後編

食事は一日一回、腐ったパンやスープばかり。

 そんな毎日だったが、監禁生活を私はそこまで苦に感じなかった。

 シャーリーが絡んでくることもない。父は私のことを完全に見限り、無視しているようだ。


 監禁生活十日目、王太子殿下からの婚約破棄の書類がようやく届いたのとほぼ同時、私の部屋を訪ねてくる者があった。


「……ポーシャ様、ご無事ですか」


 その声には聞き覚えがある。

 若手神官のアディルだ。


 まさか彼がやって来るなんて思わず、私は驚いた。


「アディルさん……!? 私は大丈夫です。ですから」


 わけがわからぬまま答えると、閉ざされていたドアが開き、少年が姿を現した。

 天然の白髪に青の瞳。元婚約者の王太子殿下もなかなかに整った容姿をしていたが、アディルは負けず劣らず美しい。

 見慣れているはずなのに、久々に見る彼の姿に目を奪われてしまった。


「失礼します。僕、ポーシャ様のことが心配で来てしまいました」


「ええと、お久しぶりですね」


 どうしてわざわざ私の元にやって来たのかだとか、超がつくほど真面目な彼が入室許可する前に入って来たのはなぜなのかなど、色々と聞きたいことはあったが――。


「ご存知でしょうが、私はもう聖女ではありません。聖女の仕事を放棄しました。あなた方には迷惑をおかけして申し訳ありません」


 真っ先に口から出たのは、謝罪だった。


 全て投げ出したことを後悔してはいないが、聖女を辞めたということは教会に癒やし手がいなくなるわけだ。

 当然ながらアディルたちは困っただろう。特にアディルは私を気遣ってくれていたので、非常に申し訳なく思っていたのだった。


「知っています。……もう、教会に戻ってくるつもりはないのですね」


「はい」


「それなら、僕のところに来てくれませんか」


「はい――――――――――え?」


 思わず肯定してしまったが、直後思考がフリーズする。


 今、彼はなんと言った?


「問題を起こしたわけでもない令嬢を、こんなひどい環境で監禁しているなんてもってのほかです。隙を見て強行突破しましたが、そうでもしなければ誰もあなたに会えなかったでしょう。

 このままではポーシャ様のお命が危ない。僕で良ければ、ポーシャ様に安全な場所と快適な暮らしを提供して差し上げたいのです」


 アディルの言っていることはわからなくもない。

 でも、それはつまりアディルと……年頃の少年と二人で暮らすことになる。しかも、この屋敷から無断で失踪するわけで。


 きっと以前の私なら、迷う余地すらなく笑顔で断っていただろう。

 でも今の私は、何のしがらみもない。どうせ全て投げ出した後なのだ、恥も外聞も気にする必要はなかった。


 だから、


「アディルさんが良いのなら」


 監禁生活が嫌というわけではないけれど、アディルとの暮らしの方が少し興味が湧いた。

 ただ、それだけ。それだけの理由で、私は彼の手を取った。


「ありがとうございます、ポーシャ様」


 彼はにっこりと微笑み、私の手を握り返した。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 アディルの生家、ウィン男爵家でお世話になることになった私。

 その日々は、夢かと思うほど恵まれていた。


 まともな食事が三度も食べらるのだ。

 服だってきちんとしたものを与えられ、ベッドはふかふかで、罵られることもなければ殴られることも、無視されることさえない。


 人並みの幸せ――これをそう呼ぶのかも知れないが、私にとってはアディルの家は天国のような場所だった。


 ……でも、仮にも私は伯爵家の娘。いつまでも殿方の屋敷に泊めさせてもらっていいものではないことくらい、わかっている。

 いつか帰らなければならないのではないか、と不安になる時もあった。


 だから一度、こんなことを言い出してみたのだが。


「私に何かお礼をさせてください」


「構いません。僕はあなたがいてくださるだけで嬉しいのですから。

 ……ですがそうですね、せっかくですし、これ以上黙っておくのは失礼というものでしょうから、今ここで言わせていただきます。ポーシャ様。あなたが教会に勤めていた頃から、ずっとお慕いしていました。どうか僕と、結婚してくださいませんか」


「――えっ」


 突然の求婚を受けた。


 まさかアディルから想われていたなんて想像さえしていなかった私は動揺し、思わず「じゃあ婚約者から……」と言ってしまい、後日婚約が結ばれることになる。


 でもよくよく考えてみれば、アディルが私を庇ってくれようとしたのも、監禁されていたところを連れ出されてこうして養ってもらっているのも、彼に好かれていたからだと納得できる。

 というか今まで気づかなかった自分の鈍感さに呆れた。


 彼と婚約者同士になったのは良い選択だったのかも知れない。

 なぜなら私もいつの間にかアディルに惹かれていたから。


 彼の見目の麗しさはもちろんあるけれど、何より私へ向けてくれた優しさが嬉しかったのだ。

 聖女だった頃も、聖女ではなくなった今も、アディルは私を一人の人間として尊重して接してくれる。そのことが私にはたまらなく幸せで、尊いものだったのである。




 アディルと婚約したのをきっかけにメルトリア伯爵家とは本格的に縁を切った。

 そしてその後、伯爵家は急速に力を失い、かつて聖女だった私を虐げていたことが公になって没落。王太子殿下と結婚する予定だったシャーリーは平民の娼婦に落ち、一方の王太子殿下は私へ向けた数々の暴言と暴力、そして暗殺計画が国王に知られたらしく、離宮にて幽閉されることになった。

 それと、王太子殿下と共謀して私を病死へ追い込もうとしていた教会の一同、修道女や聖騎士たちはもちろん、特に司祭様には厳罰が下されたという。


「そういうわけで、次は僕が司祭を務めることになったんです」


「すごいじゃないですか、アディルさん」


「でも問題はまだまだ山積みです」


 修道女や聖騎士をきちんと選び、さらに教会の信頼を立て直すのはとても大変なことだと思う。

 だから私は、影からアディルを支えるつもりだ。もう一度聞かれたが、私はもう聖女に戻るつもりはないので。


「だって私はアディルさんの……アディルの妻になるんですもの。夫を手助けするのは、妻の役目でしょう?」


 私はそう言って、心からの――たっぷり十年以上ぶりの心からの笑顔を見せる。

 アディルはそっと私を抱きしめて、「僕の婚約者が可愛過ぎる」と呟いた。

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虐げられ聖女は、聖女を辞めることにした 〜全て投げ出したら、幸せになれました〜 柴野 @yabukawayuzu

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