第四章 その8
切っ掛けは、俺の推理通り奥山さんがスキラーであることを金谷郷政太郎が知ったこと。
金谷郷政太郎は苦悩の末、父親である剛三郎の殺害を決意した。
そして事件当夜、金谷郷政太郎は剛三郎の隙をついて薬をすり替えたあと、そのまま剛三郎の部屋に身を隠して息を潜め、剛三郎の様子を伺っていたそうだ。
その後、トイレからの物音に気付いて様子を見に行き、剛三郎が倒れている姿を金谷郷政太郎は見つけた。
あとは空の容器を回収して処分し、枕元に薬が入った容器を置くだけだったのだが、剛三郎が倒れている姿を見たことで、金谷郷政太郎は己がしでかしたことをようやく理解したそうだ。
金谷郷政太郎はそのことでショックを受け、手元に持っていた薬が入った容器を床に落とし、そのままどうすることもできず、気付いたら剛三郎の部屋の前に座り込んでしまった。
そこに、旭さんと奥山さんがやってきて、事件が再び動き出す。
「旦那様のただならぬ様子を見て、すぐに剛三郎様の部屋で何かがあったと思いました。そして奥山に旦那様を任せ、部屋の中に入ってみるとトイレの前に薬が入った容器が落ちていました。私はそれを拾い上げ、トイレの中を見てみると、剛三郎様が倒れていました。その手には、私が持っているものと同じ容器が握られていました。
すぐに剛三郎様が持っている容器が空であること、旦那様が容器のすり替えを行ったこと、そして奥山のために旦那様がこんなことをしたのだと気付きました」
「あなたも知っていたんですね。奥山さんがスキラーであると」
「……はい。当然、奥山がスキラーであることを旦那様が知ったらどうなるかも理解していました。しかし、私は何も行動しなかったのです。奥山を助けもせず、かといって剛三郎様に報告もしませんでした。
あの時もそうです。倒れている剛三郎様を前にして、全てを理解したものの、私は何もしませんでした。どう行動すればいいのか、分からなかったのです。
そして、私が茫然と立ち尽くしている時でした。倒れていた剛三郎様が、必死に体を起こそうとしながら私に向かって手を伸ばしてきたのです。剛三郎様は、まだ死んでいなかったのです。
剛三郎様が私に向かって手を伸ばしてきたのは、私が手に持っていた薬が入った容器を求めていたからでした。その容器を剛三郎様に渡せば、おそらく剛三郎様は助かったでしょう。ですが私は……私は…………剛三郎様に容器を渡さなかったのです」
震える声で、旭さんは自分自身の罪を告白し始めた。
「今でもなぜそんなことをしたのか、自分でも分かりません。ただ、私が容器を渡さなかったことに剛三郎様は酷く動揺し、絶望した表情のまましばらくして息絶えました。そしてすぐに私は我に返りました。この状況をどうにかせねばならない、と。
私は剛三郎様の手から空の容器を回収し、薬の入った容器を剛三郎様の枕元に置きました。そして警察と救急車を呼び、廊下で私のことを待っていた奥山に旦那様を連れて剛三郎様の部屋から離れるように指示し、一人きりなったタイミングで剛三郎様の部屋から急いで離れて空の容器を処分し、剛三郎様の部屋に戻り、到着した警察官と救急隊員の対応をしました。
あとは、岩井様の推理通りです。警察が一応の結論を出したタイミングで、圧力をかけて捜査を終わらせた。これが、剛三郎様の死の真実です」
真実を話し終えた旭さんは、肩の荷が下りたのか大きく息を吐いた。
そしてすぐに俺に視線を向け、話しかけてきた。
「一つ、お伺いしてもよろしいでしょうか」
「どうぞ」
「岩井様は、最初から私が剛三郎様の死に関わっていると気付いておりましたね」
「……はい」
先ほどまで話していた推理の途中、一度俺が言葉に迷ったものの予定していた通りの言葉を口にした場面があったが、俺が言葉に迷ったのは金谷郷政太郎には絶対にできないある行為を金谷郷政太郎がやったと言い切るためだった。
そして、金谷郷政太郎には絶対にできないある行為こそが、剛三郎の死に旭さんが関わっている何よりの証拠でもあるのだ。
「金谷郷政太郎の殺人計画は運を味方につければ途中まではうまくいきます。ですが、空の容器の処分。これだけは、金谷郷政太郎には絶対にできないと、あなたの証言を聞く前から推測できたからです」
「なぜですか?」
「発作を抑えるのに必死だった剛三郎が空の容器を強く握りしめ、そのまま死んだとしたら果たして金谷郷政太郎が、大の大人が強く握りしめていた空の容器を取ることができるか。無理です。この体で生活するようになった私自身よく理解していますが、金谷郷政太郎は少々非力過ぎます。しかも事件当時、金谷郷政太郎は小学生でした。剛三郎が握りしめていた空の容器を回収するのは不可能です。
仮に剛三郎が倒れた時に運よく空の容器を手放して回収することができたとしましょう。ですがそうだとしても今度は空の容器を処分することが金谷郷政太郎にはできません。なぜなら金谷郷政太郎は剛三郎が倒れてすぐにショックを受けて剛三郎の部屋の前に座り込んでしまいました。そしてあなたと奥山さんに発見されてから、金谷郷政太郎はずっと奥山さんといました。だから金谷郷政太郎は空の容器を回収することができても、処分するチャンスがなかったんです。
警察もバカじゃありません。最低限、第一発見者である金谷郷政太郎が不審なものを持っていないかくらいは必ず調べます。金谷郷家の次期当主を身体検査するとは、どういうことか。と、圧力をかけることもできなくはないでしょうが、あなたからしてみればこの事件は警察がきちんと捜査をして一定の結論を警察自身が導き出したあとに圧力をかけたかった。ですから、あなたはむしろ金谷郷政太郎に警察の身体検査に協力するよう勧めたはずです。そして警察が身体検査をした結果、金谷郷政太郎から不審なものは発見されませんでした。金谷郷政太郎が空の容器を持っていなかったことを証明する何よりの証拠です。
以上のことから金谷郷政太郎に空の容器を処分するのは不可能です。ですが、空の容器は処分されていました。つまり、空の容器を処分した人間がいるということです。それが可能なのは剛三郎が倒れてから警察が到着するまでの間、一人きりなれた旭さん、あなたしかいません」
「……お見事です」
そう言った旭さんの口元は微かに笑っていた。
今なら、旭さんは本当の真実を話してくれるだろう。
「旭さん、あらためてお聞きします。あなたが私を殺した動機は、金谷郷政太郎の隠された真実が暴かれるのを防ぐためですか?」
「…………違います。私は、恐れたのです。岩井様があの日記を読んだのを切っ掛けに、剛三郎様の死の真実を……私が、愚かで卑怯な人間であると暴くことを、恐れたのです」
必死に言葉を絞り出し、旭さんは俺を殺害した本当の動機を告白した。
その言葉は、嘘偽りのないものであろう。
「既にお気付きでしょうが、私は剛三郎様の死の真実を旦那様には打ち明けませんでした。小さな子供に、私は殺人という十字架を代わりに背負わせたのです。旦那様が罪の意識に苛まれる光景を何度も見たのに、私は最後まで真実を話せなかった。自分だけを守ろうとしたのです」
それは、旭さんがずっと感じていた負い目なのだろう。
ただ、その負い目には間違った事実が含まれている。そのことを指摘してあげるべきだろう。
「あなたに一つ、お伝えしておくべきことがあります。たしかに、金谷郷政太郎に真実を伝えていれば金谷郷政太郎の心理的負担は減ったはずです。それをしなかったのはあなたの罪と言えます。
ですが、あなたは決して自分だけを守ろうとはしていません。あなたは剛三郎を見殺しにした理由は分からないと言っていましたがそれは違います。あなたは分かっていたはずです。ここで剛三郎を助けてしまっては、金谷郷政太郎の身が危ない。金谷郷政太郎を助けるには、剛三郎を見捨てるしかない。だからあなたは剛三郎を見殺しにした。その行動原理は、金谷郷政太郎に対する忠誠心です」
俺が話す言葉を旭さんは一言一句聞き逃さないよう黙って聞いていた。
「事件が起きる……いえ、事件が起きる前から既にあなたの中では、自分が仕えるべき主は金谷郷政太郎であると認識していたんです。そしてあなたの金谷郷政太郎に対する忠誠心は今も変わりません。
剛三郎の死にあなたが関わっていると証明するには、あなた自身から証言を引きずり出す以外に方法がありませんでした。ですから私は、あなたの忠誠心に賭けました。金谷郷政太郎が事実と反する罪を自供し、裁かれる現実を突きつけたら、あなたは金谷郷政太郎のために必ず真実を話してくれると」
結局のところ、剛三郎の死の真実は、警察が事故死として処理したこともあって決定打となる証拠がなく、俺の推理でフォローしきれるものでもなかった。
だから、旭さんからどうしても真実を引きずり出すしかなく、旭さんの忠誠心に賭けて俺は金谷郷政太郎として全ての罪を受け入れようとしたのだ。
俺の言葉を聞いた旭さんは、俺にこう問いかけてきた。
「忠誠心、ですか。こんな私が、そんなものを持っていたと?」
「はい。でなけば、あなたは自分の罪を金谷郷政太郎に全て押し付けるチャンスだったのに、そのチャンスを棒に振ったりしません」
「…………そうですね」
俺の返答に納得したのだろう。旭さんは何度も頷きながら言葉を発した。
そして、旭さんは再び俺にこう問いかけてきた。
「岩井様。私もあらためてお伺いしたいことがあります」
「なんでしょう?」
「これから、どうなさるのですか?」
全ての真実が明らかになった上で俺はどうするのか。金谷郷家はどうなるのか。そして、奥山さんは。
様々な意味合いが込められている旭さんの問いかけに対して、俺は落ち着いてゆっくりと回答を口にし始める。
「まず、真実を暴いておいてこう言うのも何なんですが、剛三郎の死の真実もまた、明らかにすることはできません。なぜなら自分を守るために金谷郷政太郎が殺人を犯す決意をしてそれを実行したなんて真実、奥山さんが今、受け入れられるとは思えないからです」
剛三郎の死の真実もまた、奥山さんに傷つけかねない真実だ。
だからとてもじゃないが、今すぐに真実を明らかにすることなんてできない。……そう。今すぐには。
「ただ、今は話せない全ての真実は、奥山さんが受け入れられる日が来た時には話すつもりでいます。私自身、そんな日が訪れるように努力は惜しまないつもりです」
それが俺の答えだった。
いつか奥山さんが真実を受け入れられるその日がきたら、俺は奥山さんに全ての真実を話すつもりでいた。
そんな俺の答えを聞いたからだろう。旭さんは続けて核心をつくある疑問を口にした。
「岩井様はどうしてそこまで、真実にこだわるのですか?」
「それが、人を救うものであると信じているからです」
俺は旭さんの疑問に対して真正面から自分の偽らざる本音をありのままに伝え始めた。
「私は金谷郷政太郎になってから、いくつかの事件に関わりました。その内の一つの事件で、私は推理する行為そのものを楽しく感じてしまうという事実を突きつけられました。被害者がいて、私自身が事件に対して心を痛めていてもです」
千倉奈央に突きつけられた事実。俺はその事実から目を背けたかったが、結局目を背けることはできなかった。
なぜならその事実はどれだけ否定しようとも俺の本質だからだ。
「その事実をすぐに受け入れることはできませんでした。それでも、私はその事実と向き合うことにしました。
同時に、私はある出来事を振り返りました。私が事実を突きつけられた少し前のことです。私はある犯人への憎しみのあまり、自分を見失いかけました。そんな私を、奥山さんが救ってくれました。私が行ってきた行為は間違いではない。真実を追いかけ、誰かの笑顔を守っていた。そう、奥山さんは言ってくれました。
ですが、奥山さんは私を励ますことの代償に、自分自身を傷つけていました。なぜなら私の行為を認めるということは、私が金谷郷政太郎とはかけ離れていた行為をしていたと認めることと同義なんですから」
谷山が死に、江月さんの思いが無に帰した時、俺の中で憎しみの感情は最高潮に高まったが、奥山さんの励ましのおかげで俺は道を踏み外さずに済んだ。
だが、俺を励ました奥山さんの言葉は、金谷郷政太郎の死とほんの少しでも向き合わなければ出すことができないものだ。
その行為は確実に奥山さん自身を傷つける行為であり、彼女がどれほどの勇気を持って真実に向き合ったのかは分からない。
旭さんも俺の話を聞いて、奥山さんが勇気を出して金谷郷政太郎の死に向き合ったことに気付いた様子だ。
「奥山さんは、私を助けるためにひと時ではありますが、真実と向き合いました。真実が私を助ける。そう思ったから。そんな彼女の勇気ある行動を思い出し、私は気付きました。真実は、苦しんでいる人を救うことができる。苦しむ人を救えるからこそ、私は真実を追い求めることを楽しんでいるのだと」
それが、全てだ。俺は奥山さんの勇気で気付けたのだ。真実が人を救うことに。
「真実が人を傷つけることもあるのは、理解しています。真実よりも、優しい嘘が勝る時もあるという意見があれば、同意します。何事にも例外というものはあります。ですが、やはり私は苦しんでいる大多数の人を救うには真実が必要だと思っています。旭さん。あなたの場合もそうです」
「私も?」
「あなたは私に真実を突きつけられ、自分の罪と向き合いました。そして向き合ったことであなたは気付きました。主である金谷郷政太郎に忠誠心を持つ、使用人としての誇りがあることに。それはあなたの救いになったはずです」
「……はい」
旭さんが微笑みながら頷いた。
「それに、真実が人を救わないというのなら警察、ましてや探偵という職業はこの世に必要のないものになってしまいます。だから私はいつか、奥山さんが真実を受け入れられるその日が来た時、真実を話し、彼女が私の心を救ってくれたように今度は私が彼女の心を救いたいと思います。
ですからそれまでの間、真実は先送りにします。私が殺害された事件も、どこにでもいる探偵が殺された、ただそれだけの事件で今はいいんです」
「……そうですか」
俺の決意を聞いた旭さんはじっくりと何か考えているような素振りを見せた後、俺にある言葉を伝えてきた。
「岩井様。お願いがあります」
「なんでしょう」
「どうかこれからも、真実を追い求めてください。真実を追い求め、苦しんでいる人を救ってください。そして、その過程で真実こそが人を救えることを証明し、どうか岩井様なりの探偵としての誇りを得てください」
誇り、か。そうだな。真実こそが人を救えると証明した時、俺はきっと探偵としての誇りを得ることができるだろう。
目標がより明確化された。迷うことはない。その目標を達成するため、俺は俺なりの道を進むだけだ。
だから、旭さんの言葉に対する俺の答えはもう既に決まっている。
「もちろんです」
と、俺は旭さんに返答した。
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