22.笑うこと

 そんな子供たちの中に、田辺隆一と向田花はいた。二人は同じ歳だったが、通っている学校が違っていた。「カッコウの巣」で出会った二人は、すぐに仲良くなり、まるで本当の兄妹のようになっていた。花は隆一のことを「お兄ちゃん」とまで呼んでいて、隆一の方もそう呼ばれるのがまんざらでもないという様子だった。


 今日も、隆一は泣きながら「カッコウの巣」にやってきた。おそらく花を苛めていた子供にケンカを売って、返り討ちにされたのだ。それでも隆一は、何度も花を苛めた子にケンカを吹っかけて、いじめっ子が「もう花を苛めない」と言うまでしつこく戦いを挑んでいた。いじめっ子の体格が自分より大きくても、学年が上でも、隆一はケンカを止めなかった。それはいじめた方が気の毒になるくらいの執拗さだった。


「もう泣かないでよ。隆一が今日は勝ったんでしょ? じゃあ、もう花は苛められないね」


 傷口を洗い終え、バンドエイドでそれを隠す隆一に、私は声をかける。


「分かんないぜ。花の奴は大人しくて泣き虫だから、苛められやすいんだ。俺が同じ学校だったらいいのに、それは無理だから、放課後にケンカしに行くしかないんだ」


 顔を真っ赤にしながら、頬を膨らませた隆一は口をとげた。隆一のランドセルは、ケンカを重ねるごとに傷が増えて行った。黒い色のシンプルなランドセルは、余計に傷や汚れが目立った。


「へえ、守ってるんだね。お兄ちゃん?」

「それ、花以外が呼ぶの、禁止だから!」

「はいはい。でも、そろそろ泣き止まないと、下の子たちも花も来ちゃうわよ?」

「泣いてねぇよ」

「はいはい」

「信じろよ!」

「はいはい」


 私は料理を作りながら、隆一の武勇伝を聞いた。花はかわいいから苛めっ子に目をつけられやすいとか、何にも言いかえさないしやり返さないからなめられるとか、俺みたいに強くないといけないとか、聞いていて飽きがこなかった。そして、ふと思うのだ。隆一も花も今年で何歳になるのだろう、と。


 「カッコウの巣」には年齢制限がある。十八歳までとしている。しかも、十五歳からは「カッコウの巣」の手伝いをしてもらっていた。手伝いはごく自然で、自発的なものだった。私は子供の将来にプラスになると考えて、食器の片付けや荷物運び、掃除や野菜洗いなどを手伝ってもらっていた。隆一と花はもう中学生だったので、小学生の面倒を見るようになっていた。


 私はいつの間にか子供たちから「明美ママ」と呼ばれるようになっていた。子供を流産していた私にとって、これ以上の賛美の言葉はなかった。しかし、隆一だけは私のことを「明美さん」と呼んでいた。私は隆一にも「ママ」と呼んでもらえるように頑張ろうと気を引き締めた。そんな矢先、相変わらずの憎まれ口で、隆一は声をあげた。


「なあ、明美さん。何でいつもカレーに肉、入ってねぇの?」


 カレーだけではなく、ほとんどのメニューに肉や魚は入っていなかった。親子丼は肉の代わりに油揚げや麩を使っていたし、ハンバーグも豆腐で出来たものばかりだった。つまり肉のたんぱく質は、ほとんどが大豆のたんぱく質で代用されていたのだ。大豆は「畑のお肉」というので、私は肉料理が少ないことをそんなに意識はしなかった。栄養のバランスは取っていたので、私は肉がない料理に何の疑問も持たなかった。しかし育ちざかりの子供たちと私では、求めるものが違っていたのだ。


 隆一は、口は悪いが気が優しい。今では皆のリーダー格になっていた。隆一の言葉はただのわがままではなく、皆の押し殺された不満を代弁していた。私はそんな隆一の言葉を、率直な皆の感想を聞く、いい機会だと思っている。この時も隆一は、皆に聞こえるように遠くからわざわざ声をかけていた。私も当然、皆に聞こえるように答えなければならなかった。これは隆一がわざと皆に聞かせるためにしていることなのだ。小学生たちが、隆一の問いかけに「そうだ、そうだ」と同調しているのが分かる。


「肉や魚は、手に入りにくいの。値段が高いし、フードバンクでも扱いにくい」


私はここで笑顔を忘れたら、自分の負けだと思っている。何に対して「負け」なのかは明確には自分でもわからない。自分自身になのか。子供たちになのか。それとも、「カッコウの巣」に持ち込まれた問題に対してなのか。


「肉や魚は生鮮食品と言って、管理が厳しく定められているの。だからここでは野菜中心で、主食はお米なのよ」


 お米は古米を近所の農家の方から貰っている。ありがたいことだ。


「でも、時々、ミートソーススパゲッティ出るじゃん。ミートって肉のことだろ?」


 私は思わず吹き出してしまいそうになった。何てかわいらしい質問なのだろう。


「パスタは乾麺で、フードバンクから貰えるの。ミートソースのミートは生肉じゃないから、生鮮食品ではなくて、加工食品。普通の肉とは違うのよ」

「つまり、普通に置いておけないものは、フードバンクから貰うのも難しいのか?」

「そうね。自然とそうなるわね」

「近所の人からも、野菜はたくさんもらうもんな」

「この辺は農家の方が多いから、感謝しなくちゃね」


 野菜もれっきとした生鮮食品だ。しかしほとんどの家で畑を持つこの辺りでは、規格外とか傷があったりとかして、よく野菜を貰う。加工品も作っているようだが、それでも消費が追い付かない野菜が多いのだという。


「気持ち悪りい」

「え? 隆一、気分が悪いの?」


 私は皿を拭く手を止めて、思わず隆一のおでこを触った。顔をしかめた隆一は、耳まで赤くしてその手を払う。どうやら私は隆一のセリフを勘違いしていたらしい。


「何でいつも笑ってんだよ? 明美さんだって本当はたまに、焼き肉食ったり酒飲んだりしたいって決まってんのに。何で俺たちと同じメニュー食って、笑ってんだよ?」

「へ?」


 自分ながら変な声が出た。メニューは届いた食品からひねり出していたため、日によって異なる。つまりここではメニュー表のような物はない。最初はそのことについての意見だと思ったが、どうやらそういうことではないらしい。あまりに予想を裏切る言葉だったため、どう反応していいか分からなかった。


「隆一はお肉やお酒を食べたり飲んだりしたら、嬉しいの?」


 隆一はまだ中学生だということを、完全に忘れてしまっていた。中学生に対して「お酒を飲んだら楽しいの?」なんてきく大人は、正直大人として間違っている。ただあまりに突飛なことを隆一が言いだすものだから、思わずつられてしまったのだ。


「たぶん」


 耳の裏をかきながら、隆一はぶっきらぼうにそう言った。


「どうして、そう思うの?」


 私は急に不安になる。私は子供たちの前で、不満な顔をしていただろうか。お肉が食べたいとか、お酒が飲みたいとか、無意識のうちにそんなことを言ったことが、一度でもあっただろうか。



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