第四章 その7
金谷郷政太郎の名が出された瞬間、旭さん強く目を瞑った。
気付かれたくない真実を掘り当てられてしまったことがその様子から見て取れた。
「剛三郎は金谷郷政太郎に息子としてだけでなく、自身の後継者としても接していました。ですから、誰よりも剛三郎からの信頼が厚い人間の一人と言えます。必然的に、目の前で隙を見せることも多かったでしょう。
そして、動機。金谷郷政太郎が父親を殺す覚悟を決めるほどの動機です。これについても、金谷郷政太郎は持っています。それは、奥山さんです。
そもそも金谷郷家が奥山さんを使用人として引き取るのはおかしいんです。なぜなら奥山さんは剛三郎が軽蔑するスキラーなんですから。引き取るわけがありません。だが実際には金谷郷政太郎の提案によって奥山さんは引き取られました。
なぜこんなことが起きたのか。それはおそらく奥山さんを引き取った時、金谷郷家の人間が誰も奥山さんがスキラーだと知らなかったからでしょう。奥山さんがいた施設が隠していたのか、それとも奥山さん自身が隠したのか、真実は分かりません。
ですが、そんな風に隠されていた奥山さんがスキラーであるということは、奥山さんと一緒に暮らす内に気付く可能性が十分にありえます。例えば、そのことに金谷郷政太郎が気付いたらどうでしょう。おそらく金谷郷政太郎は絶望したはずです。助けたいと思って助けた少女がよりにもよって自分が逆らえない父親が毛嫌いするスキラーだったんですから。
金谷郷政太郎に、剛三郎を説得する未来は見えなかったはずです。剛三郎に奥山さんがスキラーであるとバレた時点で終わりなんですから。金谷郷政太郎は苦悩したことでしょう。そして苦悩の末、覚悟を決めた。奥山さんを助けるため、剛三郎を殺すと」
実は旭さんにこの推理を披露する直前まで、俺は金谷郷政太郎が剛三郎を殺害する動機について自分の中で確証を持てないでいた。
奥山さんが動機であることは間違いないと思っていた。
なぜならそうでなければ殺害を決意する切っ掛けがないからだ。
ただ、果たして本当に自分の父親をそんな動機で殺す決意をするのか、それほどまでに金谷郷政太郎の奥山さんに対する思いは強いのか、確証を持つだけの証拠が手元になかったのだ。
だがそれは、先ほど旭さんが話した奥山さんを引き取った際の話で得ることができた。
「そして、金谷郷政太郎は殺人を実行しました。薬が入った容器を空の容器とすり替えたのです。ただ、その殺害方法は不確定要素が多すぎる方法です。すり替えても、剛三郎が発作を起こした時、周りに誰かしらいる状況だったら剛三郎が助かる確率が高いですし、発作が軽いものだったら同じく助かる確率は高いです。
そもそもすり替えたあとに容器が空であることに剛三郎が気付く可能性がありますし、何よりも剛三郎が死んだあとに空の容器を処分して薬が入った容器と再びすり替えるという非常にリスクの高い行動をする必要があります。
剛三郎に敵は多かった。その中には、殺意を持つ人間も多かったことでしょう。ですが、そういった人間はこんな不確定要素が多い殺害方法は選択しません。にも関わらず実際にはそんな不確定要素が多い殺害方法が選択された。それは、幼い金谷郷政太郎が剛三郎を殺害するために選べる手段が限られていたからなんです。旭さん、あなたが先ほど説明してくれた金谷郷政太郎が奥山さんを助けた時と同じ状況なんです。
金谷郷政太郎は運に身を任せるしかなく、そしてその運が味方についてしまった。金谷郷政太郎は剛三郎の殺害に成功したのです」
と、話したあと、俺は一息つき、このあとの言葉をどう続けるか少し悩むが、いまだ目を閉じたままの旭さんを見て、当初の予定通りの言葉を言うことにした。
「金谷郷政太郎は空の容器を回収し、薬が入った容器とすり替えました。ところが、金谷郷政太郎は実際に剛三郎の死体を目の当たりにして自分のしでかしたことに気付いた。
計画して想像していたことと目の前に現実として存在するのはまったく別のこと。金谷郷政太郎はショックを受けたはずです。
そしてショックを受けた金谷郷政太郎は事件当日、剛三郎の部屋の前で座り込んでしまいました。その光景は奥山さんに、旭さん。あなたも目撃しています」
話の途中で呼びかけても、旭さんは反応することはなかった。俺の話はしっかりと聞いているはずだ。
おそらく、どう反論するか必死に考えているが、思いつかないのだろう。
「それと、金谷郷政太郎の日記にはこんな一文が書かれています。『僕はまた、罪を背負ってしまったのだから』……金谷郷政太郎は咄嗟に加名盛の頭を石で殴りつけました。その行為は人を殺してしまうものです。だから金谷郷政太郎は罪の意識を感じていたのでしょう。
問題なのは『また』という言葉です。『また』というのは過去にも同じようなことがあったからこそ使える言葉です。つまり、金谷郷政太郎は加名盛の頭を石で殴りつけることと同等の行為、人を殺すような経験をしていたということです。
旭さん。あなたは先ほど金谷郷政太郎が自身に非がないことでも罪の意識を感じることがあった、と証言していましたが、それは私の意識をこの金谷郷政太郎の日記に書かれた一文から離したかったから咄嗟についた嘘だったんじゃないですか。あなたは、私を殺した事件の真実を隠したように今回も一定の結論を私に与え、真実を隠そうとしたんです。
以上が、剛三郎の死に関する私の推理です。旭さん、いかがでしょうか」
推理を話し終えると、旭さんは閉じたままだった目をようやく開いた。
そして、そのまま俺のことを睨みつけて口を開いた。
「……こんなの推理ではない。全て、あなたの妄想です」
「と、言いますと?」
旭さんが今から口にするのは、俺にとっては反論にならない、ただの悪あがきだ。
そう、分かってはいるが、俺はあえて旭さんに言葉の続きを即すように聞き返した。
「あなたの推理には、根拠となる証拠がない。剛三郎様がトイレの横に倒れているのがおかしい? そんなのたまたまそう倒れただけかもしれない。剛三郎様の発作が捜査資料に書かれている以上に実際には重くて何も行動できないまま倒れただけかもしれない。可能性なんて無限にあります。それとも、あなたの推理が正しいと断言できる証拠があるとでも言うのですか?」
「残念ながら証拠はありません。この事件は病死として結論が出てしまっています。ですから当時の捜査で押収した証拠品はほとんど残っていません。さらに事件自体も五年前のことですし、事件の現場でもあったトイレがどういうわけか少しだけ内装が変わっていましたから新たな証拠が見つかることもないでしょう。ですが、この事件にはもはや証拠は不要なんです」
「……はぁ?」
旭さんの言葉は、普通なら十分な反論となりえるものだ。
だが、既に俺が考えていた通り、俺にとって旭さんの言葉は悪あがきにしかならない。
なぜなら今は普通の状況ではなく、俺は反則級の切り札をすでに持っているからだ。
「旭さん、あなたの反応から私は金谷郷政太郎が剛三郎の死に関わっていると確信を持てました。その確信だけで十分なんです」
「何を言うかと思えば。あなたは仮にも元警察官です。ならお分かりのはずでしょう。あなたの確信だけで事件は解決などしない」
「旭さん。分かっていないのはあなたです」
「話になりません。あなたは、あなたにとって都合のいい真実という名の妄想を信じ込もうとしている」
「旭さん。あなたの目の前にいるのは誰ですか?」
「だから何を言って――――」
反射的に口にしたであろう旭さんの言葉が途中で止まる。
気付いたのだろう。俺の言葉の真意が。
「はい、そうなんです。あなたの目の前にいるのは、元特犯の刑事である私立探偵、岩井猛ではありません。金谷郷家の当主にして父親を殺害した犯人、金谷郷政太郎なんです。
ここまで言えばもうお分かりですね。剛三郎の死の真実。これは犯人である金谷郷政太郎が自首すれば明らかになるんです。だから私が欲しかったのは証拠ではなく、私が自首をすることができるだけの確信です。その確信を私が得た時点であなたの負けなんです」
もしも、俺が私立探偵、岩井猛のままだったら、剛三郎の死については決定的な証拠が必要だった。
しかし、今の俺は金谷郷政太郎だ。証拠なんて必要ない。確証さえあれば十分なのだ。
これこそが俺が持つ、反則級の切り札の正体だ。
「私立探偵、岩井猛の殺人事件では金谷郷政太郎の証言は残念ながらまともに取り合われませんでした。金谷郷家を守るという忖度があったからです。
ですが、金谷郷政太郎が自首をしたら今度は逆の結果となるでしょう。現当主が前当主である父親を殺害した。これは金谷郷家の名声を地に落とします。金谷郷家が邪魔な人間にとってこれ以上のチャンスはありません。
証拠がない? 安心してください。おそらくありもしない証拠がどこからともなく出てくるはずです。そして、金谷郷政太郎は確実に有罪となるでしょう」
俺の言葉を聞き、旭さんは何か反論しようと口を開くが、旭さんが何を言おうとしているのかが手に取るように分かる俺は、旭さんの反論が耳に入るよりも先に旭さんの反論への返答をする。
「それでいいのか、と言いたそうですね。はい、それでいいです。真実が闇の中に葬り去られるよりもよっぽどマシです。
それに私は先ほどこう言ったはずです。『金谷郷政太郎として生きていきます』と。私はもう金谷郷政太郎です。そして私は自分が罪を犯したというのなら、その罪を償いたい。ですから金谷郷政太郎として犯してしまった罪を告白して裁きを受けることになんら抵抗はありません」
そう俺は、はっきりと宣言した。
俺の宣言を聞いた旭さんはあちらこちらに視線を動かし、必死に反論できる言葉を探しているようだが、見つけることはできないだろう。
「さて、ここはちょうど警察署です。私はこのまま自首させてもらいます。旭さん。あなたと話せてよかった。では」
そして、俺は足早に話を切り上げて立ち上がり、扉に向かって歩み始め、
「ま、待ってください!」
すぐに旭さんが大きな声で俺を呼び止めた。
俺は振り返り、旭さんに視線を向ける。
「全て……全てのことを話しますから、どうか……どうか待ってください」
そう話す旭さんは降伏を示すかのように俺に向かって頭を下げていた。
そんな旭さんを視界に収めた俺はまた席に座り、旭さんの言葉を待った。
「岩井様の言う通り、旦那様は剛三郎様を殺そうと薬を入れ替えました。ですが……ですが、旦那様は剛三郎様を殺してはいないのです。剛三郎様を殺したのは…………私なのです」
旭さんはポツリ、ポツリと、剛三郎の死の真実を俺に話し始めた。
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