第9話 開かれた扉、開かれていく妖精界
外の日差しがレースのカーテンの隙間を通って俺の顔に当たっている。
気が付けばもう朝だ。そう分かっているのに頭が重怠いお陰でついつい寝返りを打ってしまう。
ーー……今日も、あまりよくない目覚めだ。
寝心地・肌触り共に最高なエルフ達御用達のベッドから身を起こしながら視線が落ちていく。
眠気で朧げに見つめる自然体に閉じられた左手に思い起こすのはフィルオーヌとキャムルの姿だ。
彼女達が広間に籠ってから今日で一週間目。
彼女達は堕天したエルフ・フェアリー達との共生を決め、実現に向けた当面の決まり事ーー恐らくは法として定められる文言を決めるために日夜ペンを走らせているんだろう。
けど、俺の中はずっとこのもやもやした気持ちがある。原因は[もしかしたら俺の意見が共生に舵を切る決定打になったかもしれないという責任の重さ]からくるものではない。
衝撃だったキャムルが次期長という事実。それはつまり、今回の決定を暫くの間は彼女が背負っていくという事に他ならず、彼女の意見としては共生に消極的或いは否定的だという点。なのに俺のせいで好まざるを背負わなければならなくなっている。
それが心残りでしかたがない。
ーーやっぱり悪い事したかもなぁ……。
目覚めと共に必ず逡巡するこの思考が、ここ一週間の俺の目覚めの悪さの原因だ。
俺に全ての責任があるわけでは無いと頭では分かっている。
最終的な決定権はフィルオーヌにあったし、なんなら長になったらキャムルが自分の好きなように行動すればいい。
けどそう解釈するのは単に丸投げしただけになる。これだけの大事に首を突っ込み、ごたごた言って出しゃばりまでした者のしていい行動じゃない。
かと言ってできる事はもうきっとない。だから考えても仕方が無いんだが考えずにはいられない。
……端的に言って俺は小心者なんだろう。だとしても自分で納得がいっていない以上踏ん切りが付けられない。
とにもかくにもキャムルに謝りたい。それが贖罪としても、自己満足にしても最初の一歩だろう。
「……ん、起きたの?リューン」
「ああ。おはよう、シャル」
部屋の正面奥、俺がいる壁際を右とするなら左の壁際のベッドからぽわぽわとした半レム状態のシャルから声が上がる。だがまだ身体は起きていない。
「今日もしゅぎょ~?」
「に、なるだろうな。フィルオーヌが一緒に行くと言った以上は待たないと」
「ん~~」
眠たげで間延びしまくった返事と共に彼女の右手が上がる。そしてその手は直ぐに倒れ落ち、掛け布団が含んでいた空気を無理矢理に吐き出させる。
「………ぐぅ」
「……ホント、平時は自由だな、シャルは」
「ん~~?んー……。ぐぅ…すぴー」
「寝ながら返事するなよ」
予定を聞くと二度寝に入ったのに返事はしようとする彼女のだらしなさに思わず笑みが込み上げてくる。
思い返してみれば前の世界……剣魔界で、俺が修行している時に来た彼女が昼寝していた時もこんな感じだった。
俺の傑作の一つである手製の長椅子に座った彼女はいつの間にか眠り、それに気が付かずに話しかけたら今のように返ってくるーー。
懐かしくて優しい思い出だ。まさか危険な旅に出て直ぐに似たような思い出ができるとは思いもしなかった。
「…ま、今の内に楽しんでおいた方がいいよな。次はいつこんなにゆったりできるか分からないんだし」
小さく息を吐いて掛け布団を剥ぎ、ベッドから降りて背伸びをする。それからレースのカーテンの隙間から外を覗いて太陽の位置を確認した。
時間は……多分八時くらいだろう。と言っても剣魔界と同じ法則で太陽が動いていればの話だが。
「さてと。まずは着替えるか」
エルフ達が普段寝間着として使っているらしい薄手の一枚布で作られた服を脱ぎつつベッドの下に入れて置いた着替えに手を伸ばす。
その時だ。
「おおお!起きてるーーー!?」
「大変す。割とガチめに事件だよー」
突然部屋の扉が開け放たれ、フェアリーのフィリーとシュイーが大慌てで入って来た。
「お、おお!?」
「わ、わ!ほぼ全裸!?」
彼女達はバタバタと俺の周りを何度も飛び回ると急ブレーキをかけて止まり、ちゃんと俺の姿を見たフィリーは突風のような速さでドアまで戻っていった。
対してシュイーは俺と寝ているシャルのベッドを交互に見ると僅かに顔を顰めた。
「こっちも事件すか?主に法的な問題が出る系の」
「そんなわけあるか!飛躍するな!!」
唐突なーーと言うかある程度は想定できるような疑問を投げかけられる。
勿論そんなはずはない。何より、同じ部屋で寝るなんて事は一年の間に何度もあったのだから今更寝込みを襲ったりするわけも無い。第一命の恩人だぞ。恩知らずにも程があるだろ。
……って、その辺りの事情はここじゃ誰にも話していなかったか。
「丁度起きて着替えるところだったんだよ。……確かにシャルはいるが、今更俺の下着姿ぐらいじゃ見向きもしないんだ。だから俺も気にせず着替えるようにしてる」
小さく息を吐き、冷静になってから改めて事情を話す。
「へ、へぇ~。なんか夫婦みたいでいーんじゃないの~?」
「でも妖精城(ここ)は城内恋愛禁止なんで控えて欲しいすね」
「そういうのじゃない」
「「はーん?」」
「張っ倒すぞ羽虫共」
なのに俺の言葉に何か裏を読んだのかどちらも可愛らしい体躯に合わない下卑た笑みを浮かべて俺を見つめる。
が、直ぐに何かを思い出しシュイーは近寄ってくると俺の手を掴んだ。
ちなみにフィリーは俺に背を向けて両手で顔を抑えている。多分恥ずかしいんだろうが、そのわりにはさっき冷やかしてきていたので余程誰かを茶化すのが好きなんだろう。
「そんな事より大変すよ!とうとう開いたんすから!」
「開いたって何がだよ」
「扉に決まってるっしょ!!!広間の扉!とうとうお二方が出てくるんすよ!!」
「!?」
喜びが多分に含まれた剣幕で俺の手を引くシュイーに、だが俺は動けずにただ茫然としてしまった。
ーー決まったのか?この世界の新しい道標が、とうとう……?
喜ぶべき現実なんだろう。だが、あの日キャムルと言い合いをした中にもあったように道行は険しさを極める。
だとすれば、それともだからこそ、一週間という時間で決めてよかったのだろうか。一週間も缶詰めになって考えたのだから基盤としては申し分ないのだろうか。
分からない。フィルオーヌの言っていたようにこれは政。つまりは政治だ。完全な素人である俺は良し悪しを図れる尺度を持ち合わせていない。
………。
……。
…。
「……どうかしたすか?」
「…いや、何でもない。それよりフィリー、シャルを起こしてやってくれないか?俺が起こすと怒る時があるんだ」
「えっ?う、うん、そのつもりで来たからいーけど」
「悪い、助かる」
巡り巡る思考が重い。
だが、今更知らぬ存ぜぬを通せるわけも無い。寧ろ俺は責任を負うべき立場でもある。
けれど、悔しいが俺達はこれ以上この世界に干渉するべきではなく、行く末を見届けるしかない。
そしてもしもこれが罪の始まりだったのなら。どうかその責はシャルやキャムル達にではなく俺だけに降りかかって欲しい。
それが部外者に関わらず最後まで口を出した者の背負うべき咎のはずだ。
だから。
どうか。
ーーーー
広間の扉の前。
着替えを済ませ顔を洗った俺とシャルはフィリーとシュイーと共にそこに立っている。
彼女達が伝えに来てくれた通り広間の扉は完全に開け放たれていた。
「こいつは……」
「そ、壮観だねー。こんなにいたんだ、このお城に」
そして、今日この瞬間を待ち望んでいたんだろう城内のエルフやフェアリーが数多く押し寄せていて、最後方に位置する俺達はエルフの海をかき分けなければ扉の敷居を踏むどころか中の様子を確認する事すら叶わない。
なにせエルフとフェアリーの総数はざっと七~八十。下手をすればもっとだ。
忘れていたがこの城の外観はかなりデカかった。それを思えば寧ろ少ないくらいかもしれないが、いずれにしろ広間の中に行くのは楽ではないだろう。
「これでも半分とちょっとだけなんだけどねぇ~。警備員とかは持ち場を離れられないし」
「実際僕らも二時間も違えば来れなかったすからね。下っ端は辛いすわ」
「そうなのか。なんか、お疲れ様」
「私達のお世話までさせちゃってごめんね?もう少ししたら楽になると思うから、それまで頑張って!」
「いいえ~これも仕事だしねー」
「集落で静かで平穏に暮らすよりはよっぽど楽しいんで嫌ってわけじゃないのが弱いとこすわ。城畜城畜ってな~」
照れてるのか嬉しがっているのか、彼女達はどことなく得意げに羽根を伸ばして俺達の周りをくるくると回る。
その時、羽根から鱗粉のようなキラキラと光る粉らしき物が落ちてきた。だが手や肩に触れると一瞬で消えてなくなってしまう。まるで雪のような不思議な粉?だ。
「ふっふ~。アチシ達フェアリーの鱗粉はすっごいのよ~。何が凄いって死から守ってくれるんだから」
「と、言っても本物の寿命が延びるわけじゃ無いすけど。所謂即死系の戦闘魔法や毒から身を護ってくれるだけ。でも長時間大量に浴びてると普通に効くから過信はダメすからね?」
「そんなに凄いのかよこれ。ただ綺麗なだけじゃないんだな」
「あったり前だしょ~?仮にもフェアリーなんだから」
得意げに胸を張り、なんなら鼻まで伸びているようにまで見えるフィリーはもう一度俺達の周りをくるりと飛ぶ。
再び降りかかるフェアリーの鱗粉はやはり直ぐに消えてしまうが、説明を聞いた後だとなんとなく何かが効いているような気がするので非常に現金な人間だなとつい笑ってしまった。
「さってと!アチシ達の寿命に預かれたわけだし」
「このエルフとフェアリーの海をかき分けていきますか。ま、僕らは上からすいーっと行っちゃうんで大変なのはリューンさんとシャルさんだけすけどね」
「さ、いっくわよ~~」
「あ、おい!!」
自由奔放と言うのか職務放棄と言うのか、彼女らは言いたい事・やりたい事だけをやってさっさとエルフの海を飛び越えて浮遊するフェアリー達の合間を素早く縫って行ってしまう。
「ど、どうしようリューン!?」
「どうするっていったって……行くしかないだろ。どっちにしろ行かなきゃならないんだし」
残された俺とシャルは一瞬思考が飛んでしまいどうするべきか悩んでしまったが目的を思い出して顔を見合わせる。
「……だよね。どうしよ、こういう所進むの苦手だから手、繋いでくれる?」
「ああ、寧ろその方がいいかもな。はぐれて着けませんでしたじゃ話が遅れるだろうし」
おずおずと差し出されるシャルの手を固く握りエルフの海に視線を向ける。
エルフだけで見ても数十はいる状況だ。中には戦士として鍛えている者もいるだろうし、下手に進もうとすれば押し返されて進めないかもしれない。
だとすれば、力はあっても他人を押し飛ばせるような性格ではないシャルがこれを進み切るのは難しいかもしれないわけで、同着を目指すなら必然的に俺の手を取った方がいい事になる。
……まぁ、俺も基本的には他者を押しのけて進むのは苦手だしあまりしたくはないんだけど、今回はそうも言ってられない。多少性格を曲げてでも早く会いに行かなければ。
「……よし!準備はいいか!!」
「うん!いつでも!!」
「行くぞ!!」
シャルの気合いを受け取り一歩を踏み出す。
『退いてください』『通してください』『すいません』『痛かったらごめんなさい』……。
そんな言葉を何度も吐き出しながらエルフの海をかき分けていく。
当然中には嫌な顔をするエルフもいたが、見た事も無い種族の俺とシャルを一目見ると一瞬固まって何もできなくなって、その間に俺達は通り抜けていく。
たまにシャルの手を強く握り、同じくらいの強さで握り返されるのを感じてはぐれていないのを確認する。
そうやって一気に進み、何のしがらみも無い広い空間に右足が出たのを感じるとここぞとばかりに踏み込んだ。
「……っしょ、っとぉ!!」
「ぷは!く、苦しかったぁ~~」
全身を覆っていた圧力と熱から解放され、鎧を脱いだ時のような爽快感と共に生ぬるく無い空気を一気に吸い込む。
それから大きく吐き出し、結果的に深呼吸を行ってから正面を見据えた。
……そして。
「……そうか。道理で城中から集まるわけだ」
「すごい……。フィルオーヌさんの言ってた事、本当だったんだ」
広間の中央付近に用意されたソファに腰掛けているエルフの姿があった。
褐色の肌を持ち、押しのけてきたエルフ達とは全く異質の雰囲気を放つダークエルフのバベリュだ。
「…よぉ。仇討ちに戻って来たぜ」
さっきの深呼吸を聞いていたんだろう。
彼は組んでいた脚を解いて立ち上がると不敵に微笑みながら俺達の方に身体を向けた。
「と、言いてぇところだが。残念な事に俺はこいつらに生き返ったのかと思う程綺麗に[治され]ちまったんだよな。お陰様で手出しする気にゃなれねぇときた。意外に甘い男みたいだぜ、俺は」
一歩、二歩と近づき、ピタリと脚を止める。
そこは俺の真正面で、彼の操っていた槍の間合いにも似た位置だ。
「……そうか。なら良かった。だったらお前の相棒に言っておいてくれよ。仇討ちなんてやめろ、ってな」
「はっ!考えといてやる」
顔は笑い、けれど瞳の奥は鋭い。
俺を煽っているのか。それとも生来の気質なのかは分からないが、友好的でない事だけは確かだ。
……いいや、逆に友好的だとしたら何を企んでいるのか分かったものではないのだからこれでいい。
俺は恨まれて当然の事をした。寧ろ生易しいくらいだ。
「……おやめなさい、バベリュ。それよりも昨晩の話は覚えていますね?」
バベリュの態度を見かねたらしい女性の声が聞こえた。
声の主は当然フィルオーヌだ。
彼女は落ち着いてはいるが油断は一つも見えない声色でバベリュをたしなめる。
「ああ。なにせ神様からの有り難い願い出だからな。忘れたくても忘れられねぇよ」
フィルオーヌに対する彼の態度はお世辞にもいいとは言えない。しかし、逆に考えれば、その程度で済んでいるともとれる。
最初に会った時……俺達と戦った時の彼のフィルオーヌに対する敵意は相当なものだった。だが今は粗野と取る事が出来る程度の態度で返事が出来ている。
……だとすれば。彼を生き返らせる理由だった目的は果たせたと考えていいかもしれない。
「ありがとうございます。……当然と言えばそうでしょうが、多くの者が集まっていますね。正式な場での発表とは言えませんが丁度良い機会です。ここで一度、貴方の口から皆に伝えてはもらえますか?」
「あぁ?……チッ。ま、しゃあねぇか」
俺がそう思い至った時、フィルオーヌに指示を受けたバベリュは酷く不服そうに頷く。
そうして襟足から後頭部にかけてを何度か乱暴にかき上げると大きく息を吐き出してから広間の入り口に集まっていたエルフとフェアリー達に顔を向け、口を開いた。
「よく聞けてめぇら!この俺、ダークエルフのブ・バベリュは……エルフだった時の男、ロ・ルーシャとしてお前らに協力してやる事を決めた!その目的ってのは堕天した奴らとしてない奴らが仲良しこよしのできる世界を創る事だ!」
その内容は広間に集まっていた皆を……当然、フィリーとシュイーも、開いた口が塞がらなくなるくらい驚いた。
驚きすぎて誰もが唖然とするだけで一声も出ないほどだ。
「言っとくがこれは俺の決定じゃねぇぞ。お前らが神と崇めてるラ・フィルオーヌとその側近リ・キャムルの考えだ!俺はそれを実現させるための足掛かりにしか過ぎねぇし、同じく協力するつもりだっつーダークエルフのバ・エルフィム達もそうだ!つまりお前らが何を思ってても関係ねぇ!!」
皆の衝撃を一切気に掛けず話を続けるバベリュは一歩前に足を踏み出す。
そして心臓の辺りに手を置き、広げた親指と人差し指で小さな空間を作った。
あの日、ダモルファにされたのと同じような空間を。
それは、妖精界に於いて最上級とされる謝罪の姿勢。
……或いは。
「今日、この時を持ってこの世界は動き出す!俺らも、お前らも!求めてるかどうかも分からねぇ未来(さき)だが!俺はこの命尽きるまで尽くしてやると決めた!!お前らも覚悟しやがれ!こっから先は一縷を導べとする苦難の道だ!」
或いは、絶対の覚悟を示す決意の姿勢なのかもしれない。
そう確信できる姿と言葉だった。
「どうせムダに長い生涯だ。今とは全く別の世界を生きてみるのも悪くはねぇ。そう思わねぇか?」
「(……リューンさん、シャルさん)」
バベリュの宣言に騒然とする広間の中、誰かが俺とシャルの袖を引っ張る。
「(…キャムルさん?)」
「(えぇそうです。説明は後でしますのでまずはフィルオーヌ様のお後ろへ移動しましょう)」
「……?」
小声で話しかけられた俺達は互いに顔を見合わせつつもキャムルの言葉に従い、周りに極力気付かれないよう静かにフィルオーヌの座る椅子の後ろへと移動する。
「急にお呼び立てしてしまい申し訳ありません。それと、少々お見苦しい姿ですのでそちらも重ねてお詫びを」
フィルオーヌの椅子の後ろという事で薄暗いのかと思ったのだが意外にそんな事は無く普通に明るい場所に到着した俺達は改めてキャムルと向き合った。
そうして目にしたのは普段のきっちりとした姿ではなく、標準的なエルフの一枚布の服の腰部に一輪の花のブローチ的な物があしらわれた少女然とした格好でセミロングの髪を二房に結っている。
普段通りの無表情ではあるが彼女に対するイメージがかなり変わる出で立ちで、なんと言うか可愛らしい。
「あ、ああ。別にいいんじゃないか?似合ってるし」
「うん。可愛い私服ですね!」
「……ありがとうございます。それより本題を」
俺達の率直な感想に眉一つ動かさず返事をしたキャムルだが俺とシャルは決して見逃さなかった。
彼女が腰部の花辺りの布を軽く握っている事を。
「(あれ、どう思う。シャル)」
「(そりゃあもちろん。恥ずかしいの我慢してる)」
「(だよな。何だよ、結構可愛いとこあるんじゃないか)」
「(ね!カッコいいんだと思ってたけどそれだけじゃないみたい!)」
「…あの、どうかされましたか?」
「「別に?」」
二人で顔を見合わせながらキャムルから顔を逸らし、互いの感じた感想を口にし合う。
当然おかしく思われ、どこか慌てる彼女に尋ねられるも勿論答えない。
が、何を話していたのかは薄々検討が付いているんだろう。表情をあまり変えずではあるが恥ずかしそうに薄っすらと顔を赤らめてもう一度腰部の花付近の布を握っていた。
「ま、嘘は言って無いから安心しろ。勿論裏も無い」
「それどころか時間があったらその姿のままで一緒にお茶したいくらいです!」
「…もう、私の話はいいでしょう。それより本題へ」
布を握る力を僅かに強くしつつもそう言ったキャムルは手から力を抜き俺の方へと視線を向ける。
彼女のその視線は真っ直ぐに俺の目を見据えている。
そうして普段通りの雰囲気に戻った彼女はシャルにも同じ視線を向けると一度俯いてから俺達を再度見据えて口を開いた。
「この度は本当に有難う御座いました。あなた達がいなければ堕天した者の……特にランゲドの一員に助力を仰ぐ事は出来なかったでしょう。その発想すらもきっとなかった」
真摯なまでに真っ直ぐな言葉だった。
あれだけ言い合いをしたキャムルの口からそんな事を……と、言えるほど彼女の事を知っているわけでは無いがそれでも驚いてしまう。
「…いや。気にするな。俺達はちょっと歩いて話をしてきただけだ」
「そ、そうですよ。結局バベリュさんを説得したのはキャムルさんとフィルオーヌさんですし、お礼を言われるほどの事なんて……」
「いいえ。これはあなた達がいたから成し得たのです」
驚きの中互いに何とか絞り出した言葉を、だがキャムルははっきりと拒む。
「何故なら我々は、我々以外に言葉を口にする生き物に……あなた達に初めて会ったのです。それは長い妖精界の歴史に於いては恐らく二度目。だとすれば混乱が生じるのは必定でした」
フィルオーヌの席の後ろから僅かに覗けるバベリュとエルフ・フェアリー達の姿を一瞥したキャムルは「しかし」と続ける。
「実際はそうはならなかった。ごく短い期間だとは言え、皆それぞれの思惑があっただろうとは言え、迫害や拒絶が起きたわけではありませんでした。……少なくともこの城の中では。そして私は悟ったのです。堕天した者以上に得体の知れない存在を拒まぬのであれば、元は同じだった彼らならなおの事拒まずに済むはずだと」
再び俯いたキャムルは小さく呼吸をする。
「故に、私はダークエルフであるバベリュを説得できたのです。余計な知識があるから拒んでしまうのであれば、信用できる事だけ信用し、分からない部分は分かりたいと思うまで気にしなければ良いだけの話ではないかと」
そして顔を上げながら更に続けた。
「勿論、これだけでは解決はしません。いずれボロが出るはずです。しかし、そのボロが出るまでの間に、ボロがあっても構わないと互いに思い合えるだけ信頼できる面を知り合えば、関わる相手さえ考えればよいだけだと皆気が付くはずなのです」
彼女は一歩踏み出し、両手を差し伸べる。
それが感謝の意図を示す握手だと理解できたが、確かエルフの世界にその文化は無かったはずだ。
だから俺とシャルは少しの間どうするべきか戸惑ってしまった。
「私がこう思えたのはまるで素性の知らない方であるお二人をただ一点に於いてのみ信頼していたらいつの間にか口論が出来るほど期待を寄せてしまっていたという経験があるからです。……言い合いは互いに信じたい気持ちが無ければできない、そうでしょう?」
けれど。
「フィルオーヌ様に教えていただいたのです。妖精界の文化を崩してしまわぬように極秘に」
彼女の微笑みにも似た無表情を見て、俺とシャルは共に彼女の手を取った。
「それともう一つ。……もう一つだけ」
互いの心が通じ合ったかのような握手の中、キャムルは急に言い難そうに言葉を詰まらせる。
……まさか、それはそれとして俺達に不手際があったとか言うつもりなんだろうか?
なんて嫌な考えが巡ってしまった時、キャムルはシャルの手だけを放し、俺の手を両手でしっかりと握り直してきた。
「……少々不本意ですが、本件とは別にリューンさんに言いたい事があります」
「今回とは、別?」
「はい、そうです」
やっぱりでしゃばり過ぎたのが良くなかったのかと背筋が凍る。
だがキャムルはそれを一切気にせず、もっと衝撃的な事を口にした。
「今日までのおよそ三千万年間。ただフィルオーヌ様のためだけに働いていた私に[別の誰かを慕いたい]という気持ちを貴方は教えてしまった。…いえ、思い出させてしまった。ですから、いずれその責任を取ってください」
「……あ?」
「え?」
何一つとして予期していなかった言葉に頭の中が真っ白になる。
文字通り真っ白だ。その白さを降り積もった雪でも、おろしたての白シャツでも、エルフ達の着る一枚布のようだと言おうと何でもいい。
ただ、緩やかにその白の上に文字が浮かんできて、それが明確になった時。
俺とシャルはもう一度顔を見合わせて顎が外れそうなくらいの大口を開けた。
「「はぁぁぁぁぁ!?!?!?!?」」
「……そこまで驚かれると心外ですが、まあいいでしょう。惚れた弱みというやつです。大抵の事は水に流してあげます」
「い、いやいやいやいや!待て待て待て待て!!どこにそんな仕草があった!?要素すらなかっただろ!?!?」
「な、何だったら言い合いもしてましたよね!?」
「まさにそれです」
両手で握った手は離さず、それに気を向ける事すら忘れた俺達にキャムルは柔らかで恥ずかしさを隠すようなとても小さな笑みを見せる。
不覚にも俺はその顔を可愛いと思ってしまった。
いや、思ってしまったじゃないんだが!?
「フィルオーヌ様の側近になってからあの日まで、私に意見する者はいてもあそこまで激しく否定を口にする者はいませんでした。それは……自分で言うのも少々恥ずかしいですが、これまで私の指示した事で過ちらしい過ちに向わなかった事が挙げられるのだと思います」
「で、でしたらなおさら……」
「いいえ。だからこそ、なんです。リューンさんの…いえ、リューンくんの意見は正しかった。私の考えよりも難しく、苦難に満ち、時には失敗だと思ってしまう時が来るだろう意見だったのに、それでも正しいと今は思えている。だからなんです。私に無難ではない正しさを教えてくれた。無難は維持を呼びますが発展は見込めません。それでは彼の言ったように死んだも同然です。この長い長いエルフの生の中、死んだまま生きているのだと気が付いてしまった今、それを苦痛と言わずなんと言うんでしょう」
力強い言葉がキャムルの口から溢れ出てくる。
それを聞いたシャルはそれ以上何も言えず、静かに俯いてしまう。
「ですのでリューンくん。全てが終わって再びこの世界に戻ってきたら、その時は私が精一杯考えた求婚の言葉を聞いてください」
手が強く握られる。
彼女の顔は、もう無表情さの欠片も無く。満面の、しかし少しだけ恥じらいを孕んだ笑みが浮かんでいる。
……俺は何の意図もなく、ただ正しいと思った事を言ったに過ぎない。だから彼女の言葉にピンとくる[惚れるような要素]ってのは正直一つもわからない。
けれど、ここまで想わせたのが俺だと彼女が言うのなら。俺も責任ってのを考えなきゃならないんだと思う。
「……分かったよ、キャムル」
「えぇ!?」
「ほ、本当ですか!?」
「ああ。必ず戻って言葉を聞きに来る。けど、一つだけ覚えておいてくれ」
「はい!」
「……この先、何が起きるのかは俺には予想もできない。だからもしも俺が、君と同じような衝撃を他の世界で感じて、君の想いを断るためだけに来たとしても……許して欲しい」
「そっ……それは」
「リューン!?」
硬く握られていたはずのキャムルの両手が崩れるように離れていく。
代わりにシャルの握った拳が俺の頬に当たり、振り抜いた。
「あんた!女の子の告白を!!」
頬に熱く火照った痛みがじわじわと広がっていく。多分シャルは僅かに身体強化を施した拳で殴ったんだろう。
「こんな大事な事を腹に隠したまま受けられるかよ。それじゃあキャムルの気持ちに報いれないだろ」
「だとしても!!」
分かってる。
シャルがキャムルの代わりに俺を殴り、代わりに涙を流しかけている理由くらい俺にだって分かる。
こうやって言うのが野暮で、間違いだって事も。
「……だとしても、こういう時は『分かった』だけでいいんだよ。リューンが考えてる事くらい、分かって言ってるんだから」
「……ああ」
だからって俺は、俺が思った正しさを曲げたくなかった。
いつか考えが変わってこんな時にも嘘を付くのが正しいんだと思うようになったとしても、今だけは変えたくなかった。
それがキャムルの好きになった俺だというのなら、変えたくは無かった。
「…ありがとうございます、シャルさん」
「…キャムルさん」
シャルの数歩後ろに下がっていたキャムルが、シャルの肩に手を置いて彼女を少しだけ横へ動かす。
「同様にありがとう、リューンくん。私に本心で話してくれて」
俺の前に立った彼女はそう言って更に一歩足を踏み出す。
そして、彼女は倒れるように俺の胸に顔をうずめた。
「さっきの無礼はこれで帳消しです。だから、必ず約束を果たしてくださいね?」
両手を彼女の後ろに回し、微かにその背に触れる。
「……ああ。必ずだ。約束する」
けれど今の俺には抱き締める資格は無い。
出来るのは。
出来るのは、倒れないように支える事だけだ。
「………嬉しい」
それでもキャムルは嬉しいと言ってくれた。
………俺には過ぎた言葉だ。
「……すみません。お恥ずかしいところをお見せしました」
ほんの数秒にも、数分以上にも感じられる抱擁が終わる。
彼女の両の目元には微かな紅さが。俺の上着には小さな染みが。
だがもう彼女の顔には能面のような無表情しかない。
「では、私からの話はこれでおしまいです。後はフィルオーヌ様からお言葉がありますから、私はここで失礼します」
同様に、無感情が張り付けられていている言葉を残して彼女は高く飛び上がると上の階層の何処かへと消えてしまう。
残された俺達には余韻すらないように思えた。
「……リューン、ホンットにもうああいう事言っちゃダメだよ」
「分かってるよ。けど、あいつが惚れた俺は隠さないと思ったんだから仕方ないだろ」
「…………はぁ。気持ちは分かるけど……。それでも、だよ。分かった?」
「ああ、分かってる。気を付けるよ」
最後にそうとだけ言葉を交わし、以降はこの話題には触れないようにしようと取り決めを交わす。
理由は、今はもっと優先するべき問題が目の前にあるからだ。魔王を倒し、旅を終えるまでは色恋に関する話題は出さない。その方が専念できるだろうと互いに考えたからだ。
それにどちらにしろこの先どうなるか分からないんだ。必要以上に終わってからの話をするのは意味があると思えない。
今回の戦闘だけでも危ない面が何度もあった。これから先も五体満足で済むかは分からない。勿論死ぬつもりはさらさらないが、それで全てが決定するわけではない以上、最悪の場合も考えなければならないだろう。
「お話は終わったみたいね。まさかあのキャムルがと驚きはしたけど、きっと良い変化になるわ」
そんな話が終わった後、まるで計っていたかのようにタイミングよく上から声が降ってきた。
「盗み聞きか?嫌いじゃないが褒められる事じゃないぞ」
「ふふ。この世界の事はね、聞きたくなくとも聞こえてしまうの。それに昨晩相談を受けたから盗み聞きとも違うわよ?リューン」
広間に来てから数えられるほどしか言葉を発さなかったフィルオーヌだ。
恐らくは今後の政策の主軸になるバベリュとキャムルに話をさせるという意図が少なからずあったんだろう。
実際、バベリュはフィルオーヌを挟んだ先でエルフ・フェアリー相手に何かをずっと話しているみたいだ。キャムルだって恥ずかしくてここから立ち去ったわけでは無く、城の重要な役職に就いている者達に事情を説明しに行ったんだろう。
だとすればこのタイミングでフィルオーヌが話しかけてきたというのは今回の件で俺達のするべき役目は終わったという意味があると考えられる。
それは同時に、フィルオーヌが事実上一線を引いた事を意味する。
……んだが、証拠も無いのにここまで考えると流石に飛躍し過ぎかもしれないな。
「ならいいや。あんな仕打ちした上に秘密を上司に聞かれたなんて日には堕天モンだろうからな」
特に重苦しい雰囲気もないし、今は一先ず普通の会話を楽しめばいいだろう。
「あら、早速堕天で冗談?適応力が高いのね」
「まさか。忌避してた事で冗談が言えるようになるのが健全化した世界での普通だと思ってるからな。だから予習だよ。勿論、相手が傷付き過ぎない程度の、ってのはあるけどな。そこら辺は冗談を言う奴と言われる奴の裁量次第だから俺の知ったこっちゃない」
「ふふふ、道理でキャムルが惚れてしまうわけね。これでも私、ここではまだ神様くらい偉いのよ?なのにそんな口の利かれ方されるなんて新鮮な気分。私も好きになってしまうかしら」
「…あ?」
「え!?」
なんて思っての会話だったが予想外の方向に進みかけている……?
「お、おい、頼むからそれだけはやめてくれ」
「そ、そーですよ!!」
不穏な雰囲気を嗅ぎつけてくれたんだろう。俺と同じくらい動揺したシャルが加勢に入ってくれた。
しかしフィルオーヌはきょとんとした声を降らせる。
「あら、どうして?」
「そんなの泥沼待ったなしだからに決まってんだろ!俺は嫌だぞ!そこらの湖に沈められるなんて!」
「そう!第一、そんなの不健全です!」
「そうでもないのよ?集落によっては一夫多妻制も一妻多夫制もあるから二人が思っているような事にはならないと思うわ」
「「だとしてもだ(です)!!」」
「ふふ、息ぴったりね。楽し♪」
ついさっきの会話を聞いているはずなのに面白半分でからかってくるフィルオーヌに俺達は必死になって考えを改めるように説得するも彼女はひたすら楽し気に笑うだけで聞く耳を持ってくれそうにはない。
見誤っていた。どうやら彼女は真面目で面倒見がいいタイプだと思っていたがイタズラ好きな子供っぽい一面があるらしい。なのに長い事生きているわけだから相手を手玉に取るのが上手い。最悪の組合わせだ。
「頼むから変な気は起こさないでくれよ」
「ふふふ。貴方にその気が無ければ、ね」
「フィルオーヌさん!!?」
「ふふ。慌てちゃうなんて可愛いわね~」
調子を上げてからかってくるフィルオーヌとプンプンと顔を赤くして抗議するシャル。彼女達のその様子はまさに弄られて怒る子供と悪乗りする大人の構図そのものだ。
せめてこの側面がフィルオーヌの本質ではない事を祈りつつこれからの旅は彼女を諫める事になるのだろうかと不安を想う。
……時だ。
「……あら。リューンにお客様みたいね」
「俺に?」
唐突に彼女の声が張り詰めた。
「誰だろう?エルフィムさん達かな」
一瞬で起きたフィルオーヌの声の変化に臨戦態勢をとったシャルは思い当たった節を言葉にする。
それには俺も同意見だった。この状況で妖精城に訪れる俺の客と言えばエルフィム達以外にはいないはずだ。
しかしフィルオーヌは否定した。
「確かに彼らも招待はした。でも、彼女は違うわ」
「……女の子ですか?確かエルフィムさんの所にもいたはずだけど……」
不穏さの増すフィルオーヌの声色に釣られ警戒心を高めていくシャルだがまだ見当はついていないようだった。
そんなシャルとは違い、俺は[彼女]という言葉で誰が来たのかが分かった。
「……行ってくる。シャルはここで待っててくれ」
「リューンが行くなら私も……」
そう言ってくれたシャルの前に左手を差し伸ばし行く手を阻む。
今まで俺が一度もした事の無い行動にシャルは目を見開き口を開こうとする。
それを遮るようにして言葉を被せた。
「いや、俺一人の方がいい。俺一人で行くべきなんだ」
「……分かった。そこまで言うなら任せる。でも、危ないと思ったら合図してね?」
そうしてシャルも察したのだろう。誰が、来たのかを。
「ああ。フィルオーヌも見てくれてるんだ。間違っても取り返しがつかない事にはならないはずだ」
「そうね。何かあれば教えられるわ。……だから、彼一人で行かせても平気よ」
「分かりました。それでも一応言っておくね。何かあったら合図を。直ぐに駆け付けるから」
俺達の説得に小さく頷いたシャルは、けれど念を押す。
「ああ、その時は頼む」
俺は頷き、彼女の肩に手を置いてから広間の出口へと向かった。
武器を取り、城の外にいる客に会うために。
ーーーー ーーーー ーーーー
太陽はもう少しで中天に登ろうとしている。
城の入り口に門番はいない。だが、フェアリーの影が一つだけあった。
「……他には?」
「お陰様でね」
それはフェアリー用の装備に身を包み、右手には魔力で造ったのだろう両槍を握った女フェアリー。
ーー俺を仇とするシャクリーだ。
「仇を討ちに来たわ。どんな気分?」
「…少なくとも良い気分じゃないな」
「面白みに欠ける返答じゃないの。なっさけない」
少しずつシャクリーの呼吸が荒くなっていく。
それに比例して彼女の魔力が高まっていく。
「知ってる?一般的にフェアリーは堕天していたとしてもエルフには勝てないって。何故って、大きさがあまりにも違うから」
話し始めると同時、彼女の背に円を描くように光の球体が幾つも現れる。
それら一つ一つは小石程度の大きさしかないが、保有している魔力は桁違いに高く濃密だ。
「でもね、アタシは違うわよ。アタシを殺そうとして襲ってきたエルフを全員返り討ちにしてきた」
彼女の興奮の高まりに呼応するように球体の発する光が眩くなっていく。
……間違いない。アレが彼女の攻撃の要だ。
シャルとの戦いを思い出す限り、武器に見立てた魔力を飛ばす攻撃系の魔法だろう。
「だからあーたも同じ。アタシにメッタメタにされて泣きながら言うの。『悪かった。許してくれ』って」
視認する限りは五つしかない魔力の球体の先端が微かに形を変える。
それらは全て切っ先のように見える鋭利さのある形だ。
やがてその鋭利さは明確な刃物と認識できるまでに自身を研ぎ上げ、気付けばシャクリーの周りには五本の槍が生成されている。
「でもね、あーたは許さない。泣こうが喚こうが命乞いしようが情なんてくれてやらない」
……そして。
「バベリュと同じように!腹をぶっ貫いてやる!!!」
ーー来る!!
それらは僅かな時差をもって射出された。
「これがアタシの使える最大の魔法!![篠突く槍時雨(やりしぐれ)]!!」
シャクリーの声が通り過ぎる槍達の風切り音に紛れて耳に届く。
眼前を覆う数多の槍。瞬きをするよりも速く掠めていくそれらは例え当たらずとも真横を通り過ぎていくだけで薄肌を裂くほどに鋭利だ。
ーーなんて量だ……!どれだけの魔力を持ってるんだあいつ……!!
頬を、脚を、腕を、横腹を、絶え間なく、僅かなラグを持って大量の槍が通り過ぎていく。
その一槍一槍が濃密な魔力の塊であり、まごう事無き凶器。それらは尋常じゃない速度で俺を仕留めようと飛来してくる。
一瞬でも気を抜いて動きが鈍ればたちまちハリネズミになってしまうだろう、文字通り槍の雨。
それを俺は身体に働きかける補助魔法を駆使して何とか避け続けた。
動体視力を上げ、反射速度を上げ、それらについてこれるだけの俊敏な筋肉に全身を作り替えた。
だがこんなのはその場凌ぎの急繕いに過ぎない。どれだけ俺が魔力を持っていようと補助魔法の弱点である身体に及ぼす負荷によってガタがくるのは明白だ。
しかもこれだけの重ね掛け、そう長くはもたない。何とかして脱しなければシャクリーよりも先に自分の魔法で死にかねない。
「どうしたのさ!!避けるだけじゃ刺されておしまいよ!!」
「言われなくったって!」
背に負った特大の剣に手を伸ばしながら雨の隙間を潜(くぐ)る。
だが、思うように手が伸ばせない。僅かな時間差をもって降っている槍の軌道にはランダム性が産まれ、避けながら武器を手にしようとする事すら至難の業だ。
下手に伸ばせばたちまち腕は串刺し。利き手を失えばこの槍の雨を剣圧で払う事は出来ず、かと言って逆の手で掴めたところで特大の剣を引き抜く速度は緩慢になって威力も落ちる。それでは結果は変わらない。
ーークソ。余裕ぶって出方なんか伺うべきじゃ無かったな……!
己の過ちを思い出し苦笑いを噛む。
ーー情けない。これじゃ勇んで出向いた意味が無いじゃないか。
思考が後悔で僅かに濁る。
瞬間身体は鈍さを得、飛来した一槍が左肩の肉を抉った。
「ぐッ!?」
吹き出す血が槍の起こしている突風で後方に吹き飛沫(しぶ)く。
激痛だ。下唇を噛み締めて痛みを誤魔化そうとしても何の意味も持たない。ただただ顔が痛みに歪むだけだ。
それでも二槍目が抉った肉は薄い。辛うじて身体の俊敏さを取り戻せたお陰で芋吊る式にはならずに済んだ。
「やるじゃない。流石に一筋縄じゃ行かないわね!」
「舐めるなよ!命は安くてもこんなところでくれてやる気にはならねぇんだ!」
「減らず口!!」
シャクリーの苛立ちに合わせて槍の雨の激しさが更に増す。
今までのが大雨ならこれはまるでゲリラ豪雨のそれだ。とてもじゃないが武器を手に取ろうとしながら避けるのは不可能。魔法を唱える事さえ出来ず、辛うじて避けるので手一杯だ。
「言っとくけど!魔力切れだけは有り得ないかんね!アタシはフェアリーだった頃、五つの集落のエルフを合わせても魔力の量で右に出るのが居なかったんだから!」
「最初から狙ってねぇよそんなの!!先に串刺しになるのが目に見えてる!」
シャクリーの言葉に殊更思考が焦る。
狙っていなかった、なんてのは嘘だ。これだけの激しい魔法、消費が並みじゃない事くらい明白だ。なのに魔力切れは期待できないときた。
だったら、いよいよやれる事は一つしかなくなる。
無謀で、より恐ろしいただ一つの手段だけに。
「シャクリー!!」
「あによ!!」
すさまじい槍の雨に思考が恐怖と焦りで陰り続ける中、自身を奮起させるために声を張り上げる。
そして最後の後押しを得るため、命を取ろうとする彼女に、一つの約束を提案した。
「俺がお前に勝ったら!城の奴らと協力しろ!!」
「……はぁ!?」
「返事は二つに一つ!どっちだ!!」
明らかな劣勢で、形成の逆転は見込めない。そんな中での驕ったような提案。
シャクリーは一瞬呆気にとられると声を出して驚きを露わにしたがその間も攻撃の手が緩まる事は無く、寧ろ僅かに勢いが増している。
「……じょーとーじゃないの!!やってみなさいよ!大ぼら吹き!!」
その上で彼女は小さく笑いながら提案を受け入れてくれた。
俺の背を強く押してくれる最後の要因になる約束に。
「その言葉、絶対に忘れるなよ!」
歯を食いしばり。
痛みに目を瞑り。
鋭く粘りつく恐怖を意識の外に追いやる。
ーー次だ。
つま先で飛び上がり、空を蹴りながら槍を避けつつ機会を見計らう。
狙うのは次の着地のタイミング。
そこでケリを着けに行く。
二槍、七槍、三槍、また三槍。
最早避け切れるような生ぬるい攻撃ではない。大小様々に肉を裂かれながら致命傷のみを避けるのが精一杯の状態だ。
それでも。
ーーここだ。
着いた右のつま先に力を込める。
そして、前へと踏み出す。
避け続けても意味が無いのなら前へ。前へ行って、大本を断つために。
「……そうするっきゃないもんね。覚悟は立派だと思うよ」
曲がった膝が、土を抉るほどに力まれたつま先が、それらを最大限に生かすために全身が連動する。
「でも残念。それで勝てるなら苦労はしないのよ」
十全に整った身体が踏み出した一歩は紛れも無く完璧だった。
勢いは瞬く間に全身を滾り、最大速でシャクリーの元へ行けるという確信さえある。
だが。
「…チッ。やってくれる………!」
今まで一度も飛来が無かった空間に一本の両槍が見えた。
位置は右足の足首部。
認識できた時には既に切っ先が触れる直前だった。
「奥の手は敵の心を折ってこそ意味があるのよ。覚えておきなさい」
……刺さる。
…刺さる。
刺さる。
踏み込み終え、次の着地に向けて踏み抜かれるだけだったはずの右足首に魔力の槍が刺さる。
絶望的だ。このまま刺されば次の着地に耐えがたい痛みが走るどころか、槍の飛来速度に文字通り足を取られて全身の姿勢が崩れるかもしれない。
ーー心構えが出来ていなければ。
「見つけられて良かった」
「…え?」
激痛に全身の毛が総毛立つ。言葉に出来ない痛みが背骨を通じて喉奥までせり上がり嘔吐を促してくる。
同時に、彼女の殺意に満ちた魔力が傷口から入り俺の神経に恐怖を植え込んでいった。
だが、俺は倒れない。
「刺さるのが分かってれば怖くないんだよ……!」
勿論、次の着地も、それまでの槍の雨の回避も何ら不都合はない。
俺はまだ、避けられる。
「な、何よあーた。冗談でしょ!?」
「痛みが襲ってくると理解してれば耐えられる。呑み込める!」
血が飛沫を上げようが踏み込め。
骨が砕けているなら根元で支えろ。
肉が裂ける音で鼓膜が覆われようが土を蹴り上げろ。
「行くぞ!!シャクリーーーーー!!!」
「くっ!?このぉぉぉぉぉ!!」
右足は忘れろ。感覚は捨てろ。前だけを見ろ。あいつは俺を殺そうとしているんだ。
だったら、死にたくないなら、それ以外の怪我には目を瞑れ。
それが仇討ちを望んだ相手に対する最大限の礼儀だ。
そしてその仇討ちがまだ早いのだと伝えるには、相手以上に命を懸けろ。
仇である俺の言葉を信じてもらえるように。
「シャクリィィィィーーー!!」
「う、う、うあああああ!!!」
親愛なる相手を疑わずに済むように!!
「はぁっ、はぁっ、はぁっ!!」
「う、うぅ、うぅぅぅ!」
伸ばした右腕が無風地帯に入る。
同時に、全身を覆って離さなかった痛みを生む風が、槍(あめ)が、ぱったりと止む。
「なん、なんなのよぉ……!あーた、何なのよぉ!!」
「リューン……だ。忘れた、のか?仇だろ……?」
「そ、そんな事聞くわけないでしょ!?」
右手でシャクリーを握るようにして覆う。
彼女の手に持っていたはずの両槍は無い。思っていた通り、俺の右足首を貫いたのはあの槍だったみたいだ。
「あ、頭おかしいんじゃないの……?足首から下、千切れてるじゃないの。なのに、何で笑ってんのさ」
「……さぁな。女の子に約束を守ってもらえるからじゃないのか?」
「………よく、そんな冗談が……こんな時にまで………!」
右手の中にいるシャクリーはそれ以上暴れようとはしなかった。
「……………でも、もういいわ。さ、好きになさいな」
ただ、俺に握り潰されるのを待っているかのようだ。
だから俺は、そうじゃないと彼女を開放した。
「…え?」
「じゃ、約束通りみんなの手伝いをしてくれよ。そうすればきっとバベリュも喜ぶだろうさ」
「!?勝ち誇ったつもり!!??一体どの口で……!!」
真っ直ぐに立ち上がろうにも身体を支える事が出来ず、右へと倒れる。
仰向けになる力すらない。
なのに全身には力一杯に痛みが叫び声を上げてる。
「…チッ。形勢逆転か?」
「………冗談。アタシの負けで、あーたの勝ちよ。殺せるのに殺さなかった相手の弱みに付け込むなんて、幾ら堕天しててもできる卑劣さじゃ無いわ」
もやもやとマヒした右膝から下に意識が向きながらも、俺の顔の真横まで来たシャクリーと言葉を交わす。
どうやら彼女の言葉に嘘は無いようで、その顔はどこか吹っ切れた様子さえ見て取れた。
「……これなら、会わせられるな」
「はぁ?なんの事よ」
「さぁな。結局この手しかなかったんだなって事だよ」
首を動かそうとして、右脚先から走る激痛に全身の筋肉が硬直する中でどうにか城の入り口に視線を向ける。
そこでは、計ったように開かれた扉があり、中からは三つの影が現れた。
「リューーーン!!」
「リューンくん!!」
内二つは俺を呼ぶ声と共に駆け寄ってくる。
そしてもう一つは。
「……シャクリー、か?」
「!!!!!」
彼女を呼ぶ、男エルフの声だ。
「ば、バベリュ!?!?!?」
to be next story.
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