第5話 交差する意図


 エルフィムについていく事十数分。

森を進み、崖伝いに湖を渡り、森の中に出来た僅かに空間のある広間のような場所に到着する。

その中央まで進み、ふと立ち止まってついていく際にエルフィムに言われた『はぐれるな』という言葉を思い出す。

 ーー獣になった気分だったな……。

少し後ろを歩いているシャルよりも後ろをこっそり覗き見て小さくため息を漏らす。

俺達が通って来た道はどれもこれも獣道だった。舗装なんてされていないし安全性は二の次。とにかく通れればいいというそれこそ獣染みた思考でもなければ選ばないだろう道。

当然俺もシャルも獣道自体には慣れているが、妖精界のそれは俺達の世界のそれとは一線を画している。正直二度と通りたくないくらい辛かった。

……でも、帰りもあるんだよな………これ。

 「…やはり、少しきつかったか?お前達の種族には」

 「言ってろ。よゆーだっての。戦争屋だぜ?こっちはさ」

 「ふ。ならばいい。行くぞ」

 「上等」

 「ま、待ってよぉ……」

それでも、これからこいつと交渉するかもしれないんだ。舐められたらおしまいだ。

エルフィムのあからさまな挑発を気合いで笑い、余裕しゃくしゃくと言った足取りの彼についていく。

その後をシャルは戦斧の一本を杖代わりにしてゆっくりとついて来ていた。

と、言っても。その広場らしきところからはごく普通の森道を歩いただけだ。それも数分ほど。

 「ここだ。先に入ったりはするなよ?殺されても文句が言えないからな」

 「分かってる。流石にな」

 「ヒィ、ヒィ……」

立ち止まり、エルフィムが示した先にあるのは大きな洞窟。

周囲は完全に木々に囲まれており、背丈の高い草が入り口を隠すようにして伸びている。さながら天然の迷彩と言ったところだ。

 「……お前のツレ、大丈夫なのか?」

こんな場所、貰った地図をちゃんと見れても見つけられなかっただろうと考えていると不意にエルフィムがシャルに対して不信感にも似た苦言を漏らす。

彼がそう言いたくなる気持ちは分からない事も無い。実際今のシャルは身の丈に合わない武器を杖代わりにしか使えず、持て余している少女にしか見えなかった。

 「シャルか?ああ、まぁ……。うん、大丈夫だろ」

だがそんなわけはない。戦斧を振り回す事はあっても振り回される事は滅多に無い。

恐らく慣れない道を慣れない装備で歩くという緊張から発生した過度の疲労が原因だろう。心労と言ってもいいかもしれないが、どちらにしろ避けるのは難しい原因が関係している。

俺自身必要以上に疲れている自覚がある。恐らくシャルはそれが強く出てしまっているだけで少し休めば何とでもなるだろう。

そうでなければ俺よりも山で暮らしていた時間が長い彼女が俺よりも疲れるのが早い事になってしまう。

 「………曖昧だな」

 「信頼してると言ってくれ。ちょっとした問題になら首を突っ込む気にもならないってな」

 「…そういう信頼関係もあるのか?ニンゲンとは不思議だな」

 「ツーカーの仲……とは少し違うか?ま、言葉にせずとも分かるって事だ」

俺の答えを聞き、納得のいっていない顔を僅かに俯かせて小さく鼻で笑うエルフィム。

それを俺は嘲笑ではなく、恐らく彼にとっても本心だろう『そんなわけがあるのか?』という疑問から来る笑いだと受け取った。

 「って事で五分だ。五分だけ俺達を休ませてほしい」

 「中でもてなすぞ?」

 「殺されるかもしれない場所に疲れてるまま入れるかよ。それに俺は好きな物は最後に取って置く性格でな。焦らされるのが好きなんだ」

 「……下品な冗談だがまぁいいだろう。五分だけ待っててやる」

 「助かるぜ、エルフィム」

 「あふぅ…あふぅ……」

我ながら下世話な冗談をそれ以上に不快に受け取ったエルフィムは今度は間違いなく嘲笑の笑みを鼻先に浮かべると小さく手を上げた後に洞窟の中へと消えていく。

恐らく『五分後にまた来る』という意味が込められているのだろう。

 「うぅぅぅぅ!アホ!バカ!!何あの道!!!!」

 「はは、同感だよ。帰りの事を考えると今から気が重い」

 「もーー!」

エルフィムの後ろ姿が完全に洞窟の闇に消えた瞬間、シャルはそれまで待った意味が無いくらいに大きな声で不満を爆発させた。

地面にはどっかりと座り込み、とても年頃の少女とは思えない勢いで脚を広げ放っている。スカート系じゃないのに下着が覗けるんじゃないかと思ってしまうほどだ。

 「けどま、なんにせよだ。第一関門突破ってところだな」

 「まーねぇーー。このまま何事も無く進んでくれればいいんだけどさー」

 「全くだ」

背負っていた特大の剣を小脇に抱えながらシャルの隣に腰を下ろし、危うく固定ベルトから落ちそうになっている戦斧の一本を絶妙な位置に整える。

 「あ、ごめん。ありがとね」

 「いいよ。俺に倒れ掛かって来ても困るしな」

 「あっそ。そんな意地悪言ってると私一人で帰っちゃうよ?」

 「背負ってくれる相手がいなくても帰れるんならな」

 「あー!また意地悪言った!!」

お互い山の中で過ごしていたからだろう。腰を下ろして一分程度で既に呼吸は殆ど整っている。

お陰であれだけ疲労していたシャルが俺の冗談に対し非難するようにして目を細めながら睨みつけている。

彼女の疲労回復の速度を鑑みるにエルフィムに言った五分は少し長かったかもしれない。もう少しシャルを信用するべきだったようだ。

 「それにしてもさー、エルフィムさん達のおもてなしってどんな感じなんだろうね」

 「どうなんだろうな。森の中に住んでるのは住んでるわけだしやっぱり山菜とかか?」

 「洞窟って事はもしかしてコケとかキノコとかなのかな?」

 「どうだろうな。コケはともかく、カビならもしかするかもしれないな。チーズみたいな使い方してる可能性がある」

最早お互いの顔色に疲労は無い。

今俺とシャルがしているのはクールダウンによる会話ではなくただの談笑。つまりはエルフィムが戻ってくるまでの完璧とも言える休憩の時間だ。

もしもの時を考えればこの休憩はこの上なく有り難い。残りの数分を有意義に使わせてもらい、万全以上の状態に持っていかせてもらおう。

勿論、聞き耳があるかもしれない事を考慮して[フィルオーヌ]や[交渉の目的]には一切触れないようにしながら。

それをシャルも考えていたんだろう。エルフィムが戻ってくるまでの間、この二つに繋がりそうな話題には一度も振れなかった。

 「……驚いたな。きっかり五分で戻って来たのに本当に回復している」

 「だから言っただろ?……なんて、偉そうには言えないけどな」

 「叫ぶくらい弱っていたからか?」

 「ううっ!?聞こえてた…」

 「……。お前、嫌な性格だな?聞き逃せよそこは」

 「ふっ。下品な冗談の仕返しだ」

シャルの回復に驚き目を丸くしていたエルフィムに笑われ小さくため息が漏れる。

このままいけば戦争するかもしれないって相手に対して心を許し過ぎているか……?回避する事が大前提とは言えあまり情に流され易い関係になるのは良くないんだが。

少し気を付けなければ。

 「全く。ホントのところは一分かそのくらいで殆ど完全に回復していたんだよ。俺の信頼が脆い証明になっちまったってだけだ」

 「それこそ冗談だろう。俺は冗談は好きな方だがどうもニンゲン族とは感性が合わないみたいだな。弱く聞こえるぞ?」

 「抜かしてろ。俺達の国にゃ嘘ついたら針千本呑ませるっつー掟があるんだ。こんなくだらねー事で嘘つくかよ」

 「……野蛮だな」

 「野暮らしの種族に言われたくねぇ!!」

 「ふっ、それは中々悪くない冗談だ。褒めてやる」

 「本気だアホ!!」

気を引き締めた矢先、エルフィムの余りにトンチンカンな受け答えについムキになって言い返してしまう。

困った事にどうやらこのエルフィムという男は天然な部分があるらしい。

気を許してくれていると捉えれば決して悪くない状態ではあるが、とは言えやり辛い。流石に交渉の席ともなれば大丈夫だろうが、少しやり方を考えておいた方がいいのか……?

 「さて、こんなところで時間を浪費している場合ではなかったな。くれてやった五分で何名かにはお前達の話をする事が出来た。これで比較的穏やかに中に入れるだろう」

 「……ね、ねぇエルフィムさん。一応聞くんだけど、話してなかったらどうなってたの?」

 「俺がいる以上有り得ない話だが、最悪の場合はそれなりの怪我を負って拘束されていただろうな」

 「ちょっと!?」

 「なんだ。長が知らぬ者を引き連れて来たとなれば拘束され居所を吐いたと考えるのが自然だろう。……ま、俺は強いからその心配をする者は恐らくいないだろうがな。だが念には念を入れないと。と、可能性だけで話すならこんなところだ」

僅かに訪れた不穏な空気の正体を探るためのシャルの質問に対し返って来たエルフィムの答え。

それは少々……いやかなり頭を悩ませる答えだ。

勢いに任せて行かなくてよかった。

 「ねぇリューン!?この人怖い!!」

 「俺はヒト……?ではなくダークエルフだが?」

 「バカ!アホ!」

 「バカ…は分からないが阿呆は悪口だな。成る程。察するにバカとは知性を疑う言葉か?」

 「ねぇ!!話が出来ないんだけど!?リューン!!」

遠慮のないシャルの言葉を持ち前の天然具合で返す事で浅いのに複雑な言い合いが始まる。

できれば巻き込まないでもらいたいんだが……。

 「リューン!?聞いてる!?」

まぁ、こうなるよな。

 「さて、馬鹿とはどういう意味なのだろうか。教えてもらえるか?」

シャルへの返答に困り…というより、口を出す事で余計に収拾がつかなくなる点も考えて黙っていたが逆効果になってしまったらしい。俺の意志とは関係なく会話に巻き込まれてしまった。

 「分かった!!なんでもいいからさっさと連れてってくれ!!」

 「リューン!?」

 「うるさい!気持ちは分かるが異国の感性に真っ向から向かおうとしたお前が悪い!!少しは疑ってかかれ!」

 「そうだけど!酷い!!」

 「喧嘩とは醜いな……。で、案内を始めていいのか?」

 「「誰のせいで!」」

 「!?」

今の一喝にエルフィムは意外といった顔で左眼を見開き、シャルは俺と合わせたように声を張り上げた。

かなり強引にではあるが何とか話はおさまった。……代償にシャルは少し不機嫌になってしまったが。

それでもこれ以上無駄な事に時間を掛けていても仕方がない。首をひねりながら心外そうに驚いているエルフィムに案内を促し、俺達は武器を厳重に背負ってから洞窟に足を踏み入れた。

……そして。

 「……こいつは」

 「ホントに、洞窟なの……?」

 「確かに、[元]と付けた方がいいかもしれないな。今では四十近い大所帯だ。それでもランゲドの中では中規模に入れるかどうかだがな」

洞窟の入り口は薄暗く、ならば中は精々が松明で照らされている程度だろうと思っていたがその予想は大きく外れた。

意図せず俺とシャルの脚は止まってしまい、完全な別世界に見入ってしまっている。

入り口は何らかの薄い膜で暗闇を偽装していて、そこを潜り抜ければシャルの世界ですら見られなかった電気のような設備が何本ものチューブに入れられて洞窟の天井に等間隔で奥まで伸びている。

これで本当に洞窟内に集落相当の居住区画と共有区画があるのだとすればどこかで分岐して他の部屋にも繋がっている事になるが、この一点だけを見てもフィルオーヌの居る妖精城とは一線を画す技術レベルだ。

幾らあの蝋燭が明るいとは言っても所詮蝋燭は蝋燭。電気が普及した理由を考えれば格の違いは歴然だろう。

つまり、少なくともこの洞窟のダークエルフ達は完全に夜を克服している事になる。

 「こ、これはなんて言うんだ?」

未だに開いた口が塞がらないまま天井を指さし電気設備についてエルフィムに尋ねる。

下手をすれば電気よりも柔らかく明るいかもしれないそれを。

 「これか?これは通光虫を透草の管の中に閉じ込めて仮死状態にし、半永久的に明かりを灯させる設備だ。通光透(つうこうとう)と言う」

 「す、すごいねこれ……。蝋燭よりも明るいよ……?」

 「当たり前だ。あんな前時代的な物がこんな洞窟で使えるわけないだろう」

端的に説明をし終え歩き出すエルフィムに慌ててついていく俺とシャル。

その道のりは軽く、地面を見てみれば限りなく平らに舗装されている。両脇の壁も同様に平面だ。

電気に類する物が設置されている以上整備されているのは当然だろうが、この洞窟の生活レベルは外見に反し本当に高い。

改めて天井を見上げてみると通気口のような穴とそれを覆う木製の柵まである。一体どれだけの技術があれば洞窟としての性質を残しながらここまでの利便性を構築できるのだろうか。

これだけ整えられた場所だ。四十近くのエルフやフェアリーが生活していたとしても不思議はない。だとしたらエルフィムの言っていたように洞窟と呼ぶべきではないだろう。

言うなれば広くて過ごしやすく整えられた防空壕だろうか。

 「さて、着いたぞ。ここが集会場だ」

驚愕収まらぬままエルフィムの後に続くばかりだった俺とシャルは彼に言われて初めて正面を直視する。

そこには掘り出したらしい物や恐らく足りなくなって木で作り足したのだろう長テーブルが等間隔に並べられた巨大な空間があった。

一つの長テーブルにつき六つ、座り心地の良さそうな一人掛けの椅子が備え付けられている。そして部屋の中央に位置する壁には書き込むのに使っているのだろう大きなボードが掛けられている。

材質は木製のように見えるが書いては消しての跡があるのを見るに少し特殊な加工をしているのかもしれない。

 「待っていろ。今対話の代表を連れて来る。適当に座っていろ」

 「あ、ああ」

 「お願い、します」

案内された空間の広さとそこに至るまでの設備の良さ……。

あれほど舐められてはいけないと自分に言い聞かせていたにも関わらず俺は既に圧倒されてしまっていた。

それは隣に腰を下ろしているシャルも同様だったようで文字通り開いた口が塞がっていない。

……無理も無い。明かりという一点に於いては確実にシャルの住んでいた剣魔界よりも技術が上だったのだから。俺が知る限りあの世界はアルコールランプやランタンが技術の限界だった。勿論城に行けば物量でこの部屋と同等かそれ以上の明るさは確保できるがコストがかかり過ぎて一般的じゃ無い。

もてなしの料理がカビだのコケだのと言っていたのが嘘のようだ。

 「……待たせたな、連れて来たぞ」

 「なに?これがエルフィムの言ってたニンゲンって生き物?耳が丸ければちんまいのね」

 「……成る程。少なくとも悪ではないようだね」

エルフィムの声がし、立ち上がりながら振り向いた先にいたのは彼を含む三名のダークエルフ。

一名はチューブトップのような上着と最早前掛けと変わらないスリットの切り込みが深く長いズボンに白いハイニーソを履いた蠱惑的な女性。

もう一名は露出度の高い二名とは打って変わってごく一般的な半そでとロングスカートを着た両目を瞑った女性……いや、男性だ。

女性の方は俺達に対して露骨なまでの警戒心を露わにしているが男性の方はそういった雰囲気が一切ない。先程口走っていた言葉は本心なのだろうか。

 「紹介する。彼女はデ・カルサ。俺の右腕だ。そして彼はド・ダモルファ。ここに住む全員の相談役となっていて左腕を任せている」

 「よろ~」

 「よろしく。異世界の旅行者さん」

 「あ、一応あーしらだけでここを回してるから何かあったら大変だからな?変な気、起こすなよ」

カルサの鋭い視線で自己紹介が終わる。

ざっと見た感じ武器の類は誰も携帯していなさそうだが、彼女にだけは気を付けておいた方がよさそうだ。……明らかに何かを企んでいる。

 「そうか。カルサ、ダモルファ、よろしく。俺はリューンで」

 「私がシャル。よろしくね、カルサさん、ダモルファさん」

 「もう聞いてるかもしれないが俺達は元の世界では傭兵をやってた。所謂戦争屋だが、こっちじゃ戦争は珍しいんだって?」

一先ず友好的であると示すためにエルフィムにもしたように握手を求める。

それを視たカルサはエルフィムに視線を向けると彼の頷きを確認してから俺の握手に応じた。

 「本当にすんだな。間抜けっぽ」

 「はは。すぐ武器に手を伸ばせないからか?」

 「……へぇ、察しいいじゃん」

 「まさか。これは敵意が無い事を表す行為だからな。その辺も織り込み済みなのさ」

 「ふぅん。…めんどくせぇのな、ニンゲンって」

 「同感だ」

カルサの必要以上に力強い握手に歪みそうになる顔を何とか保たせ平静を装う。

異常な握力というわけでは無い。だが敵に回しても平気かと問われると首を横に振るしかない。……そんな実力の持ち主だろうか。

 「では、私とも」

 「ああ、よろしく」

薄っすらと笑みを見せながらカルサは俺の手を離し、次いで求めて来たダモルファと握手を交わそうとする。

 「あんたもやっとく?」

 「あ、じゃあおねが……痛い!?」

その隣で同じ洗礼を受けたシャルは我慢する余裕も無く悲痛な声を上げていた。

それをおかしく思ったのかカルサはいたずらな笑みを満面に浮かべて反対の手でシャルを指さした。

 「全く、ごっこ遊びじゃないんだからやめなさい。彼らはお客なんだよ?」

 「分かってるって。今のでおしまいにするからさ」

 「彼らしかいないんだから当然だろう……。申し訳ない。これでも彼女は我々の中では温厚な方なんだ。勘弁してあげて欲しい」

特に悪びれる様子も無いカルサにため息交じりの不満を漏らしたダモルファは引き気味になってしまった手を謝罪と共にもう一度差し伸ばしてくる。

 「ああ。ま、握力勝負なら普通だからな。気にしちゃいないさ」

俺はそれを受け容れ、さっきとはまるで違う普通の握手を彼と交わした。

……その手は柔らかく、恐らく戦闘とは無縁なんだろうと感じられるほどだ。

ただ、指にタコのようなモノはある。ペンダコのような何かだろうか?

 「挨拶は済んだな。では本題だ」

返答を待たずに俺とシャルの対面側真ん中に腰を下ろすエルフィムに倣い俺達も再び椅子に座ろうと背もたれに手を掛ける。

瞬間だった。

 「まどるっこしい。敵だって分かってんだからさ、そうすりゃいいんだよ」

目の前にいたはずのカルサが刹那に消える。

かと思った時には既に、腹部には吐き気を最大限に引き出す圧迫感と痛烈な衝撃が現れ俺を後方へと吹き飛ばしていた。

 「…な!?」

 「りゅ、リューン!?」

瞬く間に視界の先が遠ざかっていく。

 「ほい、お次!」

 「この…っ!!」

 「お?やるじゃん」

その最中に辛うじて確認できたのは俺と同様にカルサから奇襲を受けたシャルが戦斧の一本を使って間一髪のところで防いでいる様子だった。

 「今行くから!!!」

 「あいあい。その方が好都合♪」

焦るシャルの声が聞こえる。

多分、全力で追いかけて来てくれてるんだろう。けど間に合わない。

今のカルサの一撃は腹部に残る魔力の残滓から推測するに補助魔法を使って脚力を跳ね上げてから放った一撃だ。だとすれば俺の身体は今とてつもない勢いで、それこそ飛行しているような状態で吹き飛んでいるんだろう。

それを自力でどうにかするのはこの体勢じゃ無理だ。ならばこの飛行が終わるのは……。

 「ぐ……!うぅ!!」

背が、何か頑丈なものにぶつかった時だ。

 「クソッ!ざまぁない……!」

背骨を通じて全身に走り猛る激痛を咳と共に吐き出し正面を見据える。

酷くぼやけた視界に捉えるのは人工的では無い光と、穴の開いた巨大な岩壁ーー洞窟。そして、俺に向って走ってくる何者かの姿達。

 「シャル!後ろだ!!」

 「了解!」

 「うお!?急転換!?!?」

先に駆けて来ていたシャルに叫び、意味を理解した彼女は即座に戦斧を引き抜き振り向きながらブーメランの要領で投擲する。

 「ばっか!!刃物投げたらアブねーだろーーが!!」

轟音と僅かな風を巻き起こす戦斧はカルサの服部目掛けて回転飛行する。

しかし彼女はそれを難なく飛び上がって避けるとその勢いを利用してシャルに飛び蹴りを仕掛けた。

 「とりゃぁぁぁ!」

 「お腹に蹴りも!危ないでしょ!!!」

 「そりゃ避けねーのが悪いっしょ!!」

 「減らず口!!」

一瞬の判断が生死を別つ中でシャルは迷わず背負っていたもう一本の戦斧を胸の前に出すと腹を表にして構えカルサを迎え討つ。

 「受けきれっか~!?」

 「受けきるの!!!」

彼女達の声が交わると同時、鈍く重い金属が弾ける音が響く。

音の元は戦斧の腹とカルサの足裏。

それらは僅かな時間金属の金切り音と火花を咲かせて競り合うとシャルを僅かに後ずさりさせる事で収束する。

 「へ~、ホントに耐えた」

 「とーぜん……!」

小さく息を荒げるシャルは風切り音を立てて回転飛来する戦斧の柄を見もせずに掴み、彼女は受けに使った方の戦斧を背負い直す。

 「悪いシャル。俺のせいで余計な襲撃を受けさせた」

 「冗談。どうせ奇襲かどうかの違いしかなかったんだから大丈夫」

シャルの直ぐ傍に立ちながらそう言い何度か頭を振ってぐらつく視界に喝を入れながら激痛を押して背中の特大の剣に手を伸ばす。

背負っていた武器が剥き身の剣でよかった。これで装飾の施された鞘なんかに入れていたら突起とかで木に激突した際に更に余計なダメージを負っていただろう。

 「あちゃあ。結構頑丈なんだ。普通折れると思うんだけどね、背骨とか肋骨とかさ。それともヒトってあーしらと作りが違う?」

 「どうだかな。同じ人型だしそう違わないんじゃないか?なぁ、若作り」

 「……生意気言うじゃん」

どこに隠していたのか……。カルサは右手に持った何かを引き抜くようにして空高く掲げる。

伸び出てくるのは緑色をした細長い紐のような何かーー鞭。

 「フィルオーヌのクソッタレの差し金だろ?目的はあーしらの大将の首か拠点の破壊か。どっちにしろやらせるわけねーよね??」

カルサは怒りを孕んだ声でそう言いながら縦横無尽に鞭を振るい、巻き起こる砂煙ごと空を切る。

鋭く響くその音は何か根源的な恐怖を俺に覚えさせ、一瞬だけ後退を考えさせる。

 「だったらエルフィムを生かして返すわけないだろ?って事は殺り合いに来たわけじゃないって分かるはずだ」

 「脅して連れて来たって思わね?武装してるんだしよーお?」

 「なら最初に単独で入って行ったのはどう説明するの!?」

 「魔法で操ってるとか?あるだろ?そーいうのさ」

 「っ!あー言えばこー言う!!」

渦を巻くように、或いは竜巻が起こるかのように、カルサは鞭を振り回しながら無茶苦茶に近い見解を口にする。

無論彼女の言うような手段を使えばエルフィムをここまで操る事だってできるかもしれない。だがそうだという確信も無く彼女は俺達に明確な殺意を向けて来た。

ダルモファは彼女の事を『温厚な方』だと言ったがーー今となっては単なる嘘の可能性が高いがーーとてもじゃないが冷静な会話が成立するとは思えない。

これでは誤解の解きようがない。……いや、正確には半分は合ってはいるが……。そのせいで余計に話が面倒になってしまっている。

そんな中でどうやって争いを治めればいい……?

 「おしゃべりも良ーけどよー、来ないならあーしから行っちゃうよ?」

事態の集束を模索する中に届くのはカルサの殺意に満ちた声。……そして、高圧的なまでに跳ね回る鞭の音。

 「来るよリューン!」

 「分かってる!!」

俺達が声を掛け合うと同時、カルサは鞭で正面を振り払い砂埃を巻き上げながら駆け抜けて来る。

待て。巻き起こしたんじゃない……地面が鞭の先端で抉れている!?

 「冗談だろ!?」

鎌鼬にも似た風と共に飛来する幾つもの土片を腕で防ぎ、その隙間から正面を覗き見る。

 「まだまだこんなもんじゃないよ~~!!」

見えるのは駆ける足を止めずに迫りながら再び正面を薙ぎ払うカルサの鞭だ。

鋭利に過ぎる殺意が眼前まで迫っている。だが避けられない距離ではない。

……いや?

 ーー辛うじて届かない?なら目的はなんだ……!

 「すかした!?リューンは!?」

 「こっちもだ!けど油断するなよ!!」

鼻先を鞭が作った疾風が掠めていく。しかし俺にもシャルにも当たってはいない。

だが脅しの一撃では決してない。だとすれば……。だとすれば…!!

 「シャル!」

 「リューン!?」

答えを口にするよりも速く身体がシャルに飛びついていた。

覆い隠すように、決して相手の思惑通りにいかないように。

 「へぇ、やっぱ察しいいじゃんか。お前」

シャルと共に地面に飛び込む俺の頭の上を太い木の枝が通過していく。

辛うじて目で捉えられたのはその木の枝に何かが巻き付いていた事だけ。

……[何か]?そんなの確かめるまでも無い。

カルサは薙ぎ払った後、上空へと運んだ鞭の先端を俺達の頭上にあった木の枝に巻き付けて引き抜くと同時に折ってシャルの上に落ちるよう仕向けたんだ。

あんな太さの枝が襲い掛かってきたら首の骨くらい簡単に折れるぞ……!

 ーー背後が森なのを忘れていた。幹は俺より後ろでも枝は俺よりも前に伸びていたっておかしくは無い……!

 「でも、追撃は忘れちゃった?」

 「ぐっ…!」

地面に倒れ込んだ衝撃に身体が反応するよりも早くカルサに振り向く。

視線の先では鞭が巻き付いていた枝を後方に捨てて更なる攻撃動作に移っている彼女がいる。

今度のはさっきよりももっと近い位置に移動しての一撃だ。間違いなく当たる。

しかも、予備動作が長く深い。当たれば下手すれば致命傷だ……!!

 「リューン!早く退いて!!」

 「バカ言うな!俺が退けてもお前に当たるだろうが!」

今ならまだ辛うじて避けられる。だがそれは二人同時では絶対にあり得ない。

無傷でいられるのはどちらかのみだ……!

 「だから何!?一緒に食らうよりマシでしょ!!」

だがシャルは譲らなかった。

 「クソ!シャル!!言う事を……!」

 「リューンこそ!!」

 「随分余裕あるんじゃねーの!?乳繰り合えるなんてさぁ!!」

カルサの怒声を鞭の音が掻き切りながら飛来してくる。

速度は速く、威力は重く鋭い。ーーそう確信させるだけの一撃だ。

言い合いをしていたツケだ。どちらかだけでも無傷で避ける事はもう叶わない。

……なら!

 「だったら……!掴まってろよ!!」

 「ちょ、何を…!」

抱きかかえたままだったシャルをより強く抱きしめ大地に手をかざす。

そして詠唱を行った。

 「生まれし星!輝きの地を隠し、刹那を持って永久(とこしえ)を成して従属の滴りを吊るす!我、汝の王。我、汝に宿命を与えん!!」

これは従属の呪い。これは、使役を示す呪(まじない)。

故に、使役を示す魔法。

 「なーに喋ってんだよ今度はさぁ!!」

シャルに覆いかぶさる俺に鞭が当たると確信して喜んでいるのだろう。カルサは叫びながら次に備えて腕を引き抜くと三撃目の準備を行いながら鞭の先端を俺に当てようとした。

 「分かったら!!俺に力を貸せ!!!!」

刹那。俺の背後に鋭さと同時に鈍さを覚える激痛を想起させる鋭利な風が首から腰までを一直線に駆け抜ける。

だが、同じ場所で更なる追撃は決して受けない。

何故なら詠唱が間にあったからだ。

かざした先にある無機物を操る使役の魔法を。

 「バカ!!何で一人だけでも避けなかったの!?」

 「滅茶苦茶痛いからだ!鎧の上でこれだけ感じるなら、露出してるお前は骨まで裂けてる!!」

 「リューンのは軽装鎧でしょ!?私のは魔力で露出部分も守られてるから見た目以上に頑丈なの!!知ってるでしょ!?」

 「だからってほっぽり出して逃げられるか!!」

カルサを大きく見下ろせるような位置で言い合いをしながら緩やかに治まる隆起に乗って俺とシャルは地面に降り立つ。

確かに彼女の鎧の頑丈さは何度も聞かされた。人生で一番高い買い物だったと自慢を何度も受けていた。

けれど、それを理由に一人だけで逃げるのを納得できるほど付き合いは浅くないんだ。見捨てられるわけがない。

 「な……!お前、使役魔法が使えるのかよ!!聞いて無いんだけど!?」

 「言うわけないだろ!手の内なんだから!」

 「くっっそ!舐めてくれるじゃんか!!」

少しずつ失われていく地面の所有権を足元で感じながら隆起の代償として払った陥没が直っていく中で、カルサは苛立ちのままに鞭で地面を思いきり叩く。

彼女の顔は苦々しく歪んでいき、美しさが狂気に塗り替わっていく。

 「……しかも、そんだけの大剣だ。他に出来るのは身体強化だけじゃあないよねぇ」

 「さて、どうだかな」

一度の打ち付けでカルサの怒りが収まった様子は無い。だが、暴力的な感情の発露はそれ以上は見られなかった。

寧ろ次の攻撃の準備のために何かを企んでいる様子だ。

 「……リューン、さっきの話は後。今は取り合えずあのダークエルフをどうにかしよう」

 「ああ。賛成だ」

 「それには及ばない」

今度こそ俺は特大の剣を握り、戦斧を手にしたシャルと共にカルサと対峙した時に届く男の声。

それはカルサの後ろからした。

 「……エルフィムゥ。なんか文句でも~?」

 「ああ。やり過ぎだ」

 「あぁ?」

 「その通りだよカルサ。出迎えにしてもやり過ぎだ。鞭をしまいなさい」

 「……ダモルファまでそんな事言うのかよ~」

振り向き、苛立ちのままに返すカルサの前にいるのはエルフィムとダモルファ。

少し以上に遅い登場のような気もするがどうやら彼らは争いを……というよりカルサを止めに来てくれたみたいだ。

 「何を言ってるんだ。私は元々争いは好まないたちだろ?さ、しまいなさい」

 「……チッ。頭格のお前らに言われちゃあしまうしかないか」

最後に一度だけ、大きく鞭を地面に叩きつけるとカルサは新体操のリボンが渦巻くように鞭を回しながら腕を掲げ手に巻き付けるようにして脇を通して持ち手ごと服の何処かにしまい入れた。

……ブラっぽい上着の何処かに。

凄いな……。バストがアップしている様子も無ければ不自然に膨らんでいる様子も無い。どういう仕組みなんだ?

 「悪かったな。ダモルファに聞いたんだがどうやらカルサはかなり苛立っていたらしい。そのせいでこうなったみたいだ」

 「制止しきれず申し訳ない。思っていた以上に彼女は気が立っていたみたいで……。どうか許して欲しい」

思わず武器の隠しどころに見入ってしまっていると、不服そうなカルサの前に出て来たダモルファは胸元に手を当てて心臓の位置を示すように親指と人差し指を広げる。

…何を意図しているんだ?言葉のまま受け取るなら謝罪のはずだが……。

 「…ああ、そうか。君達の世界では謝罪の仕方が違うんだね」

シャルと顔を見合わせ困惑しているとダモルファはどこか申し訳なさそうに漏らして行動の意味を教えてくれた。

 「これは私達の世界では最上級とされる謝罪の一つでね。『私の心臓はここにある』と示す事で命を奪っても構わないと表しているんだ。それだけの覚悟と意味があるんだと思ってくれ」

ダモルファはそう言いながらポケットから取り出した竹が持ち手の折り畳みナイフの刃を露わにすると指と指で示していた心臓のある空間に突き立てる。

 「そういうわけなんだ。本当なら槍や矢で攻撃してもらうのが反撃を気にしないでいいから推奨されている方法なんだけど、残念な事に私は今これしか持っていないんだ。どうか彼女を許して欲しい。許してくれるならこの刃を深く突き刺してくれても構わないし、許せなかったとしても突き刺す事で一先ず手打ちにしてもらいたい」

ナイフを突き立てたまま指を這うようにして柄から刃に持ち手を変えてつまむダモルファ。

その本来の持ち手は俺に向けられている。

その気になれば一息で詰められる位置で、だ。

 「………。いや、もういいさ。こっちだって殺すかどうか迷ってた。遅かれ早かれお互い様の状態になったはずだ。だからその謝罪を受け入れるよ」

 「…うん。私も。できればもう襲って欲しくないけどね」

 「全くだな」

シャルと冗談ぽく笑い共に武器を収める。

こんなところで何の意味も無く殺し合いをしてもそもそもの目的とかけ離れている。それに元々戦いを辞めたいと思っていたんだからダモルファの申し出は助かるとしか言いようがない。つまるところ断る理由が無い。

 「そうかい。それは僥倖だね。ありがとう。……ほら、カルサも謝って!」

 「えぇ~。すんませーしたー」

まるで悪びれる様子も無く。カルサはいけしゃあしゃあと謝罪に当たるだろう言葉を口にする。

それを俺とシャルはどう受け取ったものかと顔を見合わせ、結局愛想笑いに近い引きつった笑みを浮かべる事で事態は収束する。

……それにしてもあのダモルファというダークエルフ。どこまでが計算だったんだ?

本当に命をなげうって謝罪しようと思っただけか?或いは、あそこまですれば引いてくれると高を括った………?

いずれにしろとんでもない度胸だ。まともとは言い難い。

 ーー侮れないな。

もしかしたらエルフィムやカルサなんかよりもよほど手ごわいかもしれない。

 「さて、では改めて対話だ。ついて来い」

 「実りある時間だと嬉しいね」

 「べ~だ。次はぶっ殺してやるからな」

 「カルサ!!」

 「へーいへいへいへい」

 「お前、次は寝不足にならないよう気を付けるんだぞ」

エルフィムを先頭にカルサを叱りながらダモルファ達は洞窟の中へと入っていく。

その後を追うべきなのか一瞬俺は迷った。

隣からの視線に気が付きシャルと顔を見合わせると、彼女も俺と同じ考えを持っているようだった。

同じ疑念。それは罠なのではないかという疑いだ。

奇襲による緊張と謝罪による緩和ーー。これが彼ら流の交渉術だった場合、緩和した心持のまま次にあの中に入った時が最期かもしれない。

……しかし、どんな内容であってもフィルオーヌ達に話を持って帰らなければならない以上ここで帰るわけにはいかないのもまた事実だ。

 「ああ。次は奇襲なんてやめてくれよ」

 「ふっ。その皮肉は嫌いじゃない」

 「本気だっ!」

意を決して平静を装いエルフィムに返事を返し彼らの後に続く。

次はあんな無様な真似はしない。緊張も一秒たりとも解かない。そうすれば問題は何もない。

自分にそう言い聞かせ、また、シャルにも意を決めてもらい改めて中へと入って行った。

エルフィム達の拠点である洞窟に。




to be next story.

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