6話
葵は、電車の中でいつものようにweb小説を読んでいた。しかし内容は全く頭には入ってこない。これから会う少女のことでいっぱいになっているからだ。
佐柳乙芽。具合が悪そうなところを助けたことで仲良くなった中等部1年生の可愛い女の子。夏休みで毎日は会えないものの、葵が部活で学校に行く日には少しだけ話す時間を作る。1日一緒にいたのは1週間ほど前のこと。りんりん学校に持っていく水着を買うためにショッピングモールへ出かけた。
乙芽に会うのは葵にとっても楽しい時間なのだが、困ったこともある。
初めて出会った日に保健室へ背負っていった乙芽の体は、まだ12歳にしてはとても発育が良かった。身をもってその柔らかさを知ってしまった葵は、ついあの時の感触を意識してしまい目を合わせるのが大変なのだ。
先週も、初めて見る私服姿だったり、急に腕に抱きつかれたり、露出している部分だけとはいえ乙芽が姉である貴根に日焼け止めを塗ってもらっていたり……とにかく、葵にとっては目に刺激が強い場面がありすぎた。そんなことがあったのに、水着選びの場面では反射的に1番露出度の高いものを指さしてしまう。
素直な乙芽は「じゃあこれにする!」と迷うことなく購入した。その水着姿を見れる日も目前に迫っている。
純粋に慕ってくれているのが分かるだけに、意識してしまうことに罪悪感というか背徳感というか、そういうものを覚えるのだ。
今日は乙芽の希望でカラオケに行くことになっている。何事もなければいいと願ってはいるが、2人きりの個室である。何があってもおかしくない。初めてのカラオケを体験したいだけには違いないのだが……。
結局、スマホをただスクロールするだけの移動時間だったが、その数十分後には、葵の懸念はばっちりと当たってしまうことになる。
身動き出来ない状況に頭もフリーズしたまま、どれだけの時間が経ったのだろうか。
ハッと我に返ったのは、首元に硬い何かが触れた時だった。1度ではなく、はぐはぐと何度か繰り返すそれに痛みは全くない。むしろくすぐったいくらいだ。
「お、おおおとめさんっ? な、何をしているんでしょうか?」
「んー……」
見下ろすと乙芽が太ももにまたがり、背中に腕をまわして体がピッタリと密着している。座った途端のことでツッコミを入れることもできなかった。
……近すぎる。視覚的な刺激を和らげようと目を瞑れば、今度は密着している部分に意識が向いて熱を持ったように感じる。
「乙芽ちゃん?」
「……ギューってして?」
耳に息がかかる。甘えた声色に心臓がどくどくと煩く鳴るのを感じながら、言われるままにぎこちなく乙芽の背中に手をまわした。
今までの甘え方とは違う、切実な声だった。
「ふふ、葵お姉ちゃん、心臓の音すごいね」
ようやく上げた顔にはいつもの笑顔が浮かんでいる。
「どうしたの? なにかあった?」
「ううん。寂しかっただけ」
「少しは落ち着いた?」
「それは……まだ」
再びぎゅっと肩口に顔を埋められると、少し落ち着いたかと思った鼓動がまた激しく鳴った。変に意識してしまうのは今朝の会話のせいだ、と葵は宙を仰ぐ。
『お姉ちゃんさー、デートにでも行くの? ずるい。あたしはずっと会えてないのに』
『違うよ。友達と遊ぶだけ』
『でも、変だもん。ずっとそわそわしてる。先週と同じ人?』
『え、なんで? そうだけど』
『やっぱりね』
彼氏ができたなんて本当かどうかも怪しいと思っていたけれど、少なくとも妹は彼に好意があるらしい。
『まだ友達なんだね。私の方が先輩だ』
『何言ってんの? 友達だって言ってるでしょ』
『絶対違うもん』
何故か確信を持っているように言う妹に理由を聞けば、
『お姉ちゃんはあんなに漫画いっぱい持ってるのになんで分かんないの? もしかして読んでないの?』
とからかうように返された。実に可愛くない妹だ、とその時は思ったのだ。
『お姉ちゃんはさ、夏休みなんてなくなればいいのにって思わない? だって学校があれば毎日会えるのにさ、もうつまんない。飽きた』
小学生らしからぬ言動だがこれには頷いた。少なくとも寮生活であれば乙芽に会えたし、初めて会った日の悲しそうな顔は見ずに済んだ。彼女の甘えん坊や笑顔は、また見たいと思わせる魅力がある。部活のたった数時間のために電車に揺られてわざわざ学校に来るのは面倒だと思うこともあったが、最近そう思うことがなくなったのは乙芽のおかげと言える。
「……何考えてるの?」
乙芽はぷっくりと頬を膨らませてひと睨みすると、今度は少し強めに噛んだ。現実逃避のように思考を彼方に飛ばしていた葵は、一気に乙芽へと意識を引き戻される。
「……乙芽ちゃん、こういうこといろんな人にしたらダメだからね? お姉さんが心配するよ」
「葵お姉ちゃんだからだよ。お姉ちゃんにもしたことないし……嫌?」
乙芽は不安気にそう尋ねることが多い。しかしそのどれも葵自身が嫌だと思ったことは一切ない。
「ううん。でもお姉さんにもしないのに、どうして私にしようと思ったの?」
「……分かんない。なんか噛みたくなっちゃうの」
嫌じゃないなら遠慮なく、とばかりに少しずつ強くなっているそれを、やっとこの体勢にも慣れてきた葵は受け止める。
「それにね、いっぱい一緒にいても、足りないんだよね。だからくっついてたいの」
「えっと……それってどういう意味?」
「分かんない」
首を傾げながら答える乙芽にもどかしさを感じながらも、テレビの方へ視線を移す。よく見るアーティストが新しいアルバムの紹介をしているところだ。
「歌わなくていいの?」
「いい」
「乙芽ちゃんはいつもどんな曲聴いてる?」
「うーん……あんまり聴かないな。マジキュアなら歌えるよ」
日曜日の朝に流れる魔法少女モノのアニメだ。寮ではその時間になると談話室に集まって、結構な人数で一緒に観るのが定番となっている。葵はクラスの子からそれを聞いて知っていた。根強い人気作品なので、同級生にもファンは少なくない。
「妹が卒業しちゃってからは観てないなあ」
子どもが観るアニメだもん、なんて言っていた妹を思い出す。高校生でも好きな子は結構いるよ、と教えたものの、既に興味すらなくなったらしかった。
「面白いのにもったいないね。そうだ、今度映画もやるんだよ。葵おねえちゃんも一緒に行こ?」
「私が観ても分かるかな?」
「大丈夫だと思うよ? でも、これからは観てね」
一気に表情が明るくなる。
葵と一緒にいられる約束ができるのは、乙芽にとってそれくらい嬉しいことらしい。少し照れくさくなって、話題を変えた。
「分かった。でも、映画の前にりんりん学校だね。準備はできてるの?」
「まだ何もしてないよ?」
楽しみで早く準備を済ませる子もいるんだよ、と説明すると、ムッと眉を寄せた。
「確かに楽しみだけど、準備は嫌いなんだよね。というか、今まで自分ではやらなかったし」
そう返されると心配になるが、実家通いの葵が寮住まいの乙芽の手伝いをすることは出来ない。ルームメイトの子がどんな子かは分からないが、面倒見のいい子であることを願う。
「楽しみなこと考えながらすればあっという間に準備も終わるよ。確かに2日目の肝試しはりんりん学校の中でも大きなイベントだけど、海で遊べるしごはんも美味しいし、いつもよりいっぱい一緒に居られるはずだよ」
最後の一言は乙芽には効いたようだ。
「ねえ、ずっと一緒にいよ? 私、葵お姉ちゃんと一緒に寝たい」
「まあ……大丈夫だと思うよ。どっちの部屋に行くかは考えないといけないけどね」
葵が今までのりんりん学校でのことを話しているうち、結局一曲も歌うことなく退室の時間がきてしまった。
しかし、2人きりでゆっくりと過ごせたことに乙芽は満足したらしい。
「次に会うのはりんりん学校の時だね。準備頑張れそう?」
「うん! 頑張る! 楽しみにしてる!」
にこにこ笑顔で答えた乙芽だが、結局この後、準備は全てルームメイトに任せざるを得なくなった。
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