第4話


 棗真純の話をしよう。棗真純は掛け値なしの天才だった。


 はじめて出会ったのは法央ほうおう大学にある法学系サークルの新歓コンパの二次会だった。サークルに入会したい人、入会したての人、そのどちらでもなくただ単に他人の金で酒が飲みたい新入生が集まった大規模な一次会は、数分おきに話し相手がころころ変わる挨拶会のようなもので、歓迎される立場の俺は回転寿司の皿に載せられたネタになった心地のままサークルに所属する先輩からマシンガンのような質疑の嵐を凌ぐだけでくたくたになってしまった。参加者の半数くらいは新入生だったはずだが、たまたま同席した同級生の顔と名前すらろくに覚えられず、次々と運ばれてくる脂っこい料理に手を付ける暇もなかった。なんなら参加費を返して欲しかったくらいに一次会は得るものがなかった。

 盛り上がろうにも気持ちがついていかず散々な結果に終わった一次会が一本締めで終わりを迎えて居酒屋から外へ出ると、適当に仲良くなった者同士がいくつかの集団を作っていて、そこから弾かれた俺は居心地のいい場所を見定めようと遠巻きに集団を眺めていたところで肩を叩かれ、ちょっといいかな、という声とともに半ば強引に手を引かれて連れ込まれた集団のなかにいた一人がなつめ真純ますみだった。


 あらかじめ予約を取っていたという会場は一次会とはうって変わったお洒落で落ち着いた雰囲気の創作系個室居酒屋で、俺と俺を引っ張ってきた男、あとは女三人というメンバーだった。一次会で会話をした覚えはまるでなかったのにここへ引っ張ってこられたことが不気味に覚えて、これはどういう面子なんですか、と男に訊いたら、天才の審美眼にかなった者の集まりだよ、と宗教じみた返しをされて二の句が継げなかった。そういえば大学にはアングラな宗教団体や反社の構成員があたかも大学生のように潜り込んでは社会の右も左もわからない一年生をあの手この手で団体に勧誘して引きずり込むという手口が流行っている、なんてことを以前にテレビで特集が組まれていたような気もする。


「棗真純に選ばれたことを光栄に思うといいよ。ちなみに僕は二回生の神林かんばやしだ。よろしく」

「はぁ……」

「ちなみに彼女が棗真純先輩だよ」


 テーブルの反対側、通路側の席に座っていた彼女はお通しとして出された野菜スティックを、居酒屋自家製の味噌をつけずにばりぼりと頬張っている所だった。トップで緩くまとめられる金髪はぼさぼさで、翡翠色の瞳が気怠さを語っている。


「みんなよろしくねー。棗です。あたしは三年生だから敬うように。あ、それと、法学研究会、いろんなサークルのなかでも活動すごいゆるゆるだしテスト問題とか解答とかも先輩から教えてもらえるから良い場所だよ」

「ゆるゆるじゃないですよ。棗先輩が討論会に参加してないからでしょ」

「んー……、だって、あたしが参加しちゃったら意味ないでしょ。優勝しちゃうし」

「試験と討論は別物です」

「同じだよ。そもそも司法試験に合格してない連中相手にあの程度の設問前提の討論で負けるわけないじゃん」

「まぁ、それはそうかもしれませんが……」

「なんか、まるで棗さんは司法試験に合格しているような言い方ですね」


 二人のやりとりを遮るように俺がそう言うと、そうだよ、と神林が返してきた。


「棗先輩、一回生のときに合格してるんだ。しかもトップ合格」


 俺も、相席している女性二人も、唖然とした顔をして棗先輩を見る。


「それだけじゃない。棗先輩は公認会計士の試験も高校二年のときにパスしてる。当時は高校生作家が公認会計士の試験をパスしたってSNSとかでも結構話題になったんだよ」

「そうそう、作家名義もあるんだよね。中学生のときに文芸わかば新人賞を獲ったから。春夏秋冬の夏に目玉の目で夏目って書いて、ますみは平仮名。夏目ますみ、っていうんだけど」

「夏目ますみって……今月から月9ドラマの原作書いてます……よね? え、あの夏目ますみ先生っ!?」


 俺の真正面に座る女子が身を乗り出す勢いで「嘘、嘘でしょ!?」と騒いでいる。動転している彼女を反応がおもしろいのか嬉しいのか、笑顔を綻ばせながら当の本人がこくりと頷く。


「司法系ミステリーのやつね。最近は法律とミステリーを掛け合わせた小説でデビューしたり新作が売れてる作家もそこそこいたから、編集さんにこのテーマはどうですかって薦められてさ。折角だしあたしも書くかと思って司法試験の勉強の息抜きで執筆やつが本屋大賞に選ばれて、そこにドラマをやりませんかって話が来たって感じ。そっからは怒濤だったよね。とはいえあっという間に撮影もクランクアップ間近。ドラマはちゃんとおもしろく作ったから、入学したばかりで忙しいかもしれないけど時間あったら見てね。生々しい話だけど視聴率は大事だし、作家の今後にも影響あるからさ」


 なにが折角なのだろうと思うし、司法試験の勉強と平行して小説を書いて、それが本屋大賞作品に選ばれるほどの出来映えで、司法試験もパスして、それも大学一年で? しかもドラマの構成もやったってことか?

 冗談としか思えない経歴に、話を聞いているこっちがくらくらしてきた。精神と時の部屋に10年ぐらい引き籠もってないと無理だろう普通。あたしの話はいいから新人くん自己紹介して、と真純がいい、それじゃあ男子から、と神林が促す。俺は一つ咳払いをし、喉を軽く鳴らして口を開く。


「えっと……法秤ほうじょう正義まさよしです。法学部法律学科です。苗字は法律の法に秤って感じです。ちょっと珍しいっすよね」

「苗字も名前も格好いいな。入部した子のなかでも名前にインパクトあったからちょっと興味あったんだよね」

「は、はぁ……そうっすか」

「そいじゃ、こっちの列で法秤くんの真正面に座ってる子」

「あ、私ですね。樋口ひぐちかえでです。文学部、です……。えっと、まさか夏目先生だと思ってなくって……、言おうとしてたこと全部頭から飛んじゃって……あ、あの……大ファンなんです!」

「知ってる。なんならあたしは樋口さんの顔も知ってた。樋口さんは現代ホライゾン文学賞デビューなんでしょ? 編集さんから聞いてたから。今日の飲み会の名簿みたらなんか同姓同名いるじゃんと思ってここに誘ってみた。今度サイン本交換しようよ」

「うわ、めっt……凄い嬉しいです! 是非お願いしますっ!」

「なんかもうウチに入会してるっぽいけど、その理由とかも今度聞かせてね」

「勿論ですっ!」

「じゃ、最後にあたしの隣に座ってる――」

氷堂ひょうどう氷華ひょうかです。法秤くんと同じ法学部法律学科です」

「今年の法学部の新入生首席って聞いてるよ。ちなみに神林くんも首席なんだよね」

「それを言ったら棗先輩も首席じゃないですか」

「あたしのことはいいんだよ。神林くんが何者なのか自己紹介してなかったからさ、念のため補足したってわけ。このままだとあたしの召使いみたいじゃない」

「ははっ、それもそうですね。とはいえ、勉強ができるだけですが。行政書士の資格くらいですよ、持ってるのは」

「首席で入学しても、その……私は先輩方みたいに資格なんて持ってないですし……」

「つうか質問なんですけど、これはマジでなんの集まりなんですか……」


 俺が再度問うと、天才がふふん、と鼻を鳴らして得意げに言う。


「これはね……あたしがピンときた新入生を三人だけ選んで、ちょっと親睦を深めよう、という趣旨の飲み会だよ」


 意味が分からない。

 樋口さんは分かる。言うなれば棗さんの同業者で、文学部なのに法律系サークルである法学会に入部したという、ある種の変人だ。変人じゃなければ作家になれないとも言うし。それに氷堂さんも学部の学年首席で、棗さんや神林さんのお眼鏡にかなうのも頷ける。なら俺は? 名前だけで選ばれただけ? 推薦入学だからそこそこ学力はあるほうだと自負しているが、この面子じゃ成績なんて霞むだけ。他に取り柄もない。


「ふふっ……、なんで俺はここにいるんだ、って顔をしているね、法秤くん」

「いや、まぁ……そうです、けど……」

「それはね……今度教えてあげるよ」

「え、ここじゃ駄目なんですか……」

「まぁ、そういうこともあるってことだよ」

「そんなに勿体ぶることなんです?」

「……そうだね。きみもそのほうがいいでしょ。もっかいあたしと飲む機会ができたと思ってくれればいいんだよ」


 急にしおらしいトーンでそう言われ、俺は「はぁ……」と不承不承引き下がるしかなかった。これ以上押しても引いても理由を教えてくれそうにはない。それに彼女は俺とまた会う前提で話を進めている。なら、その気持ちに相乗りして、違和感とか疎外感とが場違いだなって感情とかは全部水に流してしまえばいい。誰かに求められる回転寿司のネタとして敷かれたレールから脱却できたんだからそれでいいじゃないか。


 いつの間にオーダーされていたのか、人数分のビールに唐揚げとフライドポテト、卵焼きがぞろぞろやってきた。ふわふわの卵焼きも黄金色の衣を纏った唐揚げもカリカリに揚げられて香ばしい色合いのポテトも、光景と香りのすべてが、空っぽの胃袋を殴ってくる。いますぐにでもありつきたい。そんな俺の胸中を知ってか知らずか、「それじゃあ法学会へようこそ、という乾杯をします。みんなグラスを持ってね」と神林が合図し、せーのっ、という合図で硝子が派手にぶつかる甲高い音が鳴り響いた。


「「かんぱーいっ!」」

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