王子と乞食

@MomoFragil

妾バラの子供たち

5月27日

ここに、歴史に残らないような私の些細な出来事を記しておこうと思う。

テューダー家のヴィンセント王子の養育係としてブランタジネット系男系最後の生き残りである私が出仕した。王子は先天性の梅毒で病弱であり先は長くないとされている。その特徴として片頬に棘のようなおできがあり、彼が好きな薔薇に似た発疹が身体を象っている。

この日は画家に肖像画を描かれており、坊ちゃんは彼のお気に入りだという庭園を背に座っていた。早朝から念入りに梳かした鎖骨まで伸びる髪は水の垂るよう。シャトレーヌ型バックから再び櫛を取り出すと、風で乱れた髪を毛先まで指を沿わせて梳かす。指が肌に触れると坊ちゃんは落ち着かない素振りをしてこちらを見遣るので、「もうすぐで終わりますよ」と傍で囁いた。

初めてお会いした時は高慢で朴念仁なお方だと存じていましたが、権威の裏返しだったようで、今では懇意にして頂いております。

私が画家が帰るのを見送ると、坊ちゃんは居場所が私の隣にしかないように寄ってきて、手を繋ごうとするので慌てて振り払った。手を繋ぐなどという行為を教えてしまったがための弊害。貴族には子供時代など存在しない。行き場がなくなった手は画家が忘れていった一枚の羊皮紙に伸びていき、それが禁忌に触れたのか荒々しい声を上げたので覗いて見ると、裸体のスケッチだったようで。初々しいのは結構ですが、近い将来の為に豪胆さを養わないといけません。


ー1543年7月

『イングランド議会が第三継承法を採決』


7月15日

イングランド王が定めた法律では、唯一の嫡出男子であり王位継承第一位のヴィンセント王子に子供がいなかった場合に、第二位はイングランド王の外孫トマス・ブランタジネット。第三位に長女メアリー1世。第四位に次女エリザヴェータであるとされている。家系図を見て私の両親であるカタリーナ王妃とトマス・ブランタジネットは叔姪婚であることを知った。坊ちゃんは成人した時に飲むヴィンテージもののワインの祝杯を楽しみにしていらっしゃった。坊ちゃんの日に日に悪化する結核に対し私も万病に効く秘薬の準備が整いそうであった。


ー1547年1月28日

『健康を害しイングランド王が死去』


1月28日

好き。嫌い。そうでもない。全く。私と同じ名前の花、マーガレットで花占いをした結果は「全く」だった。

戴冠式が執り行われた。

銀器保管庫に閉じ込めていた侍女が酸欠になる前に同僚に助け出されたようで、私は彼女の証言から坊ちゃんに折檻を受けて両手の小指を切り落とされた。坊ちゃんは父の崩御に動揺していたように見える。切断された指を見てようやく食欲が収まった。


ー1553年7月6日

『イングランド王が結核により15歳で病没』


7月6日

きっと記事にはそう書かれていることだろう。実際にはまだ坊ちゃんは生きている。死を捏造しロンドンに隠棲しているので私には分かる。

この日は坊ちゃんの15歳の誕生日で、カトラリーをお贈りしました。料理を盛り付けた際に銀食器が黒変することで無味無色無臭の水溶性のヒ素を検知することができるので、食事に拘りがある自分としては毒殺に脅かされずに食事を楽しんで頂きたく思いました。ディナーの後に、坊ちゃんはあのヴィンテージもののワインを取り出すと「もう明日を迎えられるかどうかも分からない」と仰るので、特別に飲酒を許可いたしました。

先の長くない人間に葡萄酒など、最後の晩餐を彷彿とさせてしまい、どうにも味が美味しく感じられなかったので顔を顰めてしまった。

「いつも付き合ってくれてありがとう」と坊ちゃんは仰るので

「これからも宜しくお願いいたします」と申し上げた。


ー1553年7月19日


『トマス・ブランタジネットが変死』


『メアリー1世が何者かによって外因死する』


プロテスタントとカトリックの対立。私は親族だという理由で姉の寝室を奇襲した。突然の再会に姉のメアリー1世は大変驚かれていて、エメラルドグリーンを好んで着る彼女の内蔵はヒ素に侵されて緑色だった。切断された小指の部分を見て、いつも思い浮かべるのは坊ちゃんとの「人食いをしてはならない」という約束だった。しかし、プロテスタントと対になるカトリック信徒である王位継承第二位と第三位が密会している絶好の機会を逃すわけにはいかなかった。

イングランド王妃カタリーナはメアリー1世の生母である。飢餓状態になって初めての食事は自分と共に地下牢に捨てられたカタリーナ王妃の胎盤だった。地下牢を覗きに来たメアリー1世は驚かれたことでしょう。ブロンドの髪に青い目をしている両親から茶髪の妹が生まれたというのだから。

地下牢で発酵した囚人の遺体を分けてもらったからこそ生きていて、坊ちゃんにも健康的な人間を召し上がってもらおうと思ったのに。今でも定期的に口にしないと死んでしまうような空腹感に満たされたので、侍女の一人や二人食べても取り返しがつくと思ったのに。人喰いは私にとって特別な秘薬であった。それを証明するかのように、私以外の使用人のほとんどは結核に侵されている。

「愛していたのに」

そう呟く坊ちゃんは軽蔑の眼差しを向けていた。


ー1553年7月19日

『エリザヴェータ女王が自らを支持する近衛軍に命じて宮廷クーデターを起こし、帝位を奪取した。エリザヴェータが即位を宣言。ヴィンセントらは反逆罪によりロンドン塔に幽閉される』


2月12日

坊ちゃんがロンドン塔で私に対して最期に口にした言葉は


「お前は無症状感染者だ。マーガレット」


ー1554年2月12日

『ヴィンセントは結核により15歳で崩御した』


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