第14話 宣誓


 場所は……路地裏だろうか。

人気が無く、野良の動物が闊歩するような陽の光が届かない場所もあるところだ。

そこで君はーーリューンさんは対峙していた。

背後に、当時の君よりも三つか四つは年が下だろう男女を悪漢の男から護るようにしてだ。

悪漢は上下を黒の衣服で揃えていた。恐らくリューンさんと同年代だろう。

しかし体格は相手の方が遥かに上。右手には鉄製と思しき棒が握られている。

悪漢はその鉄の棒を誇示するように壁や地面に叩きつけたり、カララと引きずってみたりしてリューンさんを威嚇していた。

 『退けよお前。後ろのガキに用があんだよオレはよぉ』

とても子供じみた威勢を放つ声で悪漢はリューンさんに命令をする。

悪漢が後ろの二人組に固執しているのはどうやらぶつかった拍子に悪漢に飲み物を誤って掛けてまったかららしく、視れば地面には転がっている紙の容器に入っていたのだろう液体が大きな染みを作っていた。

 『ヤダね。謝ったんだから許してやれよ』

 『はぁ?なに命令してんだ。寝ぼけてんのかボケ』

リューンさんの頑とした態度に苛立ちを見せる悪漢は鉄の棒を一際強く地面に叩きつける。

ガランという空洞に反響した重高い音に二人組は抱き合うようにして身を竦めたがリューンさんは眉一つ動かさなかった。

 『なら仕方ない。ポリカスに連絡だな。どっちが正しいか公的権力に決めてもらおうぜ』

彼の口にしたのはきっと応援を示す言葉だったんだろう。しかもかなりの力を持っている相手ーー場合によっては団体だったのかもしれない。悪漢の態度が途端に一歩引いたものに変わった。

だが、悪漢にも意地というのがあった。僅かに冷や汗を垂らしながら殊更に強く鉄の棒を壁に叩きつけ、考え直させてやると言わんばかりにリューンさんを威嚇した。

『ほ、吠えてんじゃねぇぞ!』

……視ている私にはこけおどしのように思えたけどね。

 『お前、この辺の学校の不良だろ?どーする?今帰ればぜーんぶ忘れてやるけど?」

 『舐めんなよコラ!連絡する前にボコしてやるよ!!』

 『ま、そーなるよな!』

悪漢は叫びに近い怒声を上げて鉄の棒を振りかぶりリューンさん目掛け駆けていく。

それをリューンさんは理解していたのか、直ぐに迎撃の構えを取っていた。

と、同時に。後ろ手に回していた左手で二人組に合図も送っていた。

開いた手で払うような動きーー[逃げろ]と。

二人組は頷くや否や駆け出し、リューンさんをその場に置き去りにする。

 『ったく、何やってんだかな、俺は!!』

鉄の棒が頭上に振り下ろされる。

避けるのは間に合わない。

ならばと、リューンさんは両腕で鉄の棒を受け止めた。

良く響くのに直ぐに消え入る軽い音が彼らの鼓膜を刺激する。

悪漢は嗤い、リューンさんは苦く笑った。

当然だ。あの音は骨の折れた音に違いないはずだ。力一杯に振り下ろされた鉄の棒をただの人間が受け止めれば腕の骨など簡単に折れるのだから疑いようはない。

 『馬鹿だろお前。知り合いでもねーヤツ庇って骨折るなんて。何考えてんだ?』

 『し、知るかよ。今回は偶々だ。偶々見過ごせなかったんだよ』

痛みに顔を歪めながらも笑みを絶やさずにいたリューンさんは悪漢の脚を蹴り上げようとするが簡単に見切られ、避けられる。

寧ろ攻撃の隙に脇腹へ鉄の棒がねじ込まれた。

 『ぐッ!?』

 『は!ガチでシロウトじゃねーかよ!マジで何しに出て来たんだオメー!』

 『だ、ダセーか?俺は。なぁ』

 『ダセェに決まってんだろマヌケ!』

脇腹の一撃に悶え、蹲ったリューンさんの背中に更に振り下ろされる鉄の棒。

正直に言えばそれ以上は視るまでも無かった。

勝負は明らかに悪漢の勝ちだったからだ。大義があれば或いは反撃もという考えもできたのだろうけど、少し前から視ていた私にもリューンさんが出てきた理由は男が言ったように分からなかった。

それでもリューンさんは笑いながらはっきりと言った。

 『そ、そうかよ。ならそのダセー奴の思い通りになった気分はどうだよ。クソ犯罪者』

 『あぁ!?』

鉄の棒と肉と骨がぶつかり合う耳障りの悪い音の中でそう言い放ったリューンさんの言葉に紛れて聞こえてくる、私達の世界では聞いた事の無い甲高い音が路地裏に響き始める。

その音に悪漢は気が付かず、リューンさんは音が大きくなるほどに笑みを増していった。

やがてその音が耳障りになるほど近づくと、暴力で興奮していた悪漢も流石に気が付き、音の方へと大粒の汗を浮かべた額を向けた。

 『ヤベェ!サツじゃねぇかよ!さっきのクソガキが呼んだな!?』

鉄の棒を落とした事にも気づかず、焦りに満ちた声を漏らした悪漢は逃げようと路地裏のより奥へと身を向ける。

だが、その足が前へと踏み出される事は無かった。

 『逃がすわけねーだろタコ。オメェも道連れに決まってんだろ……!』

 『こ、このクソガキが!死ねや!!』

呼吸は既に相当に弱っていたリューンさんの手を、頭を、腹を、悪漢は何度となく蹴った。

強烈で痛烈な、鉄の棒で殴打され続けて無くとも充分に痛手になり得る蹴りをリューンさんは全身に受け続けた。

けれど決して手を放さなかった。

彼はその手を青か、紺か、色の判別が難しい服に身を包み、何かの花を象った小物を見に付けた二人の男が来るまで離そうとしなかった。

……しかし、そんな並外れた執念が持ったのはそこまで。

二人組の男が到着し、悪漢を拘束した時にはリューンさんの赤黒く腫れあがった手は悪漢の足から放れ。

 『しっかりしなさい!今救急車が来るからね!』

 『さっきの子達は無事だから!会ってお礼が言いたいと言っていたよ!!』

暴れ狂う悪漢を難なく組み伏せた一人と、リューンさんを仰向けにした一人が声を掛けている間に君は息を引き取った。

……引き取ってしまった。

とても誰かを救ったとは思えない、ボロボロの姿で、家族に看取られる事も無く。

必要以上の価値が無い路地裏で。

 「それが私達が観測できた探求界での君の過去だ」

 「……とても、視ていられるモノではありませんでした」

 男が語り、話が進むにつれてバルデルが涙声を上げてしまうような俺の過去が話終わる。

……あまりに突飛の無い話に正直ついて行けなかった。

だからこそ、次第に湧き上がってくる俺の記憶と合致しても納得しきれなかった。

 「…リューンのバカ。そんな奴、魔法使えば幾らでも……」

 「残念だけど彼の本当の世界に魔法は無いんだ。同様に剣のような明確な武器や鎧みたいな防具も一部を除いて完全に廃れているようだったよ。だから彼はただの人間。非力な少年だったんじゃないかな」

 「そ、そんな!あるわけないですよ、そんな世界!」

 「それがあるみたいなんだよね。だから異世界。私達には一生理解できない道筋を辿った文明が栄えた世界だよ」

 「なら……。ならなんでリューンは!」

俺以上に興奮したシャルは身を乗り出しながら男を問い質す。

そんなシャルの肩に手を伸ばし、俺は座らせながら答えを伝えた。

自分で口にしながら恥ずかしくなってくるバカげた理由を。

 「……好きだった子が、彼氏といた時に変な奴に絡まれて怪我させられたんだよ」

 「…………え?」  

あれだけ興奮していたシャルの顔が一瞬で困惑で固定される。

気持ちは分かる。バカげてるよな、とことんまでバカげてる。

 「ああ、本当に『え?』って感じだよな。別に俺が付き合ってたわけじゃ無いのに、なんだかあの子が怪我したのは俺の責任に思えてさ。それがずっと頭から離れなかった。だから、似たような状況になりそうな二人組を見た時、頭の中が真っ白くなったんだ」

何処か他人事のように答えながらその瞬間の事が脳裏にありありと浮かび上がってくる。

あの時は所謂自暴自棄気味の心持だったんだ。

かなり好きだった子がよく知らない男とくっついて、まぁ自分から告白も何もしなかったんだから妬むも何もないだろと自分を慰めてたところに届いた怪我の知らせ。

彼氏の方がどうだったのかは知らないが俺にとって重要だったのはあの子が無事かどうかだけ。なのにあの子は入院まではいかなくとも少しの間通院しなければならない程度の怪我をしていた。

酷く悔やんだの思い出した。まるで今この時にそう思っているかのようなわなわなとした重みのある霧が胸の中を覆い尽くしていってる。

何もかもが後の祭り……どころか、忘れてすらいたのに随分と都合のいい話だ。

 「だから、無謀な事をしてしまったの?」

静かになり口を噤んだシャルの代わりにフィルオーヌが俺に問いかける。

彼女の顔も、何と言うか虚を突かれたような表情だ。

 「かもな。まぁ、勝算はあったんじゃないか?ガキの絵空事だったせいで何にもできなかったけどな。ま、俺の捨て身のお陰で犯罪者になり下がったバカタレがあの後捕まったみたいだし、上出来だろ」

フィルオーヌの表情を見る事で湧いてきた羞恥心を隠すように自分を小バカにした物言いをしてみる。

長寿の彼女には簡単に見透かされてしまうだろうか。だとしたら尚更に恥ずかしいかもしれない。

…なんて楽観的に構えていると、フィルオーヌは俺の手を握り、悔やむように頭を下げた。

 「……ごめんなさいね、リューン。今の話で確信してしまった私を許して欲しい」

 「確信?何をだ??」

不意な謝罪の糸に全く見当がつかずに大きく首を傾げてしまう。

しかしフィルオーヌは俺のそんな困惑を意にも介さず理由を告げた。

 「貴方が担い手である正しさをよ。けれどこれはとても罪深い感情。少なくとも、元凶を取り除けなった当事者が感じ、口にしていい言葉じゃないわ」

俯き、瞑った瞼に苦悶を浮かべるフィルオーヌ。

今の俺の話のどこら辺にそんな要素があったんだ……?

 「けれどこれは私が言わなければならない。だから、ごめんなさい。貴方にまた『誰かのために命を懸けなさい』と言う事を。その結末が絆を深めた相手の命は護れないと知っているにも関わらず必ず遂行させようとしている事を」

 「………!」

フィルオーヌの言葉で初めて謝罪の意味が理解できた。

そうだ。俺はこれから出会う者を含め、五名の巫女に命を捨ててくれと頼まなければならない事になってる。

その中にはブラフと、当然フィルオーヌもいる。

これほど仲良くなったフィルオーヌと別れる時、それはキャムルに彼女を安全に届けた時ではなく、魔王を倒すために命をなげうってくれと言う時だ。

そうか、そうだった。そうなってるんじゃないか。俺の意思とは関係なくフィルオーヌはそれだけを目的に旅に加わったって事になるじゃないか。

……冗談じゃない。冗談じゃないぞ。

 「ありがとう、フィルオーヌ。今ので理解が確信に変わった」

 「お礼を言われる筋合いなど私には……」

 「あるんだよ、それが。フィルオーヌの今の話のお陰で俺は覚悟が出来たんだからな」

脳を焼きにかかる怒りに覆いを掛け、フィルオーヌやバルデル達を見回す。

そして、俺が出した結論を告げた。

 「何が何でもお前も、ブラフも、一緒に生きて元の世界に帰るって宣誓をする覚悟がだ」

本当に俺が成さなければならない事が何なのかを。

 「はっきり言ってフィルオーヌのさっきの話には頭にキてる。けどそれは担い手に選ばれたからって理由からじゃない。最善を既に諦めてる事にだ。前がどうだったかなんてのはどーでもいい。今回もそうだとは限らないのにやる前から無理だと決めつけてるのが心底気に入らない」

 「けれどリューン。私は魔王の恐ろしさというのを……」

 「知ってるとしてもだ。まだ因果の帰結を誰も知らないんだろ?だったらどうとでもなり得るって事だろうが。最悪の可能性があるなら最良の可能性だって残ってる。比重がどっちに傾いてるかすらわからないんだろ?だったら上等だ。俺が最善まで巫女の命を担ってやる」

 「そ、そんな無茶苦茶な……!」

 「無茶で何が悪い。無理が道理に道を譲らなきゃならない理屈は無いんだよ。そこに命が懸かってるなら尚更だ。全部蹴っ飛ばして進んでやる」

俺の決断にフィルオーヌは何かを言おうと身を乗り出す。

けれどそこで彼女の行動は止まった。

身を乗り出してでも言いたかったはずの言葉を飲み込んだ。

分かってる。無理が道理の代わりに成れるのは奇跡が起きた時だけだって事くらい。

けど最初から諦めてたんじゃ奇跡を望める時ですら下を向くだけになってしまう。

だったら俺の口車に乗って奇跡を待った方が良いに決まってる。それが最悪の毒と同じ味だったとしてもだ。

猛毒に呑まれ続けるよりも毒を喰らい続ける方が遥かに生きていると実感できるはずなんだから。

 「……リューン、貴方の覚悟はよく分かりました。私にとってこの旅は贖罪の旅であり後始末を着ける旅。それさえ出来れば私は他に何も望みません。ですから、貴方は貴方が想う答えのために旅をしなさい。それが後世に後始末を残してしまった私が出来る最初の贖罪です」

妖精界で見たような真剣な表情をしたフィルオーヌはそう告げる。

伏目がちに言われたそれは、きっと本当に言いたかった事を飲み込んだ上で出て来た言葉なんだろう。

だが、そんな事は関係ない。例え反対されようとも貫く覚悟だったんだからフィルオーヌが本心で何と思っていようとも関係ない。

 「ああ、任せろ」

俺は気が付いていないふりをして頷き、バルデルと男の方を向く。

 「そういう事だからあいつの事は任せてくれ。これから先、仮に視えなかったはずの因果が視えて、それが喜ばしくない結末だったとしても諦めないでくれ。俺が何としてでも最善に持っていってやる」

 「……うん、解った。担い手の君がそう言うのなら私達観測者はもう何も言わないよ。うん、そうなってくれるのが最も喜ばしい」

 「アタシもそう思います……。出来る事ならアタシなんかよりもよっぽど長に向いているねぇさんに長生きしてもらいたいですから……」

フィルオーヌ同様、俺の言葉に思う所はありつつも二人は宣誓を受け入れてくれる。

後は俺がこの二人の決断に背くような情けの無い行動をとらないようにするだけだ。それだけで巫女の背負う運命を覆せる。

 「シャルもそれでいいよな?」

そうやってほぼ全員の承認を得た後、ずっと黙りっぱなしのシャルにも確認を取るため答えを尋ねた。

と言っても、彼女が黙ってるのは反対しているからではなくてさっきの間抜けな俺の死因を聞いてがっかりしているからだろうが。

 「…大丈夫。私もみんなに賛成だよ。どうせなら全員で笑って帰りたいもんね」

 「ああ、そういう事だ」

俺の予想通り、シャルは他の皆とは違い反対している様子も無く頷いてくれた。

少しだけ表情が浮かないところが気にはなったがそれは俺の過去の話が尾を引いているからだろう。

 「さてと、じゃあ当面の方針も決まった事だし食事にしようか。と言っても、君達龍族以外の生き物が満足するような食事は提供できないけどね」

長かった話も終わり、ようやく次の話題に移行する流れに変わる。

とすれば最初に挙がるのはやはり食事で、男は俺とブラフの言い合いのせいで割れてしまったジョッキの欠片を拾いつつ提案してくれた。

 「ちなみにこれは言葉のあやでは無いよ。私達龍族は固形物を取らずに酒だけで食事を済ませるからね」

……のだが、少し前に聞き流した言葉と同じ事を彼は口にした。

 「そう言えばさっきブラフもそんな事言ってたな。……マジ?」

 「はい、マジです」

的中して欲しくなかった予想が当たり、頭が一瞬重くなる。

図々しいのを承知の上で思わせてもらえば、正直異世界の食事をかなり楽しみにしていた。

それこそ妖精界で口にした聞いた事も無い食材や見た事の無い料理のようにここでも不思議な物が食べられると考えていたんだが、そうは問屋が卸してくれないらしい。

 「そ、そうなんだ…。残念……」

バルデルの申し訳なさそうな頷きに哀しさを隠した言葉を溢すシャル。彼女は隠せているつもりなのかもしれないが結構表に出ているせいで尚更バルデルの顔が曇ってしまっている。

しかしシャルの反応も仕方が無い。妖精界からここに来るまで歩き通しだっただけでなく戦闘に近い事もしている。顔に出るくらい腹が減ってしまうのは当然だろう。

 「一応アタシ達炎凍龍族にはお腹の膨れる他の生き物用のお酒というモノが伝わってはいるんですけど……。なにぶん長い事そういったお相手に振舞った事が無いので効果があるか自信が無いのです……」

バルデルの補足に俺とシャル、それにフィルオーヌは顔を見合わせる。

理由は当然その酒についてだ。

 「そういう飲み物って言うと……麦ノ酒とかか?」

 「かなぁ?確かにお腹は膨れる気はするけど……」

 「満たされる、というよりかは、本当に膨れるだけ…だな」

 「二人の思い浮かべている飲み物と近いモノも確かに妖精界にあったけど、私の印象も同じような感じね。確かにその時はあまり食べれなくなるけど、割と直ぐに空腹感に襲われるわ」

[お腹の膨れるお酒]という言葉で俺とシャルは発泡酒のような飲み物を思い浮かべる。

それに対しフィルオーヌも似たような飲料を思い浮かべたらしく、俺達同様微妙な顔をしていた。

発泡酒はお腹は膨れる。しかしそれはあくまで炭酸の空気が胃に行くからであって固形物で満たされるわけでもなければまともな栄養も含まれていない。

その場限りの誤魔化しなら利くかもしれないが普通の食事としては不釣り合いどころの話じゃないだろう。

 「残念だけど私達の世界では酒造方法からして既に違うからね。君達の知るように植物を発酵させてという手順を踏まないんだ。だから炭酸なんかは含まれていないよ。もしかしたら[酒]という定義からして違うのかもしれないね。ま、液体である事に変わりは無いんだけど」

彼の言葉に俺達は更に頭を悩ませる。

そもそも酒ではないかもしれないとまで言われたら俺達はどういう心構えで食事に臨めばいいのかすら分からなくなってしまう。

しかし何も口にしないという選択肢だけは有り得ないし……。こうなったら奥の手を使うしかないかもしれない。

 「……念のためと思い、城から持ち出した保存食があります。仮にそのお酒で空腹を満たせなかった時はそれを食べるようにしましょう」

 「そうだな。一応俺達もまだ残ってるし何とかなるだろ」

 「うん。そうだね」

俺と同じ結論に至ったのだろうフィルオーヌの提案に頷き、自分の鞄に入っている剣魔界の自宅から持ってきていた携帯保存食の事を思い出す。

確かまだ乾飯(ほしいい)と塩がまぁまぁと、少し悪くなっているかもしれないが干し肉が少しがあったはずだ。

どちらにしろ干し肉はそろそろ食べなければならなかったし、逆に良い機会かもしれない。

 「決まったかい?なら準備だ。私は石樽を持ってくるからバルデルはブラフを…」

 「いや、俺が呼んでくるよ」

そう、酒を用意しようと動き出しながら口を開いた男の言葉を遮る。

 「そ、それはどうかと思いますよ……?ねぇさん、ああなると簡単には部屋から出て来てくれなくなりますし……」

あまりに急な態度の変化だったからか一瞬空気が硬直したが、直ぐにバルデルが言葉を理解し遠回しに遠慮するよう言ってくれる。

だがそれはただの先延ばし。問題の解決にはならない。

 「だとしてもだ。例えばバルデルが呼んできてくれたとしても結局俺とあいつはここで顔を合わせるから空気は悪くなるだろ?だったらみんなを巻き込まずに向こうでそこら辺を解決してからあいつを連れてきた方が良いと思うんだ」

 「それは、そうかもしれませんが……」

考えを聞き、否定こそしないもののそれはそれとして素直に頷けないらしくバルデルは黙ってしまう。

そんなバルデルの代わりに口を開いたのは男だった。

 「良いんじゃないか?遅かれ早かれブラフは彼らと旅立たなきゃならないんだ。今解決できるんだとすればそれに越した事は無いし、仮に無理でも次の足掛かりなるかもしれない。一つ、ここは担い手君の力を見せてもらおうよ」

 「お父さん……」

 「そういう事だ。まぁ待っててくれ。直ぐに……かどうかは流石に分からないが、なるべく早く戻ってくるよ」

 「……ですが」

男の了承だけを手に、バルデルの不安げな声を無視してブラフが出て行った扉の方へと向かう。

 「部屋の前に名前の書かれた札が掛かってるから案内はいらないかな?」

 「ああ大丈夫だ。ありがとう」

 「どういたしまして。じゃあこっちは用意を進めておくよ」

 「さっきのように過激な事をしてはダメよ、リューン」

 「分かってる。戦ったりはしないよ」

みんなに見送られながら俺は部屋の扉を開けた。

そうして扉を閉めた時だ。ふと、シャルの声が聞こえなかったような気がした。

だが、扉は既に閉められ、わざわざ確認に戻るのもおかしいと思いそのままブラフの部屋へと向かった。



                                        ーーーー


 数分ほど歩き、男が言っていたように[ブラフ]と名の入った扉を見つける。

ここに着く少し前には[バルデル]と名の入った扉もあったのでこちら側は家族の部屋がメインの区画なのかもしれない。

 「居るか?ブラフ」

扉をニ、三度ノックし声を掛けてみる。

だが、当然のように返事は無い。

 ーーでも気配はするんだよな。

どことなく感じる気配を基にもう二、三度ノックをして呼びかけてみるも返事はやはりない。

 「……参ったな」

これでも気配には敏感なはずだし勘違いって事は無いだろう。

だとすれば無視されている事になるが……。

 「どうする?俺、女の子の部屋なんか入った事無いぞ」

思い返してみれば[女の子の部屋に入る]なんて経験は無いし、そもそもシャルの部屋にだって入った事が無い。

勇んで出て来たはいいが思っていた以上に籠城を口説き落とす手札が無いと今頃になって気が付いてしまった。

 「…しょうがないか」

幾つか案を思い浮かべてみても上手くいきそうなものは無い。

その間に扉が開いてくれればと期待したりもしたがそれが一番ない。

だとすれば取れる手段はこれしかないだろう。

 「扉の前、座るぞ」

石でできた扉に背を預けながらどっかりと腰を下ろす。

当然返事は待たない。どうせ返ってこないか『嫌だ』のどちらかしかないからだ。

 「さっきは色々言って悪かったよ。それと、外で喧嘩吹っ掛けた事も謝る。ごめん」

できれば面と向かって言いたかった言葉を天井に向って吐き出しながら、中にいるブラフに届いている事を心の何処かで祈る。

これで実は昼寝でもしていたりしたら滑稽極まりないが、さっきの話があってのそれだ。今更恥ずかしがっても仕方がない。

なによりここに来たもう一つの目的を果たさなければならないんだ。恥ずかしいだなんだと言っているわけにはいかない。

 「お前が背負ってる[巫女]って役割の重さはこれでも分かってるつもりだ。死ぬ覚悟があればできるなんて楽なもんじゃない。自分の一生を捨てる覚悟が無きゃできない事のはずだ」

話を聞いてもらっているつもりも無く、ただ考えていた事を言葉にしていく。

 「お前がいつ頃役割を知ったのかは知らない。けど、事実を知った時点でそれまでの生き方と決別しなきゃならなかったってのは想像がつく。気に入るわけがねーんだよ、死ぬために生きる事なんか。だからなんだかんだと理屈をこねて自分を納得させて話をそこで終わらせた。そうすれば停滞した思考を最後に一回引きずり出せばそれで苦しみは済む。お前はそれで良しとしたんだろ。なのに俺がわざわざその苦しみを根掘り葉掘りほじくり返した。そんなの誰だって頭にクるに決まってる」

天井を見上げたまま左の指先で襟元をなんとなく弄り、ブラフからの反応の無さを誤魔化す。

我ながら最悪な事をしたものだ。いっそあの場で殺されてたって文句は言えないだろう。

だが、まだ死ぬわけにはいかない。フィルオーヌ達の前で掲げた宣誓を成すまでは老いや病にだって殺されるわけにはいかない。

 「だから、上手くいかなかったら全部俺のせいにしろ。上手くいったなら最後に諦めなかった自分が正しかったと誇れ。俺を徹底的に利用しろ。最後の最後まで、爪の先の欠片一つまで俺を使え。それをする権利がお前にはある」

何故なら俺には後三度、この宣誓を掲げる責任がある。

 「俺はそれを求める」

何故なら俺には後三名、救わなければならない巫女がいる。

 「その上で最後にお前に言ってやる。巫女みんなに言ってやる」

それがこっちの世界に飛ばされた理由だと言うのなら……いいや、今更そんなくだらない言葉に逃げるな。

 「元の世界に帰ろうって言ってやる。それが俺の命を懸ける理由だ。世界の事なんてどうでもいい。目の前にある命のために俺は俺の命を使う」

気に入らないんだ。

誰もが拾えるはずの石ころを財宝に変えられ、誰とも知らない相手に奪われるって事実が心底気に入らないんだ。

自分で望んだはずも無い役割に巫女のみんながそんな苦痛を飲み込むしかないって事実が徹底的に気に入らないんだ。

未来を変える、なんて甘い。

俺が未来を定めるんだ。

巫女のみんなが笑って元の世界に帰れる未来に帰結するように俺が彼女達の宿命を担うんだ。

 「だから、俺を利用してくれ。それで最後に俺を殴りつけてから火氷界に帰ってくれればそれでいい」

剣魔界を出た頃はシャルのためだけだった戦う理由に一つ付け加えるだけだ。なんて事は無い。

それが今の俺の望みで、きっと変わる事の無い決意だ。

 「……っは。クッセェセリフ吐くじゃねーかよ。担い手様はよぉ~?」

 「お?」

すっかり預けっきりになっていた自分の身体が滑るようにして後ろに転がっていく。

痛みも無く、衝撃も無く、ひっくり返った亀のようになった俺が見上げたのは扉を開けたブラフ。

顔を真っ赤にしているブラフだ。

 「知らなかったぜ、人間ってのがここまでクッセェ~~セリフを思いついて、挙句吐くとはよぉ~。やっぱり観測するだけじゃわからねぇ事もあるもんだなぁ~」

 「はは、やっと開けてくれたか」

俺が言葉を発する度、起き上ろうとして動く度、ブラフの顔に赤みが増していく。

まぁ、確かに少し…いやかなりクサいセリフだった。思い返してみれば俺の顔も赤くなってきそうだ。

 「安心しろって。相方の人間の女に妬かれちゃ堪んね~からな~~~。秘密にしといてやるよ」

 「……ん?」

ブラフの正面で立ち上がりながら聞いていた彼女の言葉に引っかかりを覚える。

 ーー相方の女の人間……って、シャル、だよな?何であいつの名前が出てくるんだ?

疑問が沸き上がり、同時に降ってきた可能性を逡巡する。

その瞬間だ。俺の動きが完全に止まってブラフの顔を見れなくなったのは。

 「考えてただけのつもりの事も……言ってた…の………?」

逡巡した可能性。それは、考えていただけのはずの事も口にしてしまったのかもしれないという不安。

だとすればそれはここに来た目的である謝罪と宣誓以上の内容を口にしていた事になるし、ブラフがこれだけ顔を赤くして俺の一挙手一投足にすら反応を示すのも頷ける。……頷けてしまう。

 ーー頼む、勘違いであっ……

 「言ってたぜ?小バカにするのも躊躇うくらい恥ずかしい事をつらつらとよぉ~~~」

食い気味にすら感じるブラフの返答に頭の中が真っ白になっていく。

そして緩やかに赤く染まっていった

 「う、嘘だろ?嘘だよな?」

仮にもし、本当に、考えていた事が全部漏れ出ていたとしたら。

 「本当なんだよなぁ、これがさぁ~~」

更に赤く染まり、とうとう上擦り始めた声で彼女は答える。

羞恥心の輪の中に俺を引きずり込む事実を。

 「まぁアレだなぁ~、担い手様よぉ?老いや病には勝てるかもしれねぇが、羞恥心にはま~だ勝てそうもねぇわな~~~!」

 「そこから聞かれてたのかよ畜生!!最初も最初じゃねーか!!」

……俺は。

俺は確かに、死ねるかもしれない。

落雷のように全身を走り抜けていくこの[恥ずかしさ]という激痛は、確かに俺を殺して余りある一撃だ。




to be next story.

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