第3話 過去の戦いと待ってはくれない今
その戦いは突然始まりました。
当時、我々の世界が五つに別たれていると知っていたのは火氷界の者達のみ。
私の座する妖精界、機生界、獣人界、そしてあなた達の住んでいた剣魔界の四世界では何が起きているかまるで分っていませんでした。
異世界と異世界の間に存在する狭間ーー異次元に突如として成体のまま現れたとされる魔王の名はボ・デルリフィン=バスキュルム。
彼の者が現れた事によってそれぞれの世界には大規模な地殻変動や飢饉や野生獣の凶暴化などが起きました。
早急に手を打たねばそれぞれの世界は何者も住めない魔境になり果てるーーそう確信した当時の火氷界の長のバルデル・アインは自世界の魔法が堪能な者達を集め各異世界と通信できる手段を整えました。それが魔王誕生から一週間後の事です。
この一週間の間に可能な限りの情報を集めていた各異世界の代表者達はバルデルの情報を受けて一先ず手を組む事となります。
同盟とも言えるその契約は当初こそそれぞれが疑い合いながらの歩みでしたが、ある時バルデルが一つの事を突き止めました。
それは六つ目の異世界があるという事実です。
その異世界の名は蟲覇界。
あなた達の世界で言うところの昆虫種がヒト型になった種族が住む異世界で、他ならぬ彼らが魔王バスキュルムと戦っていたのです。
凄惨に過ぎる戦いを千里眼によって視て、どこか別の異世界が侵攻を仕掛けようとしているのではないかと考えていた長達は考えを改め一丸となって魔王を討つべく立ち上がりました。
……一部の権力者達はそれでも疑っていた、或いは本当に侵攻を謀っていたようでしたが幸いにも時の長達は聡く、無用な争いは生まれませんでした。
こうして魔王を倒すべく立ち上がった我々はその異世界を代表するような戦士を一名ずつ募りました。
同時期に何とか開発された異世界を超える魔法の最大定員が五名までだったからです。
そしてその五名の類稀な戦士達は偶然にも皆女性であり、全ての民は彼女らを【救世の巫女】と呼ぶようになったのです。
その中に私はいました。
こうして募った私を含む五名の巫女はあなた達も使った次元転送魔法を用いて蟲覇界へと向かって旅立ちました。
魔王復活からここまでの間におよそひと月が経っていました。
……ならば、先に戦っていた蟲覇界の戦士達が疲弊していたのも必然。私達巫女が決戦の地に足を踏み入れた大地は、森は、山は、見る影も無く抉れ焼かれ崩れて破壊の限りが尽くされていました。
それでもなお彼らは戦っていた。夥しい数の戦友達の亡骸を踏みしだきその命を後の世のためにくべていた。
この瞳で全てを見て理解するには彼らの犠牲はあまりに尊過ぎた。
己達を酷く侮蔑したのを今でも覚えています。くだらない政に囚われ、目の前の最も危惧すべき事象から目を逸らして己達のみの安全を追求しようとしていた。その結果まとまるのに一か月もかかってしまった。
あまりにも愚かでした。
この愚かさに報いるため、私達巫女は命を投げ捨ててでも必ず魔王を倒すと決心しました。
決死の覚悟を胸に蟲覇族の連合軍と合流した私達は、魔王が休息を得るために使用していた夜間の自動迎撃魔法を使わせ続けると日中の魔王の動きに鈍さが出ると知った彼らによって既に立てられていた三日間に及ぶ波状攻撃作戦に加わる事となり、力を認められた私達は蟲覇族の戦士の長的存在と共に最終日の攻撃に加わりました。
彼らの命がけの分析通り二昼夜に及ぶ魔王への継続的な攻撃は功を奏し、三日目の朝、魔王はとうとう明確な疲労を見せました。
ここに勝機があると確信した私達巫女と蟲覇族の戦士長率いる精鋭部隊は最終攻撃を仕掛けました。
つまりは総攻撃です。
この、たった一日ーーいいえ、僅か一時間の間に目を背けたくなる数の仲間達が死んでいきました。気が遠くなるだけの痛みを皆が受けました。
それでもただひたすらに【勝利】のみを追い求めた私達はただ一瞬の好機を目にしたのです。
けれど、虫覇界の戦士達は戦士長も含め皆戦闘続行不能状態、私や他の三名の巫女も立っているのがやっとの状態でした。
ですが一人だけ。剣魔界の巫女だけが叫んでいました。
『後の事は頼んだよ』と。
それが彼女の最期の言葉となりました。
彼女の雄たけびが今でも耳に残っています。彼女の魔王を仕留めるために放った一閃が今でも瞳の奥に焼き付いています。
そして私達は勝利しました。
魔王を殺し切る事こそできませんでしたが、悠久に近い時を封印する事に成功したのです。
最善の勝利とは決して言えない、犠牲ばかりの辛勝でしたがそれでも負けるよりはずっといい。
存在そのものが災厄となり、後ほど知った魔王の目的である[全ての異世界を統合し神に成る]が果たされるよりは遥かに良い。
そう己達を慰めながら私達は勝利に酔う努力を怠りませんでした。
ーーーー
「これがおよそ一か月間に及ぶ全異世界が初めて連合となった戦いの真実です。この後、虫覇界の人々は己の世界の事を[蟲人魔王界]と名称を変え魔王の封印を守護する番人達の世界となり、私達巫女はそれぞれの異世界でこの事実を物語として書き記しいつかの復活の際に同じ過ちによっていたずらに犠牲を出す事を防ごうと努めました」
フィルオーヌは静かに全てを語ってくれた。
きっと、必要以上に感情がこもってしまわないように努めながら。
それでも閉じた瞼の隙間から眩い光の軌跡を見せてしまいながら。
「ただ一つ、剣魔界の巫女だけは帰らぬ人となってしまっていました。ですので私が記した戦いの記録をあなた達の世界の王族に配り、必ず継承するようにとだけお伝えしました。……どうやら守ってくださっていたようですね、信頼は得られていたようで安心しました」
最後にそう柔和な笑みを浮かべたフィルオーヌは天井のステンドグラスを一度仰ぐとすぐに視線を俺とキャルに向け直す。
「以上でお話は終わりです。ご理解いただけましたか?」
「……ああ。とんでもない事に巻き込まれたって事は理解できた。飽きない旅になりそうで安心したよ、全く」
「だ、だね。鎧の予備も買えばよかったかな……?」
「ふふ、頼もしいですね。御冗談を言えるのであれば何も心配はいらなさそうです」
俺達の苦し紛れに出した言葉をフィルオーヌは気に入ってくれたらしく安らかな笑みを見せてくれる。
だが俺の心の内はーー当然シャルもーーまるで穏やかとは言い難かった。
今の話によれば少なくとも俺が最も最初に存在していた世界……仮に現代と呼ぶとして、そこはこの異世界の騒動には巻き込まれていなかった。
それ自体はどうでもいい。どうせ捨てる羽目になった世界だ。巻き込まれていようがいまいがどーだっていい。
それ以上に問題なのは事の巨大さだ。
王族に神話として紡ぐように言っていたとはいえそんな高尚なお話が一般市民の俺達の耳に入っているわけも無し。半端な情報で足を踏み入れたら死に場所だったなんて洒落にするには度が過ぎてる。
……それともサリアンス王は神話を詳細に聞いたら俺が断ると思って敢えて黙っていたんだろうか?
だとしたら侮られたものだ。意地でもシャルを置いてきてから旅に出ていたぐらいで断ったりしなかったのに。
「フィルオーヌ、話は理解できたよ。さっきも言ったようにとんでもない事だ。考えを改めるよ」
「……と、言いますと?」
「俺は魔王を倒すんじゃなくて、魔王を抹消するために尽力する。倒すなんて考えが甘かった。それだけじゃこの問題は終わらない」
「そう、だね。うん、そうだと思う。そんな危ない相手、放っておいたらダメだよ」
今更シャルを帰すのはきっと無理だ。だとしたら俺は彼女と力を合わせて魔王を抹消するために戦うしかなくなる。
幸い俺にはそれだけの力があるはずだ。どんな事があっても護り抜けるように行動すればいい。
「……ありがとうございます。そう言っていただけて私はとても嬉しいです。…しかし」
決意を新たにし、これからどうするべきかを考えようとした矢先、フィルオーヌは少しだけ難しそうな顔をする。
そうしてほんの少し考えたように瞼を強く瞑ると、口を開いた。
「しかし、どうしてあなた達はそこまでしてくれるのでしょうか?確かに放っておいてしまえば世界は終焉を迎えます。けれどそれを回避するために戦う戦士はあなた達でなくても良いのもまた事実。少なくともあなた方だけに背負わせる責務ではありません」
とても言い難そうな面持ちでそう言葉にしたフィルオーヌはゆっくりと俺達を掌の上から胸の上に降ろすと左手を握り締める。
「いえ、これでは少々聞き方が遠回りになっていますね」
その左手は彼女の疑問と同時に開かれ椅子の肘置きに置かれた。
「率直に伺います。あなた達は何のために命を懸けられますか?私達の時とは違い今はまだ選択の余地も準備する余裕も若干ではありましょうが残されています。そしてそれはあなた方も御承知のはずです。それでもなお命を懸けられると断言できる理由は何ですか?」
「これから先、シャルが過ごす世界が平和であってほしいからだ」
示された疑問に俺は反射に近い感覚で返事をしていた。
余りの即答ぶりに自分でも少し驚いた。だが隠すような事でもない。
俺が戦う理由は本当にそれだけだ。
「……それだけで命を懸けられると?」
俺以上の驚きを受けたフィルオーヌは小さく呼吸を整えてからそう問い直す。
その問いに当然頷いた。深く考えようが考えなかろうが答えは何一つ変わらない。
「俺は彼女に命を救われた。記憶が無くなっていた俺に生きる方法も教えてくれた。要は命の恩人なんだ。助けてくれた瞬間も、これから生きる上でも。ずっと。その恩返しに彼女に平和を提供したい。それが俺の命を懸ける理由だ」
「……シャルさん、貴女は?」
「……私は、リューンを助けたい。なんでって聞かれると、上手な理由は浮かばないけど…でも、命を懸けろって言われたら懸けられると思う。確信は無いけどね。でも、自信はあるよ」
「そうですか。……分かりました」
微かに頬を赤くしたシャルが答えるとフィルオーヌは静かに深呼吸をして左手を肘置きから動かし、俺達の近くまで持ってきてから手を開く。
「あなた達の覚悟はよく分かりました。ごめんなさいね、試すような事を聞いてしまって。これから先共に戦う仲間ですもの、時間が生み出す信頼を今すぐ知って確信を持ちたかったの。浅慮な私を許して」
「……仲間?」
開かれている左の掌が俺達を地面に降ろすためのものだと察し、シャルから乗り込みを開始する最中に聞き逃せない言葉をフィルオーヌは口にする。
それは聞き違いでも何でもなく、彼女の本心からの言葉だったようで聞き返してしまった俺にいたずらな笑みを向けた。
「ええ。これからの旅、何も知らないあなた達だけでは大変でしょう?案内役代わりに私も付いていこうと思っているんです」
「じゃ、じゃあ、私達の旅に??」
「その通り。…と言ってもこの大きさではとても無理なのであなた方くらいの大きさまで魔法で調整しますけどね」
「そ、そんな事出来るのかよ」
「勿論。と言っても、私の開発した特殊な魔法の一つなので他の方が使うには少々努力が必要だとは思いますが」
「は、はは。流石に神様って言われてるだけあるな。やる事が規格外だ」
「お褒めの言葉として受け取っておこうかしらね」
魔法の開発ーー。それ自体はそれほど珍しい事じゃないらしいと特訓している時にシャルから聞いた事がある。だが実際にそれを現実のものにするには生涯を三つ使っても足らないとも聞いた。なのにフィルオーヌは事も無げに開発したと言ってのけている。しかも口振りから察するに一つ以上。
キャムルが言っていた『神様』というのは本当に冗談じゃないのかもしれない。
「ま、まぁなんにしても頼もしい仲間が増えたって事で良いのかな……うおっ!?」
中断していた掌への登場を再開した途端、一気に押し寄せてくる疲労感。それが知らずの内に筋肉を強張らせていた緊張だと気が付くより早く足を踏み外してしまう。
ただでさえ不安定気味な彼女の掌に乗る時に話しながら乗ろうとしたのもあったかもしれない。
だが、転んだ先は幸い胸だ。頭を強く打ち付けるような事にはならなかったので怪我はしなかったのだが、立ち上がろうとした時……。
「あッ!?」
「あら、そこは少し汗を……」
不運にも水溜まりーー汗に足を取られ盛大に滑ってしまった。
「ま、待て待て!それはマズいだろ!!」
そしてそのまま身体が滑り落ちて行ってしまい……。
「…あらあらあら。担い手様とは言っても、やっぱり男の子ですね」
生暖かい熱が全身を包んだ。
「や、やめろ!勘違いだけは勘弁してくれ!」
大きな溝だった。
女性の胸にある大きな溝。ーー谷間だ。
けど思ってるような柔らかくて居心地がいいような場所じゃない。寧ろ両脇からの圧迫感が強すぎて苦しいまである。何より不快感を感じるくらい湿ってる。
だとすれば谷間の空間に熱気は籠ってしまい、俺の呼吸を侵し始める。
「……リューンのヘンタイ。そのまま潰されちゃえばいいんだ」
「ば、馬鹿言うな!!魔王の顔も拝んでないのにこんな事で死ねるか!!」
「あら、ふふふ。頼もしい事」
「笑ってないで助けてくれ!!」
フィルオーヌが笑えば胸が揺れ、胸が揺れれば俺はどんどん深みに嵌っていく。
気付けば両手を万歳にした状態で肘くらいまで埋もれてしまっている。恐ろしい事に背中には特大剣だ。横からではなく前後から挟まれているので洒落じゃなく潰されかけてる。
「あ……息が…クソ…。マジで死ぬ……!」
「ふふ、これでは本当に潰してしまいそう。今、助けるわね」
もう少しで頭全部が谷間に沈んでいきそうになった時、俺の胸の辺りが柔らかく掴まれる。
そして次の瞬間には大根よろしく一気に引っこ抜かれて肺一杯に新鮮な空気が入り込んで来た。
「ぜぇ…ぜぇ……。死ぬかと思った……」
どうやらフィルオーヌにつままれていたらしい俺は谷間から助けられるとシャルの待っていた左の掌の上に乗せられたようで、意識がはっきりするまで自分が横たわっている事に気が付かなかった。
結構危ない状態だったのかもしれない。思えば頭もくらくらしてるし、酸欠に近かったのだろう。
「クソ、二度と御免だぞ。根っこの物真似するなんて」
頭を何度か振りつつかなり湿って張り付いている上着を引っ張り胸元に冷たい空気を入れる。
すぐに乾くはずもないが何もしないよりはマシだ。……クソ、全身からフィルオーヌの匂いがする。
服の張り付きも気持ち悪い。いつまでも他人の汗で湿っているってのも気持ちが悪いし服を全部乾かしたい。
「悪いシャル、ちょっと剣を下ろしてくれないか?服が張り付いて腕が全然上げられないんだ」
何だっていいから早く乾かしたいのに県が下ろせず背中の方は湿ったきり。だからシャルに頼んで降ろしても羅うしかないと思い頼んでみるのだが、彼女はかーなーり嫌そうな顔をして俺から数歩身を引いた。
「……他の女の匂いがする。寄らないで」
嫌悪感マシマシの表情から放たれる馬鹿げた発言に思わず口が空いてしまう。
何言ってるんだこいつ。その他の女の掌に俺達は乗ってる状態なんだぞ。匂いなんか今更だろうが。
「アホ言うな。死にかけてたんだぞ」
「どーだか。ホントはもう一回お願いしたいんじゃないの?」
「なわけあるか!!ホンットに苦しかったんだからな!?」
「あっそーですか~」
「あらあら。妬かせてしまったかしらね」
何をそんなに怒っているのかシャルはそっぽを向いて棘付きの言葉ばかりを投げてくる。
目の前で意識が飛びかける程度には死にかけてたんだし心配の言葉をかけてくれてもいいのでは……?
「さて。これであなた方にするべきお話はおしまいです。これからは私とキャムルのお話ですから下に用意しておいた椅子に座って少し待っていてくださいね」
半ば喧嘩みたいになっている俺達を、発端のフィルオーヌはニコニコとしながらそう言って左手を床すれすれまで降ろす。
降ろされた先にあるのは二人掛けのソファのような真っ白な長椅子だ。
「それは妖精界にのみ自生する絹繭という植物から作った絹椅子です。座り心地、肌触りは保証しますよ」
「そ、そうか。ありがとう」
「ありがとうございまーす」
全くもって機嫌の直る様子の無いシャルは不機嫌さを俺に向けながらにお礼を言って左手から飛び降りぶっきらぼうに武器を置く。
ガシャガシャという音が酷く耳に障るが滅多に怒らないシャルがあれだけ機嫌を損ねてるんだ。多分俺が悪いんだろうし余計に怒らせないように口を噤んだ。
後に続いて俺が降りてシャルと同じところに武器を下ろした時にはもう彼女は絹椅子の上に横になっていた。……俺が座れないように。
「お、おい。それじゃ俺が座れ…」
「またフィルオーヌさんのおっぱいに座らせてもらえばー?あ、違うか。挟んでもらえばーーーー?」
「おまっ、人聞きの悪い事言うなよ」
「だってホントの事だし」
肘掛けに頭を乗せ、反対側の肘掛けには両足を乗せて横向きになって腕組みをし軽蔑したような目で俺を見るシャル。
どうやら俺が死にかけたのがかなりお気に召したらしい。旅の仲間としては願っても無い感想だ。
だが、お前がそういう気なら俺にも考えがある。
あんまりしつこく機嫌を行動で示すんだとしたら俺も倣わないとな。
「あ、ちょ!?リューン!?!?」
「何だよ。この椅子は[俺達に]用意されたんだぞ。座ったっていいだろ?」
「そ、そうだけど!!」
シャルは絹椅子に横断するような感じで横向きに寝ている。だとすれば細めの彼女のお腹付近には必然的に空間が出来る。
俺はそこに腰を下ろした。それが嫌なんだろうキャルは急いで身体を起こそうとするが俺がしっかり寄りかかっているせいで中途半端にしか身体が起こせないでいる。
「わ、分かったよー!普通に座るから!退いてよーー!」
「ん。じゃあ退く」
横暴と言えば横暴な俺の行動に折れたシャルは半分叫ぶようにして負けを認める。なので直ぐに椅子から降りた。
強硬手段に出れば同じ手法でやり返されるのは極当然だ。これに懲りて今後は変な言いがかりをつけないでもらえるようになってくれればいいが。
「ふふ、仲睦まじいのは良い事です。……我々もそうあれれば良いのですがね」
「……?」
俺達の様子を上から見下ろしていたフィルオーヌから影の落ちた言葉が降ってくる。
『我々も』とはどういう事なんだろうか。俺達との今後の事を考えての発言……とは少し違うみたいだが……。
「フィルオーヌ様」
「キャムル。状況はいかがでした?」
「……あまり、芳しくありません」
長椅子の領土の三分の一を手に出来た俺は大地主のシャルに押しのけられる感じで腰を下ろしながら、いつの間にかフィルオーヌの肩に現れていたキャムルとの会話に耳を凝らす。
現状聞こえてくるのは重苦しくて切ないような声色ばかりだ。
「使いのフェアリー達の話によればここ二週間の間に複数カ所で多数のエルフ・フェアリーが堕天してしまったそうです。酷い場合ですと三十数名からなる村がそのまま堕天してしまったのだとか」
「……そうですか。とうとうと言うべきか、いよいよと覚悟するべきか……」
聞こえてくる会話の中で気になるのは[ダテン]という単語。恐らくは[堕天]だろうが、少し物騒が過ぎる。
それともこの堕天というのは魔王復活による兆しの一つなのだろうか?
「…リューン、もしかしてフィルオーヌさんは堕天?っていうのを止めたいとも思って旅に付いていきたいって言ったのかな?」
「分からない。もしかしたらこの世界固有の病……深刻さから察するなら例えばペストとか天然痘、麻疹みたいなとんてもない病気の事かもしれない」
「だっ、だとしたらお医者さんを……!」
「例えばの話だ。なんにしてももう少し話を聞いてた方がいい」
「……うん」
不安げになってしまったシャルに俺の推測が正しいのかどうかを見極めるため二人の話をより詳しく聞こうと提案する。
仮にもし本当に病の類だとしたら俺達も他人事じゃなくなる。毒や呪いと違って病を完全に無効化する魔法は今のところ存在していないし、何より俺達が今いるのは本来存在している場所とは違う世界だ。感染したらどんな症状が出るか見当もつかない。最悪治療法が存在しない可能性だってある。
次第に深みを帯びてくる不安を抱えながら更に五分ほどを話しに聞き耳を立てる。
それで分かったのは[堕天]とは病よりも呪いに近いエルフやフェアリーにとっての切っても切り離せない現象の一つらしいという事だ。
人間の俺達的には一安心な情報だが、今この世界に住むエルフやフェアリー達にとってはかなり危機的な状況だという事も分かった。
そもそも堕天は頻度がそれほど多く無く、起きても一度に数人が限度だったらしい。だが、最近は頻発していてさっきも言っていたようにこれまででは考え難い三十名以上が一度に堕天してしまった。
察するまでも無く妖精界の危機だ。
「ーー数カ月前に何とか抑える事の出来た大規模な飢饉…。それが原因の一端かと思われます」
「南部の方で広範囲に三カ月も続いた飢饉の事ですね。こうなる事が予期できなかったわけでは無いですが……まさかこの辺りにまで堕天の影響が出るとは思いませんでした」
「私の判断が間違っていました。支援のために中央部の食料の多くを運び出してしまい、結果として多くの者に節制を強いてしまった。……エルフもフェアリーも元々節制的な生活をしているのにです。………下手をすれば飢饉と変わらない生活を送らせてしまっていたかもしれません」
「気に病んではいけませんよキャムル。知らずに来る苛酷と知ってて来る試練ではまるで意味合いが違います。貴女も知るように我々エルフもフェアリーも決して弱い種族ではありません。私の観測し得る限りでは、寧ろ助け合いをより強固にし集落の縄張りを犯しての狩りを許容していました。皆協力的だったのです。例外は一つの集落としてありません」
「でしたら、魔王が関係しているのでしょうか」
「否定はできません。しかしそれだけではないでしょう。魔王の復活は定められ、近々だとしても、土地より先に我々やフェアリーに影響が出るとは考えにくい。……非常に悲しい限りですが、やはり……」
「ランゲドによるもの……ですね」
「ええ。特に近年勢いの増しているランゲドがあったでしょう?活動範囲も中央部だったはずです」
「バ・エルフィムのランゲドですね。……少し、探らせてみますか?」
新たに出て来た[ランゲド]という初めて耳にした単語にシャルと顔を見合わせる。
話しの流れからしてならず者や…この世界の土地的に見れば山賊のような存在なのかもしれない。だとすれば、堕天とはランゲドの仲間になる事を指すのだろうか?
「私の旅立ちは避けられぬモノ。なんとか在任中に事を治めたいのですが……」
「あちら側が一切の対話に応じないのですから私達ではどうにもなりません。さりとてこのままにしておくわけにもいきません。堕天はこの世界の法則を根本から崩壊させかねない現象……。このまま不用意に数が増えれば魔王による影響と併合して恐ろしい事になるのは目に見えています」
「分かっています。……しかし、だからと言って私達の意向一つで彼らの数を調整するだなんていうのは横暴が過ぎてしまう」
「ちょ、調整って…!」
「とんでもない話になってきたな、おい……」
フィルオーヌ達の会話を聞き続ける事更に数分。彼女はとうとう聞き捨てならない言葉を口にした。
数の調整ーーそれはつまり、間引きを指すはずだ。
手段が捕縛なのか殺害なのかは分からないがそんな行いは間違っている事くらい俺にだって分かる。
端的に道徳や倫理の面から見ても間違いだし、理屈の上でも短い目で見れば効果的かもしれないが長い目で見れば反発は免れず何より身内からの反乱が起きて体制そのものが崩壊する危険性さえある。総合すれば悪手に違い無い。
……なのにそんな手段に出るしかないと口にするという事は、だ。
「嫌な話を聞かせてしまったわね。でも忘れてね。数千年かけて研究しても堕天を止める方法も覆す手段も見つけられなかった。だからランゲドに接触して仲間を増やすのをやめるように言ったのに聞く耳を持ってはもらえなかった。けれど放置していればこの世界そのものの存続に関わる……」
「もう、どうにもならないんですよ。相手に和平の意志が無いのであればこちらの打てる手は限られてしまう。譲りの果てというのはそんなモノなんです」
俺とシャルの声が聞こえてしまったらしく彼女達はーー顔は見えないがーーこちらに謝罪の意思を乗せて言葉を掛けてくれた。
けれどそれはフィルオーヌだけ。キャムルの声から伺えたのは微かな疲労感と微かな軽蔑。
『知らないのに口を出すな』とでも言ったところだろうか。…返す言葉も無い。その通りだ。
「……あまり、そう言うモノの言い方はするべきではありませんよ、キャムル」
「そう、ですね。失礼致しました。……少々、疲れているのかもしれません」
「そうかもしれませんね。ここのところ働き詰めでしたし……。そうね、今日はもう休みなさい。話の続きは明日にしましょう」
「……承知しました。では、最後にお客様のお食事とお部屋の準備をフェアリー達に命じてから自室にて休息をとらせていただこうかと思います」
「ええ、そうしてください。いつもありがとうね」
「いいえ、私の務めですから。それでは」
急いて決めるべき事ではないと彼女達も深く理解しているのだろう。手短に指示と会話が終わるとキャムルは身軽な動きでフィルオーヌの身体の踏み場になりそうな部位を足場に飛び降りて来る。
最終的に着地したのは俺達の座る長椅子の目の前だ。
「食事は三十分後、部屋は一時間後には準備が出来ると思います。そうしたら使いの者を寄こしますのでそれまではその椅子でおくつろぎください」
「わ、分かった。お願いします」
「お、お願いします!」
「お任せください。それでは」
小さくお辞儀をしながらそう言い終えたキャムルはこちらに振り向く事無く部屋を後にする。
……なんというか底の知れない人物だ。…いや、人ではないしエルフ物?
「な、なんか、かっこいい人だね、キャムルさんって。…ん?今更だけど[人]じゃないから[かっこいいエルフ]?」
「…分かんないけど。まぁ、どっちでもいいんじゃないか?本に……キャムルに嫌だと言われなければ」
重苦しい話の後に何とも間の抜けた会話だとは思うが引きずっていても仕方がないと言えば仕方がない。
今は俺もキャルも疲れているのに間違いはない。これ以上何か考えるんだとしたらしっかり休んでからの方がいい。
「……さて、そういう事ですし、準備が終わるまでお話にしましょっか。これからの旅の仲間ですもの、親睦を深めるのは早い方がいいでしょう?」
キャムルが去って少しして、ついさっきまでの様子が嘘のように明るくなったフィルオーヌの声が耳に届く。
思わず上を見上げてみればそこには僅かに彼女の柔らかな表情が覗き見えた。
「だな。せっかくだから背の大きくなる魔法でも教えてもらおうかな」
「あら。今の見た目に不服なのかしら?それとも……私に釣り合う大きさになりたいとか」
「……リューンのヘンタイ。やっぱりさっきの嬉しかったんじゃん」
「アホか!規格外になりたいなんて言ってないだろうが!」
「ふふふっ、本当に仲が良いのね」
そんな他愛のないながらもお互いの事をなんとなく知るきっかけになるような会話を、フェアリーの男の子と女の子が食事の準備が出来たと告げに来るまで話していた。
食事のため別室に移る頃にはお互いの間にそれとない信頼関係が生まれたような気持ちになっていたのはシャルも同じだったらしい。
ーーーー
質素ながらも満腹感のある妖精界の御馳走を戴いた後、食休みを終えた頃に迎えに来たさっきのフェアリー達が部屋を案内してくれた。
道中の雑談でフェアリー達から聞いたのは、彼らは普段は光の球体として行動している事が多いという事だった。
ならもしかしてと聞いてみたところ、やはり俺とシャルが最初に立っていた場所からずっと目にしていた光の球体はフェアリーだったそうだ。
どうやらここ、[妖精城]というのは実はかなりの精鋭じゃないと清掃係としてすら入れないらしく、ここで働くつもりの無いエルフやフェアリーはどこかで集落を作って暮らすか放浪とするかの二択しかないらしい。
集落に属している場合は他の集落や村の縄張りに踏み入ってしまう事を恐れてあまり外に出ないらしいので俺達が見たのは放浪としている方のフェアリーの可能性が高いんだそうだ。
ちなみにここにいるエルフはフィルオーヌとキャムルだけなんだとか。
群を抜いて優秀じゃないとなれないフィルオーヌの付き人になっているキャムルは特に回復魔法に秀でていて場合によっては瀕死の状態も治療できるらしく、そこを見込まれて付き人に選ばれた。反面、単純な戦闘能力はそれほど高くはないが常に補助魔法に類する強化魔法を施しているので近接戦になってもそれなりらしい。
彼女の底の見えなさの一端はきっとその辺だろう。
「で、ここがお客様のお部屋でーす」
「残念だけど、剣魔界の種族用に調整できたのがこの一室しかなかったんで相部屋す。ごめんね?」
「そ……そうなんだ……」
「まぁ、しょうがないのか」
お調子者っぽい女の子のフェアリーとノリがどことなく軽い男の子のフェアリーが飛行移動を辞めてそう言って示したのは、確かに急繕い感が否めない外見のあるドアが付いた部屋。
具体的にどこが急繕いかというとドアノブの位置だ。明らかに無理矢理外して何センチか下に動かした形跡がある。
「エルフはみんな180センチ以上だからどーしてもニンゲン…?の背丈に合わないんだよねー」
「だから家具なんか何とか切って潰してってやっといたす。雑なのは勘弁ね?丁寧にやってたら今日中に終わんなかったすから」
……言われてみると今日見たフィルオーヌ以外のエルフ……一名はダークエルフだったが、キャムルも背が高かった。
確かにあの高さが平均だとしたら俺達に合うような家具はそうないだろう。部屋の準備がというのは単なる確保や掃除の事だけを指していたわけでは無かったのか。
「ま、急に来たのはこっちだしな。寧ろ部屋一個潰させてすまなかったよ」
「ありがと!」
「いーえー。どーせ来客なんて年に数回あるかだし?一部屋くらいなんて事ないですよー」
「そーいう事す。ま、長期滞在する事になればもうちょっとまともに繕うんでそれまでは我慢してくださいす」
フェアリー達は俺達の周りをくるくると飛び回りながらそう言うと女の子の方がシャルの、男の子の方が俺の目の前で止まり両手の平を差し出した。
そこに乗せられているのは……殻の開きが甘いピスタチオ?のような豆だ。
「で、これが呼び出し用の簡易ベル。つよーく押すと私達にリンリンって音が届くようになってるんだー」
「僕のも同じ仕組みす。入用の時はこれを握ってくれす」
「ただ、急に用意したヤツだから何回もは使えないかもなんだよね~」
「なので出来れば本当に必要な時だけに鳴らして欲しいすかね。最悪一回しか使えないとかあるかも知んねーすし」
差し出されていたそれーー簡易ベルを俺とキャルは受け取り、示し合わせたわけでもないがお互いに硬さを確かめるように軽く指先でつまんだ。
感触的にもかなりピスタチオに近く硬さも相当ありそうだ、有事が訪れた時にちゃんと押し潰して鳴らせるのか不安を感じる。
「あ、そうそう。ちなみにアチシの名前はフィリー。一応言っとくと、シャルちゃんのお世話を任されてるよ~」
「僕はシュイー。主にリューンの世話を任されてるすから何かあれば僕に」
簡易ベルをポケットにしまい入れつつフェアリー……フィリーとシュイーの言葉に頷く。
世話係……。そう言われるとなんだか偉くなったような気がして悪い気分じゃない。でもまぁ、実際はお目付け役とかそういう意味の方が大部分を占めているんだろう。
そんな気は毛頭ないが今後のフィルオーヌとの関係のためにも下手な事はしないようにしよう。
「そーいうわけでまた明日ね~」
「なにも無ければ朝食は七時頃になると思うすけど、無理して起きる必要はないんでゆっくりしててくださいす」
「あ、だからって朝からしっぽりにゃんにゃんしていいわけじゃ~ないよ~?勘違いしないでねー?」
「アホか。間違ってもそんな事になるかバカ」
「え~~?どーだか~」
静かに彼女達の話を聞いていれば何を考えているのかフィリーが唐突に馬鹿げた事を口走り始める。
付き合ってるとかならまだしも、これから旅が始まるって言うのに初日に関係ぎくしゃくさせてどうすんだよ。そこまで無理性じゃないぞ俺は。
後、表現が古い。というかこっちの世界でもそういう言い方するのかよ。
「……しっぽりにゃんにゃんってどういう意味?リューン」
「え”」
「じゃ、まったねー」
「…失礼するす。ご愁傷様す」
「あ、テメ!!」
最後に特大の爆弾を残して俺達の前から颯爽と姿を消すフィリーとシュイー。
「ねぇ、リューン?」
「あ、ああ。おう?」
俺の袖を引き言葉の意味を求めて小首を傾げるシャル。
じょ、冗談じゃないぞ。これから同じ部屋で寝るっていうのに口が裂けても言えるかよ。
「ねーどー言う意味ー?」
俺の心境など露も知らないシャルは両手で袖を掴んでより強く引っ張り始める。
結局この後俺はそれとなく誤魔化しつつ部屋に入って話をうやむやにしようとしたが妙にしつこいシャルに根負けして意味を伝えた。
……お陰様で一瞬で簡易ベルを鳴らされてフィリーにニタニタと笑われる羽目になった。
ベッドは離れていたのに床で眠らされた事を俺は暫く忘れられないだろう。理不尽にもほどがあったっていいはずだ。だから言いたくなかったのに。
ーーそうして、朝が来た。
とても自然に目が覚めたとは言えない朝が。
「起きてくれす二人とも!!大変な事になったす!!」
「悪いけど朝食は抜きになると思ってね!!」
夢半ばのまどろみの中で聞こえたフィリーとシュイーの異様に慌てた声。
それが未だ強い睡魔に襲われている俺達の頭を強く叩きつけて身体を跳ね起し武器を取らせた。
to be next story.
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