23.幸せとは

「俺の家の近くに、焼肉屋があるんだ。そこから出てきた親子が、幸せそうに笑いながら手をつないでいたから。それに、友達同士とか、会社の仲間みたいな人たちも、皆、嬉しそうに店を出て行くから。だから大人って、ああやって近しい人と肉食って、酒飲んで、楽しそうにしてるもんなのかと思って……」


 私は今度こそ吹き出して、お腹を抱えて笑った。笑い過ぎて、涙が出てきた。


「何だ、そんなことかぁ」

「何で笑うんだよ‼」

「それは何を食べているかではなく、誰と食べているかの問題よ。食べ物って、食べているだけでお腹も心もみたされるでしょう? 食べるって生きることであり、幸せなことなのよ。そしてその幸せは、他の大切な人と共有すると、何倍にもなるの。だから皆同じ物を食べた後は幸せになって、自然に笑顔になって、楽しくなって、嬉しくなる。だから私は皆と食事ができて、本当に幸せだと思う。ありがとう、皆」

「説教かよ。馬鹿じゃねぇの」

「お兄ちゃん、照れてる?」


 花が隆一に悪戯な笑みを浮かべて話しかけている。


「うるせーよ」


 そう言いながら、隆一は自分の食器を片づけ始めた。


 この一件以来、隆一は私の手伝いを積極的にするようになった。花も、私と一緒に台所に立つようになった。


 そんな隆一と花は中学校三年生になると、「カッコウの巣」から足が遠くなった。受験勉強は体調管理も大切だし、精神的にも厳しい。私は二人がちゃんと温かい栄養のある食事ができているのか、毎日のように心配した。


 そんな折に、隆一が一人でふらりと「カッコウの巣」にやってきた。両手には白いビニール袋がぶら下がっていた。まだ昼にならないくらいの、早い時間帯だった。


「これ、俺の小遣いで買った肉。ガキンチョ共に食わせてやってくれよ。肉屋のおじさんが良い人で、鳥皮、おまけしてくれたから、置いてく」

「え、駄目よ。そんなの」

「じゃあ、高校に受かったらまた来るから」


 玄関にビニール袋をどさりと置いて、隆一は駆け足で帰ってしまった。私はすぐに追いかけようとしたが、もう外に隆一の姿はなかった。仕方なく、隆一が置いていったビニール袋の中身を確認する。豚のもも肉が五百グラム入っている他は、全て鳥の皮だった。お小遣いなんて、中学生になった今でも貰っていなかったはずだ。肉と一緒にレシートが入っていたから、万引きではない。それでも私の心配は消えず、夜に隆一の父親のケイタイに電話をかけた。


 隆一の父親の名前は耕作こうさくといった。妻、つまり隆一の母親は働いていて、夜遅くになっても帰ってこない日が多いのだという。「不倫」という明確な言葉は出てこなかったが、同僚の男と隆一の母は、隆一が生まれる前から深い関係にあるらしい。一方耕作は根が真面目で、朝早くから夜遅くまで働いて、生活費を工面していた。耕作は隆一が自分に似ていることを何よりの喜びとしているような人だった。


「もしもし、こんな時間に申し訳ありません。こちら、『カッコウの巣』の明美です。隆一君はもう眠りましたか?」


『ああ、お世話になっています。あの、隆一が何かしましたか?』


「今日、隆一君からお肉をいただいたんです。レシートには、豚もも肉が五百円分とあります。その他にも、鳥の皮を沢山いただいて。ああ、鳥の皮は店からいただいたと言っていました」


『何だ、それで、五百円か……』


 耕作は溜息をもらして、嬉しそうな声を出す。


『隆一は何と?』


「子供たちに食べさせてやってほしいと……」


『でしたら、そうしてやってください。隆一がそう言ったなら、その気持ちを汲んでやってください。その五百円は、俺が隆一にやったんです。あいつ、突然変なこと言いだしましてね。俺が絶対良い高校行って、大学行って、いつか楽をさせてやるから、五百円だけ何とかならないかって。肉屋の幟を見て、ずっと思っていたんでしょうね。『カッコウの巣』の皆に、肉を食わせてやりたいって』


 耕作がおそらくそうであったように、私も隆一の行動と心意気に胸が熱くなった。


「そうでしたか。そういうことでしたら、ありがたく頂きます。本当に、ありがとうございます」


『何の、何の。こんな家でも真っ直ぐに育ってくれて、嬉しいですよ。それもこれも


『カッコウの巣』のおかげです。お礼を言うのは、こちらの方です』


 お互いに礼を言い合いながら、洟をすすっていた。隆一の言動に、大人二人が思わず感涙していたのだ。


 私は鳥の皮を小分けにして冷凍し、豚肉も半分を冷凍にした。


 翌日には、その残り半分の豚肉をカレーに入れて提供した。


「おお、肉だ!」


 小学生の男の子がわずかな豚肉の切れ端を見つけて、皆に見せる。他の子供たちも自分のカレーを皿の中でかき回して、肉を探し始める。中には肉に興奮して立ち上がる子供までいた。いつもなら行儀が悪いとたしなめるところだが、今夜だけは無礼講とした。


「久しぶりだ!」

「隆一お兄ちゃんのおかげよ。皆残さず食べてね」

「隆一お兄ちゃん、ありがとう」

「ありがとう」


 笑いながら子供たちが騒いでいる。この楽しそうな光景を隆一にも見せてやりたかった。


「おかわり!」

「僕も」

「私も」


 あちこちから驚きと感動の声が上がる。久しぶりのポークカレーは、子供たちに大好評だった。子供たちが皿に口をつけてカレーをご飯と一緒にかき込んでいる姿を、隆一は想像していただろうか。


 後日、私はレシートに書いてあった精肉店を訪ねた。そこは様々な肉を量り売りしている家族経営の店だった。ショーケースには霜降りの牛肉から一般的な豚肉や鶏肉、ホルモンがスノコを敷いたプラスチックの箱に並べられていた。隆一が買ったであろう豚のもも肉は、肉の中では一番安い値段がついていて、一番隅に陳列されていた。私が入ると、奥さんらしき人が「いらっしゃい」と声をかけてくれた。


「すみません。店主の方はどなたでしょうか?」


 私は名刺を女性に手渡す。女性はそれを見て全てを察したらしく、すぐに奥の作業場に入って行った。ただ、女性が名刺と私を見て、にやにやしていたのがちょっと気になった。


「あいよー」


 作業場のスィングドアから、恰幅のいい男性が出てきた。


「あの、私は『カッコウの巣』の……」

「ああ、全部あの子から聞いてるよ。あんたが明美さんだろ?」


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