7話

 「乙芽ちゃん! 大丈夫? 寒くない? うちの方はバスの冷房すごく効いてたから心配だったんだよ」

「大丈夫だよ、葵お姉ちゃん。海、きれーだね〜」


 ついにやってきたりんりん学校初日、海を前にして目を輝かせる乙芽は、先日葵に選んでもらったビスチェ風ビキニの上から薄手の上着を着せられていた。


「大丈夫だよ?」

「でも病み上がりでしょ? ぶり返したら大変だよ」


 そう、先日葵とのカラオケの後乙芽は冷房の温度を下げすぎて熱を出して寝込んだのだ。

 初対面の時と今回と、短期間で2度も体調を崩した乙芽に、葵は少々過敏になっている。特別体が弱いわけではなく、今回に関しては完全な自業自得だが。


「もう治ったもん! だいじょーぶ! やがみんもそう言ってたでしょ?」


 保健医の麗緒に一度診てもらっていた。ちょうど部活で学校にいた葵が同行し、「若いからちゃんと食べていっぱい寝りゃ、りんりん学校には治るさ」と言われた通りになったわけだが、どうにも安心できないらしい。


「葵お姉ちゃんってば、お姉ちゃんと同じになってきたね」


 海へと意識を持っていかれている乙芽は、そう言った途端に少し暗くなった葵の表情に気づかない。


「熱出したんだから心配するのは当たり前でしょ?」

「そうかな? でももう、熱ないし」

「あとは、そう、日焼け止めは? お姉さんいつも心配してたよね。今回は海に来てるわけだし、塗らないと痛くなっちゃうよ」

「え! 痛いのはやだ ! 葵お姉ちゃん、これお願い!!」


 バッグを探って日焼け止めをポイと渡してバサリと上着を脱ぐと、葵が顔を真っ赤にして慌て始める。


「なぁに? どうしたの?」

「いや、水着似合ってるね。可愛い。その、心配で今まであんまり目に入ってなかったっていうか」

「ふふ、でしょ? 葵お姉ちゃんが選んでくれたんだからちゃーんと見てね!」


 くるりとまわって見せて、近くに腰かける。が、結局上着を肩に乗せられた。


「見るけど、見せるのはダメ」

「どういうこと?」

「腕、出して」


 言われるままに差し出して、葵の手のいき先を視線で辿る。触れられて嬉しいのは姉に対しても同じはずだけど、やっぱり何かが違う。

 まだ知り合って日が浅いからだろうか。何故か少し緊張する。でもそれが嫌なわけじゃない。むしろもっと触ってほしい、触りたいと思うのだ。


「ぬううぅ」

「あ、くすぐったかった?」


 無言のままだった葵は思い出したかのように口を開いた。


「違う、違うけど……うーん」

「……この間から、なんかはっきりしないね?」

「うん、なんかすっごいモヤモヤするの! 葵お姉ちゃんの手は大きいなって考えてた」

「そう? でも確かに、乙芽ちゃんの手は小さいね」


 どちらともなく手のひらが重なる。それと同時に、モヤモヤした気持ちが晴れるのを感じて、乙芽はその手を持ち上げて頬ずりする。


「わたし……葵お姉ちゃんの手、好き」

「お、お姉さんのも好きなんでしょ?」

「そりゃあそうだけど……最近は葵お姉ちゃんの方が好きなんだぁ」

「乙芽ちゃんってなんていうか…………可愛いよね」


 葵は手の向きをそっと変えて乙芽の頬を包む。日差しは暑くて鬱陶しいのに、この手は熱いというより温かい。ずっと包まれていたくなるような感触だ。


「……うん。ねえ、りんりん学校の間はいっぱい一緒にいられる? 夜も一緒に寝たい」


 せっかくの機会だ。今だけじゃなくて、できるだけずっと一緒にいたい。カラオケに行ったときにも同じことを話したが、忘れられていないか不安になった。それを吹き飛ばすように、葵はにこりと笑う。


「どっちの部屋に行くか考えなきゃね。さ、塗っちゃおうか」

「うん!」


 腕、顔、足と塗りながら、話を続ける。


「先生に見つかることはないから心配しなくていいんだけど、知らない人とも一緒になっちゃうでしょ? 上級生が同じ部屋にいると他の子が寝にくいだろうし、かといってこっちに乙芽ちゃんが来るのも……心配なんだよね」


 何が心配なのかはよく分からなかったが、せっかく一緒にいられるのにすぐに寝るつもりはないのだ。乙芽自身は葵と一緒にいられればいい。でも彼女の言う通り、知らない上級生がいるのは他の子が気を遣うだろう。それに、これ以上葵が誰かのお姉ちゃんになるのは嫌だった。


「わたしは大丈夫だから、葵お姉ちゃんのお部屋に行くね」

「……分かった。さ、これでおしまい。行こう?」

「うん!」


 手を取られて歩きだすと、少し離れたところでビーチフラッグをしている生徒たちが目に入った。


「……やる?」

「ううん。そういえばわたし、海は嫌いじゃないけど泳ぐのも走るのも嫌いだった」


 葵は陸上部なので体を動かしていたいかもしれない。そう思うと心がほんの少し揺れたけど、せっかくならもっと別のことがしたい。海でやることといえば……。


「よし。綺麗なの見つけたら葵お姉ちゃんにあげるね」


 その場にしゃがみこみ砂をすくい、ちまちまと貝がらをつまんでは綺麗で自分の好みの形のもの以外ぽいぽいと地面に返していく。地味な遊びだけど嫌いじゃない。小さな瓶にでも今日の思い出ごと保存しておくのだ。うん、悪くない。


「じゃあ私も綺麗なの見つけたら乙芽ちゃんにあげるよ。いっぱい見つけなきゃね……わっ!?」


 何かに驚いたらしい葵が急ににゅっと両手を伸ばしてきた。


「おっと」


 不安定な体勢だったため慌てて踏ん張ると、その間に手際よく上着のチャックをぴっちりと閉められる。


「葵お姉ちゃん、さすがに閉めたら暑いよぉ」


 持っていた貝がらを落とさないように握りしめながら外そうとすると、「ダメ!!」といつもより強い口調で止められる。


「貝がら集めてる間だけでいいから、絶対外しちゃダメ……お互いの為だよ」

「はぁい……ほんとにもう治ってるのに」

「それは分かってるけど……でも本当に大丈夫? 明日は、ホテルで休んでた方がいいんじゃない?」


 2日目は山へハイキングの予定だ。病み上がりの体に流石に酷ではないかと問われ、体力はともかく面倒くさいしサボりたいな、とつい甘えたくなる。


「うーん…………でも、葵お姉ちゃんとなら山登りもしたいかも。わたし、歩くの遅いけど、葵お姉ちゃん一緒に登ってくれる?」

「それはもちろん。できるだけいっぱい一緒にいる約束だもんね」


 それからしばらく満足するまで貝がらを探して、厳選したいくつかを葵と交換した。残りの時間は手を繋いで浜辺をのんびり歩いたり、少しだけ水に足をつけてみたり。海で遊んだというにはかなり控えめな遊び方だったが、終始2人でいられて乙芽は大満足だ。


「あとは美味しいご飯と寝る時間だね! 楽しみ〜」


 ところが。入浴後ビュッフェ形式の夕食で葵と一緒に好きなものを好きなだけたくさん食べた乙芽は、その後自分の布団の中で点呼の時間よりも前にぐっすりと寝入ってしまい、目が覚めると朝になっていた。

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ハグはおやつに入りますか? 李紅影珠(いくえいじゅ) @eijunewwriter

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