金砂の契約

空伯

第1話 金砂の契約

満ちる月が、静かな夜の街に金の砂を降らせる。金の砂は細やかな光を放ち、地上を黄金色に染め上げる。年に一度だけ訪れるこの日を、人々は祝福の祭日と呼び、祭りに興じた。金の砂は、人々の心の深淵を照らし、光へと導く神々からの恩恵として伝えられてきた。

 風が無い夜であるのに、ある部屋の中にだけ、突如として目を開けていられない程の強風が発生し、部屋の中の物を巻き込みながら激しく吹き荒れた。

 轟々と風音が鳴り響き、リリアスは恐怖に支配されベッドの中で、体を固くし蹲る。

 風が止み始めた頃、頭上から溜息と共に辟易とした声が落ちてきた。

「……俺を召喚しやがったのはお前か」

 まるで喜ばしくないと、言わんばかりの物言いに、リリアスは一瞬体を震わせながらも、声のする方を恐る恐る仰ぎ見た。

「白……」

 リリアスは目を瞠り、口元を両手で覆った。

 例えるなら真白。一遍の穢れの無い美しき雪のような肌と髪。血の気を一切感じさせない容貌に、この世の者ではない畏怖を感じつつも、リリアスは彼の美しさに一瞬で魅入られた。

 切れ長の瞳が鋭く、リリアスを睨み付ける。

「おい。呆けてないでさっさと願いを言え」

月灯りを浴びて佇む彼は、さもうんざりと言った風に空中で腕組みをしている。斜に構えて眉間に皺を寄せた表情が、さっさとしろと告げている。

 これが、リリアスと賢者ガルディアとの出会いだった。

     

「昨日は余り眠れませんでしたかな」

 毎日検診に訪れる老齢の医師に、様子を尋ねられ、リリアスは困ったように笑った。

「あまりに美しい夜でしたから、少し夜更かしをしてしまいました。ごめんなさい」

「いえいえ、責めている訳ではありませんよ。体調に障りが無ければ問題ありません。少々目が充血しているようでしたから申し上げただけです。お気になさらず」

「体調は良好ですわ。とっても」

「それは宜しい」

 医師は薬と器具をカバンに仕舞うと、くれぐれも無理はしないようにと促しながら退室の準備をした。その時、

「おはようリリアス。ご機嫌いかがかしら?昨日の祭日は素敵でしたわね。あなたも少しはご覧になって?」

 午前の検診が終わると同時に、リリアスの部屋を訪れたのは姉のセルシア。医師はリリアスとセルシアに軽く会釈をし、部屋を後にした。

 淡い金に緑の瞳を持つリリアスは、ベッドの中から優しく微笑み朝の挨拶をする。姉のセルシアは黒髪に茶の瞳で、きつい目元が特徴的である。全く風貌の違う二人は腹違いの姉妹で、セルシアは後妻として迎えられた義母の連れ子だ。貴族の名家であったが、子に恵まれず、生まれたのは娘であるリリアスのみ。

 数年前、リリアスは突然咳き込み、血を吐いて倒れた。医師の見立てでは、現在の医療では治せる手立てが無く、今は延命治療をするのみとなっていた。本来ならばリリアスが家系を存続させるはずだったが、それは叶わぬこととなり、正妻亡き後、後継者不足に悩まされ、迎え入れられたのが、セルシア達であった。

 亡き母の風貌を写し取った、リリアスを見るに堪えないと言う父は、リリアスに会いに来ることを避けた。義母とは会うことがない。

 リリアスの部屋を訪れるのは、メイドと医師と姉のセルシアだけだった。

「私も昨日は遅くまで起きて見ていました。金の砂は途切れることなく、降り続くものですから、瞬きするのがとても惜しくなって、ずっと見てしまいました」

「そうね。街は賑やかだったわよ。広場には出店が並んで、演奏家たちの音楽が鳴り響いて、皆で輪になって踊っていたわ」

「わあ、素敵。お姉さまも踊ったのですか?」

 セルシアは扇を開いて仰ぎ、冷ややかな半眼をリリアスに注ぐと、固い口調で言った。

「踊るわけないじゃない。庶民と戯れるなんて、品性を疑われるわ」

「そう……ですか。お姉さまが楽しそうに話すので、ご一緒に踊られたのかと思いまして」

「私は貴族の娘よ。庶民と手を取り合い肩を組むなんて下品だわ。あなたはそう躾られなかったのかしら。ああ、躾られる前に母を亡くして、更にはご自身もお倒れになったんだったわね。うっかり忘れていたわ。気が回らなくてごめんなさい」

 扇で口元を隠しながら、クツクツと笑い声を上げるセルシア。

 リリアスは胸に痛みが走るのを、堪えながら懸命に笑った。

「いえ、いいのです。その通りですから」

 面白くないと言った風に溜息をついたセルシアは、ほくそ笑みながら追い打ちをかけてくる。

「私、あなたが羨ましいの。儚く散ってしまいそうな容貌だからかしら、あなたを責める者は誰一人いないでしょう?この世の柵からも解放されて、後は永遠の眠りを待つのみ。何も背負うものがないから、失うものも無い。そんなあなたがとっても羨ましいわ」

 リリアスは辛そうに姉を見やる。セルシアがリリアスを射るような目で見るのはいつものことだが、今日は特にも恐ろしく見えた。

 病に伏してから、羨ましいと誰からも言われたことは無かった。セルシアが本心から羨ましいと微塵も思っていないことも分かっている。そして、毎日セルシアがここに来る意味も。

 リリアスはニコリと微笑み、初めて意趣返しをしてみた。

「それならば、私と変わってみますか?」

 突然のことで、面食らったセルシアは、肩を怒らせ目を吊り上げながら反論した。

「じょ、冗談じゃないわ!あなたみたいなつまらない人生になんてなりたくないわ!」

 一欠のかけらの情も感じさせない言葉を放ち、セルシアは踵で床を踏み鳴らして部屋から出て行った。

 大きく息を吐いたところで、背後に白い影が浮かびあがり、たちまち人型を取った。真白の風貌を持つガルディアが姿を現した。ずっと部屋の中に居たのだが、気配を感じ取れるのは召喚したリリアスのみ。

 ガルディアは、セルシアが出て行った扉を、苦虫を噛み潰したような表情で睨み付けている。

「なあ、あいつ今すぐ殺してやろうか?いや、お前の許可を得る必要もないな。俺の気に障る。目障りだから今すぐ始末してやる」

「ダメですよ。お姉さまにも色々事情があるのですから」

「事情など知らん。あんな根性のねじ曲がった奴は獣の餌にでもしてしまえばいい」

 リリアスが居るベッドに腰かけ、たばこを取り出すと火をつけ煙を燻らせた。

 リリアスはガルディアの手を、ぴしりと叩いて、僅かに睨みを効かせた。

「絶対に手を出してはいけませんからね」

 盛大に煙を吐き出しながら、ガルディアは面倒くさそうに相槌を打った。


 絵本の中でしか存在しないと思っていたガルディアを、金の砂が降る祝福の祭日に召喚したリリアスは、その後契約を交わした。

 ガルディアは白魔法も黒魔法も使える賢者と呼ばれる高尚な存在らしい。易々となれる者ではないのだと、とくとくと教えこまれた。

「願いを言え」

 満月の夜にガルディアはそう言った。リリアスの中にある願いは、ただひとつだけ。その願いを聞き入れてくれるのかどうか不安が過ったが、リリアスは意を決して伝えてみた。

「私の側にいて欲しいの」

 伺うような、小さな声で、まるで子供に返ったかのように。

怪訝そうに顔をしかめたガルディア。

「俺に言うことじゃあないだろう。家族とか友達、いや男だ男に言えばいい。お前のような上玉に言われれば、誰でも喜んで側にいるだろ。賢者である俺を召喚したんだから、もっと壮大な野望を言ってみろ」

 リリアスは苦笑した。

美しく穢れなき姿でありながら、口が非常に悪いガルディア。けれど、彼の言葉には裏が無さそうに思える。嘘と偽りで塗り固められた大人たちの会話とは全く違う、素直な心が垣間見える。心というものに久しぶりに触れた気がする。

「私には誰も居ないの。側には誰も置いてはいけないの。あ、でもそれはあなたも同じなのかしら」

「は?どういうことだ」

 説明しよう息を吸いこんだ瞬間、むせ返り咳き込んでしまった。咳はなかなか収まらない。胸元をぎゅっと握りしめて堪えていると、背中に温もりが添えられた。

「おい、大丈夫か?」

 返事のつもりで頷き返す。しばらく咳込んだのち、少し血を吐いたリリアスはベッドに背を預け、呼吸を整えることが出来た。

「なるほど、病か」

 ガルディアはリリアスの顎を掴むと、顔色を窺い、体に顔を近づけた。

「深いな。肺をやられてもう長いのか。それに、なにやらいくつもの病巣が潜んでいるようだな」

「そう、なの?肺が悪いとしか聞いていなかったわ。そんなことまで分かるなんて、あなたは凄いのね」

青白い顔をして、途切れ途切れの呼気の合間に返事をしつつ、リリアスは感心していた。ガルディアはなにやら思案しながら腕組みをしている。

「俺の魔法で病を完治してやることもできなくはないが?何度か試せばどれかは効果を発揮するかもしれない。それがお前の本当の願いなんじゃないのか?」

 リリアスは被りを振った。

「いいの。病はこのままで。この病はあなたに移る心配があるかしら。そうだとしたら側に居て欲しいなんて無理よね」

「生憎と、俺は不死身だ。病など受け付けない体質となっている」

 平素の顔でさらりと言ってのけるガルディアに、リリアスは驚きのあまり目を丸くした。

「賢者ってそういうものなの?」

「俺だからだ。俺様にしか到達できない域だ」

 自慢げに腕組みをして威張りだした。

「ふふっ。凄いのね。ガルディア強いわ」

「ああ、だからお前の側に居てやってもいい」

「……本当?」

「ああ、お前は上玉な上、魂も美しい。願ってもないカモだ。あ、いや。俺は美しいものが好きなだけだ」

 口が滑ったようで、しまったと慌てて言い直すガルディア。

 カモ……。確かにカモと言ったわ。

 リリアスは思わず噴き出した。さっきまでの胸の、苦しみを忘れてしまうほどに笑った。

「私が死んだら、あなたは私の魂を欲しいのかしら」

「そうでもないが、そうとも言う」

 どこか後ろめたいのか、顔を背けるガルディア。リリアスは決意した。この人を信用してみたい。最後はこの人と居たい。

「いいわ。私の魂を差し上げます。その変わり、最後まで私の側に居てくれる?」

「本当か?やけにあっさりしたものだな。普通命乞いをするものだが。といっても俺は悪魔でもないからな。契約変わりに魂を取るなんてこと、いつもしてる訳じゃないんだ」

「そう。私はあなたが賢者でも悪魔でも天使でも何でも構わないわ。ただ、嘘をつかないとだけ証明してくれるなら」

 儚そうに見える風貌とは裏腹に、肝の据わったリリアスに度肝を抜かれたガルディアは、一瞬たじろいだ後、契約の印を刻むために、リリアスの頬に手を添えた。

「お前の命尽きるまで、俺はお前の側にいる。そして、お前を護り通す」

 そう言うと、リリアスの額に口付けを落とした。その瞬間、リリアスの額に印が浮かび上がった。賢者の御手付きの印とも言える。

「ありがとう」

 リリアスは最上級の笑顔でもって答えた。これにはガルディアが頬を朱に染めることとなる。


 ガルディアの家とリリアスの部屋の時空を繋ぎ合わせ、いつでもリリアスの部屋の中が見えるようにした。暫く様子を見ていて分かったのが、リリアスに会いに来るのは、医者とメイドと口の悪い姉だけ。繰り返される毎日の中、変わらない日常を終わりに向かって進むだけの日々。ガルディアはリリアスの日常を見る度に、鬱屈する思いが蓄積していった。

 姉が退室した部屋の中でたばこを燻らせているのは、リリアスの肺の痛みを和らげる効果があるからだ。勿論、それを言うことはしないが。

 たばこはダメか?と聞いたら、構わないと言っていた。リリアスは、死を怖がらない。寧ろ……死を望んでいるようにすら感じる。  

 この若さで死をあっさりと受け入れるには早すぎると言うものだろう。ガルディアはリリアスの本心が知りたかった。

 ある日、リリアスが外の景色を見ながら夢見るように語った。

「私ね、小さな田舎町で一生暮らしたいと思っていたの。花壇には好きな花を植えて、お野菜も作って、洋服を泥だらけにしながら大地と共に生きていきたかったわ。願わないと思っていても、どうしてもね、夢みてしまうの」

「へえ。田舎がそんなにいいか?」

「ええ。大好きな自然の中で風とお日様を浴びて、草原もおもいっきり走りたいわ。そんな毎日が私の日常であったなら良かったのにね。何故、貴族の家に生まれてきたのかしら。窮屈なドレスも靴も、愛想笑いしかない社交界も、ダンスも、何もかも私は嫌いなの。だからね、今はそこから離れることが出来て、良かったと思っているの。もう、そんな場所に行かなくても良くて、やっと楽になれたの。それが病のおかげだなんてね」

 リリアスは困ったように笑う。

「だから、お姉さまに全ての重責を負わせてしまっていることに後ろめたさがあるの」

「いや……。あれのことは気にしなくていいんじゃないか?あれだけの性悪、貴族に慣れて万々歳といったところだろう」

 セルシアの魂は非常にまずい臭いしかしない。あの口から出てくる言葉そのものの苦さ、辛さが凝縮されていて悪臭が漂っている。あんなのとは一分でも一緒に居たくない。

 その反面、リリアスの魂は極上の甘美な香りと清浄な気を放っている。嘗て、これほど光に満ちた魂に出会ったことがない。

 病が自分を解放してくれたから、治さなくていいと言うのか。

 死ねると知って、やっと安堵したとでも言うように、リリアスは始終落ち着いて見えた。

「お姉さまは、もともとダンスが得意では無かったそうよ。それでも社交界に出席するために猛特訓していると、メイドから聞いたことがあるわ。私の穴を必死で埋めてくれているのよ。だから、ここに来て愚痴を溢す位なんてことないの。息抜きは必要だもの」

「ただ単にちやほやされたいだけだろうが」

「社交界は、いつだったかしら。一週間後とか言っていた気がするわ。間に合うのか心配だわ」

「社交界か。お前は出席しないのか?」

「私はこの体だから絶対にムリよ」

リリアスが豪華なドレスを身に纏ったら、この世の春かと思えるほどに美しいだろうに。

「勿体ないな」

 ガルディアは心底そう思って呟いたが、その後、良案が閃いた。

リリアスの肩を両手で掴むと、思いっきり揺さぶった。

「ガルディア痛い。どうしたの?」

「社交界に出るぞ!」

「ええ⁉」


 一週間後。リリアスは、緊張の面持ちで息を整えていた。何度も深呼吸をしてみても、それでも落ち着かない。ガルディアは、家の者には内緒で社交界に連れていくと言っていたけれど、そんなことが可能なのかしら。

 社交界の場が苦手だと言ったのに、ガルディアは譲らなかった。何か思惑がありそうな気がするけれど、彼が私の不利になることをする人だとは思わない。契約の印がある額にそっと触れて、リリアスはガルディアを待った。

「遅くなった」

 背後から声を掛けられて、リリアスは驚きのあまり飛び退いた。ガルディアの方を振り向いて、更に驚き、口をぽかんと開けて間抜けな顔をして立ち尽くした。

 目の前に居たガルディアはシルバーグレーのタキシードを着こなし、髪を整え、社交界に相応しい正装姿で現れたからだ。誰が見ても見惚れてしまうその容姿に、リリアスは目が離せなくなってしまった。

「おい。どうした。おい」

 目の前で手を振られて、やっと我に返る。熱くなった頬を両手で隠し、視線を逸らす。

「……素敵すぎるのが悪いのよ」

 ガルディアは、小さく笑うと腕に抱えていた箱をリリアスに差し出した。

「お前の方が何倍も綺麗になるさ。ドレスと靴とアクセサリー一式が入っている。着てみろ」

 目の覚めるような鮮やかな青いドレスを纏い、淡い金の髪を高く結い上げようとした時、首元に冷たい感触のものが触れた。後ろからガルディアがネックレスを付けようとしていたらしい。リリアスはいつもより近い距離にいるガルディアに、無意識に鼓動が跳ねた。

「美しいな。予想以上だ」

 感嘆の声を漏らすガルディアは、満足気に微笑むと、リリアスの肩にショールを掛けた。

「堂々としていろ。お前は誰よりも美しい。この世でお前ほど優美な姫はいない」

 リリアスの肩に手を置いて、ガルディアは強気に笑う。肩から伝わる熱が、リリアスの体をじわりと火照らせる。

「口が上手いんだから」

「さあ、行くぞ」

 ガルディアに差し出された手に、リリアスは手を重ねた。強く握り返され、リリアスの瞳は僅かに潤んだ。

 この時間もあと僅か……。ガルディアと一緒に居られる時間はもう少ない……。

 会場に着く前に、ガルディアから渡された小瓶に入った薬を飲んだ。これで今日位なら無理なく動けるということだった。

 リリアスは一気に飲み干し、ガルディアにエスコートされて会場入りした。

 二人は着いた途端に注目を浴びることとなる。二人の容貌は他よりも群を抜いて美しく輝き、歩くだけで人が避けて道が出来た。周りから聞こえてくるのは感嘆の声。

 ガルディアは周りを気にせず、リリアスに向き直ると丁寧にお辞儀をした。

「一曲お願い致します。リリアス様」

「ええ」

 咲き始めの花のような、初々しさを感じさせて、はにかんだ笑顔を見せると、リリアスは手を差し出した。楽師の演奏に合わせて二人は踊り出す。

 緩やかで華やかな舞いは、見る者を魅了し、会場の雰囲気をより一層華やかに染めた。まるで会場の音色も光も空気すらも、二人を彩る為だけに存在し輝いているかのようだ。 

 群衆のざわめきの中、舌打ちをする女がいた。リリアスの姉セルシアだ。

「何よ。部屋から出てこれないって嘘だったの?あんなに注目を浴びて何様のつもりよ」

 これ以上にない程に眉を吊り上げ、鋭い眼光でリリアスを睨み付ける。歯噛みする音が耳の良いガルディアの元には聞こえてきていた。ガルディアは口角を上げると、面白がるようにセルシアへと視線を投げた。口元が微かに動き「ざまあみろ」と伝えている。それを見たセルシアは、扇を思いっきり床に叩き付けると、ドレスの裾を捲り上げてダンス会場を後にした。

「どうしたの?」

「なんでもない。終わったら庭で休もうか」

「ええ」

 フィナーレと共に、二人だけのダンスが終わった。会場は拍手喝采の嵐となり、二人に賭けよろうとする者で溢れたが、ガルディアのエスコートにより、非礼なく庭へと出ることが出来た。

 リリアスは頬を紅潮させ、胸元を抑えながら呼吸を弾ませている。

「こんなにダンスが楽しいと思えたの、初めてよ。ありがとうガルディア」

「いいえ、お姫様の為でしたら何でも致します」

「ふふっ。薬のおかげかしら、とっても気分がいいわ。このまま時が止まればいいのにね」

 幸福な余韻に包まれて、ガルディアの側で逝けたなら十分に幸せ。もう思い残すことは無いもの。 

 リリアスは、ガルディアの服を掴むと胸に頭を寄せて俯いた。

「今、私の命を貰って下さい」

「は?」

「この先、死を待つだけなら、この瞬間にあなたの側で終わりにしたいの。お願い」

 懇願するように、リリアスはガルディアの服を強く掴んだ。リリアスの背にガルディアの両腕が回され、強い力で引き寄せられた。

「それなら、全てを捨てて俺と共に生きろ」

「え?」

「命を終わりに出来るなら、何だってできるだろう?俺ならお前の病を治してやれる。あんな窮屈な場所から離れて、自然の中に住まわせてやることも出来る。お前の夢を叶えてやる」

「ガルディア……」

「最初に契約しただろう。お前の側にいてやると」

 リリアスは瞳が潤んでくるのを抑えられなかった。大粒の涙が一粒頬を伝うと、それをなぞるように、幾重にも涙が伝い始めた。

 ガルディアの手が優しく頬を滑り涙を拭う。

「涙も綺麗だな」

「バカね」

「俺と共に生きてくれるか?」

「ええ」

 ガルディアは、リリアスの顎を軽く引き上げながら腰を抱き寄せると、口付けをした。

 始めての事で、真っ赤になって硬直しているリリアスを見て、表情を緩ませたガルディアは、小声で術を唱え始めた。庭の時空が音を立てて歪み、渦を巻いた入口が出現した。

「ここからお前の部屋と、俺の家との時空を繋ぐ。部屋から必要な物を持って来るといい。終わったら俺の家で待っていてくれ」

 平然と仕事をこなすかのように、次々と術を唱え続けているガルディア。一方リリアスは熱くなっていく自身を止められず、顔を覆っていた。

 さっきのは、キス?なの?柔らかい感触が蘇り、恥ずかしさから気絶しそうになる。

「リリアス」

「は、はい!」

耳元で名を呼ばれ、背筋を急激に板のように伸ばしてしまった。

「悪いが時間が惜しい。荷物を持ってきて俺の部屋に居ててくれ。後始末したらすぐに行くから」

 何をするの?と聞こうとする前に、背中を押されて時空の歪に押し込まれた。

「さてさて、キナ臭い場所を清掃するか」


 ガルディアはリリアスの部屋の中で、正装のままたばこをふかして煙を燻らせていた。

 屋敷の中が騒がしくなってきたのが聞こえてくる。足音が近づいてきたかと思うと、リリアスの部屋の扉を激しく開いて入ってくる男性が居た。リリアスに似た面影を宿している。ということは、父親か。

「お前は誰だ!リリアスと社交界に出ていたというのはお前か?一体何者だ!リリアスは何処だ。何処に行った!」

 よほど焦っているようで、矢継ぎ早に捲し立ててくる。

「ちょっと黙ろうか。親父様。リリアスはもうこの世にはいない。死んだと思ってくれ」

「な、なにを言う!娘を殺したのか?」

「殺す?俺は殺しちゃいない。殺そうとしていたのはそっちだろう?」

「何を言っているんだ」

「屋敷の中があまりにキナ臭いものでね。調べさせて貰った。医師とこの家との関係性があまりに狡猾で吐き気がするほど汚くて、驚いたよ」

「何の話だ」

「ああ、丁度いい。医師が来たようだ」

 血相を変えた医師が覚束ない足元で駆け込んでくるのを、ガルディアは薄笑いで迎えた。

「旦那様。リリアス様は何処ですか。何故動けるようになったなんて嘘を言うのです。あれだけ薬を投与されていて動けるはずもないんですよ。ご存知でしょう?」

「そう、その通りだ。本来必要のない薬を投与され続けて被検体として消耗されてきたんだから、もう動ける力なんて残っていない。後は死を待つのみ、そうなんだよな?」

 見知らぬ男に核心を突かれ、医師は顔色を変えてたじろいだ。

「こ、この人は誰です」

「知らん。勝手なことを言うな。我らを謀った罰は重いぞ」

「勝手に吠えてろよ。俺の見立てでは、リリアスの病は初期の段階で治るものだった。それを、金に目が眩んだか、財政難だかしらんが、そこの医師に娘を売って大金を得ていたんだろう。貴族なんて表向きだけ。とっくに破産している状態だ。娘を売った金で贅沢三昧。全く、反吐が出るね」

「嘘だ。そんなのは出鱈目だ」

「私も知りませんよ」

「いいさ。白を切っても何してもいい。俺の腹は決まっている」

 ガルディアは、右手を高く掲げると、呪文を唱え漆黒の玉を浮かび上がらせた。頭上に上がり、膨れ上がったと思った瞬間、玉は一気に床に落下し、地面を大きく抉った。

 一部、屋分ほどはある空間が、地下に生まれた。

 魔法を見たことが無かった、父親と医師は立ち竦んで小刻みに震えている。

「ん?お前たちの寝床を作ってやっただけだ」

 唖然としている二人にはお構いなしに、ガルディアは指先をくるりと回すと、簡易的な部屋を二つ造り上げた。

「お前たちには、そこで一生俺の被検体として生きて貰う」

「バカを言うな!こいつ頭が可笑しいんだ。悪魔に違いない!相手にするな、行くぞ」

 二人は部屋から逃げるように駆けだしたが、先回りしたガルディアに行く手を阻まれた。ガルディアの冷めた瞳が二人を貫く。

「お前たちには償わなければならない罪があるだろう」

「そんなものは、無い」

「そうかな。リリアスの前には、リリアスの母親も被検体として使われたんじゃないか?そしてリリアスが終わったら、次は誰だ?家名の為に何人の命を犠牲にするつもりだ。全ては見栄の為。全ては自分の為に」

 言葉を継げなくなった二人を、ガルディアは綱で腕を縛り地下へと降下させた。部屋の中に降ろされた二人は、足枷を施錠され自由を奪われた。顔面蒼白状態になっている。

「夜空位は見えるようにしといてやるよ。またな」

 そう告げると、ガルディアは自室への時空を開き、颯爽と中へと身を投じた。


「お帰りなさい」

 部屋着に着替えたリリアスは、笑顔でガルディアを出迎えた。ガルディアに駆け寄り、表情を伺うと、少し疲れているように見えた。

「後始末、終わったの?」

「ああ、部屋の片づけをしてきた」

 心なしか、疲労感を残すガルディアの頬に手を添える。ガルディアはリリアスの腰を引き寄せ抱きしめた。リリアスの首元に顔を埋めさせてくる。

「ねえ、ちょっと」

 恥ずかしくなって逃げようとすると、ガルディアが耳元で熱い吐息と共に囁いた。

「ずっと俺の側にいろよ」

 暖かな陽のような笑顔を浮かべて嬉しそうに笑った。

「ええ。ずっと一緒よ」

 風が外から緑の香りを運んでくる中、二人は永久の愛を誓った。

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