第4話 動き始める世界
フィリーとシュイーに叩き起こされ急いで支度を終えた俺とシャルは昨日訪れたフィルオーヌのいる部屋に駆け込んだ。
そこにはフィルオーヌの足元にいるキャムルだけでなく数多くのフェアリー達が集まっていた。
皆例外なく血相を変えた顔をしている。……本当に何が起きたんだ?
「…おはようございます、二人とも。我々のもてなしが充分だったかを伺いたいところですか今はそれどころではありません」
「な、何があったんだよ」
フィルオーヌのあからさまに緊張している声色に思わず唾液を飲み込んでしまう。
隣にいるシャルの喉が鳴る音も聞こえた。俺同様ただならぬ雰囲気を感じているらしい。
「……詳細は省きますが、昨晩近隣の集落を見回らせていたフェアリー達から報告があったのです。約四十カ所ある近隣集落の内半数のニ十カ所で、住人全員が堕天したと」
「…な」
「そ、それって……!」
「ええ。異常事態です。私が妖精界を治めるようになってから約八千万年。こんな事は一度たりともありはしませんでした」
粛々とした口調でそう告げられ事の異常さがより強く理解されていく。
八千万年近く無かった出来事か唐突に起きるーー。
そんなのは考えるまでも無く意図的によって引き起こされている事件だ。
「ら、ランゲドの仕業…なの?」
不安げに口を開いたシャルにキャムルの視線が向く。
けれど彼女は一言も発さずにただ一度だけ頷き、代わりに重々しく口を開いたのはフィルオーヌだ。
「これは由々しき事態です。我々エルフは妖精界の調停を担い、フェアリーはそれを補助するのが絶対の習わし。しかし堕天したエルフが調停に手を貸す事はなく、フェアリーは奔放になってしまう。ではもしもこの堕天側が我々よりも増えたらどうなるのか……。答えは、遠くない未来に妖精界が破滅するという事に他なりません」
フィルオーヌは言葉を紡いでいく。一言を発するごとに危機感の増していく重力の感じる声色で。
その中で何故か俺は……。俺は、彼女の語り口調以外に妙な胸騒ぎを覚えた。
「なれど彼らはーーランゲドは、私達の言葉に耳を貸そうとはこれまでしてきませんでした。無論彼らとて元から堕天していたわけではありません。ならば今言葉にした法則は承知のはずなのです」
初めはなんとなく引っかかる程度だった胸騒ぎはフィルオーヌが話を続ければ続けるほど大きくなっていき無視できなくなっていく。
「では何故、今回ランゲドは爆発的に仲間を増やすような行為をしたのでしょうか。それは我々に明確な敵意があるからです。だとすればもう下手に出てはいられません」
俺が彼女の話よりも胸騒ぎに意識の多くを向けざるを得なくなった時、フィルオーヌが深く息を吸った。
そして次の瞬間、彼女はーー。
「故に、妖精界の長として、信仰を集める神として我、ラ・フィルオーヌは決断致しました。彼らランゲドとのたたか……」
「ま、待てよ!!」
彼女は、明らかに戦の口火を切ろうとした。
そしてそれこそが俺の中で生まれていた胸騒ぎの正体であり、絶対に言わせてはならない言葉だと瞬時に確信が持てた。
だからこそ、他のフェアリー達の視線が集まろうとも俺はフィルオーヌの言葉を遮らなければならなかった。
「待てよフィルオーヌ。た、確かに俺はこの世界に明るくは無い。けど、何をどうしたら世界が滅茶苦茶になるかは承知してるつもりだ。今口走ろうとしたそれ……。それだけは駄目だ。別にこれが初めてってわけじゃないだろうし今も集落同士の小競り合いはあるのかもしれない。けど、頭が指揮取って始めたら待ってるのは破滅だけだ」
「……では、なんとするのでしょう。異世界からの転移者・リューン。我々の世界には無い答えを貴方は持っているのでしょうか?」
肝が冷えるほどのゾッとする冷たい言葉が俺に向けられる。
膝が、肩が、微かに震えを起こす。
とても昨日話していた優しそうな雰囲気のフィルオーヌが発しているとは思えない。
恐ろしい。実際の大きさ以上にフィルオーヌが大きく感じるしそれ以上に言い様の無い恐ろしさが俺に冷や汗を流させるほど襲ってくる。
「………………俺が行ってくる」
それでも言わなければと思った。
恐怖で乾いて張り付いた舌を無理矢理動かしてでも言葉にし、その場しのぎだったとしても俺に出来る事をしなければならないと思った。
「俺が行って直接話を聞いてくる。全面戦争はそれからでも遅くはないはずだ」
でなければ…。このまま戦争になってしまえば、シャルのように親を亡くし悲しむ家族が現れるのは時間の問題だからだ。
もしもそうなってしまえば俺は絶対に後悔する。
あの日、部外者だった俺ですらあの体たらくだったんだ。家族や近しい人達がどれほどの想いをするのかなんて想像もしたくない。
「…何を言ってるんです、貴方」
俺の発言に対し、最初に言葉を返してきたのはフィルオーヌではなくキャムルだ。
彼女は……表情からは少しも伺えないが雰囲気が明確に語っていた。私は強い怒りを覚えているぞと。
「フィルオーヌ様が早計に過ぎる浅慮で答えを出したとでも思っているんですか?寧ろその逆なんですよ。少々出発の遅れが出るだろうと予測できるとは言えそれでもフィルオーヌ様は争いを我々に任せて近々には旅立たなければならない。それがどれほど心苦しく恨みを買う行為か分かりますか?下手をすれば数千万年続いたこの世界の信仰が崩壊するんですよ?」
淡々と、けれどより明確に。怒りが俺に向けられる。
「そもそも、この考えは一千万年近く前から考慮されていた事なんです。対話を求めていた歴史はそれよりも遥かに古い。それを昨日今日状況を知っただけの貴方が話に行って何になるんですか?」
全くもってその通りだと思った。
冷徹ささえ覚える口調ではあるがキャムルの言葉は実際正しい。
俺はこの世界に来て二日も経ってない。状況だってはっきり言ってしまえば二割も分かっては無いだろう。
だけど、そんな程度の理由でこれから目の前で宣言される悲劇の序幕を見過ごしていい理由にはならない。
「分からない。だから行くんだ」
行く理由は何だっていい。
向こうにしてみれば俺という存在は完全に予想外なはずだ。そんな相手が目の前に現れ、戦いを止めようとしたらどんな反応を示すのかを試す価値はある。
「そんな曖昧な考えで国政に口を出さないで貰えますか?もしも貴方が話に行って状況が悪化したらどう責任を取るつもりなんですか?」
……当然の反応だ。
部外者が口を出していい内容じゃないのは百も承知だ。だから、部外者がやった事にしてもらえばいい。
「俺だってただ話に行くだけのつもりじゃない。仮に本当にそのランゲドって奴らに敵意があって、争いが避けられないって言うのなら、口火は俺が切る」
「……何ですって?意味を分かって言ってるんですか?」
そこで初めてキャムルの表情が微かに動いた。
「ああ。少なくとも、そうすればフィルオーヌは仕方なく戦いを始めたって体には出来る。そうすれば最低限守れるんじゃないのか?尊敬や信仰が」
「つまり貴方は、末代まで背負うだろう汚名を敢えて着るつもりでいる、と?そんな事をして一体何の得があるんですか?」
眉根を僅かにひそめ、訝しんだような声色でそう問われる。
その答えは一つだ。
「損得なんか知るかよ。言い出した事の責任を取れって言ったのはそっちだしな。それに俺は戦争っていうのが大っ嫌いなんだ。どうしても損得で勘定しろって言うならそれだな。上手くいけば戦争が止められるかもしれない。それだけで俺には充分な行動理由になる」
「そんな浅はかな……!」
貼り付けていたような平静さがキャムルの顔から消え、俺を睨みつけながら怒りを露わにする。掴みかかって来てもおかしくない剣幕だ。
けれどそれを制する者がいた。
「もうよいです、キャムル」
「フィルオーヌ様!?」
「もう、よいです」
それまで沈黙していたフィルオーヌだ。
だが彼女の声はキャムルを止めるだけではなく、何かを覚悟しているようなそんな様子が伺えた。
「リューン。貴方のその考えに乗ってみましょう」
その覚悟は俺の意見を呑む決心をしたからだったらしい。
それまで下から覗き見えなかったフィルオーヌの目が俺を見下ろしている。細く開かれた瞼から覗き見えるのは身震いするくらいに真っ直ぐな視線だ。
「フィルオーヌ様!?しかし!!」
「彼の言うような希望が微かにでも望めるのならそこに賭けるのは決して悪い事ではありません。私としても争いは何としても避けたいですから。……ですが一つだけ条件があります」
「…条件?」
「ええ。もしも戦わなければなった時、そしてそれが口火になったとしても、決して貴方の責任にはさせません。全ての責任は、座するだけで解決に至れなかった私にあるのです。今更他の者に擦り付けるような真似は決してできません。それは八千万年間にわたって私を長として、或いは神として認めてくれていたこの世界の住人全てに対する裏切りに他ならないのですから」
視線を逸らさずにフィルオーヌははっきりと言いきった。
どう考えても自分にとって不利になる条件を。それも今の地位とは真逆どころの話ではない侮蔑の念を集めるかもしれないのにだ。
「けど、それじゃ俺が行く理由の半分が……」
「いいですね。これは絶対に譲れない条件です。これが吞めないのであればあなた方二人をこの城から一歩として出しはしません。分かりましたか」
取り付く島も無い、強引なまでの言い渡しに一瞬言葉が出なくなる。
これじゃまるで脅迫だ。しかも脅迫する側にとって不利な条件を本人が言っているんだからあべこべだと言っていい。
…それとも、これが大勢の者の上に立つ存在の在り方、なんだろうか。
「如何しますか、リューン」
「……ねぇ、リューン?」
「……あ、ああ、分かった。要は俺が話を付けてくればいいってだけの話だ。目的は何も変わってないんだから迷う必要は無かったな。その条件でいい」
「よろしい。でしたらフェアリーを一名案内に付けますので件のランゲドのリーダーに会って話をしてきてみてください」
フィルオーヌに対して覚えた不可解を追い払い彼女の言葉に頷く。
そうだ。フィルオーヌが誠実な心の持ち主だという事が分かった。それだけで今はいい。何かそれが問題になるわけでもないんだし、個人的な疑問は後で考えるか本人に直接聞けばいい。
それよりも今考えるべき事は別にある。
「……来るつもりか、シャル」
「当たり前でしょ。仲間なんだから」
案内してくれるのだろうフェアリーが俺の傍に来るのと同時に背負っている二本の戦斧に気を配り始めたシャルは何を言っても付いていくぞといったような顔つきで快い笑顔を浮かべる。
俺としては正直来てほしくは無いのだが、爆発的に戦力が増えたのかもしれない敵地に独りで赴くのは流石に心もとない。
……しかし、やっぱり止めるべきだろう。
敵の戦力が分からず、最悪の場合は戦争のきっかけになる場所だ。言い出した俺に付き合わせるわけにはいかない。それに墓前での誓いだってある。
「その考えは正しくありませんよ、リューン」
「…フィルオーヌ?」
シャルに付いてくるなと言おうとした瞬間にフィルオーヌから制止の言葉が掛けられる。
ただ、それは不満とか怒りとかが含まれているような声ではなく、寧ろ穏やかさを感じる柔らかな口調だ。
「これから先もそうやって危険だと判断したら仲間を置いていくのですか?それは仲間ではなくただの話し合い手。誰でも取って代われる泡沫なる存在。仲間とはいつ何時でも隣に在る存在の事を言うのですよ」
「……読めるのかよ、他人の考え」
「いいえ。これだけ長く生きていればそれに近い事が経験から理解できるというだけの事。そしてそれはどうでもいい事でもあります。……さて、それを聞いた上でどうされますか?」
不気味ささえ覚えるフィルオーヌの完璧な推理に俯き、覗き上げるようにして改めてシャルに視線を向ける。
そこにあるのはさっきまでの笑っていた顔ではなく真剣そのものな顔だ。
……使者に重きを置くか、生者に重きを置くか。
これはそんな単純な問題でないのは分かっている。けれど……。
「……分かったよ。連れて行く。そもそも話が上手く進めばいいだけなんだから危険がどうのとか考えるのが間違いかもしれないな」
俺には拒めなかった。危険であると分かっていてもついて行くと言ってくれたシャルの覚悟を無下にするなんて、出来なかった。
「分かればよーし。じゃ、いこっか、リューン!」
「了解」
シャルは満足げににこやかな笑みを浮かべると率先して歩き出す。
それを見た案内役のフェアリーはまだ立ち止まったままの俺とを困り気味に交互に見つめると、意を決したのか急いでシャルに向って移動を始めた。
「では改めて。よろしくお願い致します、リューン。荷の重い役割かとは思いますが上手くいく事を祈っています」
「ありがとう、フィルオーヌ。ま、神様に祈ってもらえるんだ。上手くいくに決まってるさ」
「…ふふ。そうだと良いですね」
「くれぐれも失敗の無いように。よろしくお願いしますね」
「ああ。行ってくる」
フィルオーヌの小さな笑い声と、キャムルの釘を刺すような鋭い言葉を耳に出口へ向かって歩き出す。
直ぐ近くにシャルの姿は無かったが、半分だけ開けられたままの扉の奥にフェアリーと待っている姿が目に入ったので小走りに切り替えて合流を急いだ。
ーーーー
「…僕が案内できるのはここまでです。集落としている洞窟まではそれほど遠い場所ではないですけど、一応地図も用意したので不安だったらこれで確認してください」
妖精城を出て暫く森の中を歩くと案内役のフェアリーは飛行を止めてどこにしまってあったのか腰の辺りから小さな紙を取り出す。
彼女の言うように辺りはどれも同じに見える草木ばかりで案内無しではとても移動できそうには無い。どれだけ判別できるかは分からないが地図は有り難い限りだ。
「うん、ありがとね。後は大丈夫だから」
「ああ、気を付けて帰ってくれ」
「はい。では、お気を付けて。……成功をお祈りしています」
地図を受け取り、フェアリーは最後に一礼をすると踵を返して光の球に変わりながら来た道を戻っていった。
「……さてと。って事はこの辺りから急に警戒態勢が上がるって事だよな」
「だね。気を引き締めないと」
フェアリーの見送りもそこそこに周囲に視線を配りながら俺とシャルはゆっくりと歩き出す。
いつ襲われるか分からない以上安易に地図を見て油断を作るのは愚策だ。見るにしても安心できる場所を確保してからだろう。
貰った地図は一先ずポケットにしまい、近くにあった木の一本にナイフでバツ印を書き込み、足元の特に目立っている草を半分ほど切り取る。
本当ならこうやって目印を残すのもしたくはないが、迷った時の事を考えれば絶対に知っている場所があるというのは心強い。良策とは言えないが状況判断としては間違ってないはずだ。
「けど、定期的に付けるのはまずいよね……」
俺と同じように木と草に印を残したシャルの漏らした言葉に頷く。
「だな。ここに残せるのは警戒区域との狭間だからだ。それなら他のエルフやフェアリーが危険地帯として仲間に知らせるために跡を残した可能性を相手に与えられるから多分問題ない。けど、これより奥にも残したら侵入がバレる可能性が高い」
フィルオーヌの話から察するにエルフ達は自分達の住む場所を誰かに侵されるのを極端に嫌っている。だとすれば領域内の草木に傷を付けるのも逆鱗に触れる行為かもしれないが、逆に考えれば互いの領域を明確にしているはずだ。だとすれば野生動物と同様に目に見える場所に跡を付けているはず。
……なんて、憶測ばかり巡らせても仕方がないな。流石に準備不足だったか?
「まぁ、潜入するわけじゃないからバレてもいいんだけど……」
「難しいところだよなぁ。迎え撃たれるのも奇襲だと思われるのも上手くないんだし……」
そう。とは言えなのだ。
話をしたい俺達としては襲撃の類だと思われるのは非常にマズい。けれど侵入がバレたせいで罠を張って待ち受けられでもしたら安全が極端に損なわれてしまう。現状、二択に思えて事実上は一択。しかも悪い答えときた。
はっきり言って、詰みに近い。
だからと言って手離しにできるような良い方法も思い浮かばないし、どうしたものか。
「……仕方ない。とりあえず行こう。歩きながら何か考えよう」
「そうだね。ここで立ってて相手に見つかるのも良くないし」
数秒考えたが良い方法は欠片も思い浮かばない。とにかく目的の拠点である洞窟に向うしかないだろう。そのためにはまず、安全そうな場所を見つけて地図を確認しなくては。
そう考えて歩き出した数歩目の事だ。
微かに、魔力を感じた。
敵意ーーと呼べるかは分からない。だが明らかな警戒心は感じられた。
だとすれば相手は恐らくランゲドの誰かだろう。
この微かな魔力だけでは発生源の特定までは無理そうだが、周囲は所狭しと生えている木々ばかりだ。どこにいてもおかしくは無い。
「……シャル」
「うん。もうバレてたみたい」
自然と右手が背負っている特大の剣に伸びる。
隣にいるシャルも同様に戦斧の一本に手を伸ばしている。
「(探りを入れてみる。後ろの警戒を頼む)」
「(了解。前は任せるね)」
「(ああ)」
可能な限り小さい声で伝え、伸ばした手を一旦ひっこめる。
あくまで敵対の意思はないとアピールするためだ。
「誰かいるのか!!俺達は怪しいもんじゃない!……って言っても、信用してもらえないかもだけどな!!」
少しおどけて見せながら大声を張り上げて話しかけてみるが返事は返ってこない。
だが微かに感じていた魔力の感覚はかなり薄くなった。恐らく何らかの魔法の発動を止めたんだろう。
……だとすれば交渉の余地はある。向こうも俺達とやり合いたくないと考えての行動のはずだ。
「つーか俺達はエルフでもフェアリーでもないんだ!まぁよく見てもらえれば嘘じゃないってのは分かってもらえると思うんだが……。そこからでも確認できるのかは怪しいと思うぜ」
話を続けながらほんの一瞬だけシャルに視線を配る。その機微に気付いた彼女の視線から得られたのは『後ろは問題なさそう』という現状報告だ。
だとすると相手は単独なのかもしれない。どこかからの帰りか?
「実は俺達は異世界から来た[人間]って種族でさ。知らないか?本とかに書いてあると思うんだけど……。良ければ俺達の世界の話でもしてみようか?」
あくまでも敵対者ではなく、寧ろ部外者だという点に意識が行くように言葉を選び、後方以外の木々全てを見回すように視線を移動させてみる。
すると、前方右斜め上付近で風で揺れたようになった枝を見つけた。
問題は風など吹いていないという事だ。……つまり。
「お、そこにいたのか。じゃあそっちを向いて話した方がいいな!」
「……その必要はない。お前達の目の前に出て行ってやる」
つまり、そこにランゲド……ダークエルフがいるという事だ。
「そうか、助かるよ。上を向きながらの長話は首を痛めるからな」
「ふん。大した交渉人だな」
揺れている枝が不自然な方向に大きくしなる。
そこから姿を現したのは……何の因果か以前見たあのダークエルフの男だ。
「初めまして、っていうのは変か?」
沸き上がってくる驚きを必死に飲み込み平静を装って声を掛ける。
彼は今この状況を[交渉]と感じている。だとすれば俺達は隙を見せたらいけない。見せれば最後、どんな風に付け込まれるか分からない。
だが逆に言えば、交渉だと思ってくれているのならこのまま進めれば無駄な争いを生まずに済むかもしれない。
勝機はそこにあるはずだ。
「どうだろうな。お前達の文化に興味は無い」
「はは、そりゃあそうだ」
吐き捨てるように口にした彼は大きく膝を曲げて飛び上がると宙でゆっくりと前回転しながら着地に最適な姿勢を作り俺の前に膝立ちで降り立つ。
かなりの身体能力と身のこなしだ。細身の肉体的に腕力はなさそうだが、戦いになったら厄介な事になりそうだ。
「……凄いな。エルフってのはみんなあんな事が出来るのか?」
「それはお前に関係のある話なのか?」
「…いや、無いな。悪い、忘れてくれ」
暗々と光る朱い左の瞳で俺を睨みつけながらそう言ったダークエルフは腰に携えてあるナイフに手を伸ばしている。
だが引き抜く様子は無い。用心のため、という事だろう。または『迎え撃てるぞ』という強迫だろう。
「君だけか?ならさっきの魔法も君が?」
「答えるつもりは無い。それと、俺の名はバ・エルフィムだ。名も知らぬ相手を呼ぶな。無礼だ」
「……そうか、悪かった。ならエルフィム、君と少し話がしたい」
俺は不服そうな彼にそう言い、その場に腰を下ろす。
それを見てエルフィムは暗々と光っていた左目を微かに見開く。
「…正気か?」
「正気さ。立ち話なんてまるでいがみ合ってるみたいだろ?」
「………読めない男だな」
「そうでもないさ」
不可解に映ったらしい俺の行動に、より強い睨みを向けてきたエルフィムはナイフの柄を握り僅かに引き抜く。
「…リューン?」
「落ち着け。大丈夫だ」
「………分かった」
エルフィムの行動に戦斧の柄を握ったシャルだが俺の言葉を聞きすぐに手を放す。
そして、隣に腰を下ろした。
「……分かった。とりあえず信じてやる」
そうしてやっと信用してくれる気になったんだろう。エルフィムはナイフを戻し手を離すと、座りこそしなかったものの警戒心を緩めてくれた。
「助かるよ。じゃ、早速話をしようぜ。……エルフ達の話をさ」
今の言葉にエルフィムは反応を示さない。
…しかしだ。目下の悩みの種だろう話題で顔色を変えなかったとしてもこいつは昨日キャムルとフィルオーヌが話している時に話題に上がったランゲドのリーダーと同じ名前だ。まず間違いなく本人だろう。
なら好都合だ。ここで最初にこいつを仲間に引き入れ、他のランゲド達とのパイプ役になってもらう。そうすれば戦争回避どころか上手くいけば今まで以上の関係が築けるかもしれない。
幸いここでは数の上で俺達が勝ってる。帰りが遅いと心配したエルフィムの仲間が探しに来て数が逆転される前に話を着けなくては。
「まず、俺達の事なんだが、実はこの世界に来たのは昨日の事でさ。いまいちこの世界の事を知らないんだよな。一番最初に会った現地人はエルフィムだし、何か教えてくれないか?」
「あの辺りは神様気取りのフィルオーヌが直々に治めている地域だ。話しならあいつに聞け。何も成せないあいつにな」
「そう言うなって。後に会った相手より先に会った相手の方がなんとなく信用できるだろ?だからお前を探してたんだよ」
「……何が目的だ?」
「そーだな。まずはこの世界の事を聞いて、それでもわからなさそうなら元の世界に帰る方法が聞きたいな」
「知ってると思うのか?来た時と同じようにして帰ればいいだけだろ」
「そうしたいのは山々なんだけどなぁ。いかんせんどうやって来たのか覚えて無くてな」
「なに?」
「来た時は城の地下にいたんだが、いつの間にかここにいたんだよ。参るよな、全くさ」
「………罪人か?貴様」
『城の地下』という言葉に反応し、エルフィムは再びナイフに手を伸ばそうとする。
が、すぐに何かを思いついたのか途中で手が止まる。
「……いや、その割りには身なりがいいな。何者だ?」
「はは、格好付いてるか?だったら嬉しいな。俺も隣のこいつも傭兵なんだ」
「………傭兵?」
「ああ。まぁ、人聞き悪く言えば戦争屋だな。金のためなら前の大将だとしても牙を剥く、ま、ロクでもない職業だ」
「……戦争屋、だと?」
俺の言葉に再びエルフィムは左目を見開く。理由は間違いなく[戦争]の部分だ。
と言う事は、フィルオーヌが仕掛けなくても戦争を仕掛けるつもりだったのかもしれない。
だとすれば今回の急激な堕天現象の理由も説明が付く。
こいつは……もしくは他のランゲド達と共謀して数を集め、戦争を始めるつもりだったのだろう。
「ああ。そうだよな、シャル」
「え、え?う、ううううん。そうだよ!」
「俺達はバカな王様に雇われたばっかりにその国と心中する羽目になっちまったんだよなぁ」
「そ、そーなんだよね!あはははは!」
急に話を振られ嘘の準備が出来ていなかったシャルは明らかにおかしな態度を見せつつ同意を示す。
それを見たエルフィムは訝し気に目を細めたが深く追求するつもりは無さそうだ。
代わりに、隣から小さな声で鼓膜を突かれる。
「(ちょ、ちょっと!傭兵ってどーいう事!?)」
「(話をそっちに持ってく方便だよ。上手く合わせろよ)」
「(あ、合わせろって……!)」
元々嘘の苦手なシャルだ。俺の唐突な嘘にどこまでついて来てもらえるかは分からないがここは押し切る以外に手段が無い。
戦争屋で話が進められるなら、必然的にこの国の戦争に話を持っていける。エルフィムから怪しまれずに情報を引き出すにはこれしかない。
「……お前達の世界の戦争に興味がある。話してくれ」
「へぇ?この世界にも戦争があるのか?」
思った通り、エルフィムは戦争に興味があるみたいだ。暗々とした朱い目が血液じみてぬめり光っている。
「遥か大昔にだけどな。それもこの世界の住人達でやったわけじゃない」
「どういう事だ?」
「俺も話や書籍で見ただけだがな、何千万年も昔に現れた魔王を倒すために行った戦いを戦争と呼んでいるんだ。……お前達の世界では違うのか?」
「魔王……ってのは知らないが、俺達で言う所の戦争ってのは剣や魔法、或いは火器を使って行う人間同士で領土の取り合いをする大規模な殺し合いの事を言うな」
「カキ?」
「ああ。人為的に造った火薬っていう道具を用いて爆発の魔法を疑似的に再現し鉄の弾なんかを飛ばす兵器の事を言うんだ。資源や制作場所の確保の問題で今ひとつ普及はしてないが性能は高いし、殺傷能力は極めて優れてる。これからも進化していくだろうな」
「……そうか。武器や魔法以外にもそんな道具があるのか」
「ああ。けど、おすすめはしないぜ?戦争屋が言うのもおかしな話だがありゃあいい代物じゃあない。重いわ臭いわ扱いが面倒だわで魔法や従来の近接武器の方がよっぽどいい。何より金がかかり過ぎる」
「そういうものなのか?」
「そういうもんだ。炎系の特性が無い奴でも炎魔法の真似が出来るって点でだけは優れちゃいるが、根本的な解決とは言えない。なら何の意味も無い。そうだろ?」
「…そうだな。確かに虚しいだけかもしれない」
戦争の話になってから食いつきの良さを見せるエルフィムは最早俺達に対する警戒心は微塵も無くなっていた。顎に手を当てて考え込んでいるほどだ。
そして彼は数分ほど黙り、更に考え込むと何か別の事を逡巡してから意を決したように俺達の方に目を向けた。
「……もう少し詳しい話が聞きたい。ついて来てくれ。食事くらいは用意しよう」
睨みつけなどは無い穏やかな表情だった。
今の言葉に裏や嘘は無いだろう。だとすれば願ってもいない申し出だが、それは同時に敵地に踏み入る事を意味している。
しかも、最悪本拠点にだ。
……………どうする?
「どうした?何か不都合でもあるのか?」
僅かな警戒心を含ませた言葉が鼓膜を通り抜けていく。
「(…リューン?)」
ボロを出さないように黙っていたらしいシャルからも不安そうな声が届く。
……いや、迷っている場合ではない。
これからの仲間のためだ。少しくらい無理するべきだろう。
「まさか。いきなりの申し出にびっくりしただけだ。助かるよ、腹が減って死にそうだったんだ」
「う、うん!朝から何も食べてないもんね!!」
「……そうか。確かに少し不躾だったかも知れないな。だが他意は無い。安心してくれていい」
「ああ。助かるよ、エルフィム」
立ち上がり、エルフィムに右手を差し出す。
「…?なんだ?」
だがそれの意味が分からなかったらしい。彼は小首を傾げてしまう。
「あ、ああそうか。悪い悪い。俺達の世界では友好の証として左右の手を差し出し合って握る習慣があるんだ。友情を結ぶとか絆を結ぶとか、まぁそんな意味だ」
「成る程。ならば君達の習慣に倣うとしよう」
俺の説明に納得したエルフィムは差し出されたままだった左手を掴みぎこちの無さを垣間見せながらも握手を行ってくれた。
続いてシャルとも行う。この時もぎこちなさはあったが別段難しい行為ではない。一度目よりも断然スムーズだ。
「これで俺達は一先ず敵同士ではないって確認できたな。じゃ、連れて行ってくれ」
「いいだろう。木の上を走れるか?」
「む、無理……かなぁ…」
「そうか。この世界に長くいるのなら身に付けておいた方がいいぞ」
「そうだな、考えておくよ」
一抹の不安はありつつもダークエルフ側との対話の席は設けられた。
後は相手がどれだけ戦争を望んでいるのか、そしてその望みを覆すには何が必要なのか。それを洞窟まで行く道中に引き出せれば一先ずは万々歳だろう。
「では歩きで行くが、少々険しい箇所がいくつかある。はぐれずに付いてこい。俺を見失ったら二度と森の外には出れないと思え」
「分かった」
「き、気を付ける……!」
エルフィムの忠告に頷き、それを良しと受け取った彼は歩き出す。
俺とシャルは互いに見合い、改めて覚悟を決めてからその後に続いた。
向う先はランゲドの拠点である洞窟だ。
to be next story.
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