10.無防備

デリカのチーフの高田たかだという男だ。


「おい、チキンカツ弁当、まだ出てないぞ」


 苛立ちを抑えたような声に、皆が静かになる。事務所の店長から呼び出された際、周りに一言かけてから出て行ったので、チーフである高田も当然そのことを知っているはずだ。しかし高田を相手にするときりがないのは分かっていたし、男がただのパート従業員であるのに対して、高田はまがりなりにも社員で、チーフなのだ。男が報告するしかない。しかもチキンカツ弁当は広告の品だった。確かに速めに出すべきものだったと、男も自分の非を認めていた。


「すみません。店長から呼び出しの電話を受けて、少しの間抜けました。すぐに出します。今、ちょうど作り始めたところだったので」


 男がにらむと、高田は大げさに肩をすくめた。


「お前のにらんだ時の目、店長に似てるな。おー怖い。五分以内に出せよ」


 そう言い残して高田は、スィングドアから出て行った。今の言葉は、完全に男に対する嫌がらせだ。今の店長はスタッフから嫌われているということは、周知の事実だ。業務内容について注意することを装って、揶揄しにきたのだろう。奥にいた本間優ほんまゆう加藤夏かとうなつの二人が、笑いをこらえていると言わんばかりの表情で、男を見ていた。しかし男は容器に二百グラムの白米を盛るのに必死だ。


「そこ、いつまでしゃべってんだ?」


 吉田敦子よしだあつこが、本間と加藤に注意する。


「ねえ、あんた」


 吉田の尖った声に、思わず男は手を止める。


「今度から早番も遅番も入るって本当?」

「はい。そのつもりです。回数も増やすつもりです」

「じゃあ、今度から店にちゃんと『協力』できるの?」

「はい。少し余裕ができたら、の話しですが」

「あ、そう。事故は、不運だったね」

「はい」


 吉田はシンクの中にたっぷり食用油が入ったフライヤーに向きなおって、揚がったばかりの惣菜を、タレにくぐらせる。男も白米に弁当用のタレをかけ、レタスを飾り、切ったフライドチキンを並べる。その上から再びタレをかけ、万能ねぎと白ごまを振る。蓋を閉めて、機械からバーコードを取って貼る。どうにか五分以内に売り場に並べることができた。並べ終わると所々黄ばんだカートを押して一礼してスィングドアの奥に消える。客は、弁当は見ても、弁当を作った男の顔には興味を示さない。男はいつも不思議に思っていた。誰が、どこで、どうやって作っているかも知らない食べ物を食べる時、どうして人はそれを贅沢だと思うのだろうか。よく、買ったものばかりを食べると飽きるとか、太るとか言うが、男にとってそれは当然だった。油で火を通した物をふんだんに使い、味の濃いタレを何度もかけているからだ。コンベクションは業務用のオーブンレンジのような物なので、それを使った料理のほとんどは、冷凍食品を解凍しているのと同じだ。それなのに、客は男が作った弁当をよく買っていく。楽がしたいのか、美味しいのかは分からない。昼は十二時まで、夜は四時までが弁当の勝負時間だと言われるほど、男はこの時間に間に合わせるように、弁当を作り続ける。人は食べることで生きているのに、食に関してあまりに無防備だ。


「オムライス、容器が発注できなかったから、丼の器で代用して」


吉田から指示が出て、男は「はい」とだけ答えて、チキンライスの素を白米に混ぜ始める。オムライスはこのスーパーの主力商品の一つだ。丸く押し固めたチキンライスの上から、どろどろの半熟卵の液をパウチから垂らす。その上からデミグラスソースのタレをかけて、缶詰に入ったパセリをふる。たったこれだけの単純作業だが、値段は弁当の中では高い方だ。


 何でも冷凍、何でも素、何でもタレ。そして、作っているのは、男一人だ。男は黙々と作業し、弁当を大量に作って、店頭に並べる。男の日常は変わらない。そして、この作業に対しては何の疑問も持たないようにしている。考え始めたら、きっと負けだ。

 





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