第13話 知らねばならない事。忘れていた事。


 四度だ。

四度、ここに到着するまでの間に死を覚悟した。

一度目は固まり始めた溶岩の上を歩いた時。そこかしこで吹き出すのを待っている液体の溶岩が運悪く…いや、運良く眼前で噴水した時だ。

ほんの一瞬でも羽織っている王様から貰ったマントで防ぐのが遅ければ溶岩の雨で火だるまになっていただろう。

二度目は極寒側から唐突に巨大なつららが飛来した時。一切気が付かなかった俺を護るためにシャルが戦斧でつららを粉砕してくれていなければ串刺しになっていたはずだ。

三度目は熱風と冷風が交互に俺達を襲った時。幾ら魔法や魔力で体温調整を行っているとはいえごく短い間隔で両極致の風が吹き荒れればいつ心臓が止まってもおかしくなかった。実際、シャルが止まりかけてフィルオーヌが即座に救護措置をとっていた。対し、炎凍龍族の彼は何食わぬ顔をしていた。種族差を思い知らされた。

そして四度目はつい先ほど起きた。

炎凍龍族の一人が外敵の侵入を拒むために仕掛けたと男が言ったその罠は、何もない空間から四方を囲むようにして氷の壁が降り、唯一残された出口である天井から溶岩を流し入れるという極悪極まりないものだった。

そんな罠を喰らえば全滅どころじゃない。俺達のあらゆる生きた証が燃えカスになってしまう。

当然そんな無情な終わりは御免だし、死ぬつもりも毛頭ない。俺達はそれぞれ武器を取りーー炎凍龍族の彼だけは素手だったがーー向かい合った氷壁に向って自分の持つ最大の技を放つ事で穴を空けて溶岩が降り注がれるよりも早く逃げ出す事ができた。

……そして、俺は幸運にもその罠を仕掛けて溶岩を流し込んできた炎凍龍族の目の前に出れた。

 「はぁ……?親父は当たり前にしても何で龍族でもないお前らが逃げられたんだよ」

 「そりゃあ強いからだろうな。お前なんかより」

 「…あぁ?」

左右で色の違う瞳を苛立ちに輝かせて俺を睨みつけるその炎凍龍族の女は見るからに規格外だった。

腰まで伸びる長髪は丁度中央から炎と氷で造り分けられ、彼女の感情に呼応して微かに逆立ち、同様の属性を想起させる赤と蒼の瞳は単なるオッドアイを超えた何かを思わせる。

背丈は俺よりも断然大きく恐らく百九十センチはあるだろう。にも関わらず体格自体は華奢さを感じさせ、人とは一線を画す胸の大きさが彼女に圧倒的なまでの女らしさを纏わせている。

つい数秒前に極刑を執行しようとした相手なのにどうしても俺が特大の剣を構えられない理由がそこにあった。

いや、特大の剣を構えられない理由はもう一つある。

逆立つ炎氷の髪に反し落ち着いている口振りの彼女は武器を持っていなかったからだ。

 「へぇ。だからアタシと同じ土俵に立つためにそのクソデカい石包丁を構えないっての?」

 「まぁそういう事だ。怪我させちゃ悪いからな」

 「あぁ……?何だって?」

それだけじゃない。盾も鎧も何もだ。身に付けているのはビキニアーマーのような形に鱗を整えた赤と青色の服の役割をするのだろう服擬きと、ここまでに見て来た龍族同様の尻尾だけ。脚部は膝と太ももの付け根辺りから龍のそれに代わっていて何かを履く必要はなく、寧ろ三つ指の先それぞれに生えている黒く鋭利な爪で刺したりした方が有効的だろう。

逆にそれ以外は俺達と同じだった。少し垂れ目気味の目元や肌の色、声や腕に手。どれ一つとっても龍族とは思えない。

 「だって女だろ?傷物にしちゃ悪いだろ。敵とは言っても流石にな」

 「……っは」

あからさまな俺の言葉に彼女の機嫌が一気に損なわれていく。

それまで乱れたりせずに纏まっているようだった炎氷の髪は渦巻き、突き刺すように乱れていく。

…だが、自分自身、どうしてここまで彼女を煽っているのか分からなかった。

確かに殺されかけた。俺もみんなも。その怒り自体は煮え立っているし、暫く消える事は無いはずだ。

しかし同時に、彼女が目的の巫女の可能性にも考えが及んでいた。だとすれば、これ以上事を荒立てるより適当に事態を治めて話を始める準備をした方が良いに決まっている。

なのに俺は武器にこそ手を出さないものの彼女に突っかからずにはいられなかった。

場合によっては彼女を力で泣かせる事だっていとわない覚悟もできつつある。

 「それとも何か?背がデカすぎて貰い手が居ないから気にならないってか?」

 「あぁ!?ぶち殺されてぇのか腐れ猿!!」

 「じゃあ前言撤回だ。貰い手がいないのはその口の悪さのせいだな!」

なのに俺は同時に少しも攻撃しようという感情が湧いてこなかった。

これでは何もかもが滅茶苦茶だ。一貫性がまるでない。

 「上等だ!お望み通りぶっ殺してやるよ!!!」

 「かかって来いよお口のお悪いお姫様!」

彼女の激高が辺りに響き渡る。

際限なく野に開く燎原の花のように、見境なく咲く凍土の枝のように、彼女の髪が荒れ狂う。

同時、髪同士の調和が失われたのか氷髪が尋常ではない勢いで蒸発していく。ーーだが見た目に於ける総量は何一つ変わっていない。

 「知ってるぜ人間!お前らの世界じゃ炎と氷は相反するせいで同時に使えないんだろ?」

頬を吊り上げ彼女は嗤う。

その両手は僅かに広げられ何かを宿すように上向きに手が開かれている。

 「かわいそうになぁ!こんなに便利なのによぉ!」

やがて右の手の内に揺らぐ赤いナニカが、左の手の内には軋みながら膨張し周囲を突き刺す透き通った薄水色のナニカが発生した。

それを俺が炎と氷だと理解できた時、彼女は二つを胸の前で押し付け合った。

 「知ってるか?こいつらはなぁ、こうやって合わせてやると……!」

 「…な!」

ーー瞬間だった。

彼女の両手の内で互いを殺し合っていた二つの相反する属性が消し飛び、次の瞬間には炎と氷の稲妻が周囲を走り回る蒸気の球が出来ていた。

 「何だそれ……!知らないぞそんな魔法!!」

目にしている異常なモノ。俺にはそれに対する心当たりがまるでなかった。

中級ならあらゆる魔法が使えるはずの俺がだ。そんなの、あり得ない。

 「たりめぇだろ。こいつはアタシらの世界の常識でしか作れねぇ魔法の極致だからなぁ!!」

球を、彼女は右の掌に浮かべて掲げる。

それが投擲の準備行動だというのは即座に理解できた。

 「魔法の名は[矛盾なる賢者]。おもしれぇだろ?初めてこの魔法を使ったのがかつての巫女で、魔法の名を付けたのが人間の巫女だったんだ。お陰でアタシらには意味が分からねぇ名になってんだぜ?なにせ矛盾なんざ一つもしてねぇんだからな」

 「…じゃあ何か?お前はその巫女の末裔だとでも?」

 「そう聞こえなかったか?猿」

この期に及んで出てきた挑発に合わせて俺は大きく後方に飛び退く。

それが投擲の合図になった。

 「そぉらよ!!」

軽く足を上げて大振りに放り投げられた蒸気の球ーー矛盾なる賢者。

だが、彼女の簡素な動きとは裏腹に矛盾なる賢者は風の膜を生む速度を有した。

 ーーどうする?弾くか?防御して喰らうか?それとも避けるか?考えてる余裕はないぞ……!

空間を熱し、凍らせ、蒸発と凍結を瞬きより速く繰り返す矛盾なる賢者をどう対処するべきか。頭の中で浮かび上がる三つの選択肢を可能な限り並行して検証し答えを導き出す。

だが。どれも否定を訴えた。

 「…クソ!どうする!!」

矛盾なる賢者はほんの僅かでここまで到達する位置を飛行している。これ以上考えている猶予はない。

 「さぁ!マジに担い手だっつーんなら何とかしてみせろリューンくんよぉ!!」

彼女の勝ち誇ったような声が聞こえた。

……なのに。

 「……にいらねぇ」

 「あ?」

なのに、その声には。

 「気に入らねぇって言ってんだよ!!」

その声には、嬉しさの中に落胆や失望のような言いようのないナニカが小さなしこりになって聞こえたような気がした。

 「上等だ。舐めるなよ。お前に出来て俺に出来ない訳が無いんだよ!!」

 「…は?……はぁ!?」

威力が分からない以上、避けるも弾くも防ぐも悪手だ。後ろに誰かが居るかもしれない以上、この近くが龍族の住む場所である以上、どんな被害が出るか分からないのなら避けるという選択肢は有り得ない。

だったら殺すしかない。

跡形も無く、相殺するしかない!!

全く同じモノをぶつけて!!!!

 「お前ら炎凍龍族は俺の事を覗き視てたんだろ!?だったら、俺が中級までなら全部の魔法が使えるってのも当然知ってるだろ!?」

 「ば……バカ野郎!!龍の肌も無い、鱗も無い人間がそんな事してみろ!!跡形も無く腕が消し飛ぶぞ!!」

 「だから舐めるなっつったんだよ!消えるより早く治せばいいだけなんだからな!」

 「て、てめぇ…!」

左に炎、右に氷。それぞれの威力は恐らく拮抗してなければダメ。

それを寸分の狂い無く同じタイミングで合わせ、同じ力で押し当てていく。

それが恐らく矛盾なる賢者の生成法。

 「…はっ!なんだ、簡単じゃないか。こんなの……!」

嘘だ。

コンマのズレが命取りになる。肉よりも先に神経に働きかける焼け凍るような痛みでそう直感できた。

迸る両極端な痛みに苦し気に笑うと同時、両指の皮が音も痛みも無く剥がれていく。

それに気が付いたのは指の肉が見え、湧き出て来た血が炎と氷に吸い込まれて消えていってからだ。

 「言わねぇこっちゃねぇ!今更止めて見ろ!今度は腕だけじゃ済まなくなるぞ!」

 「やめるかよバカッタレ!」

叫び、回復魔法を指に施す。だが間に合わない。

進行を遅くするだけで治りきらない。寧ろ治療の方が一手遅れている。

このままちんたらと続ければ両指は……無くなる。

 ーー舐めんじゃねぇ。

それでも。ここまできたら意地だ。何が何でも作り上げてやる。

 「リューン!!」

 「うるせぇ!」

あの女の声が聞こえる。何を考えているのか、完全に俺を心配する声だった。

 ーー殺そうとしてきた相手にまで心配されてたら世話ないな。クソ。

 「ぉ…、ぉぉぉおおおおおお!」

飛来する矛盾なる賢者が眼前に迫る。

風の膜を蒸発させ続ける音が聞こえる。

これだけの魔法、弾くか受けるかしようものなら俺は身体が消し飛んでいたな。

言うなれば滅消魔法だろうか。恐らく唯一無二の性質だろう。

そんな最悪の未来が眼前に迫っている。

あと一秒も無い。

だがーー最早一秒もいらない。

 「魔法如きが、舐めんな!!」

俺の手の内から、矛盾を生む二つが消し飛んだ。ーーそして。

 「消えちまえ!!」

もう一つの矛盾なる賢者を飛来する矛盾なる賢者に投げつけた。

二つの矛盾が俺の直ぐ目の前でぶつかり合う。

瞬間、脳を突き刺すような攻撃的で不愉快極まりない異音が辺りに波及する。

 「ぐ、うぅ!?」

 「くぅ…!?何だよこの音ぉ……!!」

擦れるとも引っ掻くともつかないその音は幾度も輪として周囲に拡幅した。

やがてその音は乱れ始める。

等間隔だったはずの異音は俊敏に、或いは緩慢に輪を飛ばす。

ーーそして。

 「今度は何!?」

 「やばいだろ!!!」

二つの矛盾は音を殺して交じり合い、小さな一つの球体になる。

 「…相殺された?」

 「違げーーわバカ!伏せろ!!」

 「は、はぁ!?」

それが何を意味するのかは直感で理解できた。

 「間に合え……!!」

日和見する余裕はない。決断を下す暇も無い。

俺は考えるよりも早く両足に移動魔法を施して疾風と変わらない速度で炎凍龍族の彼女の下へと駆けて覆い被さる。

と、同時。

辺り一面に白(びゃく)が染まり渡り、壊滅的な爆発音が響いた。

それは僅かな後に爆風と爆炎を呼び、爆心地を中心に氷の枝を数えきれないほど伸ばす。

砂煙が荒い息を終えた頃に残ったのは炎を内包した無差別に伸びる無数の氷の枝。

微かに目に映る氷の枝の刺さった地面には極小の焦土が氷の枝を縁取って出来ている。なのにその周りの地面は一切の被害を受けていない。

どうやらこの氷の炎は枝の刺さった部分だけを焼き尽くすらしい。地面すら焦がしているところを見るに相当の熱のようだ。

 「や、ヤバかった。まさかこうなるとは……」

氷の枝で背中を掠めるだけで何とか済んだ俺はその枝の炎の通って無い部分を見つけて強化した握力で砕いてゆっくりと起き上がる。

こうなれば戦いも何もない。

そもそも敵対する理由が殺されかけたからってだけだ。一先ず休戦という事にして、そのまま流れで話を巫女に持っていってしまおう。

 「おい、大丈夫か?……悪かったな、こんな風にして。まだやるなら付き合うが……その前に仲間が無事か確かめてきても…」

そんな画策をしつつ、結果的に覆いかぶさる形になってしまった炎凍龍族の女に手を伸ばす。

助けるためとはいえだいぶ荒っぽい事をしてしまった手前、このくらいするのが礼儀だろう。

 「……け」

 「あ?」

俺に敵意は無いと、この行為で分かってもらえれば話が早かった。

なのに彼女は顔を真っ赤に染めて勢いよく立ち上がると拳を大きく振りかぶった。

 「どけっての!この変態!スケベ!痴漢野郎!!」

 「!?」

まさかそんな反応が来るとは思わなかった。

あまりに唐突な拳に、俺は防御が間に合わず頬で受け、後方に吹き飛ぶ。

その間、何度か氷の枝の先端に当たったが、特大の剣が身代わりに砕いてくれたおかげで串刺しにも丸焼けにもならずに済んだのはあまりに幸運だったろう。

そうやって少し飛んで、それから背中から落ちて。

 「……リューン?何、今の悲鳴」

 「…おう、シャル。平気だったか?」

 「話逸らさないで!!!」

 「ふふふ、これはキャムルも黙って無いわね。かわいそうに」

なにゆえか顔面にシャルの拳が垂直に落とされ、後頭部を激しく地面に打ち付けた。

そこで俺の意識も吹き飛んだ。

 ーー理不尽じゃないか?

                                      ーーーー


 なんとなく、背中が痛い。

ぐちゃぐちゃに微睡む意識の中、ただそれだけを思って横に向く。

すると今度は左腕が痛い。

それでやっと俺はつい先ほどの戦いを思い出し、けれどこの痛みはそれが原因ではない事に気が付く

 「……なん、なんだ…?」

両方の頬が僅かに痛い。

理由は多分、言葉を出すのに口を動かしたからだ。

 「あら、起きた?ふふ、気分はどう?」

 「………フィルオーヌ?」

気が滅入るほど重い瞼を何とかこじ開け、薄らぐ視界を必死に凝らす。

眉間が痛くなるのも無視して視界の靄を晴らすと、その先には崩した正座をする女性の脚が見えた。

それがフィルオーヌの太腿だと直ぐに分かったのは、彼女の着ているエルフ特有の服が一緒に見えたからだ。

 「…ここは…?」

身体を起こし、異常に凝っているように感じる肩や首をほぐしつつ辺りを見回す。

あるのはテーブルとそれを挟んで向かい合って設置された長椅子、それと壁際で三つ並んだ本棚。天井には四つの小さな炎が閉じ込められた楕円ガラスが付いている。

本棚の中には紙製……ではなさそうな本がびっしりと並べられているのを見るに誰かの書斎だろうか。

 「リューン、気分はどうかしら?」

 「良くは無い、かな。って言っても、背中が痛いくらいでそれ以外は何ともない」

 「そう。ならとりあえず傷の手当は上手くいったのね。良かったわ」

ホッとするフィルオーヌと話しながら自分が今いる場所を見下ろす。

それはどうやら大きめのベッドだという事が分かり、フィルオーヌはその少し端の方に腰かけているようだ。

……ただ、これはベッドと言うにはあまりにも硬い。それこそ岩や石だ。

そんなところで横になっていたんだから背中が痛くなるのも当然だ。

 「そうそう、ここはさっきまで貴方が戦っていた炎凍龍族の女の子ーーブラフちゃんの部屋よ」

 「…ブラフ?」

 「そ。ブラフ・アインちゃん。変わった名前だけど、ここじゃ普通みたい」

俺の感じた疑問に直ぐに気が付き答えたフィルオーヌは小さく笑う。

だが、その微笑みは瞬き一つの内に陰った。

 「そして、巫女を担う女の子。恋に夢見る少女よ」

 「……ここの、巫女?」

 「ええ。あの子が望もうと望むまいと、ね」

落ち込んだような決意するような表情といい、一言毎に引っかかる言葉といい、妙な様子を見せるフィルオーヌに思わず小首を傾げてしまう。

望むとも望まないとも…って、どういう意味だ?

 「そのあたりのお話はおいおいね。今は目覚めた事を報告しに行きましょ」

 「そ、そうだな。シャルは?」

 「今は彼らと打ち解けるために話しているわ」

あからさまな話題の変更に、俺は必要以上に踏み込まないよう意識して言葉を返す。

ほんの少し前までは一つの文明の長だった女性の取った行動だ。意味があるに違いない。不用意に詮索するのは得策じゃないだろう。

 「なら、挨拶も含めてそっちに移動するか。あの男もいるんだろ?」

 「ええ、勿論。相変わらず何も教えてはくれないけれどね」

 「全く、何を考えてるんだか……」

フィルオーヌは少しだけ苦笑いを浮かべて答える。

別に彼女が悪いわけでは無いがため息が出てしまった。

 「さ、行きましょっか。立てる?」

 「ああ、問題ない」

先にベッドから立ち上がったフィルオーヌに心配したように尋ねられ、手を指し伸ばされるが俺は首を横に振って自分の靴に足を下ろす。

そうして靴を履いて立ち上がろうとすると一瞬、視界と方向感覚がどこかへと消えた。

 ーー!?

身体が暗闇に沈み込んでいく。圧迫感は無く、しかし纏わり付くような柔らかさが全身を包む。

それが[倒れている]事だと気が付くまでの間に身体の感覚は戻った。

 「なん……」

 「あら……立ち眩みね。大丈夫?」

 「あ、ああ、もう大丈夫だ。悪い、重いだろ?」

 「まさか。人の子一人なんて事無いわ」

何とか言葉を絞り出しながらどこかふわつく足元を強めに踏みしめ真っ直ぐに立つ。

本当に一瞬とは言え起きた立ち眩み……。思ってるよりダメージがあるのかもしれない。幾らフィルオーヌの治療が完璧だとしても少し気を付けないと大怪我に繋がりかねないな。

 「それにしてもやっぱり男の子ね。また触られるなんて思わなかったわ」

 「……は?」

軽く額に手を当てていた俺に届くフィルオーヌの不穏な言葉。

また…って、なんだ?もしかして……もしかして!?

 「ふふ。今度はナイショよ?その方がドキドキするでしょう?」

 「あ、ああ……。また倒れそうだから内緒にしててくれ」

 「あらあら、ふふふ。嬉しい事言ってくれるわね」

 「そーいうのじゃないからな……?」

何をどう勘違いしているのかフィルオーヌは嬉しそうにニコニコと笑って俺の肩を何度も優しく叩く。

本気で言ってるのかからかっているだけなのか分からないのが非常に困ったところだ。

 「ほら、もういいから行こう。みんな待ってるんだろ?」

 「ええ、そうね。私とした事がつい調子に乗ってしまったわ」

 「……そうか。結構頻繁な気がするけどな、調子に乗るの」

 「そーかしら?ふふふっ」

叩くのをやめ、けれど笑みのまま歩き出した彼女の後について俺は部屋を後にする。

…のだが、閉めようと思ってドアノブを握ると異常な硬さに思わず握った部分を見てしまった。

どうやらこのドアノブ……いや、このドア自体が高硬度かつ軽い石で出来ているらしい。

自分の知っているドアとは違う締め心地、ドアノブの握り心地や回し心地に、本当にこれで使い方があっているのだろうかとどことなく不安すら湧いてくる。

当然、素材が違うからというだけで使い方が変わるわけも無い。知っている通りにドアを閉じてから少し先に行ってしまったフィルオーヌの後を追った。

無骨だがどこか洒落た雰囲気の廊下を足早に進む。

廊下の明りもさっきの部屋同様にガラスに閉じられた炎を蝋燭のように使って明かりにしている。

他に目に入った物もほぼ全てが何らかの石で造られた製品で、居住区で男の言っていた言葉は本当だったのだと分かった。

だとすれば、この家…?は、やはり彼の言ったようにどこかの岩や洞窟を改築したモノなのだろうか?

 「着いたわよ……って、リューン?」

 「ん…?あ、ああ、ここか」

思わず考えに耽ってしまいそうなったところにフィルオーヌの声が届く。

見れば、彼女は廊下の突き当り正面にある扉の前で立ち止まりこちらを振り返っている。

 「考え事しながら歩くと転んじゃうわよ?」

 「そうだな。……流石に三度目はシャルに殺されるから特に気を付けるよ」

 「あら?私は何度されても気にしないけど?リューンになら、ね?」

 「………勘弁してくれ」

 「ふふ、年増は嫌かしら?」

 「エルフにそんな概念持ち込むかよ。また不機嫌になられたり、殴られたりが嫌なだけだ」

 「あら、あらあら。嬉しい事言ってくれるわねぇ。ふふふふ」

俺の言葉をどれだけ真に受け取っているのか、彼女はどことなく恐ろしく思える笑いを浮かべて口元を隠す。

正直これ以上相手するのは疲れるだけだ。俺が思った通りに受け取ってくれたと判断しよう。

 「そういう事だ。扉、開けるぞ」

 「ええ、どーぞどーぞ」

早速自分の判断に自信が持てなくなるにやけ面を他所に扉を開ける。

その先に見えたのは大きな朱い六人掛けのテーブルと、一席分ずつ真ん中を開けて座る四人の姿。

一人はシャルでその一つ隣に俺に襲い掛かって来た炎凍龍族の女。

彼女の対面には案内してきてくれた男が座っていて、その一つ隣…つまりシャルの正面には見た事の無い後姿の女の子が座っていた。

空席にはそれぞれの席には一つの特大ジョッキが置かれていたので、ここで親睦会をしていたんだとは理解はできるのだが……。

 「あ、リューン!もう大丈夫なの?」

今がどういう状態なのかを判断しようとした矢先、俺達が入って来た事にシャルが最初に気が付き、彼女は勢いよく立ち上がって小走りで俺とフィルオーヌのところまで来た。

 「ああ、少し立ち眩みはあったがもう大丈夫だ」

そんなシャルに力こぶを作るジェスチャーを見せて回復した事をアピールする。

それを見てほっとしたのか、シャルは大きく息を吐くとはにかんだ。

 「そっか……。良かったぁ。結構思いっきり殴っちゃったから心配だったんだ」

そこそこ背筋の凍る事実を思い出させてくれながら。

 「……次は気を付けてくれ」

 「それは……リューン次第じゃないかなぁ…?」

やり過ぎたが悪い事はしていないーーとでも言いたげにシャルは表情を悩ませながら小首を傾げる。

それを俺はどう受け止めればいいんだろうか。一応今回の一発は勘違いから生まれているんだが……。

 「っは!そー言うなよシャル。お陰でアタシは助かったんだしそのままでいーんだよ。次もやったら思いっきりかましてやれ」

 「そ、それもどうかと思うけど……。うん、ダメな事はダメだもんね、ブラフちゃん!」

 「おーともよ」

 「え。俺がいない間にもうそんなに仲良くなったの君達」

あの女はーーブラフは、椅子に座ったままシャルをけしかけるような事を清々しい笑顔を浮かべながら口にする。

それをシャルは止めたりも何もしないのだ。完全に友達になってると言っていい。

その結果、俺は二度と弁明が通らない立場になってしまったが。

 「ね、ねぇさん。担い手様にそんな事言ったらダメです」

想定外の現実に頭が痛くなりそうになった時、見た事の無かった女の子がブラフをたしなめるように言葉を漏らした。

 「いーんだよぉバルデル。だってこいつ、ねーさんの事煽り倒したんだぜ?妹的にもムカつくだろー?」

 「……もぅ。ねぇさんが悪い癖に…」

 「なーんでそんな酷い事言うんだよ~」

 「ねぇさんが昨日からこっそり罠を張ってたのを知ってたからですぅ。あんなの、アタシ達龍族だって下手したら大惨事なのに」

 「んだよー、知ってたなら手伝ってくれたって良かったんだぞー」

 「もぅ……。ねぇさんは本当に……。話、聞いてました?」

 「ちょっとだけー」

 「はぁ……」

女の子の…バルデルの殆どお叱りの言葉を受けても一切悪びれる様子が無いどころか小バカにするような態度すらとるブラフに、彼女は大きくため息を漏らす。

けれどブラフはそれを何と思ったのかニシニシと笑った。

 「…なぁ、シャル。あれ、本当に姉妹か?性格が違い過ぎるだろ」

彼女達のあまりにも違う性格に思わず疑問が口から出てきてしまう。

 「わ、私もそう思うけど正真正銘血の繋がった姉妹らしいよ…?証拠にバルデルちゃんも炎凍龍族だし」

 「そうか。こんなに違うのにか。酷い話もあったもんだな」

 「あぁ?今度はきっちりぶち殺してやろうか」

 「ねぇさん!!」

 「アレでも?ホントに???」

 「う、うん……。あはは」

 「担い手様も煽るような事を言わないでください!!!」

再度口を吐いた疑問に今度は俺の方を向いてバルデルが抗議する。

その際に椅子から立ち上がった彼女だが、確かにブラフと同様に左右で瞳の色が違うし両脚も似たような箇所から龍化していた。悔しいが姉妹である事を認めるべきだろう。

それにしても大きいなこの子は。背丈はブラフより少し高いくらいだが、ぱっと見は二メートルくらいある。

落ち着いた態度や身長、これらだけを見ればバルデルの方が姉のように思えてくるが、唯一にして最大の点が彼女を妹だと示している。

誰が見ても[有る]と言えるブラフのそれと、有るのか無いのかで言えば[無い]となってしまうバルデルのそれ。この、圧倒的なまでの格差がバルデルを妹だと強烈に決定付けている。

 「……今、何か失礼な事考えませんでしたか?」

そんな考えをどうやって見抜いたのかブラフにも負けない殺意を一瞬だが受ける。

 「いや、全然。ねーさんそっくりだなと思って」

 「え、ホントですか!?ふふふ!頑張って似せたんですよ?家族以外の方にも言ってもらえるって事は本当だったんだぁ……。ふふ、ふふふ!」

 「お、おう。バッチリだ」

再び戦いになればマズい。そう考えて、思いついた苦し紛れの言い逃れ……とまでは言わずとも、半分は話を逸らすために言った事に対し、バルデルは殺意の[さ]の字も思い出せないくらいの喜びを見せた。

満面の笑みを浮かべてもじもじとする彼女の顔は紅く、いっそ恋心すら見て取れる。

 ーーそうか、この子シスコンなんだな。

 「なー?だから言っただろーー?ちゃんとアタシに似せられてるって!親父もそー言ってただろ?」

 「はい!疑ってごめんなさいでした!」

シスコン然り、ブラコン然り、一方的で強烈な愛というのは得てして受ける側が大きな負担を感じてしまうもの。

恐らく龍族もその事実から漏れる事は無いだろうと思い、一瞬だけブラフに同情に似た何かを感じた。

……が、それは間違いだったようだ。

 「ま、どーしても特性の融合だけはお前の方が上だからな―。そこだけが引っかかっちまうよなー」

 「うー、ねぇさんは意地悪です!素直に褒めてくれるだけでいいのに!!」

 「そりゃあ大切な妹に嘘は吐けないからな~。そこは我慢しろよ」

 「むぅ~」

満足げな笑顔を浮かべるブラフのあの様子。間違いなく本気で喜んでいる。

しかもこう、言うなれば溺愛しているような、そんな内面がありありと笑顔に滲み出ている。

 「(……相思相愛…って言うとちょっと違うけど、どっちも本物だよ、リューン)」

 「(みたいだな。幸せなんだかなんなのか。俺にはもう何も分からん)」

隣で耳打ちするような声で先に知り得ていた事実をシャルに教えてもらい自然と首が縦に動く。

まぁ当人達がそれで満足ならいいんだろう。そこら辺は部外者である俺や他の誰かが口を出すような事ではない。

 「さてさて、娘達との顔合わせも終わった事だしこっちへ来て座ったらどうだい?リューンさんにフィルオーヌさん」

言い合い……とは少し違うのかもしれない会話が彼女達二人に収束した頃、それまで一言も発さなかったどころかこちらに振り向きもしなかったあの男がゆっくりと立ち上がる。

こちらを向いた彼の顔はどこか真剣さを帯びていて、今までの会話が嘘のように室内が張り詰めた。

 「なんだよ親父。もう真面目モードか?」

 「そりゃあね。これからお前の事も彼らに話すんだから」

 「……チッ」

 「そう悲しがるな。何もお前の話だけを……」

 「悲しんでなんかねぇー。さっさと終わらせようぜ。本の続きが読みてぇーからよ」

 「………はいはい。そうだね」

彼につられるようにして気持ちを落ち着けたらしいブラフは不機嫌そうにそう言って椅子に大きく寄りかかり頭の後ろで両手を組む。

姉のそんな姿を見たバルデルは、目に見えて気分を沈ませて静かに椅子に腰を下ろした。

 「さ、シャルさんも元の場所へ。やっと本題なんだから」

 「わ、……分かりました」

あまりに一瞬で変わった空気感に思わず呑まれてしまった俺達は一度顔を見合わせた後にそれぞれの椅子へと向かった。

そうして俺はシャルの隣、フィルオーヌはブラフが座っていた場所に腰を下ろす。

動いたブラフは俺の正面に腰を下ろしている。

向かい合った時はさっきの戦いがあったばかりだったので流石に若干気まずさを感じたが、当のブラフはそんな様子を微塵も見せずに寧ろもっと他の何かを見ているように感じ、俺の気まずさは場違いだと言わんばかりに消えて行った。

 「じゃ、話そうか。因果の観測と巫女の役割。それと……望むのならリューンさんの過去について」

 「リューンの過去……?」

座って一息つく間もなく切り出した彼は不意に[俺の過去]と口にした。

 「その口ぶりだと剣魔界での事……ではないみたいね」

 「さて、どうだろう。私からは何とも」

 「リューン…?どういう意味か分かる……?」 

 「………」

フィルオーヌの察したように、恐らく彼の言う俺の過去とはシャルと過ごした剣魔界での事ではない。

今でも時折思い出す、俺が頭を殴られて死んだ世界での事。

 ーー本当の世界での俺の事……。

 「……リューン?」

 「…悪い、シャル。俺にも分からないんだ」

不安げな表情を浮かべて俺を見るシャルから目線を逸らして彼女の問うような視線から逃げる。

はっきり言って俺にその記憶は無い。

いや、正確には無いんじゃなく思い出せない。

些細な事であろうときっかけさえあれば糸を引くように記憶が引き出されるだろうという謎めいた確信自体はある。

剣魔界にいた頃に、その世界では存在しないはずの言葉を会話の中で思い出し何度か使ってシャルや村の人を困らせた事があるからだ。

ラノベや学校、それに日本なんて言葉がそれに当てはまる。漢字やカタカナやひらがなだって本来剣魔界では使われていない字だ。忘れないように五十音表と簡単な漢字を書いたノートは手元にあるが、シャルやモルモル村の何人かに見せても読める人は一人もいなかった。

目覚めた俺が覚えていたのは誰かに頭を強烈に殴打された事だけ。死に繋がるーー異世界転生に繋がるきっかけとなっただろう痛みしかはっきりと覚えてはいない。

なのに……彼は知っている?それも因果の観測に関係があるのか?

 「まぁその辺はどっちでもいいんだ。魔王を倒す上で重要なのはそれ以外だからね。リューンさんの事は君達に聞く余裕があればってだけだから今は忘れていいよ」

 「…分かったよ。確かにその通りだからな」

 「リュ、リューン…」

 「…そうね。私も今は重要ではないと思うわ」

 「フィルオーヌさんまで……」

意図せず拒むような物言いになってしまった俺に続き、本題に道を戻そうと考え先送りを口にするフィルオーヌ。

シャルはそれが不服なのだろう。納得のいっていない顔を何とか取り繕おうと俯き、あまり変わっていない面持ちのままこの話題を飲み込んだ。

 「じゃあまずは因果の観測について知っている事を。…と言っても、料理の例え話で殆ど完結してるんだけどね。未来の事まで視られるのはあの時言ったように最初から最後まで因果が結びついている時だけ。今回で言うと、魔王と戦う宿命を背負った巫女の生涯と担い手のリューンさんの事なんかは、それぞれで結構な差はあるけどおおよそ視れたよ」

 「「!!!」」

彼の言葉に俺とシャルは声にならない衝撃を受ける。

やっぱりだ。やっぱり思った通り、俺達はこの男に対して何も隠し事が出来ない。何もかもが見透かされている。

 「なら、私が妖精界で長としてしてきた事も?」

 「視れた。けど、全部じゃない。前任者が亡くなった時や付き人の選抜の時、後は歴史に残るような事件が起きた時だけだね。だから今回の革命とも言える事件についても視る事が出来た」

 「と、言うと?」

 「うん。これは難しいと言うか感覚的な説明になっちゃうんだけど、神話みたいな物語ってあるだろう?ああいうモノはその物語に関係のある事しか書き記さない。登場人物達が実際に生きている存在だとすれば絶対にその他にも生きている時間があるはずなのに、だ。因果の観測はそういう感じのシロモノでね、今回で言えば[魔王に関係する人物達]と[そんな彼らが直面した、今後に大きく関わるかもしれない出来事]だけが見えるというわけなんだ。革命なんかはまさにそうだね。どこかで失敗を犯していればリューンさん達の誰かは死んでいただろうし、そうなればフィルオーヌさんは魔王との戦いどころじゃなくなる。でしょ?」

 「そうね。話し合いが上手くいかなければ戦争が始まっていた。始まれば私は今も私はあの場に残り旅立ちの機会を伺いながら多くのエルフとフェアリーに死にに行きなさいと命令を下さなければならなかった。キャムルには決して担わせられない罪を幾度と無く。そして、そのキャムルが付き人になっていなければもっと早く問題が起きて、リューン達が助力に来るのが間に合わなかった。だから選抜の時も視る事が出来た。……そんなところね」

 「御明察。全くもってその通りだよ」

フィルオーヌ達の話を聞く事で理解や納得ができていてもついていけなかった因果の観測についての先の話の展開を幾つか予想する事が出来るようになる。

その中の一つに[何故魔王との戦いの結末が分からないのか]があった。

彼の言うように関連する一連の出来事が視れるのであれば発端である魔王が最終的にどうなるのかだって分かるはずだ。

………いや、いや、そうじゃないのか。

 「その観測ってのは、未来を視る場合は複数視れるのか…?」

 「へぇ、さっき知ったばかりなのによく気が付いたね。そう、未来を視るとなった場合は分岐する幾つかの結果が視られるんだ」

独り言ちた俺の言葉に彼は大きく頷き補足を口にする。

思った通りだ。もしも結末がたった一つだと言うのなら、最初に聞いた時に言われた通りカスの役にも立たない無意味な能力だ。だが、複数視れるのだとしたら話は大きく変わってくる。

幾つかある未来の中から最悪やそれに次ぐ悪しき結末を取り除くような行動をして最善の結末を選べばいい。

言ってしまえば、観測できる未来に於いてだけは観測者が神のような振る舞いを取れるのだ。

とんでもない……本当にとんでもない能力だ。こんなの、単に未来が視えるよりも恐ろしいまである。

 「じゃあそんな察しの良いリューンさんに補足だ。先に伝えていた『大災害が災害に変わった』ってあるだろう?あの時に視えた未来はその二つだけだった。そして私達がその未来を選択するために取れる行動は未来の決定に間接的に関わる事だけだった。つまりは私達は決定権が一切ない運否天賦の完全な博打に勝つために願掛けをするしかなかったんだ。どうだい?知っていても意味が無いって言った意味が分かっただろう?」

 「しーかーも、だぜ?今回の魔王はもーっとたちがわりぃんだ」

 「そ。今回は結末が何一つ視えない。多分、結末に繋がる因果に繋がる因果ーー要は君達や他の巫女達が起こす行動一つで無数に分岐するからだろうね。本来は何一つ視えないなんて事は有り得ないんだけど、どうも今回は全くもってたくさんの因果が密接以上に絡んでいるせいで何も見えないみたいなんだよねー」

 「なんて、お父様は冗談めかしく言っていますけど、事はそんなに楽観的にはいられないんです。願掛け一つで少しでも良い方向へ向かえるのならばまだ術はあります。でも今回はそれすらもできない完全な運……」

 「視れる時はなー、これまでの統計と大体の感覚でどーにかこーにか良い方に向かう未来を選べたんだけどなー。今回はもー完全にお手上げだ。ぜーんぶそこの担い手様(笑)とアタシら巫女の行動がせーんぶ上手い事正解に結びつかないとダメらしいぜ。ま、細かく砕けた形の分からない物を一度のミスも無く完璧に修復しようとしてるってとこだろうな」

 「そ、そんな……。そんなの、無茶苦茶じゃ……!」

炎凍龍族である以上、彼だけでなくブラフもバルデルも因果の観測を行う事が出来るのだろう。だがその上で誰一人として解決案を提示できない。どころか、予想すらできないと断言してしまった。

正しく展望の視えない道のり何だと知らされれ、シャルは弱音を吐きながら深く俯いてしまった。

 「……少々、私の認識が甘かったみたいだわ。確かに貴方の言っていた通り、分かっていてどうしようもないみたいね」

 「そういう事。まぁ気にしないでいいよ。君達に話をする事で未来が良い方向に向かったかもしれないし、意味が無いわけじゃない」

 「悪い方にいったかもしれねーけどなー」

 「ねぇさん!!!!」

 「で、ここからはそれでも足掻こうとして色々調べた結果、最適解を導くのに必須だろうと思った事を話そうか。三人とも薄々勘付いてるだろうけどね」

含みのある言い方にフィルオーヌの眉が微かに動く。

けれど彼女に怒った様子は無くーー隠しているかのようにーー落ち着いた面持ちで心当たりを口にした。

 「巫女、ね?」

 「正解。多分フィルオーヌさんは知ってると思うけど、魔王は生半可な攻撃じゃ傷もつかないし意にも介してくれない。けど、前代の巫女は貴女も含めてみんな尋常じゃない力を持ってた。端的に言うなら一握りの大が付く天才しか使えない超級魔法を全員が備えていた。けど、それでも魔王を疲弊させるだけで命を絶つまではいかなかった。だから」 

 「やめて」

魔王を倒すための核心を彼が突こうとした時、それまで自分の理解の補足ばかりを行っていたフィルオーヌが強く、明確に話を遮った。

だがそれは[聞きたくない]からではなかった。

 「そこは、そこだけは私が話すわ。誰よりも酷を背負うリューンには私が言わなければならないの」

 「俺……?」

唐突に名を上げられ思わず抜けた声で返事を返してしまう。

それをフィルオーヌは少しとして触れずに、殊更真剣な面持ちで俺に向き直るとか細ささえ覚える声で続けた。

 「……あの時、どうしても後一歩が足らなかったの」

俺の背にビリビリと留まる嫌な感覚を沸き立たせるその声色で。

 「その一歩を埋めるのは数でも、超級魔法でもなかったわ。その一歩が何なのか、私達巫女はどうすればいいのか、戦いの中でそれぞれが気が付いていったわ」

 「気が付いてって……何だよ」

直感に似た何かが俺の筋肉を強張らせる。

聞いてはいけない。今はまだ知ってはいけない。そう言っているようだった。

だが、耳を閉じる事もまた叶わなかった。

俺の心は[ここで聞かなければならない]と、強く、強く言っていたからだ。

そして俺は後悔した。

聞いた事を激しく、後悔した。

 「必要なのは私達の命。神秘を極めた超級魔法さえ有し、それ以上に[世界のためなら死すら厭わない]と心の底から想える強さを持つ私達選ばれた者。[巫女の命]というたった一つの力の塊が必要だった」

 「お、おい、待て、待てよ。それじゃなんだ?何だって言うんだよ……!」

決して頷く事のできない納得が理解を拒む。

 「あの時、その命を本当に賭す事が出来たのはたった一人。剣魔界の巫女だけ。……奇しくも、リューン達と同じ人間だったわ」

それでもフィルオーヌは言葉を辞めない。

俺の心を蝕み、侵す、その言葉を辞めない。

 「剣魔界の巫女は『みんなの代わりに』と笑っていたわ。何がそんなにおかしいのか、武器を握るその瞬間まで」

 「じゃ、じゃあ、妖精界で話してくれたあの話、あれは、剣魔界の巫女が一人で挑んだんじゃなくて、独りで挑むしかなかったって事なのか!?」

フィルオーヌの表情に険しさにも似た強さが宿る。

その表情の意味が、かつての戦いと、その末に大切な仲間を失った瞬間を思い出しているからだという事は考えるまでも無く理解ができた。

 「情けなかった。悔しかった。残された皆が同じ気持ちだった。けれど私達にも、救った後の世界でするべき事があった。それは全ての異世界を救う事と同じくらいに大切で、重要な事。本当に命を懸けねばならないとなった時、それらが沸き上がり、二の足を踏んでしまったの」

フィルオーヌはそこまで言うと深く息を吸い、噛み締めるように吐き出す。

だが言葉が続いてこなかった。

そんな彼女の代わりに男が言葉を続けた。

 「火氷界の場合、当代の炎凍龍族の巫女はまだ子を成して無かったからね。自分の住む世界の歴史も背負っている以上、そこで死ぬわけにはいかなかったんだ。それでも、九割方覚悟を決めていたらしいけどね。剣魔界の巫女に止められたって話だよ」

 「…………同様に。妖精界の今後を担う立場になると決まっていた私と、死の救いに囚われている娘を持つ獣人界の巫女、独り眠らせてしまった機械の娘を持つ機生界の巫女も『ダメ』と強く止められました。そして私達はそれに甘えた。自分にとっての[世界]を全ての世界よりも重いと、心の何処かで想っていたがためにそれを選んでしまった。その結果として、魔王は……」

フィルオーヌの言葉が再び詰まる。

黙ってしまった彼女の喉の奥からほんの微かに聞こえるのは涙声とも怒りともつかない声にならない声。音。

彼女にとって、かつての戦いがどれほどに心残りで、未だに悔いているのかを知るには充分過ぎる音だった。

……しかし。

 「魔王は死に体を癒すために長ーい休息に入ってそろそろ復活しそうになりましたとさー。おしまいおしまいっ」

ブラフはそれまでの話を聞いているにも関わらず茶化すような物言いで話を纏めようとした。

 「辛気くせー話はここまで。さっさと飯にしようぜ。つっても、人間もエルフも酒だけじゃダメなんだっけか?変ってるよな、ホント」

 「……ねぇさん」

ゲラゲラと一切合切を無視して笑うブラフにバルデルは潤んだ瞳を向ける。

理由は……言わずもがなだ。

 「つー事で担い手様よぉ。これからはよろしく頼むぜ?精々あの世まで護衛してくれや」

笑顔のまま席を立ったブラフは恐らく食事のための酒を取りに行くつもりなのだろう。

彼女の動きからは悲壮感や取り繕っている様子は見えない。

ただ、それらと同じくらい本心が投影されているとも思えなかった。

言うなれば、彼女の動きや背に見えたのは無だった。

空っぽを装っているような、見ているだけで腹立たしくなる無だった。

 「……少し乱暴な物言いだけど、娘も覚悟は決めてくれてる。なにせこの事を知ってから二十年は経ってる。心の整理は……」 

 「おい、おいおいおい。待てよ。まだ俺の意見を言い終わってねぇぞ」

ブラフの肩を持つような物言いをする男の言葉を遮るため、勢いに任せて言葉を発する。

 ーー覚悟は決めた?整理はついてるはずだ?冗談じゃねぇぞトカゲ野郎。

 「テメェなんざ知るか。終わってんだよこの話は。うん千万年も前からとっくのとうに」

押し込めたブラフの考えを蒸し返そうとする俺に彼女は当然のように怒りの見え隠れした呆れをぶつけてくる。

それが尚の事俺を苛立たせる。

 「上っ面で話してんじゃねぇよボケ女」

 「あぁ!?ぶち殺されてぇのか!!」

全く考えを挟まずに口を吐いた暴言にブラフは露骨な殺意をもって応戦してくる。

 「御免だね!俺は殺されるのも、誰かを殺すために働くのも真っ平御免だ!」

……いや、違う。

これは、彼女のこの言葉は、怒りだ。

だがその怒りの矛先を彼女はまだ定め切れていない。そう思えた。

言葉の奥底に迷いに似た感情が微かに感じられたから。

 「はぁ!?んじゃ誰が担い手になるっつーんだよ!」

 「知るかボケ!少なくとも俺は死の担い手になるつもりは毛頭ないね!今後何がっても絶対にな!お前も嫌なら嫌だと言い続けろやタコ。物分かり良いふりして褒めてもらえるのは横に倣えの量産型だけだぞバカタレが」

 「て、テメェ!!」

テーブルを挟み、ブラフが俺の胸ぐらを掴む。

あからさまな人外の力に引っ張られた俺の身体はテーブルの縁に強制的に突っ込まされ、太腿に痛烈な衝撃が走った。

 「ね、ねぇさん!!」

そうして大きく揺れたテーブルからジョッキがいくつか落ち、一つが割れた。

それでも構わず俺達はにらみ合った。

自分の激情を乗せた視線同士を真正面からぶつけ合った。

 「黙って聞いてりゃ知った風な口利きやがって!!アタシ達がこれを受け入れるのにどれだけ……!」

 「っは!こんな事で切れてるようじゃまだまだ受け入れられてねーよ。見てみろお前の親父を。ああやって何も言えずにただ俺達のやり取りを見られるようになって初めて受け入れられたっつーんだよ。ま、同時に諦めたとも言うんだけどな」

 「この…!親父がどんなに苦しい想いでいるかも知らずに……!」

 「だったら受け入れられてねぇじゃねぇかよ!だから上っ面だっつーんだよ舐めてんじゃねぇぞ!命はそんなに楽に諦め切れるモンじゃねーんだよ。最後の最期まで無意識に大事に腹に抱えちまう生き物だけが持つ黄金なんだ。その輝きが持つ痛みを無視すんじゃねぇよ!」

 「じゃあどうしろっつーんだよ!!!!死にたくねぇって言ったら生き続けられるのかよ!」

 「生き続けさせてやるよ!!俺が、俺が担い手であるのなら!お前も、フィルオーヌも!これから出会う全ての巫女の命を担ってやるよ!それが役目だってんなら喜んで最後まで付き合ってやる!」

知らぬ間に鼻先がこすれ合うほどに互いの顔が近づいている。

 「だから!!!」

ブラフの呼吸が分かる。

ブラフの瞳の奥の奥の奥までが見える。

 「だから、簡単に受け入れるな。そっちが先に諦めちまったら、出来るはずだった事も出来なくなっちまうかもしれねぇだろ」

そのもっと奥にまで入れば、こいつのふざけた覚悟をぶち壊せるんじゃないかと思って俺は、彼女の胸を隠している鱗を繋ぐ鱗を掴んで強く引き寄せて額を額にぶつけた。

 「俺はそんなの嫌だ。捨てなくてよかった命を救えないなんて、担ってやれないなんて、絶対に嫌だ」

涙が出るくらい痛かった。

当たり前だ。相手は龍族。人の姿を模しているからといって同じ人間なわけでは無い。

鱗があって、人外の部位を持つ存在だ。痛いに決まってる。

……そんな存在であるはずの彼女が俺同様に痛みで瞳の奥を潤ませているのを見逃さなかった。

 「っは。言ってろ猿野郎。アタシは部屋に戻る」

押し飛ばしながら胸ぐらから手を放したブラフは壁に背をぶつけた俺を一瞥もせず悪態だけを突くと部屋を後にしようとする。

 「ブラフ!」 

 「ついてくんじゃねぇぞ。来たら本気でぶっ殺す」

背中の鈍痛を無視して急いで立ち上がり追いかけようとするもその言葉で脚が止まった。

彼女の声色に軽薄さはまるでなかった。……追いかけたら本当に殺されるだろう。

 「クソ女が。今のでも充分死んじまうっつーの」

彼女が本気で殺しに来るというのなら俺は再び矛盾なる賢者を使われるだろう。

そうなっては今度こそ一巻の終わりだ。

口惜しいが、今は部屋を出ていくブラフの背を見つめながら捨て台詞を吐くくらいしかできる事は無い。

 「……担い手様」

バルデルの視線が俺の背中に注がれる。

それは憐憫や苦悶に似た痛みを俺に教える。

 「……悪い、取り乱した」

 「大丈夫。寧ろありがとう、リューンさん。私にはもう引き出してやれない感情をブラフから出してくれた。……ありがとう」

 「…冗談じゃねぇよ。お前も俺にブチギレて来いよ。畜生」

 「はは…、参ったな」

俺の言葉に男は軽薄さを覚える声色を使う。

だがその中には確かにやりきれない悔しさが含まれていた。

 「……さて、とりあえず巫女の話もおしまいかな。これで予定していた話はあと一つになったわけだけど」

気色の悪い沈黙を意図的に壊すように男は再び口を開く。

この期に及んで何の話があるのか。そう問おうとした時に、最初に彼が言っていた事を思い出す。

 「…リューンの過去、ですね」

 「私達の知っている異世界とは全く違う世界の話、だったわね?」

 「ええ、その通り。話してもいいかな?リューンさん」

そう、俺の失った記憶の事だ。

約一年前、何者かに頭を殴打され、死に瀕していたはずの俺は何故か剣魔界という中世然とした世界の山の中に倒れていた。そこへ、母の薬草を採りに来ていたシャルが偶然通りかかり応急処置を施してくれて、近くの無人となっていた山小屋に運んでくれた。

それが俺の持っている最も古い記憶だ。だが、自身の過去を知るために必要な記憶とは別に、剣魔界では通用しない知識や単語も知っていた。

だとすれば俺は何かの思い込みではなく、本当に異世界転生ってヤツを経験している事になる。

その俺でさえ知り得ない記憶を、この男は知っていると言っていた。

 「……ああ。寧ろ頼む。俺がどんな世界でどんな風に殺されかけたのかを教えてくれ」

正直、巫女の話をした後にするべき話なのかと思わないでもない。

だが、こんな最悪の雰囲気のままで終わらせるわけにもいかないし、何よりブラフが誰にも絶対に邪魔されない完璧に一人の時間というのを無理矢理作ってやれる事を考えれば、決して悪いタイミングではないと感じた。

 「分かった。じゃあ話そうか。…と言っても、君が死ぬ前後しか視れなかったからあまり多くは知らないんだけどね」

 「構わない。頼む」

少しだけ調子を戻しながら話し始める男にもう一度頼み込み、彼が頷くのを見ながら椅子へと座り直す。

ーーそして、彼は話し始めた。

俺がかつていた世界……仮称を[探求界]としたその世界の事を。




to be next story.

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