第一章 妖精界

第2話 決して、違えはしませんから


 ーー約束の半月が経った。

旅に必要そうだと思えるものは沢山あったけど、荷物になってもいけないという事で野営に必要最低限の道具と手ごろなナイフ一本をシャルはサイドポーチに、俺は肩掛け鞄に詰め込むだけに留めておいた。

シャルの家は昔から良くしてくれてたっていう近所の老夫婦が時折掃除をしてくれるそうなので安心だと彼女は言っていた。

……母親が亡くなってしまったから。

シャルの母親はサリアンス王が約束してくれた通り名医に診てもらう事ができて、最初に受けた余命宣告より三日も長く生きる事ができて……。最期は苦しまずに逝けた。

亡くなる時、シャルの傍にいた俺を見て彼女の母親はーールーミィさんは、細くこけてしまった頬を大きく上げて嬉しそうに笑ってくれた。

それが最初で最後の面会になってしまったのを酷く後悔した。

もっと早く会いに来るべきだった。

シャルに止められていたのはある。病であると知ってからはお見舞いをする事そのものが負担になってしまうと考えてもいた。

けど、そんなものは全て言い訳だ。

ほんの数分だけでもいいから顔を合わせて、娘さんに感謝している事を伝えるべきだった。

けれどそうはしなかった。

余りにも愚かだったと自分を恥じた。

ギシギシに痛んでしまっていた橙色の髪も、骨と皮ばかりになっていたあの姿も、きっと本当はシャルのようだったはずだ。

なのに。あの場にいた誰よりも間違いなく辛いはずなのに、娘を想って笑った。

俺なんかを、それでもいいと思って。

旅の仲間に足る存在だと納得してくれていた。

それが情けなくて、苦しくて、申し訳なくて、礼儀の欠片も無い雑な一礼だけして彼女の前から逃げるようにして後にしてしまった。

あとはもう、泣くばかりだった。

俺はシャルに押し切られる形で同行を許してしまった。どうなるかもわからない、意味があるのかさえ定かではない旅に、母親にとっては唯一残されたはずの彼女を連れて行くと言ってしまった。

ーーだから、誓いを立てた。

元々そう思っていたとか関係ない。

絶対に彼女を死なせない。何があっても守り抜くと。ルーミィさんの墓前で誓った。

言わなければならなかったのに墓前で誓うなんていうのは自己満足でしかないけれど、せめて嘘にならないようにと。

あの時の貴女の安らいだ笑顔は弱った心に沁み込んできた気の迷いのせいではないとあの世で旦那さんに、もっと、笑って話してもらえるように。

 「いこっか、リューン」

 「……ああ」

後悔ばかりが残る別れを済ませて来たのは昨日の事。

俺は今、シャルと共に呪(まじない)で封印を施されたらしい重苦しい真っ黒な鉄扉・[神話を紐解く扉]の真正面に立っている。

装備はそれぞれが持っている武器と防具ーーつまりは前回謁見の間に行った時と同じ格好で、他には旅に必要な最低限の道具に携帯食だけだ。

 「では、これより最後の封印を解く。少々下がっておれ」

宰相と共に行方を見届けに来たサリアンス王の言葉に頷き俺とシャルは二歩ほど下がる。

それを見届けた王宮使いの四人の魔法使いは物々しい杖をそれぞれ鉄扉に向って掲げ呪文を唱え始めた。

この四人は全員が上級魔法使い。それぞれが極めた分野でなら俺を遥かに凌ぐ力を有している。

 「…さて。この封印が解けるまでには数分ほど掛かる。その間、貴公らにこれを渡しておこう」

魔法使い達の呪文が地下室に木霊する中で俺達の傍まで来たサリアンス王はそう言うと宰相に持たせていたらしい二枚の薄灰色の布を受け取り俺とシャルに手渡す。

 「……これは?」

 「マント、です?」

 「うむ。如何にも」

お互い王様の前だという事も忘れて手渡された布をーーマントを広げて眺める。

俺のもシャルのも特におかしなところは無い普通のマントのようだ。変な所があるとすれば少し汚れていると言うか、少なくとも新品ではなさそうな事くらいか。

 「できる事なら財宝か日持ちする食料を渡してやりたかったのだがな。それすらもままならぬ状況故旅に欠かせぬマントを用意させてもらった。微量ながら魔力を込めておるので少々の攻撃なら無力化できる優れものだ。……と言っても、近衛兵らに配っておる標準装備の予備なのだがな」

サリアンス王は一先ずマントを畳んだ俺達に向って自虐的な笑みを薄く浮かべる。

俺が言うのもおかしい気はするが、これだけの一大事に於いても選別の品を選ばなければならないほどこの国は疲弊しているって事なんだろう。

だとすれば予備とは言えこのマントを用意するのだって悩んだはずだ。本当なら保存食を用意するよりもコストがかかるんだろうから。

それでもこれを俺達に渡してくれたって事は、少なくともサリアンス王は本当に旅の成功を願っているって事だろう。

 「いえ、これだけで充分です。ありがとうございます、サリアンス王」

 「私も同じ意見です。この鎧を買ったらお小遣いが無くなっちゃってマントを買えなかったので助かります」

俺に続き少しおどけたように感謝を口にしたシャルを見てサリアンス王は柔らかな笑みを浮かべて小さな声で「そうか」と頷いた。

それと殆ど同時、今までずっと続いていた魔法使い達の呪文を唱える声が止んだ。

…いよいよだ。

 「……では、本当に別れの時だ。旅立つ前に何か言い残す事はあるか?可能な限りの要望に応えよう」

小さな地響きを立てながら開門されていく鉄扉の前で王としての言葉を紡ぐサリアンス王。

それに対し俺は首を振って一歩だけ前に出た。

だがシャルは一度だけ俯くとサリアンス王に笑顔を向けて願いを口にした。

細やかな、願いを。

 「時々で良いので両親のお墓に立ち寄っていただけるなら幸いです。もしかしたら私はもう行けないかもしれませんから」

 「……約束しよう。両名の命日と貴公らの旅立ちの日には必ず墓前に花を添えに行くと」

 「ありがとうございます。それだけで父も、母も、……報われます」

力強い王の言葉に頷き、シャルは一歩前に踏み出した。

彼女の顔に憂いは無い。あるのは、硬く築き上げられた決心の表情だ。

 「では行け!二人の勇敢なる者・勇者よ!その旅路に幸運があらん事を!!」

鉄扉が完全に開かれる。

封印されていたその先にあるのは渦巻く黒。或いは深淵と呼んでもいいだろう闇よりも暗い闇。

 「…リューン」

 「大丈夫だ。はぐれないようにだけ手を繋ごう」

 「………うん!」

深淵に足を踏み入れる一歩手前、俺は、シャルは、マントを羽織った。

そして残された一歩で俺達は固く手を結び合った。

僅かに震えていたシャルの手は深淵に踏み入った時には落ち着いていた。

それが俺の恐怖心を抑える慰めになったのは伝わってしまっただろうか。

 「さらばだ、勇者達よ。成功に溢れた冒険譚と共に帰ってくる事を待ち望んでいるぞ」

深淵に飲み込まれていく。

声はもう聞こえない。

最早己の存在すら不確かに思える暗々とした感覚だ。

それでも何とか自分を見失わずに済んだのはーーこの手に確かに感じるシャルの温もりがあったからだろう。


__________________________________________________________________________________


  驚くほど唐突に異世界への移動というのは終わるのだと、転生者一年目にして初めて知った。

 「…え。え!?」

 「す、すげぇな……。マジで転移してるよ…」

眼前に広がるのはさっきまで広がっていた闇とはまるで違う幻想的に過ぎる自然。

木々に草花に……少し遠くには大きそうな湖も見える。

辺りには柔らかな光の球体がーーきっと原生の虫だろうか?それともたんぽぽの種子のような植物性のモノ?ーーがちらほらと漂っていてそれこそ御伽噺の世界に迷い込んでしまったのかと思うほどだ。

 「とりあえず成功……って事で、良いのかな?リューン」

 「じゃないか?安全な場所かまでは分からないけど少なくとも別の場所には来れてるし…」

 「そう、だよね」

お互い何も分からないまま殆どその場任せの慰めの安心を口にし合い一先ず辺りを見回してみる。

なんだかんだ山育ちのーー俺はもどきだがーー俺達だ。この世界が本当に異世界で、かつ前の世界と生態系の違いがそこまでなければ草木の様子からある程度の情報を得る事は出来る。

その中でも特に重要なのはこの場所が本当に安心してもいいのかって情報だが……。

 「この辺りに動物はいなさそうだね。こっち側の草とかが食べられてる様子はなさそう」

 「だな。獣が通ったような道も見当たらないし、かと言って縄張りにするようなマーキング行為も見当たらない。……多分、あっちの湖の方に集中してるんだろうな」

 「水辺だもんね。人とかがいるにしてもやっぱりそっちかな?」

近くにある木の何本かに顔を近付けて爪や牙や角による傷が無いのを見るにこの辺りは長い事その手の動物が来ていないと分かった。来ていたとしてもせいぜいが小型の鳥くらいだろうか。

 「他に考えられるとしたら虫とか蛇みたいなので凶暴なのがいるかだけど……」

そう言って足元を見るシャルだが俺と同様に何かを見つけられた様子はない。

或いはこの飛んでいる淡い光の球体が支配者なのかもと考えてみたが数分経っても気分が悪くなるとかは無い。少なくとも即効性のある危険は無いと考えていいだろう。

最悪遅効性の毒だったとしたらそもそもここに立っていた時点で話はおしまいだ。今更慌てても仕方がないだろう。

だがもし蓄積性の毒だとしたら……。

 「よし、何にしてもここに立ち尽くしてるわけにもいかない。一旦湖の方まで行ってみよう。もしかしたら現地民に会えるかもしれないしな」

 「だね。この光の球が毒とか出してたら嫌だし」

 「全くだ。念のため対毒と虫除けの補助魔法を掛けとこう。利くかどうかは運次第だけどな」

 「あはは。ホント便利だよね、何でも魔法が使えるって」

 「ま、この手の魔法は普段使わないからな。たまには有効活用しないと」

一旦の方針を決め、今言った魔法を自分とシャルに施す。

対毒の補助魔法は僅かに解毒作用もあるので利いている場合はなんとなく身体が軽くなったりするんだがお互いにそんな感じは無い。

この世界では無意味なのか、それとも毒性は無いのか、或いは中級程度の魔法では解毒できないほど強力な毒なのか。判別は相変わらずつかないがシャルの言ったように無いよりはきっとマシなはずだ。気休め程度だとしても掛けた事は無意味ではないだろう。

 「……よし、行くか」

 「うん」

顔を見合わせ、緊張感を程よく高めた俺達はいつでも武器に手が伸ばせるよう意識しながら生物の痕跡を求めて湖へと向かった。


                                       ーーーー 


 大体一時間は歩いただろうか。

俺達は今、さっきまでいた場所に比べれば見晴らしのいい場所を歩いている。

普段は急斜面な山を登ったり下りたり、時には切り倒した木を運んでいたりしたお陰で特大の剣を背負っての一時間程度の歩行では疲労の[ひ]の字も感じていない。

それは鎧を着こんで二本の大きな戦斧を背負っているシャルも同じ様子だった。…いや、寧ろ生まれた頃から野山を駆けていたんだろうシャルは俺以上に余裕があるようで鼻歌すら歌いだしそうな雰囲気だ。それでも緊張感を解いているというわけでもないんだから流石としか言いようがない。

 「…にしても」

 「ん~?」

一旦周囲を見回すため立ち止まった俺に続き若干前に進んでから立ち止まるシャル。

彼女は急に立ち止まった俺を不思議そうに見つめている。

 「いや、結構歩いたはずなのに動物の痕跡が無いなと思ってさ」

 「確かにそうだね。いくら知らない土地とは言っても私達が痕跡見落とすわけないしなぁ」

ここまでの道中に俺達が出せた結論は一つだけ。

それは[どうやらここは本当に異世界らしい]という事だ。

勿論俺もシャルも元の世界を隅々まで熟知しているわけでは無いが、ここがそうじゃないというのは分かった。

何というか雰囲気が違う。初めて訪れた場所で浮足立った感覚になったとしても一時間も動き回ればそんな違和感は消える。けど俺達は互いに結論を出し合った十数分前ーー俺は今この時もーー身体が思うように動いていないような気がしている。

いや、この土地に慣れていないって言った方が正しいかもしれない。

何にせよ身体が言っているんだ。[ここはこれまでとはまるで違う場所だぞ]と。

そしてこれは俺が前の世界で目覚めた時……つまり異世界転生した一年前の日から半月ほど感じていた感覚に似てる。

 「……なぁ、シャル」

 「ん~?」

全身を覆うように纏わり付く違和感を抱えたまま周囲を見回し終えて俺は一つの仮説を思い付く。

 「もしかしたらここは俺達のいた世界とは生態系がまるで違うのかもな」

 「……って言うと?」

 「もしかしたら肉食と草食……いや、そもそも動物とか虫とかって概念自体が無いのかもしれないって事だ」

それはそもそもこの異世界には俺達が分類しているような生物がいないのかもしれないという事だ。

より端的に言うのなら物語に出てくるユニコーンやゴブリンのような全く別の存在……。或いは、もっと縮小して考えるなら生息する全ての生物が魔法を扱えるほどの知性があって痕跡の残し方からマーキングの仕方までまるっきり違うのかもしれないという事。

俺が転生した前の世界では強さや危険性が段違いなだけで元の世界との生態系の差は全く無かった。お陰ですんなり受け入れる事が出来たが、そのせいで全ての世界でそうなのかもしれないとどこかで思い込んでいたのかもしれない。

もし……いや、だとすれば。

 「……違うって思いたいけど、もしそうだとしたら」

 「ああ。俺達は相当な間抜けかもしれないな」

瞬間的に湧き上がってくる極大の緊張感と周囲への尋常ならざる警戒心が俺とシャルの脈拍を爆発的に跳ね上げていく。

草花の擦れ合うような音は……ある。だがそれは俺達の頬を僅かに撫ぜているそよ風が原因だろう。

なら他に気になるモノは……?

それもある。……少し前までの場所とは浮いている光の球の色が違う事だ。

最初に立っていた場所で視たのは淡い光。つまりは白のような色。だがここにくる数分ほど前から光の色が褐色じみ始めている。

それは気にならないほど緩やかに染まり始めていたようで今になってようやく気が付いたくらいだ。

 「……やっぱりこの世界だとこの光が………?」

シャルがそう呟いた瞬間だった。

刹那に。そして一斉に。周囲の木々がざわめきを強くする。

 「!?」

 「誰!?!?」

不快感と恐怖感を煽る草木の擦れる音。そして……木々の陰で何か大きなモノが動いたかのような揺らめぎ。

それらが全方位で全く同時に起きた。

 「いる!何者かがここに!!」

 「しかも間違いなく知性的な存在だよ!こんな統率の取り方、人間にだって難しい!!」

何者かに囲まれているという確信とそれらが恐らくは知性的に格上だろうという拭い難い疑心感が俺とシャルの距離を縮めていく。

少しでも死角を減らそうと。少しでも安全圏を確保しようと。その結果が背中合わせになってからの武器の引き抜きだ。

 「俺はこっちをやる。シャルはそっちを頼む!」

 「任せて!」

特大の剣を真正面に構え、背後のシャルの動きを僅かに感じる。

彼女は二本あるうちの一本しか戦斧を引き抜いていない。理由は分からないが何か考えがあるんだろう。

それよりも今重要なのはこの場をどう切り抜けるかだけだ。

生物的な揺らめぎが起きてから数分……いや、きっと一分も経っていないのか?

なんにしても俺達を本当に殺すつもりなら武器を構えるよりも前に、それこそ襲撃に驚いているうちに仕留めているはずだ。だがそうはなってない。

今を切り抜けるには恐らくその謎が重要になってくる。

 「……クソ!せめて相手の顔が見えれば……!」

 「交渉するつもり?確かに襲われてないのは気になるけど、友好的じゃないのは確かだよ!?」

 「分かってる!だから顔が見たいんだ!こっちに何を思ってるかを読み取れるかもしれないからな!」

 「……そういう事なら!」

そう言ったシャルは背後で何か構えのような動きを取る。

な、何をする気だ……?

 「シャル!先に手を出すのは…!」

 「分かってる!ちょっと風を起こすだけだよ……っとぉぉぉ!!」

瞬間、背後でとんでもない音が鳴り上がった。

それは彼女の言うように風の音に似ていて……いや、最早突風と言ってもいい吹き弾けた爆発音のように大きな音だ。

 「シャル!?」

 「だいじょーぶ!それにほら!」

思わず振り向いてしまった俺に向けられた彼女の声は明るい。

理由はーー顔が、見えたからだ。

 「……!」

 「え……エルフ?」

 「うん。褐色の肌をしてるから多分、ダークエルフ」

大きな塊が斜め上に向って飛びぬけて行ったかのような木の反り返りの先に居たのは尖った耳を持った細長く美しい顔をした褐色の男ーーダークエルフ。肌の色とは真逆の真っ白な短髪は切り傷によって失明したのだろう閉じられたままの右目以上に注意を引かれてしまう。

 「あ、おい!待て!!」

 「リューン!追う必要は!?」

顔を見られたのが余程嫌だったのかそのダークエルフは左腕で顔を隠すようにしてから振り向くと木々に紛れて走り去ってしまう。

それと同時、周囲に溢れていたざわめきが僅かなうちに遠くへと消えていく。

 「……逃げられた」

 「ううん、追い払ったんだよ」

残されたのは構えを解いた俺達と、誰かが居たという名残が起こす草木の小さな音だけ。

そう。それだけだ。

 「光の球体、いなくなってるね」

 「ああ。……間違いなくさっきの奴らの仲間なんだろう」

 「監視されてた……って事だよね」

 「だと思う。問題はいつからか……だ」

一呼吸置くよりも早く俺達が気が付いたのは褐色じみた光の球体が何処にもいなくなっているという事。

漂うようなあの動きは確かに生物的な何かがあったのは確かだ。けど俺達では感じられないような微風で流されていたような様子があったのも確かだ。

判断を誤った。もっと悪い方に考えるべきだった。

密告者に敵対の意思があるはず無い。バレたら密告どころじゃなくなるんだから。

 「…なににしても移動しよ?また襲われても嫌だし」

 「……だな。向かう先があいつらとは逆だと良いんだが……」

肺に溜まっていた酸素を緊張と一緒に一旦吐き出しシャルの提案に頷く。

それからさっきのダークエルフ達の向かった先が湖とは真逆の方向だというのを確認してから当初の目的に向って進み始めた。

その間にシャルと話し合っていたのはこの異世界に住んでいる存在についてだ。

今のところ目にした生き物はダークエルフだけ。

……後は生物なのか特殊な習性のある植物なのかそれとも俺達の知らないこの世界独自の魔法なのか判別が付かない光の球は一先ず保留にしたが、生き物がいる以上捕食する側とされる側が存在するはずだ。一種族……もしくは二種族しか存在していないはずはない。

地肌に麻か何かのベストを羽織り同等の素材で作られたらしいズボンがあのダークエルフの格好だったのを見るに文化レベルは多分そこまで高くない。その理由は恐らく手放しに繫栄できるほどの安全性がこの世界に無いからだと考えていいかもしれない。

安全を脅かしているのが猛獣なのかゴブリンの類なのか……。それは現時点では判断できない。神話や伝承の存在が住んでいるんだからその手の生物がいても不思議ではないが早計はよくない。

……もしくはそういった書物に記されているように自然と共生する生き方をしているため無意味に文化の発展を行っていないだけかもしれない。

だとすれば問題がもう一つ出てくる。

ダークエルフの対になる存在である普通のエルフだ。

俺の知る限りダークエルフは悪者、エルフはそれを諫める正義の味方で、シャルの中にもその認識があった。

だとすれば。ダークエルフの住む異世界だからと言ってエルフが存在しないわけじゃないし、寧ろその逆だと考えられる。

なら肝心のその正義の味方はどこにいるのか?

その答えを、俺とシャルはすぐに知る事になる。

 「こ……これは……」

 「すごい…。きれー…」

二時間近く草木をかき分けて歩いて到着した湖ーー。そこにあったのは緊張感すら一瞬で解いてしまうほどに美しく巨大な真っ白な城だった。

そして同時に、俺達を待っていたのは驚くほど白い麻の羽衣と、同様以上に白く綺麗な靴を履いた透き通るような肌を持った一人のエルフの女性だ。

 「ようこそおいで下さいました。私の名はリ・キャムル。中でフィルオーヌ様が待っています」

そのエルフの女性ーーキャムルは淑やかさを覚える恭しいお辞儀を深くすると翠色のセミロングの髪を揺らしながら顔を上げ、翡翠のような瞳を俺達に向ける。

 「どうぞ」

有無を言わせないといった様子だった。だが敵意は感じられない。

 「(……どうする、リューン)」

 「(行くしかないだろうな。なんにしてもこの世界の情報を集めないと)」

 「(……そうだよね。分かった)」

さっきまでに俺とシャルで推測した……話したように正義の味方だとしたら悪者のダークエルフに密告する理由は無い。

それにキャムルがどれほどの相手なのかも分からないのに実力行使で逃げるというのはあまりいい手段とは思えない。ここはおとなしく彼女に従うのが良いだろう。

 「相談は終わりましたか?ではこちらへ」

 「…わかった」

 「よ、よろしくお願いします」

聞こえていたのか、ただの牽制なのか。

キャムルは考えを読ませない視線で俺達二人を一瞥をすると城の入り口に向って歩き出す。

俺とシャルは武器に意識を向けながらその後に続いた。


                                 ーーーー


城の中に入ってから十数分歩いただろうか。

最初は、どこか自然を帯びた内装や柱ごとに設置されているとはいえ蝋燭の柔らかな光がどうしてこれほど広い廊下をまんべんなく照らせるのかが不思議で仕方が無かったが流石に見飽きてしまった。

だが隣を歩くシャルは余程この城が気に入ったみたいでずっと目を輝かせながら辺りを見回している。

 「着きました。フィルオーヌ様はこの先の部屋であなた達をお待ちしています」

 「え!?あ、ありがとうございます!」

 「今扉を開けますので少しお下がりください」

立ち止まり、俺達に向き直ったキャムルに左手で扉を示されながらそう言われ、俺とシャルは数歩後ろに下がる。

その中で慌てたように返事をしたシャルを見たキャムルは小さく笑い、扉を開けるために取っ手の前へと移動した。

 「おい……」

 「あ、つ、つい。えへへ」

一応油断できない場所なんだぞと込められた俺の視線に誤魔化し笑いを見せるシャル。

こういう順応しやすいところは彼女の良いところなのかもしれないが今後は気を付けた方がいいとどこかの機会で言うべきかもしれない。

 「そ、それよりあの扉!取っ手の位置で分かんなかったけどさ」

 「お前……お、おお?」

分かりやすく話を逸らそうとキャムルが開けようとしている扉を指さすシャルに釣られて視線を向ける。

それで見えたのは、彼女の言うように取っ手の位置にそぐわない大きさをした扉だ。

具体的な高さは分からない。だが感覚で推測するならはしご車やクレーン車が最大まで首を伸ばしたくらいの高さはありそうだ。

 「ふぃ、フィルオーヌ様って何者なんだろうね……」

 「さ、さぁな。神様かなんかじゃないか?」

流石にこけおどしかなにかだと思いたい。こんな大きさの生物がいてたまるものか。こんなの、襲われたら勝てっこないぞ。

……なんて、半信半疑に近い感情で見上げていると僅かに扉を開き始めたキャムルが可愛らしい声で小さく笑った。

 「御名答です。流石は担い手に選ばれた御方。良い勘をお持ちで」

 「…え」

 「は、ははは。……嘘だよな?」

 「いいえ。本当ですよ。勿論、フィルオーヌ様がとても大きいから神様だというわけではありませんがね」

次第に扉が開かれていく。

なのに、これだけ大きい扉なのに軋む音も無ければ地響きも無く、まるで普通の大きさのドアを開けるような素直さで開かれていく。

 ーー扉の大きさにばかり気を取られてたが、こんなのをあんなに簡単に開けられる彼女も相当だな。

見た目ほど質量が無いのか魔法の類の仕掛けがあるのか……。それとも単に彼女が異様なまでに筋力を持っているのか。

いずれにしろ実力行使という手段に出なくて正解だった。二人掛かりでも無事に勝てる未来が見えない。

 「お待たせしました。中へどうぞ」

生唾を飲み込む事実に息を呑んでいる間に扉が開ききられる。

そしてその中央で両腕を伸ばし、掌を重ね合わせて待っていたキャムルが一礼の後に室内に向き直り歩き始めた。

 「あ、待って!」

 「お、おいシャル!」

半ば置いていかれた形になったシャルは慌てて走り出し、それを止めるために俺も駆け出してしまう。

そうして室内に入ると、途端に得も言えない神聖さが俺達を包んだ。

敵意はまるでない。寧ろ柔らかさや温かさを感じるまである。けれど…これこそが神聖さの所以と言えるのか、どこか鋭さもあった。

その鋭さはきっと世界を見据えられる洞察力から来るのかもしれない。

思わず見上げた先にいた純白以上の白を誇る絹の羽衣を着た大きなエルフの女性を見てそう思った。

 「ようこそ、おいで下さいました。新たなる担い手よ。私の名はラ・フィルオーヌ。この妖精界をまとめる者です。以後、お見知りおきを」

 「あ、ああ。よ、よろしく……」

神々しささえ覚える澄んだ綺麗な声だ。

この部屋の天井や窓を飾り付けるステンドグラスのように美しい、それこそ神と言ってもいい。そんな声だ。

そして何よりも……大きい。椅子に座っているっていうのに軽く見上げたくらいじゃ顔が見えない、普通に前を見ているだけじゃ透明な靴を履いた足先しか見えないくらいの彼女の大きさだ。

可能な限り顔を上げているのに見えるのは膝下まで伸びているライトグリーンの髪程度。彼女の立った姿なんて想像もできない。

さっきの扉と同じかそれ以上はあるんじゃないか?だとしたら一体何十……何百メートルあるんだ。

 「そう驚かないでください。所詮は見かけだけですから」

 「そ、そうなのか……?」

 「ええ。ですのでご安心を」

柔らかく包まれるような微笑みが聞こえるが顔は見えない。とにかく、大きいとしか今は言えない。なんなんだ彼女は。

 「ね、ねぇリューン。フィルオーヌ…さん?って、すごく大きいね」

 「全くだよ。まだ二人しか見てないけど本当にエルフなのか疑いたくなってくる」

立ち止まってフィルオーヌを見上げるばかりだった俺の傍にいつの間にかシャルがやってくる。

彼女も俺と同様に見上げているだけだ。

 「おや、そちらの方は……」

 「あ、ああ、彼女はシャル。俺の旅に付き合ってくれてる友人だ」

 「初めまして!」

 「……そうですか。とても、大義ですね。可愛らしいのに勇ましいなんて、世の女性が見たら嫉妬する事でしょう」

 「え、えへへ」

 「…褒め過ぎじゃないか?お転婆なだけだろ」

 「何か言った?」

 「別に」

今までは隠れて見えていなかったのか、俺の傍まで来たシャルを見つけるとフィルオーヌは同じように神々しさのある美しい声を降らせる。

……ただ、どこか含みのあるようにも感じたが、理由は分からない。

 「さて、このままでは礼を失したままの会話になってしまいますね。今、視線を合わせられるように致しますので少々お待ちください」

 「……?」

 「なにするんだ?」

疑問の正体を追求する余裕も無くかけられた言葉に俺とシャルはフィルオーヌを見上げたまま首を傾げる。

すると膝の上から僅かにフィルオーヌの顔が見えた。

その顔は糸目ーーいや、瞑っている?ーーでどこか静かな印象を受ける優しい表情だ。

恐らくは彼女が前屈みになったから顔が見えたんだろう。

 「さぁ、私の掌の上に乗ってください。あまり乗り心地は良くないかもしれませんが、楽にしてください」

そして前屈みになった理由は視線を自分に合わせるために掌に乗せて高さを合わせるためだったらしい。

彼女のきめ細かな白くて大きい華奢な左の掌が俺達の前に差し出された。

 「い、良いのか?俺達結構森の中を歩いて来てるから汚いと思うぞ?」

 「心配してくださってありがとうございます。でもご安心ください。この城の廊下には土汚れなどを落とす効果を持たせているんです。あなた達の服も、綺麗になってはいませんか?」

 「……ほ、ホントだ!なんか新品みたいになってる!!」

先に確認して驚いたシャル同様俺も自分のマントや服を見て目を見張る。

マントはともかく結構着ている俺の服すら新品同様の清潔感が出ている。

丹念に洗ったりして綺麗になったとかではない、もっと根本的な原因を解決したが故の清潔さだ。

 「不思議でしょう?この城は妖精界でしか取れない除菌石を加工して建てたんです。汚れどころかちょっとした呪いや毒なら簡単に解いてくれますよ」

 「へ、へぇ~~~!すごい!」

 「そ、そういう事なら遠慮なく乗らせてもらうよ」

 「ええ、足場は柔らかいでしょうからお気を付けて」

 「はーい!」

最早完全にシャルの警戒心は解けてしまったようでフィルオーヌに言われるまま床すれすれまで降ろしてくれた左の掌の上に登り始めている。

俺自身も警戒する必要性はもう感じていない。

だが……。なんというか妙な胸騒ぎは感じている。

 「リューン?早く登ってきなよー。ふかふかで気持ちいいよ?」

 「ば!お前、それは失礼だろ!」 

 「あらあら。そう言ってもらえると嫌な気はしませんね」

 「ほらーフィルオーヌ様もそう言ってるんだしさ~。早くおいでよー」

 「この……!」

正体不明の胸騒ぎを抱えたまま、これ以上シャルが余計な事を口走る前にフィルオーヌの掌に登る。

……確かにふかふかとした感触で気持ちいい。それにほんのり暖かいからかとても安心できて落ち着く。

 「では、持ち上げますよ?ああそれとキャムル、貴女も後ほど右肩にお乗りなさい。手を貸す必要はありませんね?」

 「光栄ですフィルオーヌ様。勿論、お手を煩わせるつもりはありませんので、担い手様とお話をしていてくださいませ。私が必要になるまでには必ず傍におりますから」

 「ではそのようにお願いしますね」

二人の会話を耳に持ち上げられていく俺とシャル。

見る見るうちに視界が高くなっていき数秒の内に上昇が止まる。

感覚としては透明ガラスのエレベーターに乗っている感じだったが機械的では無く生物的な感覚があったのでより安心感があった。

 「さて、改めてご挨拶いたしますね」

そうしてやっと顔が見えたフィルオーヌは下から覗き見えた通りの優しく物静かそうな顔つきで、天井のステンドグラスから降り注ぐ光のベールも相まって本当の女神様のように見えた。

 「私の名はフィルオーヌ。この妖精界をまとめる女エルフの長です。……そして、巫女の担い手を最も最初に待つ事になっていた巫女です」

 「……な」

 「え、え?」

瞑られたままの目が柔らかに緩み彼女の顔に笑顔が浮かび上がる。

だが俺とシャルはそれどころじゃなかった。

何故なら、彼女は……フィルオーヌは、俺達が探すはずだった巫女の一人だと名乗りだしたのだから。

 「これからあなた達にお話しするのは遥か大昔に実際に起きた戦いーーあなた方の世界・剣魔界では神話として伝承されてきた物語です。……きっと長いお話になるでしょう、ゆるりと座ってお聞きなさい」

フィルオーヌがそう言うのと同時、俺達の乗っている掌がどこかの上に置かれる。

高さから考えればきっと胸の上だろう。

掌が上昇している時に見えた胸は大きいとかの規模ではなかった。例えるならそれこそ山だ。

そして、そんなところに手を置いてまで話すという事は、彼女の言うように本当に長い話なんだろう。

遥か昔の戦いーー魔王との戦いの話というのは。





to be next story.

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