18.仲介者


「妻は田辺美子さんを、自分が殺したと思い込んで自責の念にかられています。どうか、僕のことも信用して話してもらえませんか? 田辺隆一は、田辺美子の介護に疲れて無理心中を考えていたのではないですか?」


 林は新聞を見ながら考え込んだ。そして何か考え付いたようにバッグの中を探り始めた。やはり僕が想像していた通り、バッグの中は書類でぎゅうぎゅう詰めだった。その間からインデックスがせり出している。そのインデックスの間から林は一冊のファイルを抜き出した。どうやら名刺専用のファイルらしい。その中から林は、刈屋木工の多田ただという人物の名刺を差し出した。


「お教えできません。私は現在、×市の担当であり、△町の担当ではありません。その上、やはり守秘義務があります。ただ、この方なら、介護の相談にのってくれるでしょう」


 確かにこれならば、林は守秘義務を守り、僕に対しても有力な介護情報を提示したことになる。林は頭が切れると感じざるを得ない。敵に回すと厄介なタイプとして、僕は林を分類しておくことにした。だから僕も、これ以上林に対して質問することはやめた。


「無理を言って、申し訳ありませんでした。ありがとうございました」


 そう頭を下げて、僕は名刺に書かれてあることをメモした。


「こちらこそ、何のお役にも立てずに申し訳ありません」


 林は僕が返した名刺をファイルに挟み、バッグに押し込むと、次の仕事場へと急いで去ってしまった。この高齢社会において、林のようなケアマネージャーという人材は明らかに不足している。それは林のバッグを見れば一目瞭然だ。一人のケアマネージャーが、多くの高齢者を担当している。だからこそ、こういったケアレスミスも起こる。つまりあれほど口が堅く、頭のキレる人物がうっかり別の被介護者の情報をもらしてしまうということが起きる。もしかしたら、林が今でも僕の父と田辺隆一の母を掛け持ちしていたのかもしれないのだ。それは偶然と言うよりも必然めいていて、想像しただけでも恐ろしい。しかし、僕も林のことを対岸の火事として見ていられない立場にある。田舎の医者不足は深刻だ。僕自体が林のように、誰かと誰かの仲介者になりかねないのだ。


 次の休みを確認して、刈屋木工に出向く予定を立てる。しかし、刈屋木工に電話をかけると、林が何故この多田という社員を指名したのかが分かった。多田という男は、かなりのおしゃべり好きな男だったのである。林の口の堅さとは正反対で、事故のことを話したくて仕方がないといった様子が、電話口からでもありありと伝わってきた。こちらから質問しなくても、多田はいろいろと田辺隆一について教えてくれた。こちらから出向く必要がなくなって助かった、と思う一方で、自分が仮に自宅で介護することになっても、刈屋木工だけはやめておこうと思った。


「では、隆一さんは、かなり美子さんに手を焼いていたと?」

『ええ。美子さんは水頭症で歩けないのに、自分では歩けると思い込んでいて、かなり困ってましたよ。認知症だとは隆一さんから聞いてましたけど、アルツハイマー型だったんじゃないかって、こっちが心配したくらいです』

「田辺隆一さんは、かなり介護疲れがあったんじゃないですか?」

『そうだねぇ。あの事故も、本当は違うんじゃないかって噂です』

「違う?」

『だから事故じゃなく、無理心中だったんじゃないかって』

「そういった話はどこから?」

『どこからって、俺たちの中じゃ、皆言っていることです。近所でもそうなってますし』


つまりは本当に噂の域を出ない眉唾物だということだ。しかしこの田舎の閉鎖的コミュニティの「噂」は、恐ろしく「真実」を語ることを、僕はよく知っていた。




 真実はいつも複数あって、けして一つだけのものではない。それに関わった人の数だけ、「真実」がある。もしかしたら人は、自分が受け入れやすい事実だけを、「真実」と呼ぶのかもしれない。いつも、いかなる時も、たった一つなのは真実ではなく、事実の方だけなのに。




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