エピローグ
エピローグ
警察署を出ると、明るかった空は黄昏時になっていた。随分と長い時間、旭さんと話し込んでいたようだ。
全ての真実は明らかになったが、その真実が今、表に出ることはない。
だが、それでいい。真実で人を傷つけてはならないのだから。俺が証明するのは、真実が人を救うこと。
そして、手に入れるのだ。俺なりの、探偵としての誇りを。
「旦那様」
聞きなれた声が耳に入り、俺は声がした方向に視線を向ける。
視線の先には、金谷郷家の車の前に立つ奥山さんの姿があった。
「お迎えに上がりました」
「ありがとう」
「……旭は、どうでしたか?」
「これから真剣に自分の罪と向き合っていく。そう言ってたよ」
旭さんが検察に真実を話すことはない。
ただしそれは自分を守るためでなく、奥山さんを傷つけないためだ。俺に真実を暴かれる前と後で、旭さんの内面はかなり変化したはずだ。
だから今俺が口にした、面会室をあとにする際に旭さんが発した最後の言葉を俺は信じることができた。旭さんは間違いなく自分の中で自分の罪と向き合うはずだ。
「そうですか……」
そう話す奥山さんの表情は、どこか安心しているかのような雰囲気を感じさせるものだった。
「さぁ、屋敷に帰りましょう、旦那様」
「うん」
奥山さんが車の後部座席の扉を開け、俺はそこから車内に入ろうとする。
だが、途中で俺は車内に入ることをやめ、視線を奥山さんに向ける。
「奥山さん」
「何でしょう?」
「この前さ、全部が終わったら、話があるって伝えたよね。今、そのことについて話してもいいかな?」
「…………はい」
俺の言葉を聞いた奥山さんは身構え、何か覚悟めいたような表情で返答してきた。
俺はそんな奥山さんを安心させようと微笑みながらあることを口にする。
「実はさ、俺、ある夢を持ってるんだ」
「夢、ですか?」
「うん。……江月さんの人探しを手伝った時、奥山さんには探偵の卵を自称して探偵ごっこをしてるなんて言われちゃったけど、あれ本気なんだよね。俺、昔から探偵になりたいって思ってたんだ。まぁ、立場上表立って言える夢じゃなかった。でも、岩井さんが俺の身辺警護をしてくれた時、話す機会があってそこで俺の夢について話したら岩井さん、俺のことを弟子にしてくれたんだ」
「…………そう、だったのですか」
「ただ、そのあとすぐに岩井さんが死んじゃったから、何も教えてはもらってないんだけどさ。それでも俺はあの人の弟子だ。でさ、今、岩井さんの探偵事務所は誰も人がいない。このままじゃ廃業してしまう。それは弟子として看過できない。だから、あの人の跡を継いで俺が岩井さんの探偵事務所の看板を守ろうと思うんだけど……どうかな?」
探偵としての誇りを手に入れるためには、俺が探偵を続ける必要がある。
それは、今の金谷郷政太郎の立場では実現が難しいことだ。
だから俺は、こんな出まかせを言ったのだ。
探偵を続けるために。
まぁ、自分自身あまりにも突拍子のないことを言ったものだと思ってはいる。
奥山さんがどのように受け止めるか少しばかり不安ではあったが、奥山さんの表情を見る限りは大丈夫そうだ。
「よいと思います。旦那様ならきっと、立派な探偵になれます」
奥山さんは優しい目をしながら、そう俺に返答してきた。
「実は、いつか旦那様がそんなことをおっしゃるんじゃないかと思っておりまして、私の方で探偵の力が必要な事件がないか調査を内々にしておりました。すでに、何件か依頼を賜っております」
「えっ? 奥山さんが?」
そして続けて奥山さんが発した言葉は、予想していなかったものだ。
というか、長い間探偵業をしていて依頼がほいほいと舞い込んでくることなんてなかったのに、そんなにも簡単に依頼って集まっちゃうもんなの?
と、少し泣きたくなることを考えつつ、俺は奥山さんの返答を待った。
「はい。それで、こちらの依頼などはいかがでしょうか」
そう言いながら奥山さんは懐から紙束を取り出し、俺はその紙束を受け取って一枚目の紙に視線を落とした。
「全寮制の女学院での事件、か」
依頼者は男子禁制全寮制の女学院に通う生徒であり、依頼内容の事件もその女学院内で起きていた。
大した事件ではない。ある大事なものをなくしたが、盗まれた可能性が高いので犯人を見つけ出してほしいというものだ。
ただ、盗まれた可能性が高いのなら教師に相談するなりして警察に被害届を出せばいいと思うのだが、どういうわけか依頼主は警察ではなく探偵を頼ろうとしている。
これは依頼主が教師に相談したものの教育現場の警察アレルギーが原因で、学校内部で握りつぶされてしまったからなのか。
それとも依頼者なりの何か考えがあるからなのだろうか。
そもそも大事なものと書かれているが、その大事なものが何なのか一切この資料には書かれていない。
「……うーん、この依頼を引き受けるとしても一度依頼主に話を聞かなきゃいけないな」
パッと依頼内容を確認した時点で疑問がある以上、一度依頼主から直接話を聞くのがベターな選択であると言えよう。
しかしこの依頼には一点問題がある。依頼主が男子禁制全寮制の女学院に通う生徒であるということだ。
男子禁制である以上、俺の方から依頼主に話を聞き行くことはできない。
だから依頼主に直接会いに来てもらう必要があるのだが、男子禁制全寮制の女学院ともなると勝手なイメージだが校則が厳しくておいそれと外出許可なんて出ないんじゃないだろうか。
そう俺が考えていると、
「旦那様のおっしゃる通り、一度依頼主様と会う必要があるかと思います。ですので、既に準備は完了しております」
そう言って奥山さんがどこからともなく女学院のものであろう制服を取り出し、俺に見せつけてきた。
……とてもとてもとても嫌な予感がする。
「奥山さん……それは?」
「ご安心ください。採寸は完璧です」
なるほど。奥山さんはこう言いたいわけだ。これを着て依頼主に会いに行け、と。
「…………奥山さん。ちょっと俺なりにこの依頼について整理してみるね。それで……そのーどうしても依頼主に会う必要が出てきたら……あー……まぁ、考えてみるよ」
「そうですか……かしこまりました。なるべく早めにご返答ください」
なぜか少しだけ奥山さんが残念そうな表情をしたことを俺は見逃さなかったが、それにかまけている暇はない。
何としても女学院の制服を着て依頼主に会うことを避けるために、今手元にある情報だけで事件を解決に導かなければならない。
そう考えた俺は急いで車に乗り込み、音楽プレイヤーを取り出してイヤホンを耳に差し込んだ。流す曲はもちろん『私は想森ななか』だ。
「……ふふっ」
と、『私は想森ななか』を再生する直前、俺のあとに続いて車に乗り込んだ奥山さんの笑い声が微かに耳元に入ったような気がして、俺は視線を奥山さんに向ける。
だが、奥山さんは普段通りの様子で、奥山さんが笑ったのか確認することはできなかった。
奥山さんは探偵になるという俺の提案をあっさりと受け入れたばかりか、先を見越して独自に探偵への依頼案件を集めていた。
もしかしたら、奥山さんの中では既に金谷郷政太郎のことはある程度区切りがついているのだろうか。
もしそうなら、真実を話しても…………いや、やめよう。今、奥山さんに真実を話すことは、賭けになってしまう。
俺が奥山さんに真実を話すのは、奥山さんが真実を受け入れられると確証を持った時でなければならない。だから焦って今、話す必要などない。
でも、その時はわりと早くに訪れるかもしれない。
根拠はまったくないが、車が動き出し、車の窓の外の景色に視線を向けた奥山さんがした穏やかな表情を見て、俺はそう思えた。
私立探偵、岩井猛は死んだ。そして今回の一連の出来事で俺は、探偵としての誇りを得ていなかったことに気付いた。
つまり、探偵としてのスタート地点に戻ってしまったと言える。
これから俺は私立探偵、金谷郷政太郎としてその戻ったスタート地点から再スタートを切ることになる。
どんな事件を解決し、どんな人達を助け、どんな探偵になるのかは、今から再スタートを切る俺にはまったく想像ができない。
だが、一つだけはっきりしていることがある。
いつの日かたどり着くであろうゴール。
それは、奥山さんを救った時であるということだ。
そんなことを考えつつ、黄昏時に耳元で鳴り響くアイドルソングを聴きながら俺は私立探偵、金谷郷政太郎として最初の依頼となる事件の推理を始めるのだった。
【完結】探偵リスタート 東谷尽勇 @higashitani
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます