六章 田辺隆一

32.孤独の人

人を恨むということが、こんなに苦しいものだとは思いもしなかった。いつも憎悪の対象である母のことを考えているようなものだ。毎秒、毎日、憎しみの対象について腹を立て続けなければならない。その日々は正直に言うと、地獄のような日々だった。心は疲弊し、擦り切れてもはや心はボロボロだった。そして決まって最後は自己嫌悪に陥るのだから、目も当てられない。だから俺は必死に受験勉強に励み、あの日のことを忘れるように努めた。しかしそんなことは気休めにもならなかった。


 赤ペンを手にするたびに、明美さんのことを思いだしていた。俺はまだ、明美さんが死んだ時間の中にいる。まるで自分の周りだけ前にどんどん進んでいるのに、俺だけ皆に置いて行かれたようだった。あの日の寒い夜。暖房がきいた図書館にいるのに、あの時の寒さをはっきりと思い出すことができた。あの、ハケで描いたような血の跡。明美さんは事故現場から這って来たのだと分かった。少しでも「カッコウの巣」に近づこうとし、少しでも子供たちのそばに行くために。「無念」という言葉が軽々しく思えるほど、明美さんの想いは強かったのだろう。


 生きたい。ここで死ぬわけにはいかない。


 そんな想いが、のばされた右手に宿っているようだった。何の落ち度もない明美さんをひき殺した俺の母親は、ケイタイを持っていながら助けを呼んではいなかった。


 つまり、俺の母親は明美さんを、見殺しにしたのだ。ケイタイで言葉さえ共有していれば、どこでも誰とでもつながる世界。しかしケイタイは人間の意志で使わなければ、無力だ。ケイタイがない世界や時代であれば、必然的に助けを呼べなかったという状況は生まれたかもしれない。しかし、ケイタイを持っていながら目の前の途切れそうな命を助けようとしなかったことは、余計に悪意や殺意が浮き彫りになるような気がした。何故母は明美さんを殺したのか? 何故、殺さねばならなかったのか? それは疑問とも反語ともとれる形で、ずっと俺の心に沈殿していた。俺は自分に愛情の欠片すら与えてくれなかった母を許そうとさえしていたのに。それを大きく、こんな形で裏切られるとは思ってもみなかった。もしかしたら、母を許そうとなど考えた自分の愚かさにも憤りを感じているのかもしれない。


 俺は図書館の机にいつの間にか、鉛筆が折れそうな筆圧で「許せない」とか「殺してやる」とか、書いてしまっていることが度々あった。腹の奥底で黒いタールのように粘着質なものが煮えたぎり、何も考えられなくなった時、どうしても書いてしまうのだった。まるでそれは殺意を保ち続ける辛さから「助けて」とか「救って」とかと同義のようで、俺はその落書きを見つけ次第消した。もちろん消しゴムで消すのだが、肝心の消しゴムが汚れを伸ばしてしまい、なかなか消すことができなかった。


 母は罰せられなかった。だからいつか俺が罰してやろうと思った。そこまで考えると、いつも具体的な殺害方法を考えている自分がいて、自分自身が恐ろしくなって思考を止める。そして気を取り直して勉強に戻るのだが、まるで脳が汚物と入れ替わってしまったかのように、問題を解くことに集中できなかった。そして俺は考えること自体を放棄した。問題を解く気さえ萎えた。俺は鏡や窓に自分の虚像を見ては、その虚像に「感情」という名前を付けた。俺が殺意に飲み込まれないようにする、苦肉の策だった。俺は俺の虚像に馬乗りになって、虚像の首を絞める。「感情」が目覚めるたびに、俺は虚像を殺した。そしてひたすら「もう生き返らないでくれ」と懇願した。虚像は首を絞められながら、いつも実像を憐れみをたたえた表情で見つめて、息絶えた。


 俺は一日中これを繰り返し、当然のように成績も落ちた。一口に「東京の大学」と言っても様々な大学があったが、俺は自分の将来を考えることさえできなくなっていた。当初の、一流大学に入って大手企業に就職して……、などという明るい未来は真っ黒に塗りつぶされていた。紙に書かれた文字や色鮮やかな水彩画の上から墨汁をまぶしたかのようだった。とりあえず家からも地元からも離れられるなら、大学なんてこの際どこでもよかった。要するに、俺は逃げたかったのだ。俺の殺意が実行されない場所を求め、閉鎖的な共同体から「人殺し」、「恩知らず」と陰口を叩かれることに疲れていた。


 結局俺は、第三希望の確実に入れそうな大学を受けて、合格した。達成感や解放感、喜びなど、一抹もなかった。それどころか、母親に四年間の執行猶予を与えたのではないか、と後悔した。


 大学に入って、それなりに友達のようなものができて、ゼミの仲間もできて、卒業生を送り出す「追いコン」や親友生歓迎のコンパにも参加して、傍から見れば充実した大学生活を送っていた。しかしいつも皆には申し訳なかった。サークルには入らなかったが、アルバイトを始めると、そこでも仲間ができ、仲間や客や雇用主には、やはり後ろめたい気持ちがあった。何故なら俺は皆と笑い合いながら、心の中では人を殺すことを考えていたからだ。正直に言ってしまえば、俺が心の底から笑ったことなど、一度もなかった。いつも恐ろしい殺人犯としての顔を笑顔の下にひた隠しにして、話題の中心になることを必死に避けていた。家族の話題になった時には決まって吐き気をもよおしたから、すぐにその場から逃げていた。


 恋愛はしなかった。知らない女やゼミの後輩から何度か告白をされたこともあったが、俺は全てを断っていた。他に好きな人がいるとか、恋愛に興味がないとか、いくらでも理由は見つかった。どうしても恋愛だけは将来の結婚や家庭、子供などを想像してしまい、殺人犯の家族を増やすだけだと思ったからだ。


 殺人犯に、友達も仲間も恋人も、いてはならない。だから俺は大学の三年になると、友人や仲間たちから少しずつ距離を取り始めた。一度近づいてしまった他人との距離を自分から引き離すのは、恐ろしく過酷なものだった。何度心の中で謝り、泣いたか分からない。俺は人が本当の意味において孤独の中で生きることはできないと、深く思い知った。三年間共に過ごしてきた仲間と別れるだけでもこんなに辛いのに、本当に孤独になったらきっと耐えられない。よく「孤独を愛する人間」が「孤高な人間」として、ドラマや小説に登場する。しかし、それは現実ではない。「孤独が好き」と言う人間に限って本当の孤独を知らないか、孤独について勘違いしている。


「最近避けてない?」


「冷たい奴だったんだな」


そんな言葉と一緒に離れて行った友人や仲間。彼ら、彼女らの後ろ姿。声をかけて、引き留めそうになるのを、奥歯をかみしめてこらえる。ここで皆に本当のことを暴露してしまえたら、どんなに楽か、と思う。母の罪や俺の立場を分かってもらえたなら、全てを吐露したいという衝動にかられる。しかし俺には分かっている。こんな異質で異常な感情は、誰にも理解されるべきではないということを。


 人が人を、それも息子が母親を殺すなんてことが理解されてはいけないのだ。それは社会的禁忌であり、犯罪である。だから俺は、どんなに辛くても孤立する必要がある。だから俺は、自分とかかわる人間はいない方が良いと思っていた。これから社会に出て、明るいところを歩き出そうとしている人々の足を引っ張ってはならない。俺がいることで、彼らの幸せに暗い影を落としてはならない。知人に殺人犯がいるという将来的不安要素は取り除かれるべきだ。そう思ったからだ。


 三年が経っても、いくら環境が変わっても、俺の怨恨や憎悪は増すばかりで消えたり無くなったりすることはなかったのである。


 そんなある日、電光掲示板の呼び出し欄に俺の名前が載った。何か悪いことをしたこともなければ、特に目立った良いことをしたこともない。提出書類の不備はないし、学費も奨学金から期日内に全て納めている。寮にしてもアルバイト代でどうにか支払いを済ませているはずだ。一体この一見平凡で平和な俺に、何の用かと思って呼び出し口に顔を出すと、父が入院したと告げられた。しかも進行性の悪性腫瘍で、父の余命は幾ばくも無いと告げるのだ。まさに青天の霹靂だった。俺はまず、母親を疑った。もしかしたらこれは母の策略で、父の癌は嘘ではないのか。しかし俺の祖父も癌で亡くなっているから、父親が癌になる可能性は低くない。それに、母親は俺を呼んで何をしようと言うのか。母には俺に会う理由がない。母と次に会うのは、俺が母親を殺す時だと思っていたから、俺は布団の中で眠れないほどに悩んだ。




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