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 ボントイが帰宅すると、犬のピースが駆け寄ってきた。白い毛がふわふわとした、中型犬である。

 彼女は一人暮らしだった。夫や子供とも仲のいい設定だが、実際は長年会っていない。初の女性星長せいちょうである彼女にとって、イメージダウンになることは公開されないのである。もちろん、別居の原因がアルコール依存症だったことも。

 彼女には貧困から努力して星治者せいじしゃになったという、偽りのない物語がある。女性初の星長としても、人々から大きな期待が寄せられているのだ。

 だが、星治者になったことで彼女は多忙を極めた。また、星治者としては優秀でないことをすぐに思い知らされた。それでも彼女は看板として求められ続け、ついには星長、地球で最も偉い者にまでなったのである。

 彼女にとって、それは重過ぎる責務だった。飼い犬だけが、日々の癒しだったのである。

 日々の仕事は忙しい。あちこちに飛び回る日もある。決して望んだ未来ではなかったが、彼女にとって、「あの日々」に戻らないことが大事だった。酒に溺れ、それをひたすら隠そうとした日々。

 とにかく、任期を何事もなく全うする。それが彼女の今の目標だった。そして、星長を辞めた後は、星治者も引退する。どこかのどかな土地で、ピースと共にのんびり生きていく。それが彼女の望む未来だった。

 スマホから音がする。それは、緊急の時のみに鳴る、特別な鋭い音だった。ピースが激しく吠え始める。

「こんなかわいい犬を驚かせるのは、感心しないことね」

 ボントイはスマホの画面を見て、口をへの字にした。



 ノールアウストランネ島が見えてきた。北西島と呼ばれることもある。スピッツベルゲン島よりも緩い地形で、人は住んでいない。島に入るとすぐにネオニュートン号は地面まで降下して停泊した。

 進み続けることもできたのだが、これはデモンストレーションである。まずは陸地にきちんと泊まれる、ということをニーノは示したかったのである。

 地面はだいたい氷か岩に覆われているので、実は停泊は困難である。テントを張るならともかく、16平方メートルの硬い床を持つネオニュートン号が安定を保つには、なかなかの苦労があった。床下には九本の鉄の足が生えるようになっており、それぞれが長さを変えることによって機体を水平に保てるようにした。ここの開発が一番時間もお金もかかっている。協力企業は技術を宇宙開発に生かすつもりであり、それを見込んで少し値引きはしてくれた。

 もし北極を探検したいだけならば、もっとコンパクトな造りの方がいい。また、無理に着地しない方がいいだろう。しかし今回ニーノがしなければならないのは、「観光できる」ことの証明である。ネオニュートン号は遊覧艇のプロトタイプなのだ。探検できただけでは評価されない時代はつらい。実利が見込めなければスポンサーも付かない。

 凸凹とした地面だったが、安定して水平は維持されていた。あとは、壁の耐久が大事である。見た目は簡素なプレハブだが、壁は頑丈に作られている。寒さだけでなく、吹雪や結露、様々なことに耐えられなければならない。テントで過ごした探検家たちと違い、ニーノが目指しているのは快適な旅なのである。

 そちらも、今のところは問題なかった。寒さでひび割れるということはなかったし、雪や氷で傷ついている個所もなかった。こちらは、南極基地や宇宙開発の技術が生かされている。将来的には木星旅行などにも生かされることがあるかもしれない。

 順調だ。それは探検において、危険な兆候でもある。


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