四章 戸田明美
20.子供たち
私が『カッコウの巣』を始めたのは、子供を流産したのがきっかけだった。流産した後の私は、失望と絶望で体が満たされてしまったかのようだった。しかも男の子を期待していた夫は、私がお腹の中の子供を殺したかのように罵り、離婚届まで用意していた。長男が家を継ぐものだという今では時代錯誤的な考え方が、この雪国の田舎ではまだ根深く残っている。だから夫が悪いのではなく、この土地の因習のせいだと思うしかなかった。夫は私より若い女との間に男の子をもうけていたため、私は反論したり抵抗したりする気力もなく、離婚届にサインした。きっと夫は、その日の内に市役所にそれを提出し、新しい婚姻届を貰いに行ったことだろう。私のことなどなかったことにして、若い女とその赤ん坊と幸せな家庭を築くのだ。そんな被害妄想を抱いても、私は怒りも嫉妬も湧いてこないほど打ちひしがれていた。
「俺の子供を、お前が殺したんだ」
夫のこのセリフが頭から離れない。私が殺したのか。私に落ち度があったから、あの子は生まれてこなかったのか。私は殺人を犯してしまったのか。もし本当に私に落ち度があったなら、指摘してほしい。そうしたら私は時を遡ってでもその落ち度をなかったことにしてみせる。しかし、そんなことは現実的にできるはずもない。
毎日のように、私は泣いた。タオルが絞れるほどに泣いて、泣いて、泣きじゃくった。
そんな私を救ってくれたのは、あるドキュメンタリー番組に出ていた子供たちのたくましく生きる姿だった。その番組では、様々な理由から家に帰れない子供たちが紹介されていた。子供たちの顔にはぼかしが入り、声はプライバシー保護のためにボイスチェンジャーが使われていた。しかし、子供たちが笑っているのはよく分かった。明るい笑い声や話し声を聞いていると、この子供たちが抱えている問題すら忘れそうになる。この子供たちのように、家族が同居しているにも関わらず家にいられない子供は、年々増加しているという。そしてこの子供たちの多くは「孤食」という問題を抱えていた。聞き慣れない言葉だったが、その言葉は私の頭の中に残された。番組中にはレポーターの姿はなく、聞き手のマイクだけが画面の端に映っていた。おそらく、より自然に子供たちの様子を切り取るための演出だろう。
『ここは楽しい?』
レポーターが男の子と思われる子供に声をかける。自分に向けられたマイクに男の子は叫んだ。
『楽しい!』
『何が楽しいのかな?』
『ご飯がおいしいところと、皆と一緒なところ』
レポーターの質問に恥ずかしそうに答えている男の子の横から、別の男の子が乱入しマイクを自分の方に向ける。
『全部!』
そう答えた男の子は、すぐに部屋の隅に逃げて行った。するとインタビューを受けていた男の子も叫んだ。
『全部、楽しい!』
そう言って、その男の子も他の子供たちと笑いながら部屋の隅に身を寄せた。
今までは様々な理由から学校に行けない子供たちが、フリースクールやボランティアの塾に通うという話題が大きく取り上げられていた。一方今では、学校に行けるが家に居場所がない子供が多いのだという。少子高齢社会と言われる日本で、およそ六人に一人がそういった家庭の事情を抱え、家に居場所がないのだされる。そんな子供たちのために有料や無料で夕食を提供する団体の存在を知った私は、いてもたってもいられなくなった。
(生まれて来たのに。生きて生まれて来たのに。帰るべき家がない子供が、この日本にこんなにいるなんて‼)
そんな思いが、私を強く突き動かした。番組のエンドロールを必死にメモして、気付けばインターネットにかじりついて情報を収集していた。番組のサイトには子供の貧困意外にも、性や障害、差別やイジメなど様々な問題が取り上げられていた。その中から私は「子供の貧困」をクリックして、掲示板を見つけた。そこでは様々な書き込みを読むことができた。私が住む県の中学生の書きこみもあり、都市部だけの問題ではないのだと痛感した。私は何度も何度も、しつこいくらいその番組の取材を受けた団体に、頭を下げた。私の想いが通じたのか、私をその団体はボランティアスタッフとして受け入れてくれた。
私のボランティアスタッフとしての活動は、主に雑用だったが楽しかった。子供たちが私の掃除した部屋を汚していくこと、私の作った料理で笑ってくれたこと、全てが私の凍てついた心に響いた。まるで温かなお湯で、私の体が満たされていくようだった。そうしている内に三年が過ぎ、様々な子供たちや様々な人と接し、人脈を作っていった。
そして故郷に帰り、さっそく三年間の経験をもとに、その土地での人脈を作り、手続きを行った。団体の名前を決める時に、最初に頭に浮かんだのが「カッコウ」という鳥の名前だった。それは私がカッコウの習性をどこかで耳にしたことがあったからだ。仮の巣で育つカッコウのヒナが、まさに私が対象にしようとしている子供たちと重なって見えた。
ただ「閑古鳥」が「カッコウ」を語源とする説もあることを知り、それでは困るので「巣」をつけて「カッコウの巣」とした。基本的に貧困のために家にいられない子供が多いと知っていたので、無償で子供たちにサービスを提供できるように、活動資金は支援団体や理解のある個人の方からの寄付でまかなった。足りない時は、私の貯金を切り崩した。食材はフードバンクというNPO法人から、無償で生鮮食品以外を提供してもらった。多くの子供たちが集まる場所ということで、学校や児童相談所、地元の警察にも何度も足を運んで、手書きのチラシを配った。フードバンクの設立には、何の許可も必要がないし、公的機関の検査も入らない。しかし、「カッコウの巣」と提携していただいているフードバンクは、信頼性を高めるために、連盟に加盟して、衛生管理についての監査を二年に一度受けている。しかもNPO法人化しているということは、持続的で責任感のある組織を運営しているということだ。そんなフードバンクにめぐり合えたのは、僥倖としか言いようがない。
本当は際限なく困っている子供を受け入れてあげたかったが、そんなことはできるはずもなく、心を鬼にして自分のできるところとできないところに線を引いた。それは自分を見つめ直し、自身を精査する時間でもあった。私は何日も寝ても覚めても、自分が本当にすべきことは何なのかばかりを考え続けた。テーブルには、文字でチラシの裏が文字で真っ黒になったものが散乱していた。今日もキッチンテーブルで、鉛筆の背で頭をこつこつ叩きながら、チラシの裏に向かう。
(今の子供たちに本当に必要なのは?)
そこを突き詰めると、やはり答えは一つしかなかった。「食べ物」だ。しかし、それをどうやって家庭に事情がある子供たちに配るのか。フードバンクのように、食べ物を配送するのか。弁当を配送するのか。しかし配送するには資金が足りない。配送スタッフを雇うお金もないのだ。そのため、確実に子供が食べているかも確認できない。まさか親に向って「子供用の弁当を親が食べていませんか?」などと聞くわけにもいかない。ならば、子供たちをここに呼んで食べさせるのはどうか。しかしここには低コストでリフォームしても、ここにそんなに大勢の子供たちを受け入れるのは困難だ。そこで「カッコウの巣」は、親の承諾を得た、本当に困っている子供のみを受け入れることに決めた。さらに、どんな事情があろうとも子供が「カッコウの巣」に泊まることはさせない、という規則を作った。また、フリースクールと区別した。子供同士の交流はあってもいいが、勉強を私自身が教えたり学校の代わりに日中から入り浸ることもなくした。よって、「カッコウの巣」は子供に温かい夕食を提供する場としたのである。つまり「カッコウの巣」は、困っている子供を対象とした、夕方から夜までの食堂なのである。そのため親子で面接に来てもらい、生活の状況を詳しく聞き、こちら側の活動趣旨、活動範囲を理解してもらった上で手続きを行った。手続きと言っても、名前や住所などの連絡先や、アレルギーなどの基本的な情報を提供してもらうだけだった。
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