1-2. いつもの教室と、フラグ回収


 テスト直後の週は、どことなく教室の空気が浮ついている。――いや、それはテストが終わった直後からか。ともかく、何となくふわふわとしたゆるい空気で満たされていた。


 ゆのかわ先生のパシリが意外にヘビーで、早くも俺は自分の机と一体化しそうになっている。気分は出来損ないの粘土細工だ。今日は体育もある。その次の授業は8割以上の確率で寝てしまうだろう。


「ナツキ、おはよー。……って、どしたのよ。そんなにぐんにゃりしちゃって」


「んぁ? ああ、トモコか」


「……朝からそういう、『何だお前か』みたいな反応されるとムカつくわね」


「怒るなよ」


 いつも通りの調子でショートカットを愉しそうに揺らしながら、クラスメイト兼俺と同じくバドミントン部所属のふかぼりともが声を掛けてきた。いつも通りすぎて安心感さえ覚えるが、今日のこのタイミングでやってこられると精神が削られるような感じがしてくる。ちょっと困る。


「どした?」


「どうしたもこうしたもないわよ。ナツキがこの調子でさー」


「あれ? 死んでる。朝は普通だったんだけどな」


 トイレ帰りと思われるつよしが戻ってくるなり話に入ってきた。これもいつもの流れのひとつ。これにあと何人か加わればいつものグループの完成だ。


「先生にパシられたんだよ、ほらアレ」


 言いながら教壇の上に置いてある紙袋たちを指差す。結局あの重量感のあるものが合計5つ。あれをすべて今日来るという編入生に渡すのだろうか。家に持って帰るのも大変だと思うけれど。


「あ、アレ? あれってナツキが持ってきてたんだ?」


「そう」


「おつかれさーん」


「おー、さんきゅー……」


 剛のマッサージが実によく効く。そのまま寝てしまいそうだ。


「こら、寝んなー。折角私がアンタたちにスペシャルニュースを持ってきた、っていうのに」


「何。スペシャルニュースって」


「実はさ、ウチのクラスに編入生が来るっていうウワサがあるのよ」


「え、マジで!?」


「あー、んん」


 テンション上がりまくりの剛に追随する気力は無かった。――というか。


「……何でナツキは驚かないのよ」


「あの荷物持ちをパシらされたときに湯川先生に言われたし」


「アンタ、ほんっとつまんないわねえ……」


「知るかよ」


 文句なら先生に言ってくれ。俺は悪くない。多分。


 というか、俺の横。つまり窓際最後尾に、いつの間にやらひとつだけ割り当てが不明の座席が増えているんだから、余程察しが悪くない限り気付くだろう。


「っていうか、なんでトモコは早々にそんなネタを手に入れてるんだよ。お前、今朝先生に会ったか?」


「そりゃあ、ほら。信用のできる情報通っていう、ネタの入手手段を持ってますから、私は。と違って」


「……うるせえなぁ」


 わざわざ一音ずつ強調するな。言葉を返すのもめんどくさい朝だった。口の奥の方でもごもごと文句だけを籠もらせておくことにする。朝からコイツに絡んでいられる体力すら惜しい。


 何処の世界にもそういうゴシップ好きっていうのは隠れているモンだな、なんてこと思いながらも、その情報通とやらの候補者は何人か思い当たる節はあった。昨日の部活あたりにでもウワサになっていたのかもしれない。同じバドミントン部でも男子部と女子部は、体育館利用の都合で活動時間帯こそ併せられることがほとんどだが、活動の細かい部分は分かれている。何かしらがその時間帯にあったのかもしれない。


「一応は、期待だけはしちゃうよなぁ」


「ん? 何がだ」


「まぁ、でも、こういうときって基本的には『ふつう』なんだよな。なぁ、ナツキ」


「だから、何がだよ」


 にへらと笑う剛の顔が、ただただ俺の中に残っているイイ予感というものを片っ端からかなぐり捨ててくる。付き合いが長いからこそ解る。


「やっぱさ、編入生と言われたら美少女を想像して期待するっていうのが人情だと思うんだよ、俺はさ」


 ――はい、出ました。


 これだよ、これ。男の欲望・願望に忠実なのが、このあおやぎ剛という高校生男子というわけだ。中学校あたりからこの辺の精神年齢は変わっていない。男子だけで遊んでいるときはさらにその年齢は下がっていくわけで。これを良さと捉えるか否かは人それぞれだろうが、俺は良さだと思い込むことにしていた。その方がいろいろと楽だったりするのだ。


「『入って良いぞー』となって、キュートな声で『はいっ』って言うわけよ。ちょっと緊張したトーンでさ。そして、こう……そっと戸が開けられてさ、そそっと歩いてきて先生の隣に立って軽く自己紹介して、ぺこりとお辞儀して、にっこり笑うワケよ……! ……くあぁあっ!」


 謎の雄叫びまで混ぜてきた。


「……ねえ、ナツキ」


「なんだよ」


「アンタ、アレ止めないの?」


「別にイイじゃん、面白いし」


「ええ~……」


「くぅ~~~っ! たまらんな!」


 完全に自分の妄想で高まっている男のことはとりあえず放置しておくのが、俺の中のマナーでありルールだった。


 またしても雄叫び。というかただの奇声。クラスメイトはまたいつもの発作が起きたのかとばかりに、何事もない感じを貫いてくれている。こちらに視線を送ってきてもその通常営業っぷりをちらっと確認するだけだった。


 わかるよ。一応はわかっているつもりだ。高身長でわりとモデル体型に近い体躯をしている青柳剛は、典型的に『黙っていればモテそう』なタイプだ。だがお察しの通り、ヤツは『黙っていられないタイプ』だからこそ、俺なんかはイイと思っているんだが。まぁ、人の好みは人の数だけある。


「な! たまらんよな、ナツキ!」


「それについては概ね認めてやろう……とは思うが、そういうときに来るのはイケメンっていうパターンもあるからな。少女マンガ的展開だったら」


 ある意味ではコペルニクス的転回。


「……えるからやめれ」


「1限目からビンビンになられても困るわ」


「寝るぞ?」


「どーぞ?」


 そんなもん自己責任だ。っていうか、それが脅し文句になると思っているのかよ。今日は1限目は全学で自習だ。寝ようが何しようがご自由にどうぞ、である。


「いやいや、何言ってるのよ」


「え?」


 呆れたような顔をしていたと思ったが、智子が突然口を開いた。


「萎えんな。むしろ高まるでしょ、イケメン編入生とか」


「そりゃあ、トモコはそうだろーよ……」


 人のこと全然言えてないじゃないか、深堀智子よ。


「おはよー」


 そんなタイミングで担任の登場だ。それじゃあまたね、あとでな、などと言いながら智子と剛が自分の席へと戻る。他のみんなも同じようにさっさと自席へと帰って行く。


 日直――というか俺の号令で朝のホームルームが始まる。連絡事項はとくになく、テスト返却を楽しみにしろよーとかいう湯川先生からのありがたい脅しがあったくらいだった。


「さてさて、さてと……」


「せんせー、もったいらないでくださーい。ネタは上がってますよー」


 明らかに何かを企んでいる顔をした担任に智子がツッコミを入れ、笑いが起きる。恐らくその話をするのだろうが、教室の空気を一瞬にして暖まったことは編入生にとってはたぶん良かっただろう。――そんなこと、智子は思っていないかもしれないけれど。


「ああ、もうみんな知ってるのか」


 40人クラスの半分以上が大きく肯いた。恐るべき情報拡散力。口コミもなめたもんじゃない。反応の鈍い生徒も、俺の横にある空席を見て納得したようだった。


「だったら話は早いな。今日から2年5組に編入する生徒がいるんだが」


 さきほど肯いていない生徒も、肯いた生徒も皆が一気に色めき立つ。ノリ遅れてしまったので、とりあえず拍手だけは贈っておくが、ここまで盛り上がってしまうと逆に緊張してしまいそうだ。


 先生はさっきの剛もかくやと言わんほどににんまりと笑いかけ、教室前側の扉を開ける。それが合図。新入生もしくは今回の編入生特有な真新しい制服がチラリと見える。


 ――セーラー服だ。女子じゃないか。


 見えた瞬間に男子が色めき立つのはある意味当然。


 しかし――。


「……っ!」


 喚声が一瞬だけ止まる。


 そして、さきほどの2倍くらいの音量で、もう一度沸き立った。男子だけじゃなく、女子もだ。


 一言で言い表すならば、美少女。たったひとつのその単語だけで済む。それくらいに可憐だった。東京の方の芸能コースがある学校にでも編入した方が良いんじゃ無いかと思うくらいだ。


 ウチの女子の制服ってこんなにかわいかったっけ? ――そんなことを思うくらいには、紛れもなく美少女だった。


 こっそりと視線を剛に送ってみると、頻りにガッツポーズを繰り返していた。視線は顔と胸元あたりを行ったり来たりしているように見える。


 どういうことだ。完全にアイツの予想通りじゃないか。


 普通に考えれば、アイツの発言は全部フラグになるべきなんじゃないのか。あれでは自己紹介した後ににっこりと優しい笑みを向けてくるところまで達成されてしまうじゃないか。


 そんな意味の無い心配を余所に、編入生はゆっくりと教壇へ向かっていく。その後ろで湯川先生が、ノリノリで彼女の名前を大きく黒板に書いていく。さすがの達筆、さすがは有段者。書道の授業も受け持っているだけはある。


「今日からみなさんと勉強させて頂きます、まつかぜはなです。よろしくお願いします」


 そう言って、松風さんはお辞儀をして、可憐に微笑んだ。


 まさかの逆フラグ回収。色めき立つクラスメイト全員。男子のみならず、女子もだ。


 だけど、俺だけは何も反応が出来なかった。


 一目惚れとか、そういうことじゃない。


 彼女の声が、呆れるくらいに聞き覚えのある声だったからだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る