プロローグ 下




*人間


 カッコウの雛の習性を知ると、多くの人が「残酷だ」という印象を持つだろう。  しかし、カッコウの事を「残酷」と評する人間は、「残酷」ではないのだろうか。意図的に、もしくは知らず知らずの内に、他人を傷つけることはないのだろうか。人類が誕生してから世界に戦争や紛争がなくなった時はないと言われている。そんな人間は果たして、カッコウを「残酷だ」と言う資格はあるのだろうか。戦争や紛争を持ち出さなくても、毎日のように人間は人間を殺している。新聞やテレビで、人間が事件や事故において加害者にも被害者にもなっている。


 時に人間は、殺意すら曖昧なまま他人を殺してしまうこともある。例えば、「カッとなって」という言葉がよく殺人動機として用いられるが、それは「怒り」なのだろうか。ではその瞬間的で外圧的な「怒り」は、「怒りを覚える」とどう違うのか。また継続的で内在的な「怒り」は憎しみや恨みとはどう違うのか。


 自分の中にある感情の全てを、他からの影響がない、純粋で確固たる自身の意志として持っていられる人間は、果たしてどれくらいいるのだろうか。今、自分の中にある感情を、明確に名付けられる人はどれくらいいるのだろうか。それらの全ての感情に、あなたが一生の内に持ちうる語彙は、果たして対応できると言い切れるだろうか。


 例えばカナダ・イヌイットの言語には「雪」に対応する言葉がないとされる。雪は「雪」として切り取られるのではなく、用途などによって異なる語が使用され、いくつもの全く別の語として切り取られるのである。このように、言語によってモノやコトの切り取り方は異なる。




 あなたの感情は、どのように切り取ることが妥当だと言えるのだろうか。

 

 そもそも、感情を切り取ることは、できるのだろうか。




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