兄の発熱

惣山沙樹

兄の発熱

 僕と兄は母親が違う。十四歳も離れている。別々の家で育ち、僕はその存在すら知らなかった。しかし、兄は僕が高校生の時からストーカーをしていて、大学生になって始めたアルバイト先の同僚として入ってきた。

 初めて兄であると明かされ、無理やり童貞を奪われた時のことは……今となっては、思い出として語れるようになっている。兄は三十をとうに過ぎているのに、食べ物の好き嫌いが多くてワガママだし、すぐ泣くし、何より殴ってくるし、本当にどうしようもない人なのだが、そんな彼の相手ができるのは弟の僕だけだから、側に居続けようと決めている。

 兄の住むマンションに僕は入り浸っていて、毎晩狭いシングルベッドに身を寄せあって眠っていた。僕は身長がさほど高くないけれど、兄は百八十センチ以上あり、正直邪魔だ。僕のお腹の上に長い足が乗っていて、その重みで目が覚めることもよくあった。

 その日の朝も、いつものように僕が先に目覚めた。毛布は兄が独占しており、それで冷えて起きたのだ。まだ眠かった僕は、何とか毛布を取り返そうとして兄の身体に触れたのだが、かあっと熱いのに気付いた。


「兄さん……?」


 額に手をあてた。確実に発熱していた。吐く息も荒く、辛そうだ。僕は身を起こして兄を揺さぶった。


「兄さん、兄さん」

「ん……しゅん……」

「ねえ、熱あるよ。大丈夫?」

「頭痛い……」


 僕はリビングに行って体温計を探した。しかし、どこにも見当たらなかった。あさっている内にわかったのだが、この家には薬もない。僕は寝室に戻った。


「兄さん、体温計は?」

「そんなのねぇよ」

「薬もないみたいだけど……」

「買ってない」


 困った。僕はスマホで時間を見た。近所のドラッグストアはもう開いているだろう。それより、内科に行った方が確実かもしれない。僕は声をかけた。


「動ける? 内科行こうよ」

「やだ。病院嫌い」

「もう……」


 どのみち、体力がないのだろう。僕は一人でドラッグストアに行くことにした。ダウンジャケットを羽織り、坂道を上った。近所といっても十五分はかかる。僕の息は白く、冷たい風が頬をさした。

 体温計、風邪薬、鎮痛剤、スポーツ飲料を買い、ビニール袋を提げて、急ぎ足で兄のマンションに戻った。兄は頭まで毛布をかぶって震えていた。


「瞬、寒い……」

「暖房上げるね。それと、まずは熱はかろうか」


 買ったばかりの体温計ではかってみると、三十九度をこえていた。もしかしたらインフルエンザかもしれない。とりあえず頭痛を何とかしよう。僕は薬を差し出した。


「ほら、飲んで」

「薬も嫌い」

「ワガママ言わないの。痛いんでしょ?」

「むぅ……」


 兄は渋々飲んだ。さあ、どうしたものか。何とか説得して内科に連れていきたい。


「兄さん、動けるようになったら内科行こう。僕が一緒についていくから」

「だから病院は嫌いなんだってば。保険証もどこいったかわかんないし」

「大きな病気だったらどうするの? お医者さんに診てもらおうよ」

「寝てたら治る」


 そういえば、兄と出会ってから、彼が病気になるのはこれが初めてだ。一人暮らしが長かったと聞いているが、今までどうしていたのだろうか。僕はベッドのふちに座り、兄の髪を撫でた。そのうちに、兄は眠ってしまい、僕はそっと寝室を出た。

 お腹がすいた。冷凍庫にレンジで温めるパスタが残っていた。それを食べて、タバコを吸った。しばらく兄は起きてこないだろう。側についてやりたいが、それで僕にうつってしまったら元も子もないし。僕はソファに座り、家庭での対処法をスマホで調べ始めた。やはり水分を取るのが大事だということだった。

 特に面白みのないワイドショーを流していると、インフルエンザが大流行しているという話題になった。やはり兄もそうなのかもしれない。僕はそっと寝室を覗いた。


「瞬……」


 兄が目を開けた。のっそりと上体を起こし、顔をしかめた。


「兄さん、具合どう?」

「さっきよりマシ。タバコ吸いたい」

「その身体で?」

「いいからタバコと灰皿持ってこいよ」


 今の兄には殴る元気もないだろうが、仕方が無いので言われた通りにした。火がなかなかつかなかったので、僕が代わりにやった。


「……不味い」

「言わんこっちゃない」


 兄は半分ほど吸ったところで灰皿に押し付けた。僕は灰皿を床に置いた。そして、スポーツドリンクのフタを開けた。


「水分取って。家で治したいんでしょ」

「うん……」


 兄は一気に飲み干すと、横になった。また眠るのだろうか。僕がベッドを離れようとすると、兄に腕を掴まれた。


「瞬、ここにいろ」

「うつったら大変だし」

「寂しい」


 弱っているせいか、普段より素直な言葉だ。それが可愛く思えて、僕はベッドに入った。しばらくすると、兄はもそもそと僕のお腹を触り始めた。裾がめくられ、手が入ってきた。


「ちょっと兄さん」

「挿れて」

「えっ?」

「瞬の挿れて」

「マジで言ってる? 兄さん、挿れるなら座薬の方がいいと思うよ?」

「ゴチャゴチャうるせぇなぁ」


 断れば拳が飛んでくるのが常だが、今は兄にそんな威勢はない。絶対に譲らない。僕は兄に口づけた。


「これだけで我慢して……ね?」

「治ったら……メチャクチャにしてやる……」


 僕はまるで抱き枕のように抱えられた。兄はそのまま眠ってしまったので、僕も目を閉じた。




 兄が発熱してから三日後。僕は酷い咳をしていた。


「けほっ……けほっ……」

「あーあ、完全にうつったな」

「もう、兄さんのせいでしょ……結局換気もせずに同じ部屋にべったりだったんだから……」


 兄はけろっとしていて、笑いながら僕の頬を両手で包んだ。


「今度は俺の番だ。何してほしい? 食いたいものはあるか? 何でも作ってやるぞ?」

「食欲ない……」

「性欲は?」

「ないってば……」


 僕はふと考えた。この人、他人を看病したことはあるのだろうか。


「瞬、とにかく側に居てやるぞ! 嬉しいだろ? 嬉しいよな?」

「はいはい……」


 期待はできないな、と思った。

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兄の発熱 惣山沙樹 @saki-souyama

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