 「っは、そうだな。確かにそうかもしれねぇなぁ」

ブラフの腕も脚も、もう無い。

見たかったわけじゃ無い。寧ろ目を逸らしたかった。

なのに、俺が見続けているブラフの顔の直ぐ下にまで迫っていた。

宝玉化なんていう舐め腐った現状が、彼女に牙を剥いていた。

 「……ああ、そうだ。良い事思い付いたぜぇ~?お望み通り恨みをぶつけてやっから顔を近付けてくれ」

 「!!ああ、ああ!ぶちかましてくれ!!」

何かを思いついた彼女に頷き即座に顔を近付ける。

目と目が合う。

鼻先が触れるまで近くに寄る。

……いや、僅かに鼻先が触れ合った。

ブラフが何とかして頭を動かしたからだ。

それで、それで、ブラフが俺にぶつけた恨みは……。

 「わりぃ~な、利用させて、もらったぜ?文句は…ねぇ……よな……ーーーー」

雄黄色の光の中に粒が集まっていく。

それらは少しずつ集束していった。

やがて粒達は完全な球体になると、静かに地面へと降り。

俺の足元へと転がってきた。

炎と氷が反映されたような美しくも力強い光を放つ紅と蒼の宝玉(ブラフ)が。

 「……ざけんなよ。何が、恨みを晴らすだ」

拾い上げ、両手で包み込んで胸に当てる。

穴が開かんばかりに胸に押し付ける。

 「一生、忘れてやるかよ。お前の声も、態度も、重さも、熱も、口も。全部だ。何もかも背負って魔王の元に行って、ぶっ殺してきてやる……!!!!」

未だ、僅かに熱を感じるような気がするブラフを俺は暫くの間抱きしめていた。

知らぬ間に膝をついていた俺の肩にシャルが手を置いてくれるまで。

俺と同じだけ涙を流しているシャルが、俺に使命を思い出させてくれるまで。



to be next story.

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