後編
放課後。
梨々は『ちょっとトイレ』と玲香に告げ、教室から出て行った。
玲香は、今だとばかりに、梨々の想い人である真人に近付いた。
「ねーねー、小川くん。今日も公園行って、絵を描くの?」
ニマニマ笑いで、帰り支度をしている真人に声を掛ける。
彼は横目で玲香を見、『描くけど。それが?』と素っ気ない。
梨々のことで、普段からさんざんからかわれているので、彼女に苦手意識を持っているのだ。
「昨日も梨々、公園にいたよね? その時、何か見なかった?」
「何かって?」
「だからー。梨々、じーさ――、おじーさんと、楽しそうに話してなかった?」
「……話してたけど。それがナニ?」
真人の返答に、玲香は『ほほう?』と、内心で感嘆の声を上げた。
(絵を描いてる間でも、一応、梨々の様子がわかる程度には、気にしてるんだ?)
予想以上に脈アリな気配を感じ取り、玲香は俄然、からかう気満々になった。
「フッフッフ。二人の仲良さげな雰囲気、どー思う? 何か感じなかった?」
「何かって?」
「何かは何かよ。『妙に親しそうだな』とか、『何話してるんだろう?』とかって、気にならなかった?」
「べつに。知り合いなのかな、くらいしか思わなかったけど」
「へーえ。そっかー。そーなんだー?」
終始、ニマニマ笑いを浮かべつつ、意味深な反応を示す玲香に、いい加減ウンザリしたのだろう。真人は玲香を軽くにらんだ。
「何なんだよ、さっきから? 何が言いたいんだ?」
イラ立ちを隠そうともしない、不機嫌そうな声だ。
玲香はケロリとした顔で、『フッフーン。どーしよっかなー? 教えてあげよっかなー?』などと、もったいぶった態度を貫いている。
「答える気がないなら、もういいよ。俺、行くから」
とうとう我慢の限界に達したらしい。真人はカバンを引っつかみ、風呂敷で包んだ四角くて平べったい物体(絵を描くパネルらしい)を小脇に抱え、玲香の前を通り過ぎた。
玲香はフッと笑った後、去って行く背中に向かい、
「梨々ねー? あのおじーさんに会った瞬間、メチャクチャときめいちゃったんだってー!」
そう声を掛けたのだが。
真人はその場で立ち止まり、『えッ!?』と甲高い声を上げて振り返った。
翌日の昼休み。
弁当のおかずをつまみながら、梨々はニコニコ顔で玲香に訊ねた。
「ねえ。昨日、おじいさんに会ってみてどー思った? すごく感じの良いおじいさんだったでしょ?」
「うーん、そーねー。確かに、すごく雰囲気の良い人だったね! あーゆー人を、『老紳士』って言うのかもねー」
わざと大きな声で返事すると、玲香は廊下側の後ろから二番目の席を、チラリと窺う。
そこは真人の席だった。彼は、一切こちらを見てはいなかったが、購買で買ってきたらしいパンを片手に持ったまま、微動だにしない。
全神経を耳へと集中させ、こちらの会話を聞き取ろうとしているのだろう。
「フフッ。気にしてる気にしてる。昨日のあれが効いてるわね」
玲香が満足げにつぶやくと、梨々はキョトンとして小首をかしげる。
「玲ちゃん? 何が効いてるの? 『昨日のあれ』って?」
「キッシッシ。いーのよ、気にしなくて。こっちの話だから」
口元に片手を当て、含み笑いをしてみせる玲香に、梨々はたちまち顔をしかめ、『ヤダなぁ。気味悪い笑い方ー』と不満を漏らした。
玲香はコホンと咳払いし、
「まーまー。アタシのことなんかより、老紳士の話をしましょーよ」
満面の笑みを浮かべ、昨日の話の再開を促した。
更に、次の日の昼休み。
昨日と打って変わり、神妙な面持ちで弁当を食べている梨々を不審に思い、玲香は恐る恐る声を掛けた。
すると、梨々はおもむろに顔を上げ、暗い声で、
「実は……。昨日も、おじいさんと公園で話してから、家に帰ったんだけどね? 帰ったら、ちょうどお母さんが、ばあばの古いアルバムを整理してるところで――」
「ばあば? 三年前亡くなった、アンタのおばあさんのこと?」
「そう、ばあば。亡くなってすぐとか、数ヶ月してからならわかるけど、亡くなってから三年も経ってるのに、いきなりばあばのアルバムを――なんて、変な感じだなぁって思ったんだけど……」
心なしか、梨々の顔色が悪い。
玲香はまさかと思いつつ、話の先を促した。
「お母さん、私を手招きして、『見て見て! おばあちゃんの若い頃の写真』って。なんだか妙な感じがして、怖かったんだけど、お母さんに変に思われるのイヤだったから、居間のソファに座って、写真を見てたの。そしたら――」
「そしたら?」
梨々はゴクリとつばを飲み込み、すっかり青い顔になってつぶやいた。
「あのおじいさん……鍛冶屋敷のおじいさんに、すっごく似てる人が写ってる、セピア色した写真があったの。私、ビックリしちゃって……。その人指差して、お母さんに訊いたの。『この人誰?』って」
梨々の目に、うっすらと涙がにじんでいる。
玲香は背筋にヒヤリとしたものを感じながらも、誰だったのか訊ねた。
「お母さんも、詳しくは知らないって。でも、ばあばにその写真見せられて、『この人、お母さんの初恋の人だったらしいわよ』って、コッソリ教えてもらったんだって」
「え!? おばーさんのじゃなくて? おばーさんのおかーさん!?」
「うん。それでね? 『名前知ってる?』って訊いたら、『確か、カジ……ナントカさんって、変わった名字だった気がする』って……」
「カジナントカ!?……って、それもう間違いないじゃん! おばーさんのおかーさんの初恋の人ってことなら、鍛冶屋敷さんのおじさんとか……とにかく、血が繋がってる人なんじゃないの!?」
「……やっぱり、そうとしか思えないよね?」
梨々の両目から、ポロポロと涙がこぼれ落ちた。
「ちょ――っ! 何で泣くワケ!? アンタが言ってたんでしょーが、先祖の記憶がどーのって! その説が証明されたかもしれないのに、どーして泣かなきゃいけないのよ? 当たって喜ぶとこじゃないの?」
急に泣き出した梨々を前に、玲香は焦り、キョロキョロと辺りを見回す。
案の定、教室中の生徒の注目は、梨々一人に集まっていた。
「だって。だって、ばあばのお母さんが……ひいばあばの初恋がっ」
絞り出すようにそれだけ言うと、とうとう梨々は、両手で顔を覆い、声を上げて泣き出した。
その日の放課後。
落ち着きを取り戻した梨々から、玲香は話の続きを聞いた。
セピア色の写真に写っていたのは、梨々の曽祖母の初恋の人で、戦争に赴き、若くして亡くなってしまったのだそうだ。
曽祖母は嘆き悲しみ、適齢期だったにもかかわらず、十年ほどは結婚する気になれなかったらしい。
だが、十数年後。
穏やかで誠実な梨々の曽祖父と出会い、結婚。二児を授かる。
祖母から聞いたことによると、曽祖母は、曽祖父に悪いと思ったのか、戦争で散った初恋の人の話は、彼の前ですることはなかった。
ただ、曽祖父のいないところでは、晩年、ポツリポツリと、語ってくれることがあったのだそうだ。
初恋の彼は、親同士が決めた許嫁で、幼い頃から良く知っていたため、互いに惹かれ合っていたのだという。
だが、戦争が始まり、『せめて結婚だけでも』と急かす周囲に、初恋の人は、頑として首を縦に振らなかった。
曽祖母のことが嫌いだったから、ではない。
彼女を未亡人にしてしまうかもしれないと思うと、どうしても決心がつかなかったかららしい。
曽祖母は『それでもいい』と、彼に泣いてすがったそうなのだが。
彼の決意は固く、曽祖母は、承知するしかなかったのだそうだ。
「それでね。初恋の人は、戦争に行くっていう前日に、ひいばあばに会いにきてね? 手紙と、あの写真だけを渡して、去って行ったんだって。その時の写真が、あのセピア色の写真。手紙もね、ちゃんと大切に取ってあって――」
「え? じゃあ、梨々も読んだの?」
「うん。ひいばあばに宛てた手紙なのに、申し訳ないなとは思ったんだけど……。ばあばも、お母さんも読んじゃったそうだから、私だけ遠慮するのも、気にし過ぎかなと思って」
「そっか。……で、どんな内容だったの?」
「うん……。ひいばあばを、すっごく大事に想ってたんだなぁってことが、伝わってくるような内容だった」
「……そ、か……。なんだか、切ないね」
「うん」
しばらくの間、二人は教室に残り、複雑な想いを噛み締めていた。
戦争がなかったら、結ばれていたかもしれない二人。
しかし、二人が結ばれていたならば、梨々は生まれてきていなかったのだ。
「悲恋は切なくて、辛いことだけど……」
「諦めずに生きてれば、その先に……明るい未来が待ってるかもしれないんだね」
しみじみした後、二人は顔を見合わせ、フフッと笑い合った。
梨々は椅子から立ち上がり、
「そろそろ行かなきゃ! 私、今日も鍛冶屋敷さんと約束してるの。それでね、あの写真と手紙も持ってきたんだ。写真の人は、ホントに鍛冶屋敷さんと繋がりのある人なのかどうか、確かめてもらおうつ思って」
「あっ。じゃあ、アタシも行っていい?」
「もちろん。一緒に確かめよう?」
二人はカバンを片手に持ち、もう片方の手を繋ぎ合うと、勢いよく教室から飛び出した。
その後、判明したことによると。
セピア色の写真の主は、やはり、鍛冶屋敷一の親類だった。
彼が生まれた頃、すでに他界していたため、会ったことはないそうだが。
写真の彼は、伯父に当たる人だったらしい。
手紙と写真を渡し、事の経緯を伝えると、彼は不思議そうな顔で、『とても偶然とは思えない。きっと、神様のお導きだろう』と、やわらかく微笑んだ。
その後も、女子高生二人と、一人の老紳士の交流は続いたが。
一ヶ月もしないうちに、梨々と老紳士とは、少しだけ疎遠になった。
理由は、梨々に恋人ができたからだ。
相手はもちろん、梨々の初恋の君である小川真人。
どうやら、玲香のあの一言、
「梨々ねー? あのおじーさんに会った瞬間、メチャクチャときめいちゃったんだってー!」
が、効果テキメンだったらしい。
(俺のことが好きなんじゃなかったのか!? あんな、幾つ離れてるかもわからんじーさんに、メチャクチャときめいたってどーゆーことだ!?)
真人はひどく動揺し、自分でも意外に思うほど、嫉妬にさいなまれたという。
数日後、悩みに悩んだ彼は。
公園から家に向かう帰り道で、梨々に告白。
めでたく、カップル誕生――と相成った。
梨々が老紳士と疎遠になったのは、
「だってー。おじいさんと話してると、真人くん、機嫌悪くなっちゃうんだもーん」
という、事情があるから。
玲香はニヤニヤ笑いながら、
「うっわー。束縛激しそー。ダイジョーブ? アンタの彼氏、そのうち暴力振るったりしちゃうんじゃないのー? うわー、こっわーい。気を付けなさいよー?」
と茶々を入れ、梨々は余裕顔で、
「嫉妬したって、真人くんは暴力なんか振るわないし、ヒドいこと言ったりしないもん。ちょこっとすねちゃうだけだもーん。……クフフッ。かっわいーんだから」
とやり返す。
親友二人が共にいる時間は、前より減りはしたが。
相変わらず仲は良く、うまく行っているようだ。
暇な時間を持て余しているように見える、玲香はと言うと。
老紳士と毎日のように公園で会い、薄暗くなるまで、ベンチで語り合っている。
枯れ専の傾向は、梨々ではなく、玲香の方にこそあったのか?
否。
恋愛というよりも、年の離れた友情が生まれつつあるといったところだろう。……とりあえず、今のところは。
この先、絶対に恋愛関係には発展しない、と断言できるわけではないが。
可能性としては、ゼロではないという程度ではあるまいか。
どちらにせよ、まだ若い彼女達には、無限の可能性が広がっている。
今はただ、幸多かれと願うばかりだ。
『枯れ専じゃない』ことを証明するため、女子高生は『先祖の記憶、遺伝する説』を推す。 金谷羽菜 @kanaya_hana
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