第12話 赤の他人のくせに

 マーサの店を後にした二人は、それぞれ選んだパンをかじりながら歩いていた。

 ティアはいちごのジャムパン、リゲルはメロンパン。

 メロンパンの甘さに魅了されたリゲルは夢中になって口を動かしていた。


 老人──アルフの焼いたパイを食べたときに負けず劣らず顔を輝かせている。

 ティアはそれを横目に、何かに遠慮するように少しずつジャムパンを食べていた。

 メロンパンを食べきったリゲルが、満足そうに笑う。


「ごちそうさま! あー、美味しかった。マーサ姐さんのパンって最高だね!」

「うるさいわね、声が大きいのよ」


 面倒そうに顔をしかめるティアを、リゲルは「あはは」とごまかした。

 そしてそのまま彼女を覗き込む。突然の行動にティアはびくりと肩を跳ねさせた。


「な、なによ」

「ティア、パン美味しくない?」

「は?」

「だってティア、おじいさんのパイ食べたときのほうが嬉しそうだった」


 無邪気に心底不思議そうに問いかけてくるリゲルに、ティアは口をつぐむ。

 不機嫌さもあらわにリゲルを睨み付けると、ふいと視線をそらしてしまった。

 その目の先にいた町の人間が慌てたようにそっぽを向く。

 ますます苛立たしげに顔を歪めると、ティアは乱暴にため息をついた。


「別に。ちゃんと美味しいわよ」

「んー」


 納得していない、というように唸ると、リゲルは周囲を見回す。

 目も回るような大にぎわい、とはいかないが朝と昼の合間のような時間帯の町にはそれなりに人の姿があった。


 しかしその誰もがリゲルと目が合えばそらしてみたり、もしくは睨み返してきてみたり、嫌な顔をしてすぐそばの人間と囁き合ってみたり。

 とにかく友好的な人間は一人もいなかった。


 リゲルはどうしていいのか分からずにポリポリと頭をかく。

 そんな仕草一つにすら冷たい視線が何対も注がれた。

 建物の角から、道の端から。


 人どころか、町そのものがリゲルたちに敵意を持っているようだった。

 リゲルはティアに向き直ると、内緒話をするように身を寄せた。


「ねぇ、ティア」

「なによ」


 とっさに距離をとられたこともたいして気にせず、リゲルはひそひそとささやいた。


「町についてからずっと気になってたんだけど」

「だから、なによ」

「この町ってなんかすっごい嫌な人ばっかりだね」


 ティアの目がこれ以上ないほど見開かれる。


「なに、いきなり」

「だってさっきから嫌ーな目で見てくるよ。ボクが珍しいからかなぁ。なにか用があるなら声かけてくればいいのにね!」


 リゲルは両手を腰に当て、憤慨したように鼻を鳴らした。

 そんな彼を奇っ怪なものでも眺めるように見つめていたティアは、やがてため息をつく。


「違うわよ。あんたが珍しいからじゃない」


 いや、それもあるでしょうけど、と前置きして彼女は無感情に言った。


「私が魔法を使えないからよ」


 その言葉の冷たさと固さにリゲルはティアを振り返る。様子がおかしかった。

 いつものような不機嫌さはどこにもない。

 かといって泣いているわけでも、当然笑っているわけでもなかった。


 彼女が浮かべるのは全ての感情をまぜこぜにした上から灰色のモルタルを塗って固めたような無表情。

 見たことのない表情に、リゲルの声も思わず弱くなった。


「……ティア?」


 強ばった人形のような顔のまま、ティアは繰り返す。


「私が、魔法を使えないからよ」


 いまいち意味が掴めない。

「えっ」と驚いてみせたはいいものの、リゲルは反応に困って首をかしげた。


「どういうこと? 別に普通じゃない? もともと魔法ってみんながみんな使えるものじゃないじゃん」


 それが注がれる嫌な視線の理由になるなんて訳が分からない、とリゲルは眉間にしわを刻む。

 そんな彼が見えていないかのように、ティアは視線を手元に落とした。

 パンについた自分の噛みあとを見ているようで、しかし彼女はどこも見ていなかった。

 ぽつりと独り言のように呟く。


「お父さんも、お母さんも、魔法使いだったの」


 リゲルの目が大きくなった。

 確かに、両親ともに魔法が使える人間だった場合、その間に生まれる子供もほとんどが魔法を扱える。

 その例に漏れるティアは、異質な存在と言えるかもしれない。

 ようやく事情を理解したリゲルは、それでも不満げに唇を尖らせた。


「でも魔法使いのお父さんとお母さんから生まれた子が絶対の絶対に魔法を使えるわけじゃないし、使えなきゃいけないわけでもないじゃん。そんなことでこんな嫌な目するなんて、なんかすっごいムカつくなぁ」


 いつも何も考えていなさそうで、実際大したことは考えていないリゲルのまっすぐな怒りを、ティアはちらりと横目に見る。


「その法則知ってたら、私がフギの子に思えるでしょ。だから仕方ないのよ。ムカつくけど」

「フギ?」


 耳慣れない単語にリゲルは小首をかしげた。

 ティアが小さなため息をつく。薄い肩がかすかに上下した。


「不義ね。お父さんかお母さんが余所で作ってきた子供ってこと」

「えー……」


 余計意味が分からなくてリゲルは眉をひそめる。お互いが好きだから一緒にいるはずなのにそんなことをする意味が分からない。

 難しい顔をして唸るリゲルに、ティアが鼻を鳴らした。


 ジャムパンの残りを口に放り込んだときには不自然な表情は消えていた。代わりに怖いくらい狂暴な、それでいてどうしても可愛らしさの残る笑みが浮かぶ。町も自分もひっくるめて何もかもバカにしたような笑顔。


「赤の他人のくせにいちいちうるさいのよ。自分たちだって魔法なんか使えないくせにね」


 ほら、行くわよ。

 うっとうしそうに声をかけると、ティアは再び歩きだした。

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