中編
それは偶然だった。
つまらないことで継母の機嫌を損ねてしまって暴力を振るわれ、腫れ上がった腕を抱えながら寝られずにいた夜のこと。
ふと窓の外を見ると、一階の庭に人影が見えた。
それが義妹のシャーリーだと気づいたのは、かつて私から奪ったピンク色のフリフリドレスが淡い月光に照らされて輝いていたから。
そんな彼女の傍らには、もう一人、誰かいる。
誰なのかはよく見えなかった。でも、ぼんやりとしたシルエット、そして風に流れて聞こえてきた話し声だけでわかってしまった。
どうやら二人は、どこかのダンスパーティーから帰って来たところらしい。
王太子殿下が婚約者である私を伴わず、義妹を連れて行った。
その事実に私の背筋は冷たくなった。
「今夜も楽しかったですわ、ジャスティン様」
「俺もだ、シャーリー。ポーシャみたいなつまらん女ではなく、お前が俺の婚約者だったら良かったのに。シャーリーには辛い思いをさせ、すまない」
「構いませんわ、ジャスティン様。お義姉様を表向きは正妃とすればよろしいのですもの。お義姉様が
「そうだな」
二人は抱き合い、うっとりと視線を交わす。
そして、月夜の下でキスをした。
きっと私が窓から覗いていることなど気にしていないし、たとえそうだとしても彼らにとってはどうでもいいのかも知れない。
……どうやら私は、王太子殿下の妃になることさえなく殺されてしまうらしい。
病死、というのが毒で殺すつもりならば光魔法を使って自分で解毒できるだろうが、別の方法で暗殺して表向き病死にされるという話なら私に対抗する余地はない。
そして私の死後、シャーリーが王太子殿下と結ばれるという算段なのだろう。
――ああ。
腕の痛みも忘れて私は、歯噛みした。
別に王太子殿下に対して恋情を抱いていたわけではない。私が幸せになれると思っていたわけでもない。義妹はいつか私の婚約者も奪うのではないかと、考えたことがなかったわけでもない。
だから失望はしなかった。もう希望なんてとっくの昔に失っている。ただ胸に湧き上がったのは、純粋なる怒りだった。
『――ポーシャ。大丈夫、笑顔でいてさえいればきっと誰からも慕われる聖女様に、そしてお妃様になれるわ』
聖女に、そして王太子の婚約者に選ばれた私に向かって、亡くなる寸前の母が言った言葉を思い出す。
それを叶えるために、今までどんな辛いことも我慢してきた。
もちろん母に悪気はなかったろう。
だがそれが私を縛る鎖となっていたのは確かだ。私は聖女なのだからと、怒りを抑え込み、従順に周囲に従おうと努力してきた。
でも、もう耐えられなかった。
今まで十年間、我慢し続けたことに何の意味もなく、このまま殺されるだけなんて――そんなの、許せるはずがない。
死んでいたはずの心に、火がついた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「あなた方のお気持ち、わかりました。なら私、聖女辞めます」
私が堂々と言い放った言葉に、その場にいた一同――無礼を承知で呼び出した王太子殿下、父、継母、そして義妹のシャーリー――は、唖然となった。
私が急に皆を呼び集めるので何なのだと不満を言いながら渋々やって来た結果がこれだ。真っ先に怒り出したのは、王太子殿下だった。
「どういう意味だ、ポーシャ。お前は俺との婚約の条件を忘れたか。伯爵令嬢でしかないお前を娶ってやるのは、お前が名ばかりとはいえ聖女だからなのだぞ」
「承知いたしております、殿下。ですから早々に婚約を解消なさったらいかがでしょうか。どちらにせよ、私と殿下が結ばれることはなかったのでしょう?」
「なっ……」
強気に出た私に驚いている王太子殿下に代わって声を上げたのはシャーリーだった。
「お義姉様、ずるいですわ。そうやってジャスティン様の気を引こうとなさっているのですわね」
「いいえ。王太子殿下との婚姻は、キッパリ諦めました」
幸せになれなくてもいい、だから王太子殿下に嫁がなければ……母の遺言に縛られた私は、ずっとそう思っていた。
でも、もういい。聖女なんて肩書き、こちらから捨ててやる。
「ポーシャ、お前という奴は!」
父に思い切り殴られる。
腰掛けていた椅子から落とされた私は、全身を地面に叩きつけられた。腕の骨がボッキリ折れてしまった気がする。でも、光魔法での治癒は行わない。そして父をきっと睨みつけ、
「お好きなだけ殴ればよろしいでしょう。私が死んでも良いなら、ですが」
と、言ってやった。
それから数回殴られ罵られたが、私が屈することはなかった。
さすがに父も私を殺すことはできなかったようで、自室に押し込められることになった。
しかし私の心は晴れやかだった。
もう聖女でいなくても良い。無理に笑わなくても良いし、修道女にこき使われ、聖騎士に脅されることもないのだから――。
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