26.代理なんていないのに
隆一は花が開けかけた玄関ドアを、思い切り閉めて怒鳴り声をあげた。そしてドアを背にしたままその場に崩れ、頭を抱えた。
「見ないで、やってくれ。頼む」
花はやめなかった。うち開きの玄関ドアを、隆一の体ごと引っ張り続けた。少しずつ、ドアが開かれ、一筋の闇が姿を現した。そこからは雪と寒風が吹きこんでくる。ドアが隆一の背中を何度も叩く。隆一は臼歯が潰れるくらい歯ぎしりしながら、徐々に内側に押されていく体を留めようとする。
「明美ママあああああっ‼」
「止めろおおおっ‼」
隆一が花を突き飛ばし、再び玄関のドアを閉めた。異変を察知した子供たちが、玄関に集まってくる。隆一だけでなく花も泣いていたから、子供たちは戸惑っているようだった。
「どうしたの?」
「ケンカは駄目なんだよ?」
「隆一お兄ちゃん、怪我してる?」
「花ちゃん、花ちゃん、どうしたの?」
「何で泣いてるの?」
「明美ママは?」
隆一は、自分が子供たちを守らなくては、と思った。その一瞬の隙をついて、花は玄関から飛び出した。
「花っ!」
隆一の叫びも、懇願も、花には届かなかった。そして玄関に子供たちが押し寄せる。
「明美ママはお外?」
「僕も行くー」
「私もー」
「違う‼」
隆一は怒鳴った後、すぐに後悔した。子供たちが火がついたように泣きだしたのだ。子供たちは子供たちで、隆一と花の様子からただならぬ雰囲気を感じ取っていたのだろう。隆一は泣く子供たちをなだめながら、奥へと誘導する。隆一はいくら我慢しても涙が出た。目の前にいるまだ幼い子供たちは、明美の子供たちだ。明美が最期まで守りたかったのは、この子供たちの笑顔だったはずだ。それなのに、今、子供たちは泣いている。まるで隆一の涙が伝染したかのように泣いている。
(俺じゃ駄目だ。俺じゃ、明美さんの代わりにはなれない)
隆一はそう思った。
(明美さんじゃないと、駄目なんだよ!)
心の中で叫んでも、明美はもう二度と帰ってこない。それを思うと隆一は、涙を止めることができなかった。子供たちに、明美が皆に会えない理由を伝えなければならなかった。もちろん、明美が死んでいることなど、小学生の子供に言えるはずもなく、どう説明したのかは分からない。ただ、泣きながら隆一が説明するので、どんな上手な嘘をついても、子供たちは納得しなかっただろう。
一方、花もまた、スポットライトに照らされて横たわる明美の姿を見た。目が見ひらかれ、明美の顔に視線が吸い寄せられた。明美の体の上には、うっすらと雪が紗のように積もっていた。そして、禍々しくも美しい血痕。雪が積もっても、隠しきれなかった明美の最期のあがき。生の刹那の抗い。そして、右手に握られた空白に、「カッコウの巣」の灯と温もり。花が明美の顔を覗き込むと、明美の顔は雪が解けて、泣いたあとのようになっていた。花にはそれが、本当に明美の最期の涙のように思えた。無念だっただろう。ここまで来て力尽きたのは、悔しかっただろう。
「明美ママ?」
花は涙と鼻水を流しながら、明美の頬にかかった髪の毛をかき上げる。手に血がついても、それをやり続ける。
「嫌だよ、こんなの。ねぇ、明美ママ?」
震えた声に、鼻水をすする音が混じる。涙は流れるままにして、花は明美に声をかけ続けた。当然、明美からの反応はない。
「明美ママ。起きてよ、皆待ってるよ! 明美ママあああっ‼」
花は明美ののばされた右手を握って、叫んだ。闇を切り裂くような慟哭だった。
花は明美意外に視界にとらえられなかった。だから、赤い車の中から一人の女が出てきたことに気付いたのは、車のドアの開く音に気付いてからだった。はっとして花は血の道筋の先に目をやった。そこにいたのは明美を殺した女だった。女はまだ明美くらいの年だと思われたが、明美よりずっと老け込んで見えた。脱力して、呆けた顔がそう見せるのか、それとも老け顔なのか。花は女を睨んで、明美の体を抱きかかえた。
「来ないで‼ これ以上こっちに近寄らないで! 人殺し‼」
まるで明美の死体を守るようにしながら、花は叫んだ。
その日、「カッコウの巣」は子供たちの泣き声に包まれた。そして、戸田明美という一人の人間であり柱であった人物を失った「カッコウの巣」は、自然消滅した。
花はこの日以来、隆一と会えなくなってしまった。
花は、近所の人から、明美を殺した女の正体が隆一の実母であったことを聞かされた。名前は田辺美子。不倫相手の家から帰宅する途中で事故を起こしたらしい。しかし道が圧雪状態で、明美が雪の壁から不用意に出てきてしまったために起きた不運な事故として、起訴はされなかった。
担任の先生からの話しで、隆一が東京の大学に進学したことを花は学校で知った。隆一は、学校にも来なくなっていた。きっと、隆一は自分の母親以上に、自分を責めただろう。だから花にも誰にも会わせる顔がなくて、遠くの大学を選んだのだろう。もう、花は自分が隆一に再会することはないだろうと思った。花は近所の人からも学校の先生からも、大丈夫なのかと心配された。心を病んでしまったのではないかと。そんな時花は口癖のように同じ答えを繰り返した。
「そうかもしれない」
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