第7話 足りなかったモノ


 彼の戦い方は余りにも荒々しく、獰猛で。

されど、繊細で的確だった。

故にこそ。彼には戦う事が出来た。

 ーークソッ!クソッ!クソッ!!

 「何なんだよ!!お前ェはよォ!!」

 「知るかよ!!クソッタレ!!」

流動を生きる点の極みのような槍が特大の剣を構えているリューンを再び襲う。

それらは全て彼の急所を的確に突こうと放たれていた。

だがその動きは決して分かりやすい軌道ではない。

縫うような、泳ぐような、或いは揺蕩うような。恐ろしいまでの緩急と誘惑がその穂先には宿っていた。

もしもリューンが訓練を経ていた兵士などであれば直ちに心の臓を貫かれ瞬く間にあらゆる急所に風穴が空いていただろう。

だがそうはなっていない。しかし見えているわけでもない。

リューンはただひたすらに勘に縋って避けていた。

シャルと共に過ごした世界・剣魔界の森で日常的に行った野生動物との殺し合いで培った致命傷を避ける勘で。

 ーークソ!一個も見えない!けど、どこを狙おうとしてるのかだけは分かる!!だったら避けられる!!

狙いが心臓ならば特大の剣の腹で。狙いが脳なら首がもげんばかりの勢いで傾げ。膝や足の甲ならばどんなに無理な態勢でも跳ね上がり。空で狙われるならば特大の剣の切っ先で姿勢を作り狙いを狂わせる。

ぎりぎりではあっても全てを避けている。

それがこのダークエルフーーブ・バベリュにはまるで解せなかった。

彼の槍の訓練をいつも見ている仲間達ですらそう躱せない槍さばきを初見のはずの男が躱している事を理解したくなかった。

 「クソッ!クソォォォッ!!まぐれじゃねぇ!偶然じゃねぇ!!何故俺の槍をこんなにも避けられる!!」

 「俺が知ってるわけないだろ!」

 「ふざけんじゃねぇぞ!!」

 「そんな余裕あるかよ!!」

槍さばきが殊更に激しく的確になる。

けれどリューンはやはり全てを避ける。

狙いの全てが急所であるがために。ただそれだけの理由で、リューンの勘はバベリュの矛先を見抜いている。

それはどれだけ槍が[軌道]というまやかしを帯びていたとしてもあまりに原始的な狙いであるがため、故にこそリューンが殺し合ってきた野生動物の狙いに酷似していた。

常に生き死にが懸かっている野生動物の世界では一撃で敵を仕留める必要がある。それは対人間であっても変わる事は無い。

そんな世界にリューンは一年以上も侵入を繰り返し、生還し続けた。

確かに彼の持つ数多の魔法によって救われた面は大きい。背負っている特大の剣やある時期から着け始めた軽装鎧が命を繋いだ事もある。

だとしても全ての経験は彼の中にある。そしてその経験は知らずの内にリューンの勘を磨き上げ、こと命に関わる攻撃に関してだけは異様なまでの察知能力を有していた。

 「舐めやがって……。舐めやがって!!」

 「舐めるわけが!!末恐ろしいに決まってるだろ!!」

怒りと焦り。それらがバベリュの槍の動きを僅かに鈍らせる。

その瞬間をリューンは見逃さない。

 「強化![鉛]!」

 「しまっ!?」

何度目かもわからない心臓を狙った攻撃を、大きく身を翻してリューンは避ける。

その勢いは構えられた特大の剣に遠心力として乗り掛かり、強化魔法によって鉛のように重く鈍くされたそれがバベリュへと牙を剥いた。

 「当たったら痛いぞ!!歯ぁ食いしばれ!!」

 「この……!化物野郎が!!!」

空気が分断されていくような破滅的な音が辺りに響き渡る。

音の元は振るわれる鉛化した特大の剣。狙いはバベリュ。

 ーークソッ!!!!間に合えよ……!!

槍が引かれ、流れるように立てて身を護ろうと軌道が変えられる。

が、コンマ足りなかった。

 「ぐ…!?ぶふッ!!!」

 「おおおおお!!!」

特大の剣は身を護ろうと立てられ始めていた槍の柄の上を通り越えて左腕ごとバベリュの腹部を破壊し薙ぎ払う。

しかし切れてはいない。鉛化の影響で切れ味までもが鈍ってしまっているからだ。

だが、その一撃は果てしなく重い。

 「吹っ飛んじまえ……!!」

くの字に折れ曲がり特大の剣に乗るばかりのバベリュはリューンによって振り抜かれ後方にある木まで押し飛ばされる。

 「オッ!?ゴフッッ!!」

強烈な衝突音が枝葉の揺れる音を連れて辺りに響き渡る。

その中には多量の血と嘔吐物を吐き出すバベリュの嗚咽も混じっていた。

 ーーまじぃな。マジに死んじまう……!

瞳孔は幾度と無く揺れ動き、見開かれていた目はずりと木にもたれて落ちる身体と共に静かに閉じられていく。

彼の望みではないはずなのに。抗おうとしているはずなのに。身体は、瞼は、ピクリとも言う事を聞きはしない。

 ーー舐めてたのは俺の方か。こいつぁ、自業自得ってヤツだな……

明確だったはずの景色が一度の明暗で酷く靄がかった世界に染まり替わる。

立ち上がろうと膝を曲げ、手を付こうとするが動かない。首を動かし姿勢を整えようとするが動かない。……どころか、意識が不安定を極めている。

 ーーチッ。殺してやるつもりだったのに……よぉ………。クソが。

靄が暗闇に変わる。瞼はまだ閉じられていない。

死が、バベリュの肩に手を乗せていた。

 「バベリュ!!」 

しかしそれを傲慢にも引き留める女性の声があった。

 「死んだら許さない!!」

 「……!!!」

 「リューン!?」

喉が裂けんばかりに叫ぶのはリューンとバベリュが戦っている位置からそう遠くない場所で戦うシャクリーだ。

 「ここで死ぬな!まだ何にも始まってないんだからさぁ!!」

彼女は右手に持った両柄に穂の付いた槍ーー両槍を絶え間なくシャルに投げつけながらバベリュに声を投げかける。

強く、感情的で、微かに怒りの垣間見える気付けの声だ。

 「どーせ死ぬなら!堕天して無い奴らを道連れにしてやるんだ!そうだろ!!バベリュ!!」

今の彼に掛けるにはあまりに乱暴な口調だ。

しかしそれこそが何よりもバベリュを引き戻す答えになる。

 「………ああ、そうだよな」

血を吐き出し、砕けた腹部の骨達に手を当てながらバベリュは立ち上がろうと藻掻く。

脚に支える力は無いのなら木を借りる。

手に身体を支える力が無いのなら強化の解けた槍を借りる。

震えて、見栄えは悪く、折れてぶら下がる左腕が思わせるのは死に体だ。

それでもバベリュは立ち上がる。

 「よぉ。続きだ。来いよ、化物野郎」

 「……お前」

嗤うバベリュの口から流れる血は未だ止まってはいない。

けれど彼は再び槍を構える。

 「バベリュ!?」

 「聞こえたぜ、シャクリー。相変わらずやかましいんだよお前は」

 「!!!」

吐血の混じった声だった。

無事とは到底言えない状態だ。

だがシャクリーは涙を流して笑い、攻撃の手を強めた。

 「じゃないと寝坊するでしょ、あんたさ!」

シャクリーの投げた両槍が宙で三本に分裂しシャルを襲う。

射線は一定。けれど数はシャクリーが新しい両槍を投げるほどに増えていく。

シャルはそれを秒を刻むまでの間に二十一本受けている。最早槍の雨だ。

 ーーもう!近付けない!!

一本の戦斧を両腕で握るうシャルは両槍を薙ぎ払って防いでは既に眼前に迫っている次の雨を返しの薙ぎで防ぐ。

轟音を烈風と共に巻き起こしながら行われるそれを彼女は何度も繰り返す。

 ーー強化してても腕が疲れてきてる……。早く突破しないとこっちが持たない……!

四百を超える両槍を払い続けているシャルの身体には今、初級強化魔法の[倍化]が掛かっている。

倍化の効果は文字通り筋力を倍にする魔法だが、使い手の能力如何によって効果は大きく変わってくる。

現状、強化魔法ならば上級まで唱えられる彼女の筋力は百倍程度までに強化されていた。

それでも二十秒以上ーー現在もーー特注で造った十キロ以上ある戦斧で、普通の槍の質量を模されている両槍の雨を払い続けているため疲労は無視できなかった。

 ーーこうなったら一か八かかぁ。

離れた先では涙を流して喜んでいるシャクリーがシャルから視線は逸らさずにバベリュに何かを呼び掛けている。

ちらりとそちらを見ればリューンが特大の剣を振るって死に体のバベリュと戦っていた。

だがそれは最早勝負とは言えず、リューンがバベリュの意地に付き合っているだけのようだった。

 ーーシャクリーの意識は向こうにいってるし、狙うなら今しかない。

シャルは戦斧から右手を放し、背にあるもう一本の戦斧を掴む。

そしてそれをカルサの時のようにブーメランの要領で思いきり投げた。

 「!?何してんのよあーた!!」

 「そんな事言ってる場合じゃないよおねえさん!!」

刹那の間。槍の雨が時を刻むのを止める。

同時にシャルは戦斧の刃で地面を切り削りながら駆け出した。

 「この!小娘のくせに小賢しいのよ!」

 「あれ?お嬢ちゃんじゃなかったっけ!?」

飛来する戦斧をより高く飛ぶ事でシャクリーは避ける。

その飛び上がった位置に一足早く辿り着いていたシャルは投げていた戦斧を掴みながら構えていた戦斧を振り上げた。

 「この……!![守……!」

透過する円盾がシャクリーの左手に現れる。

だが構えるのにも攻撃魔法を唱えるのにも時間がかかり過ぎた。

 「大丈夫。……痛いだけだから!!」

シャルが戦斧を振り下ろそうとした瞬間だった。

 「シャクリーー!!!」

 「シャル!避けろ!!」

 「「!?」」

バベリュとリューンの声が彼女のーー彼女達の耳に届く。

反射的にシャルが、シャクリーが、振り向いた先にあったのは飛来する点。

 「しま!?」

バベリュの、槍だ。

 ーー間に合え!!

シャクリーの危険を察知して投擲された槍の速度は速い。まともな相手ならばまず躱せず避けられない。

が、限界まで強化の施された今のシャルならば。

 「く…ッ!このぉぉぉぉぉ!!!!」

振るわれるはずだった戦斧が強引に軌道を変え滅茶苦茶な力を伴って空を割っていく。

本来ならばあり得ない勢いでの移動だ。空気抵抗が必ず邪魔をする。けれどそれを強化された彼女の筋肉が無理くりに道をこじ開ける。

 「シャル!!」

鋭い音が一瞬の火花を散らす。

鮮血は飛んでいない。悲鳴に似たうめき声も無い。

つまりは、肉体にも鎧にも届いていない。

 「ま、間に合った」

膝立ちで地面に着地しながらシャルは大きく息を吸う。

手元に残る強い衝撃と震え。故に彼女に生の実感を与える。

しかし直ぐにシャルは我に返り上空を見上げた。

 「シャクリーは!!」

そこではシャルになど目もくれないシャクリーが呆然と漂うように飛んでいた。

 「バベリュ!!」

彼女は槍の射出元を見つめて叫び、手にしていた透過する円盾が解けるのを待たず、両槍を再び出す事も無く飛び出す。

脇目も振らずに、ただ一心に、腹部に特大の剣が突き刺さったバベリュの元へと。

 「バベリューーー!!」

 「ご……ゴブ…ッ!」

血が滝のように流れ出る。

口から、腹から、とめどなく溢れ出ては地面に染み込み、やがて水溜りのように浮き溜まってくる。

到着したシャクリーが手を押し付けて圧迫しても止まらないーー止めようがない。傷口は大きく、傷そのものは貫通して背骨を砕いて地面まで突き刺さっている。

会話も、呼吸も、焦点を合わせる事さえも、今のバベリュには不可能だ。

それは文字通りの死を嫌でも彼らに連想させる。

 「バベリュ、バベリュ!!」

 「…リューン」

 「……間に合わなかった」

特大の剣から手を放し、バベリュに飛び寄って来たシャクリーから一歩、二歩と空を踏むような足取りでリューンは離れる。

その顔に血の気は無い。

 「リューン。私の、ために……?」

同様にして覚束ない足取りでリューンの傍に寄って来たシャルは目を見開きながら彼の横に立った。

二人は並び立つように足取りを止めるとただ茫然とバベリュを見つめる。シャクリーの姿が目に入らないかのように。

 「刺すつもりは……無かったんだ……!」

リューンの脚から、言葉から、みるみる内に力が失われていく。

まるで少しも予期していなかったかのような口ぶりだ。

それをシャクリーは許せず怒りの表情を浮かべた。

 「何を!!」

 「嘘じゃ…」

 「現実はこれよ!!見なさいよ!!」

叫びが地に折れたリューンの膝の音を掻き消す。

歯をむき出しに食いしばり涙を流す彼女の眼に灯るのは憎いという色だけ。殺意に酷似した憎いという感情だけだ。

その視線の先は誰なのか。リューンには当然理解は出来ていた。だが受け入れられなかった。

彼を殺したという実感すら未だ無い彼には受け入れようが無かった。

 「許さない。絶対に、絶対によ。絶対に殺してやる」

そう、言葉を絞り出しながらシャクリーはバベリュの胸に一度だけ顔をうずめる。

 「……今日のところは見逃してあげる。仲間達も逃げられた事だしね」

赤く染め上がったシャクリーの顔がゆらりと持ち上がる。

だがリューン達の方には振り向かない。

 「けしかけたのはアタシ達。だからその中で誰かが傷つこうと……死のうと、文句は無い。でもね、やったくせに後悔するような奴だけは絶対に許さない。覚悟も無いのに武器を握っている奴を許さない。そんな奴がバベリュを殺したなんて許さない!!」

バベリュの血を滴らせながらゆっくりと浮かび上がるシャクリーは独り言ちるように呟く。

それをリューンとシャルはただ聞き続けるしかなかった。

例え何を言われたとしても。反論する心の余裕が無かった。

殺し合いの経験があろうとも所詮二人が相手して来たのは野生の動物。人間同士の争いの経験もあるにはあるがそれも結局は手痛く痛めつけるだけ。ケンカの延長線上の出来事だ。

だから。

 「あーた達は戦士でも何でもない。力があるだけの無知な子供なんて畜生にも劣るわ」

だから、飛び去る彼女の言葉は二人の心を深く抉り、傷口を殴りつけた。



                             ーーーー    ーーーー    ーーーー


 俺は何も分かっていなかった。

戦いの旅に出るって事は、いつか必ず誰かを殺す事になるんだ。例えそれを承知の上でいたとしても、まるで考えが浅かった。

何が魔王を抹消するだよ。ふざけんのも大概にしろ。ガキかよ俺は……!

 「……おかえりなさい。首尾は……と、聞くのは不躾でしたね。ご無事でよかった」

暗闇の奥。キャムルの声が聞こえる。

顔を上げればそこにはシャルの持っている通光虫に照らされた彼女の姿があった。

いつの間にか妖精城に着いていたみたいだ。あまり歩いていた気がしない。そんなにもあそこからは近かったんだろうか。

 「……背負っているのは……エルフィムではありませんね」

 「…バベリュ、って言ってました」

 「外れの方に群れを作っているランゲドの頭の名前ですね。成る程、襲撃を受けましたか」

 「ああ」

一瞬だけ驚いたような声色を発していたキャムルはけど直ぐにいつもの調子に戻るとシャルから通光虫を受け取り俺達の後ろに回る。

そうして俺が背負っているバベリュに何度か触れ、顔を確かめるように彼の頭を動かす。

 「……首尾と事情は後程。一先ず中に入って休む方がいいでしょう。直ぐに湯浴みと着替えの準備をさせます」

 「あ、ありがとうございます」

 「助かるよ、キャムル」

 「いえ、仕事ですから。それとその遺体はこちらで預かりましょう。この世界での遺体の扱いは御存じないでしょう?」

言われて心臓に鷲掴まれたような痛みが走る。

……そうだ。こいつは、バベリュは死んだ。俺が、殺したんだ。

 「頼んでも、良いのか?」

僅かに乱れる呼吸を押し黙らせキャムルに尋ねると彼女はさもありなんと頷く。

 「ええ。堕天している者の扱いも承知していますから」

 「……なら、頼むよ」

俺の言葉に合わせてバベリュを抱き上げようとするキャムルに力を沿えるようにして彼女の背にバベリュを乗せるのを手伝う。

その時に、パリパリと乾いた何かが剥がれる音が俺の鼓膜を嫌に叩いた。

何なのかは確認しなくても分かってる。

……彼の、血だ。

乾いて俺の鎧に付いていた彼の血が、動かした衝撃によって剥がれ落ちて粉々になっていっている音だ。

 「…背負えましたのでもう大丈夫ですよ」

 「あ、ああ。悪い」

音に気を取られて呆然としていた俺にキャムルの若干嫌そうな声が届く。

ふと今の体勢を振り返ってみれば彼女を抱きしめようとしているように見えなくも無い。嫌がるのも当然だろう。

 「…はい、リューン」

キャムルから離れると近くにいたシャルに持ってもらっていた特大の剣を手渡される。

 「悪いなシャル。代わりに剣まで担がせて。…傷だってこんなにあるのに」

 「全然平気だよ。どーせ魔法で強化してるしさ」

 「はは、そうか」

特大の剣を背負いながら口にした俺の言葉に少しふざけた様子で返して来たシャルを見て思わず笑みがこぼれる。

あんな事があった後におどけさせるなんてかなり気を使わせていたみたいだ。気を付けないと。

 「では行きましょうか。前回と同じ部屋にシュイーとフィリーを行かせますのでそちらで待っていてください」

 「分かった。頼むよ……色々と」

 「お願いします」

 「承りました」

キャムルは浅い一礼の後、妖精城の扉を人が二人通れる程度だけ開けて中に入っていく。

その後に俺達は続き、扉を閉めるキャムルを残して以前泊まった部屋に向った。


                                   ーーーー


 部屋に到着した俺達は着ていた鎧を脱いでから身体を拭き、用意してもらった服ーー絹で出来たエルフ用の服に着替えた。

それから風呂の準備が出来るまでの間にシャルの腹部に出来ていた細かな切り傷を俺の魔法で癒して待っていた。

 「……こんなところか」

 「ありがとうリューン。ジンジンしてた痛みがすっかり良くなったよ」

 「だから言っただろ?露出してる鎧はイマイチだって」

 「だってしっかりしてる鎧って可愛くないんだもん。それにこの鎧は出てる部分は魔力で守ってくれてるからヘーキなの」

 「前も聞いたよ。それで傷ついてるんだからお小言してるんだろ?」

 「むー。またそうやって意地悪言う」

 「それで怪我しないで貰えるならいくらでも言うっつーの」

すっかり傷跡の消えたお腹をさするシャルにお小言を言うものの彼女は顔を小さく膨れさせるだけで頷いてくれそうにはない。

と言うか、可愛いかどうかで武具を選ぶなと言いたい。命に関わる事なんだし。

 「全く。頑固だよな、お前って」

 「そー言う[おまえ]は意外と気にしーだよね」

 「言い慣れてない言葉を使うなよ。ぎこちなく聞こえるぞ?」

 「また意地悪!」

すっかり気も抜けての穏やかな時間の中、そんな風に会話をしていると部屋のドアを叩く音が聞こえた。

きっとフィリーかシュイーが呼びに来てくれたんだろう。

 「じゃ、いこっか」

 「ああ、だな」

服装を整えながら立ち上がったシャルに続いて立ち上がりなんとなく身体を伸ばす。

バキバキと心地の良い音が耳に届き如何に凝っていたのかを実感してしまう。しかもその音は思ったよりも大きかったらしく目の前に立っているシャルの目を丸くさせてしまった。

 「……ほら、おじいちゃん。いきましょーねー」

 「やめろバカ」

 「お手ては握ってあげる??」

 「やめろっての!」

ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべながら差し出された両手を払いのけて早々と軽い足取りでドアへと向かう。

そんな俺を追いかける形で笑い声を噛み締めるシャルが来るが完全に無視してドアを開けた。

 「悪い、待たせた」

 「いえ、数秒ですから」

 「……あ?」

ドアを開けた先。そこに立っていたのは予想を大きく裏切る相手・キャムルだ。

あまりに想定外の出現だったので一瞬呆気に取られてしまった。

 「あれ、キャムルさん?フェアリーのどっちかが来るんじゃなかったでしたっけ」

 「ええ。そのつもりでしたが少し事情が変りまして。私が来た次第です」

 「……?」

俺の肩越しから顔を覗かせて質問をしたシャルに対しキャムルは含みのある返答を返す。

どうにも妙だ。直ぐに報告が聞きたくなったってわけじゃないのか?

 「ともかく行きましょうか。広間でフィルオーヌ様がお待ちです」

含みに対しての質問は受け付けないーー。そう言いたげな様子で踵を返した彼女は俺達を待たずに歩き出す。

 「…なんだ?」

 「何だろう?」

互いに顔を見合わせてみるも当然答えは出ない。

とは言え専らの問題はエルフィム達の事だけだしそれに関する事のはずだ。

……だとすれば、バベリュの事、だろうか。

 「……リューン?」

僅かな思考が俺の顔を曇らせたのだろう。シャルは不安げに顔を覗かせる。

いけない。これ以上彼女に気を使わせるのはダメだ。

 「あ、ああ?そうだな、行こう」

 「…うん」

鞘魂や喪心を生む考えを追いだしてキャムルの後をシャルと共に追いかける。

しかし思った以上に彼女は歩くのが早く、追いついた頃にはフィルオーヌの待つ広間の扉の前だった。

 「中へどうぞ」

 「お、おう」

 「……何故息が?」

 「い、いえ。気にしないでください」

 「はぁ」

考えてもみればほぼ丸一日歩き通しだった上に二度の戦闘。そしてついさっきようやく休めるかという時になってのいつまでも追いつかない早歩きだ。普段なら何の問題も無い行動のはずなのに少し息が切れてしまった。

 「早く息を整えて下さいね。失礼にあたりますから」

 「わ、分かった」

 「すぅー、はぁー。すぅーはぁー。……よし!」

シャルと共に何度か深呼吸をして呼吸を整え、待ちぼうけているキャムルに視線で合図を送る。

それを受けてからキャムルは広間に入っていった。

 「おかえり。疲れたでしょ?」

広間に入って直ぐにフィルオーヌの声が頭上から降ってくる。

相変わらず大きい姿だ。どうやって声の大きさを調整しているんだろう。

 「ああ、慣れない道だったからな」

 「思ったより疲れてるみたいです」

 「あら。確かにそうね。お話が終わったらゆっくり湯浴みをするといいですよ」

中央に向いながらフィルオーヌと他愛のない会話を交わす。

今日はどうやら俺達とキャムルとフィルオーヌしかいないらしい。前回のようにとんでもない事態というわけでは無いみたいだ。

……だとしたら尚更不思議だ。まさか、やっぱりねぎらいの言葉を掛けたくなった、なんてわけも無いだろうし。

 「さて、まずは謝罪をさせて下さい。急にお呼び立てしまった事です」

俺達が広間の中央に着き、そこにあったソファの前に立つとフィルオーヌはそう口にする。

いよいよ本題に移るんだろう。少しだけ声色が強張っている。

 「いやいいよ。何か余程の事なんだろうし」

 「そーですよ。これでも私達体力はある方ですし!」

どうやらシャルも彼女の様子の変化に気づいたらしい。冗談ぽく言葉にしてはいるが目の色が真剣さに染まりつつある。

 「…息を切らしてはいましたがね」

 「そーいうのはいいんだよキャムル」

 「承知していますよ。こちらへお掛け下さい」

それを分かっているのか何なのか、キャムルは余計な一言を漏らして俺達にソファに座るよう促した。

 「ふふ。彼女が誰かを茶化すなんて何万年ぶりでしょうね。彼らに影響でもされましたか?」

 「さぁ、どうでしょうか。私とて親から生まれた子ですから。そう言う時もあるだけでしょう」

 「ではそういう事にしておきましょう。とても好ましい変化だと思いますしね」

フィルオーヌはとても嬉しそうに……それこそ何度も笑みを溢しながらキャムルに話しかけた。

彼女も嫌ではないんだろう。今日までの間に見慣れてしまった能面のように張り付いていた無表情が僅かにだが柔らかくなっている。

けれど彼女達の間に揺蕩っていた無邪気ささえ感じる雰囲気は直ぐに散ってしまう。

 「では謝罪の件は後に致しましょう。まずは本題です。心の準備はいいですね?」

非常に重い言葉に聞こえた。

まるで声色に恐ろしさはない。しかし、これから話す内容の重大さを裏付けるかのような圧力にも似た何かが確かに感じらる。

 「……ああ。大丈夫だ」

 「私も平気です」

 「よろしい。念のため言っておきますが今ここにいる以外の誰にもこの話はしてはいけませんよ。墓場まで持って逝きなさい」

無意識の内につばを飲み込む音がした。それは俺のでもありシャルのでもある。

俺達は互いに顔を見合わせて頷き、フィルオーヌを見上げる。

……見えるのは膝だけだが、意図は伝わったらしく遥か上空で小さく頷いたような雰囲気が伺えた。

 「良い返事です。キャムル、確認ですが広間の扉は全て閉じられていますね?」

 「はい。一時的に通気口等も密閉していますので漏れる事はまずありません。酸素の消費もこの数であれば二時間以上は持ちますのでご安心下さい」

 「流石です。……では話しましょう」

度重なる確認とそれに見合った厳重さに背筋に凍ったような刺激が走る。

そして僅かに[聞きたくない]という感情が産まれてしまった。

だがそんなモノを今更フィルオーヌが考慮してくれるはずも無ければ気付くはずも無く、話は始まった。

想像を絶する内容の話が。

 「二人に問います。あなた達が運んで来たダークエルフの男・バベリュを生き返らせられるとしたらどうしますか?」





to be next story.

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