第1章: 編入生

1-1. 冬の朝と、突然のニュース


 先々週くらいまではまだまだ秋めいたところもあったような気がしていたが、いつの間にやらかなり冬が進んでしまったらしく、連日の真冬日予報にうんざりする朝を迎えるようになっている。


 今シーズンは早くもダッフルコートから手が離せなくなっているし、制服の学ランのボタンも今だけはいちばん上まで留めているくらいだ。もっとも、教室に着けばひとつふたつ開けてしまうのだが、それはちょっとだけ別の話。


 俺が通っている高校は、自宅から一応は辛うじて徒歩圏内とされている範囲にある。ただ、あくまでもと言える程度の距離でしかない。市内を東西に横断するような通学路ルートになっているため夏場などは自転車を使っているのだが、残念なことに先月、初雪の日からは通学の安全確保のために自転車通学は全面禁止となってしまった。


 安全上とかいう旗印を持ち込まれてしまっては仕方ない。それくらいは理解できる。ただ、自転車という文明の利器に触れている現状、今更歩くのもかったるいという話もまた事実だろう。きっと誰もが共感すると思うのだが、そこら辺どうだろうか。


「よーっす、ナツキ」


「ん?」


 少しばかり気を逸らしていた俺を現実に引き戻させるような聞き慣れた声とともに、ギギッという金属がこすれるような音がした。そちらの方を向けば、小学校のときから仲の良い友人であるあおやぎつよしが自転車にまたがっていた。


「おう、おはよう……じゃねえわ。何でお前チャリなんだよ」


 何事もなく返事しようと思えたのもほんの一瞬の間だけ。俺の視線がヤツの顔なんぞより自転車に向くのは当然のことだった。


 俺がぐっと耐えながらここまで歩いてきているというのに、この野郎は我慢という単語のガの字も知らないらしい。


「いやあ。だって、歩くのめんどくさいじゃん? コイツ引っ掴んで来たんだよ」


 コイツと言いながら剛は、乗ってきた自転車のハンドルを持ち上げた。だいぶガタの来ていそうな、年季の入った銀のママチャリだった。たしかにいつもはもう少し小綺麗なモノを使っていたはずだ。


 それに、よく見ればサドルが低い。身長が180を越える剛にはかなり乗りにくそうな高さに見える。これで坂道なんて駆け上がろうものなら、普段の倍は疲れそうだ。


「ここらへんでお前に会うって事は、遅刻は絶対ありえないな。よしよし」


「よしよし、じゃねえんだよ。とりあえず質問に答えろ。……で? それ、結局どうする気だよ。学校の駐輪場は完全に閉じてあるだろ?」


 学校敷地の裏手側に設置される駐輪場は、冬期間の自転車通学禁止になるとベニヤ板やらで完全に目張りされ、自転車を周囲に置くことも禁止されている。バレたら――『最後』ではなく、『最期』らしい――と言われてもいる。当然それを知らない剛ではないはずなのだが。


「チッ、チッ、チッ……」


 剛は人差し指をメトロノームみたいに動かす。


「甘い……。甘いぞ、甘すぎるぞナツキ」


「ウザい」


「あぁん、最後まで聞いてぇ」


「まだ言い方もウザい」


「ゴメンて」


 これ以上意味の無い問答以前のやりとりをしても仕方が無い。顎だけしゃくって先を促すことにした。これ幸いとばかりに剛はセリフを繋げる。


「先輩の家が学校の近くだから、そこに置かせてもらうって算段だ」


「はぁ、なるほどな……」


 ウマい抜け道を作ったモンだ。正直、ちょっとうらやましい。生憎俺が所属しているバドミントン部のメンバーでこの界隈に住んでいる人は居ない。その戦法を使うのは諦めた方が早そうだ。もちろん、そもそもな話、そこまで危ない橋を渡りたいとも思わない。


「ってなわけだから、ちょっと先に行ってくるわ」


「おお、気を付けてな」


「大丈夫だ、転びやしねえよ。慣れてるからな」


 そういう意味で言ったんじゃないんだが。


 学校周辺だから先生の目もあるぞ、という忠告の意味で言ったのだが。


「油断して痛い目に遭わなきゃ良いんだが。……いろんな意味で」


 シャーベット状になった雪が残る路側帯を颯爽と走っていく剛の耳に、俺のため息など当然届かなかった。


 剛の言うとおり、実際問題この路面と自転車は相性が悪い。ムリして自転車に乗り転倒の末に骨折とかいうアクシデントは毎年どこかしらで起きている。


 剛の背中を見送る。そんなこんなで結局今日の登校は独りに戻ったらしい。スマホを取り出して時計を確認。いつも通りの時間だ。このままのペースで充分だろうと思っていると同時、画面にアラートが出てきた。


 単語がたったひとつ。


 ――『日直』とだけ。


「……あ」


 忘れてた。


 昨晩から何かを何となく忘れているような気がしていたのだが、その正体がずっと掴めていなかった。


 コレだ、絶対コレだ。


 テスト週間が終わり、久々の部活動をした週末からの、今日。こういうときは気の緩みではないけれど、何かしらを忘れがちだったが、そういうことだったか。


 ――レポート課題とかじゃなくて本当に良かった。あと、予定としてカレンダーに入力していたあの日の俺、グッジョブだ。


 時間を逆算して考えると、20分程度の余裕時分が一瞬で消滅した感じだ。一応このままのペースで歩いていても大丈夫ではあるのだが、少しだけ歩く速度を早めて学校へと向かった。




     ○



 南部には小高い山が位置する港町・かんざき市は坂道が多く、海がよく見えるビューポイントが多い。


 よく晴れていればこの時期ならば、空の青と海の青に加えて、街並を覆った雪の白のコントラストがまぶしく映る。異国情緒溢れる街並とセットで撮影すればさらに美しい光景が広がると評判なくらいには、写真で見る分にはパーフェクトな風景だった。


 ――そう、あくまでも写真で見る分には。


 残念なことに実情は、そこまで華々しいものではない。雪の降った坂道は単純に歩きづらいし、朝から良く晴れている日であれば放射冷却で寒さが厳しいことの裏返しだ。


 光があるところには必ず影があるということがイヤでもよくわかる光景だ。その光の恩恵というモノは、何故かその街の住民が享受できないというのも世知辛いポイントだった。


 俺の通う公立函咲中央高校はそんな山の麓、登山口に近いような高さに建っているため、そんな眺望を独占できる。校舎の上層階から覗けば、いつでも素敵な景色が見られるというおまけつき。場合によっては坂道を登らなければならないので楽な通学路ではないものの、観光客も多く訪れるこの街でも有数の映えスポットでもあった。


「さて」


 教室にカバンを置いて1枚だけ写真を撮り、職員室へと向かうことにする。さっき校門に差し掛かろうとするところで自転車を置いてきた剛に再度遭遇したが、彼は直ぐさまバレー部の部室の方へと向かっていった。昨日の部活の時にひとつ忘れ物をしたとのことだった。


 階段を降り、職員棟へと向かう。校舎自体が傾斜のある場所に建っているため構造が特殊で、階段での移動がほぼ必ずと言っても良いくらいに発生する。そうでなくても、通学路は坂道だらけだ。恐らくこの学校の生徒は他校の生徒よりも足腰が強いのではないか、なんてことを思ったりする。実際、下半身にモノを言わせるタイプの競技では好成績を残しやすい傾向にあるらしいので、あながち間違ってもいなさそうだった。


「おはよーございまーっす」


 ノック。そして、あいさつ。これ、大事。


「お。おはよう、東雲しののめくん」


「おはようございます」


 扉を開けてすぐ側から、落ち着いているがしっかりとしたハリの有る声が返ってきた。教頭のおおけい先生だ。暇さえ有ればジム通いをしているという話、さすがという感じがする。


「日直かい?」


「そうです。けど、……あれ? ゆのかわ先生は?」


「湯川先生ならたぶんそろそろ」


「おお、おはよう東雲。ちょうど良いところに来てくれたな」


「おわっ! ……お、おはようございます」


 ガラッと大きな音を立てて背後のドアが開かれて、湯川まさはる先生の登場だった。


 我らが2年5組の担任であり、愛称は『ガリレオ』。由来は当然その名前なのだが、とは異なり担当教科は国語だった。惜しい。


「あれ、どうした? 何か用事でもあったか?」


「日直で」


「ああ、そうか。すまんすまん。日誌な」


 何やら両手に大量の荷物を抱えた湯川先生は、ドアを開けてきた勢いそのままに自分のデスクへと小走りで向かっていく。そのまま追いかけていくと、先生は椅子の上に持っていた荷物を置き、机の上の日誌をそのまま俺に渡してきた。


「ありがとうございますー」


「ああ、ちょっと待ったちょっと待った」


「え? まだありましたっけ?」


 いつもならこれだけで良いはずだが。


「丁度良かったって、言ったろ? 日誌のついでに、丁度いいから、コレも、頼まれてくれると、嬉しいんだ、な、っと」


「ぅわっ!?」


 大量の書類やらファイルやらが突っ込まれた大きな紙袋を左腕に掛けられ、油断していたことも相まって思い切りボディバランスが崩れる。利き腕じゃないほうだと辛い。


「め、めっちゃ重いっすね、コレ」


「悪いな。それを教室に置いてきたら、もう1回戻ってきて欲しいんだ」


「もうひとっパシリってことっすか?」


「まぁ、そうな」


 中をチラッと見てみれば、進路の手引きとか学校便りとか、既にこの学校の生徒全員が持っているような資料も含まれていた。


 何だろう。また同じモノを配ったりするのだろうか。だったら全員分無いとおかしいような。ここにあるのは恐らく1セットだけだ。引っかからないわけがない。


「今日って、何かあるんですか?」


「……ああ」


 机に置かれていると思われる何かを探しているらしい湯川先生。


 ――たぶん、モノ探しよりも先に机上の整理が必要だと思いますが。


「実はさ、編入生が来るんだよ」


「へえ。……へ?」


 危うく聞き流すところだった。


「あ、そうなんですか? 珍しいですね」


「だろ? 4年ぶりかな、たしか」


 具体的な数字を出されると、本当に珍しいのか今ひとつわからなくなったが。10年にひとりの逸材とか、そういうところに比肩するほどではないらしい。


「ウチのクラスに、ですか?」


「そうそう」


「いつです?」


「今日」


「……はぁ、なるほど」


 だからこんなにバタついてるってことか。ちょっと納得はした。そして同時に、もう少し事前準備というモノをだな――と何故か先生に説教したくなった。


「それにしてもめっちゃ突然ですね。どんな生徒なんですか?」


「あー、すまん東雲。とりあえずそれをさっさと持って行って、すぐ帰ってきてくれ!」


 文句も質問も投げ捨てるような勢いで、再び職員室を出て行った湯川先生。振り向けば大野先生が微妙な苦笑いをしながら頷き、『行ってきなさい』と廊下を指差していた。


 ぐだぐだとしていても仕方が無い。任務はさっさと遂行しておこう。


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