24.紙一枚を握りしめて

 私の言葉を塞いだその言葉に、私は驚いた。どうして名刺も見ないで団体名だけでなく、私個人の名前まで知っているのか。隆一はどちらかと言うと、初対面の人にはあまり自分のことを話さない性格だと思っていたが、実際は積極的に話す方だったのだろうか。


「何か月前だったかな? 二か月? いや、三か月前くらいかな? 中学生が店の前で雨の日も雪の日も、じっと店を見てたんだよ。声をかけたら、うちの店が何年も前に出した広告を握りしめててな。それで、次の特売日はいつですか? ってきくんだ。お金は? ってきいたら、特売日には何とかします、って言うもんだから、何か事情があると思ってよ。それで、来るたびに少しずつ話をきいたら、あんたのところの食堂の話をしてくれたってわけだよ」


 やはり隆一は、初対面の店主にはあまり自分のことを話さなかったらしい。しかし店主と何度か話す内に顔なじみになり、私や「カッコウの巣」のことを話すようになったのだ。親と交流が持てなかった子供は、他人を必要以上に警戒したり信用しなかったりする傾向がみられることがある。隆一はもう中学生だが、この点については小学生の頃から変わらなかった。「カッコウの巣」の子供たちは、せっかくいい子たちなのだから、もっと社交性を身につけてほしいと願わずにはいられない。しかしその一方で、そのハードルはとてつもなく高いということを、私は知っている。


「何年も前の広告……」


 隆一はもしかしたら、焼き肉とお酒の話をしてからずっと、「カッコウの巣」の皆に肉を食べさせたいと思っていたのだろうか。私はそう思って、涙が出てきそうになる。


「それで、あんなに多くの肉を譲っていただけたんですね?」

「沢山やったのは、いつも廃棄してる鳥の皮の部分だけだけどな。本当はもっと肉の切れ端とか、脂身とか、つけてやりたかったんだけど、あの子はあんたに余計なことを考えてほしくないって言って、肉は金額分しか持って行かなかったんだ」


(そうか。だからレシートがすぐ目のつくところに)


 私はコートのポケットの中にしまってあったレシートを、ぎゅっと握りしめた。


もし、このレシートがなかったら、私は万引きを心配しただろう。もしくは、隆一の家で消費されるべきものを持ち出したのだと疑っただろう。この小さな紙切れ一枚で、隆一はそんな私の心を救ってくれたのだ。


「うちも、商売が厳しい。協力は出来そうにないけど、応援してるよ。こんな世の中で、こんな温かい話は、そうそうないからね」


ガラガラとした声の店主はそう言って笑った。冬に薄着だというのに寒さを感じさせないその様は、どこか子供向けのアニメキャラクターに似ていた。


「そんな。応援していただけるだけでも、嬉しいです」

「あの子は、よっぽどあんたのことが好きなんだな」

「え?」

「だって、いつ話しても、明美さん、明美さん、って。聞かない日はなかったよ」


 「カッコウの巣」という団体ではなく、私個人のことを隆一は思ってくれたのだろうか。他の子と違っていつまでも私のことを「明美ママ」と呼んでくれないのは、隆一と私の間に溝があるせいだと思っていたから、店主の言う通りなら正直嬉しい。しかし隆一には花がいる。


「それは、この団体には私しか大人がいませんから」


 私が挙動不審になりつつ否定すると、店主の男は「ははっ」っと声をあげて笑った。


「まあ、そう思いたかったら、思っといたらいいんじゃないか?」

「あ、ありがとうございました」

「ああ。こっちこそ、わざわざどうも。頑張ってな」

「はい」


私は雪道を歩いて帰ったが、少しも寒さを感じずにすんだ。まるで、胸にカイロでもはりつけたように感じる。受験が終わって、また隆一が「カッコウの巣」に戻ってきたら、きっとお礼を言おうと思った。


 しかし、本当に中学生が四十半ばのおばさんを好きになることなど、あるのだろうか。しかも、幼馴染の花という存在がいて、親子のような関係なのに、異性として? もし肉屋の店主が言う通りなら、花の気持ちはどうなるのだろう。花は明らかに隆一のことが好きだ。私は花と隆一がうまくいけばいいと願っていた。


 隆一と花は同じ高校を受験し、二人とも合格した。その高校は県内でも有数の進学校だった。家庭に問題がある子供は学校の成績も芳しくないという見方が強い中、この二人が進学校に進んだことは、他の子供たちに大きな希望を与えた。そして私の誇りと喜びでもあった。


 高校生になった二人は、本格的に「カッコウの巣」のボランティアスタッフとして働き始めた。高校は進学校だったから、アルバイトは禁止されていたし、勉強についていくのも大変だっただろう。それでも二人はいつも笑い合っていた。


「二人とも、嬉しいんだけど、勉強は大丈夫なの?」


 荷物運びを手伝う二人に私が声をかけると、二人はやはり笑った。


「明美ママ、私たち天才なのよ」


 冗談めかした花が、そう言って笑う。


「そうそう。大学はトップで入って、入学金免除にしてもらうんだ。そして大学に入ったら奨学金で授業料払って、寮に住む。どうだ? 俺たちの生活設計はちゃんとしてるだろ?」


 あきれたように隆一が、淡々という。


「高校生なのに、友達とか恋とかで悩むの、わかんないよねー」

「本当。何しに高校来てんだ、って話。だってもう義務教育じゃないのに、勉強以外の悩みなんかに振り回されるってどういうことだよ」

「暇と余裕があるから悩むんでしょうけど」

「確かに。俺たちはどっちもないからな」


 そう自虐的に言って、二人は笑う。もうこの二人は、自分たちの境遇などとうに自力で克服したかのようだった。私はそんな二人を見て心強く思ったが、その反面心配になった。


「そんなに大変なら、無理しなくていいのよ?」


 二人は顔を見合わせる。そして、私に向って指を突きだして花は言う。


「明美ママ、働かざる者食うべからず、だよ!」

「明美さんこそ、疲れたなら休めよ。もう歳なんだから」

「あー、お兄ちゃん。それってセクハラだよ?」

「え? そうなの? やっべぇ」

「もう。本当にデリカシーないんだから」


二人は段ボールに入った食材を仕分けしながらじゃれ合う。まるで本当の兄妹のようだ。隆一が食べ物の種類と量と、賞味期限を読み上げる。花は広告の裏にそれを書き込む。もう手馴れている。


「大学を出たら、どうするの?」


 私は大人になった二人の姿を想像しながらきいてみた。


「就職」


 即答したのは、隆一だけだった。それに驚いたのは隆一だったらしく、目を丸くして俯いた花を見た。


「え? 花? お前就職じゃないのか?」

「それはそうだけど、私はこういうところで働きたいの」

「俺だってそうしたいけど、こういうところって経営大変そうじゃん。やっぱり一流企業に入って、ガンガン働いて、両親に楽させて、こういう団体に寄付できるような社会人になりたいよ、俺は」

「お兄ちゃんらしいね。まあ、私は永久就職もありかなって」




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