21.食堂

 親も切羽詰まっていたり、精神的に不安定だったりする。そのため自分の子供が入所できないと分かると、「差別するのか!」といきなり怒鳴られることもある。また、話を聞くぶんには、両親の努力で解決できそうな問題を抱えた家庭に入所を断ると、「どうして親を責めるのだ」と泣きつかれることもよくあった。しかし私はひたすら子供たちのためだけを想い、根気強く説明をして、あくまで子供のための「食堂」だということを理解してもらった。


 しかし「カッコウの巣」に通う子供たちのリストが出来上がりつつあったある日、事件は起こった。


 「カッコウの巣」は私の実家を改装して開設することになっていた。その玄関に、生卵が投げつけられ、郵便ポストにケッチャップが流し込まれていた。さらに、「出て行け」という張り紙をされたり、「不良集団」と壁にスプレーで落書きされたりしたのだ。壁はペンキで何度も塗り替えをしたし、掃除も大変だった。私のそんな苦労をあざ笑うかのように、これらの嫌がらせは徐々にエスカレートしていった。投げつけられる卵の数は増え、庭に生ごみを捨てられ、玄関先の道路には動物の死骸。張り紙や壁に書かれた言葉も「死ね」とか「殺す」とか、明らかに凶暴性を増した言葉に変わっていった。このままでは子供に危害が及ぶかもしれない。こんなところに安心して子供を預ける親はいないだろう。そう思って私が警察に相談しようかと考えていたところ、三年前、私がスタッフとして働いていた団体の代表がこぼした言葉を思い出した。


『ここが開所する時は、不良の溜まり場ができるって言われて、近所の人ともめたりもしたな。でも、地域の人に受け入れられないと、子供って曲がっちゃうこともあるのよ』


 気付くと、私はゴミ袋を漁っていた。そして見つけたのは、嫌がらせの初期の頃に玄関に張り付けられていた張り紙だった。これを見た時は、ただの嫌がらせだと思っていた。しかし、それをつなげて読んでみると、意外な言葉が浮かび上がった。


「不良は、いらない? 不良集団は、出て行け?」


 私は自分の未熟さをこれほど痛感したことはなかった。私は、自分のやりたいことばかりに気を取られて、子供たちがこれから大切にかかわって行かなければならない集団を見落としていたのだ。学校も家庭も、行政も確かに大切な子供たちの生活になくてはならないものだ。しかし、一番重要なのは、これから子供たちが自分で居場所を作っていくこの社会だ。社会の最小単位が「家庭」であるならば、近所は一番近い社会であり、ある意味においては社会そのものだ。「失念していた」などという言葉では足りないくらい、私の視野は狭くなっていたのだ。それなのに、私は犯人探しをしようとしていた。自分は被害者だと勝手に思い込んでいた。しかしそれは逆なのだ。


 私の傲慢で横柄な態度が、近所に対してあまりに失礼だったため、この事態を私自身が招いたのだ。私は被害者などではなく、近所の人を怖がらせ、こんな稚拙な行動に走らせてしまうきっかけを作った加害者だ。私は手書きのリーフレットを作り、近所に一軒一軒頭を下げて、「カッコウの巣」について説明し、理解を求めた。

 

 怒鳴り散らされることにはもう慣れていたが、それ以上に心が折れたのは、門前払いされたり、居留守を使われたりすることだった。「偽善者」だとか「新興宗教者」だとか罵られ、挙句の果てに「本当は金をくすね取っている」と言われた。毎日のように泣きそうだったが、面接に足を運んできてくれた子供たちの顔を思い出してなんとか持ちこたえた。


 何度も足を運ぶうちに、近所の寺に行くことを勧めてくれた人がいた。これが転機となり、「カッコウの巣」は近所の人々から信頼を得ることになる。近所の人々のほとんどがこの寺の檀家であり、今の御住職に信頼を置いていたからである。あの立派な御住職と関係があるなら、きっと変な場所ではない、と言うわけだ。寺と関係を持ったことで、「新興宗教」と誤解されることはなくなった。次に、「営利目的」という認識もなくなった。そして「カッコウの巣」に集まる子供たちは、確かに問題を抱えているが「不良」ではないことを分かってもらえるようになった。さらに条件さえ合えば、自分の子供を預けられることを知ると、人々は徐々に私の説明に耳を傾けてくれるようになった。御住職からの手助けや後ろ盾を得ることで、「カッコウの巣」の正しい認識が広まると、近所の人々は私に声をかけてくれるようになり、嫌がらせはぴたりと止んだ。謝りながら食料を分けてくれると約束してくれた人もいる。


 これならば、フード・ドライブも可能かもしれないと、私は意気込んだ。フード・ロスは企業の廃棄食品がクローズアップされることが多い。しかしその実態を見ると、フード・ロスの半分は、家庭が占めている。フード・ドライブは、未開封のまま家庭に眠っている食品を集めて、必要な団体へ提供することだ。私はさっそく公民館の館長を訪ね、フード・ロスしそうな食品や飲料を入れる段ボールを設置させてもらった。中身はお菓子やジュースが多かった。農繁期に箱で買ったジュースが残ったり、お歳暮やお中元のお菓子が余ったりすることが多いようだ。これもこの地域の特有の生活が垣間見えるものだった。


 こうした紆余曲折を経て、やっと開所できたのは帰郷して二年が経った頃だった。


 そして、私は安堵の息をつく間もなく次の戦いをしなくてはならなかった。子供を預かる基準をあれだけ厳しくしたにもかかわらず、申し込みをなかなか絞り込めずにいたのだ。そしてそのほとんどが、本当にのっぴきならない家庭の事情を抱えていた。結局、預かる時間を少しずつずらしながら食事をさせることで、定員オーバーの申し込みを受け入れることにした。これは私が以前勤めていた塾でやっていたことの応用だった。塾の講習は限られた部屋でいかに多くの生徒を受け入れられるかが鍵となる。そのため生徒の希望する時間と教科を見ながら、時間をずらして生徒を受け入れる。そうすることで、より多くの生徒を一つの教室で受け入れていたのだ。今回はこの昔取った杵柄が役に立った。ここまで来て、ようやく一段落つくことができ、「カッコウの巣」をNPO法人化するか否かで迷うようになった。NPO法人化すれば、社会の信頼が得られ、お金の動きが分かるので、社会的に理解度が増す。それに、一番頭が痛い問題であるお金の問題を解決できるかもしれない。助成してもらったり、寄付を集めやすくなったりすることはありがたいことだ。一方、煩雑な書類や活動の制限、法人税などがかかる。そして法人設立時に、最低十人の社員がいなければならない。いくら法人化に際して資本金も設立費用もただだといっても、社員に最低賃金であっても給料を払い続けなければならない。それができない状態で、ハローワークに求人票を出しても、いつ給料が払えなくなるか分からない所に、就活生が集まるとは思えなかった。私はついに、「カッコウの巣」をNPO法人化しないことを決め、子供食堂を始めることとなった。




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