エピローグ

エピローグ

 冬の入り口が見え始め、風は徐々に冷たくなって来ていた。街にはジャケットやコートを羽織る人が目立つようになっている。


 「さかなし」閉店後、茨木童子いばらきどうじがグラスに注いだ紙パックの日本酒を豪快に傾けながら、うっとりと目を細める。


「うわははは、やっぱり酒は日本酒やな。洋酒とか飲んでられっかっちゅうねん。渚沙なぎさ、毎日たんと用意しとけよ。昼に飲めへんのは、ま、しゃあないか。許したるわ」


 そのせりふに、たけちゃんが呆れた様に鼻を鳴らす。


「許したるも何も無いカピ。昼はここは人間のための店だカピ。間違っても来るんじゃ無いカピよ」


「わぁってるわ。そうや、何や古墳で、他のあやかしが果物使こて酒作っとるんやけど、あんな甘いんよう飲まんわ」


「あらぁ〜、あたくしは果実酒も好きやけどぉ〜。人間も若い女の子が好きよねぇ〜」


 吐き捨てる様に言う茨木童子に応えるのは葛の葉くずのは。女性や男性やと言うつもりは無いが、やはり味覚の違いはあるのだろう。この場合、単に茨木童子は辛党、葛の葉は甘いものもいける飲兵衛のんべえ、ということなのだろう。


 と言うか、大仙陵だいせんりょう古墳でお酒作りまで行われているとは。どんな果実が使われているのだろうか少し気になる。棲み着いているあやかしたちで、一大コミュニティが築かれているということなのだろう。まるで村や町の様になっているのだろうなと、渚沙は何だか微笑ましい気持ちになる。


「はい、たこ焼きお待ちどう。こっちがチーズ入りです」


 渚沙が焼き上がったたこ焼き2皿をテーブルに置いた。普通のたこ焼きと、角切りのプロセスチーズを入れたたこ焼きを別々の舟皿に盛ってある。茨木童子は「おう」とさっそくおはしを取った。


 それを見て、渚沙は冷蔵庫から自分の分の缶ビールを出して、テーブルの空いている椅子に腰を降ろした。プルタブを起こしてぐいとあおると、しゅわしゅわの液体が爽快に喉に流れていく。やはり仕事終わりのビールは格別である。


「ぷはぁっ」


 思わず息が漏れる。竹ちゃんが「やれやれカピ」とまた鼻を鳴らした。先ほどの様に呆れているわけでは無く、その顔には笑みが浮かんでいる。渚沙は思わず「えへ〜」としまりの無い笑い声を上げた。


「何や渚沙、えらいご機嫌や無いか」


 からかう様な茨木童子を、渚沙は「ん〜? そう?」と軽くいなす。


「あらぁ、えらい余裕や無いの〜。もしかしたら、ええ人でもできたん〜?」


 そんな少し冷やかしの様な葛の葉の言葉に、渚沙は「いやいや」を苦笑する。


「そんなん影も形もありませんよ。単純にビール美味しいわぁって」


「何や、ほんま色気無いなぁ」


「うふふ〜」


 茨木童子と葛の葉はおかしそうに笑う。竹ちゃんは何度めかの「やれやれカピ」で、今度は呆れた様子だ。


 渚沙の異性事情はともかく、この「さかなし」はこうして時を過ごして行くのだろう。お昼には弘子ひろこおばちゃんたち人間のお客さまのお腹を満たし、夜はあやかしたちの憩いの場になる。


 それが今の渚沙には、とても居心地が良かった。頑張る日々の癒しになっているのである。


 いつまでもこのままでいれる保証なんて無いし、それこそ渚沙に何かあれば、この空間は一瞬で瓦解がかいする。竹ちゃんもここにいる理由が無くなる。「さかなし」は今度こそ終わりを迎え、竹ちゃんは大仙陵古墳で暮らして行くのだろう。


 だが、そんな分からない未来を案じても仕方が無い。渚沙はたった今、この心地よさに感謝しつつ、享受きょうじゅするだけである。




 次の定休日の午前中、渚沙は住居のダイニングで、家庭用のたこ焼き器を出して、「さかなし」のたこ焼きを焼く。


 焼き上がったらお皿に乗せる。粗熱を取っている間にお昼になるので、竹ちゃんが作ってくれた豚汁うどんをいただく。


「はぁ〜、あったまる〜。竹ちゃん、ほんまに美味しいわぁ〜」


「うむカピ」


 渚沙は嘆息たんそくする。豚肉はもちろん、ごぼうとこんにゃく、椎茸に白菜もたっぷり入っていて、青ねぎの小口切りが散らされている。


 豚肉とお野菜から旨味がじわりと溶け出し、お出汁と合わせ味噌がそれらをまとめている。竹ちゃんのことだから、日本酒やお醤油など他の調味料も使っているのだろう。深い滋味じみを感じる。


 器を綺麗に空にして、竹ちゃんが洗い物をしてくれている間に、渚沙は常温になったたこ焼きをタッパに詰めた。ソースは市販の小袋。マヨネーズは携帯用の小さなチューブ。削り節と青のりも小パックのものを用意した。


 それらをトートバッグに詰め、肩に担いだ渚沙は竹ちゃんと家を出る。向かう先は、お祖母ちゃんが入居している高齢者住宅である。


 ここしばらく少しばたばたしてしまって、ご無沙汰になってしまった。やっぱりお祖母ちゃんに会いたいし、できるだけ顔を出したいと思っているのだが。


 場所はそう遠く無い。「さかなし」のあるあびこから大阪メトロ御堂筋みどうすじ線で数駅の大国町だいこくちょうである。


 メトロを降りて地上に上がり、あまり人通りの多く無い歩道を数分歩き、目的地に到着する。1階エントランスの受付で名前を書き、エレベータに乗り込み、3階で降りて何度も通った廊下を進む。両脇にいくつも木製のドアがある。そのひとつひとつが、プライベートが保たれた個室である。


 そして、ひとつのドアの前に佇む。傍らのネームプレートにはお祖母ちゃんのフルネーム。渚沙はこんこんとドアをノックした。


「はぁい。どうぞ〜」


 中から届くのんびりとした声。渚沙は声だけで嬉しくなって、勢い勇んでドアを開けた。


「お祖母ちゃん、久しぶり!」


「あらぁ、なぎちゃん。いらっしゃい」


 お祖母ちゃんの暖かな笑顔、ゆったりとしつつも張りのある声。達者そうなその姿に、渚沙は心底安心して顔を綻ばせた。


「良かったぁ、お祖母ちゃん、元気そうや」


 渚沙は部屋の奥の、ゆったりとしたゆりかごの様な椅子に掛けるお祖母ちゃんに駆け寄り、その両手をそっと取った。竹ちゃんも付いて来て、お祖母ちゃんの足元に腰を降ろし、お祖母ちゃんの顔を見上げている。


「お陰さんでねぇ。のんびりさしてもろてるよ。なぎちゃんも元気そうやね」


「うん。お陰さんで「さかなし」も順調やで。今日もたこ焼き焼いて来たから。たこ焼き器出すな」


 渚沙は勝手知ったるクロゼットから箱に入ったたこ焼き器を出す。前回使って洗った後に、次の時に洗わずに使える様にとラップで包んであった。それを外し、壁に沿って置いてある木製のダイニングテーブルに置いた。


 熱くなったら、穴にたこ焼きを置く。焼いて来たたこ焼きは12個で、穴も12個。綺麗に収まった。この高齢者住宅はごはんが3食出るので、影響が出ない様に少なめにしてあるのである。


 お箸でくるくるとひっくり返しながら、たこ焼きを温めて行く。すると香ばしい匂いが部屋中に漂い始めた。


「ふふ、この匂いやねぇ、なぎちゃんのたこ焼きやねぇ」


「何言うてんの。お祖母ちゃんのたこ焼きやんか」


「もう「さかなし」はなぎちゃんのお店やねんから、なぎちゃんのたこ焼きなんよ。ほんまに美味しそうやわぁ、楽しみやわぁ。それにねぇ」


 お祖母ちゃんが笑顔のまま、視線をたこ焼き器からあるところに移す。渚沙がそれを追うと、その先にいたのは、なんと竹ちゃんだった。


(ん!?)


 渚沙は仰天する。お祖母ちゃんの目線はしっかりと竹ちゃんに注がれていた。竹ちゃんはあやかしなので、普通は人間の目には見えないはずである。なのに、まるで見えているかの様な優しい眼差しを竹ちゃんがいるところに向けていた。


 竹ちゃんも驚いてきょとんとしている。うろたえる渚沙と目が合うと、(どういうことカピ?)と言いたげにつぶらな目を瞬かせた。


「……お祖母ちゃん?」


 渚沙は恐る恐る問う。するとお祖母ちゃんは笑みを浮かべたまま、小さく頷いた。


「うん、みんな元気そうで、私も安心やわぁ」


 そのせりふもまた、竹ちゃんが見えているかのように思わせるものだった。だがお祖母ちゃんはそれ以上何も言わなかった。ただただ満足げに、にこにこと微笑んでいる。なので、渚沙は聞くことを止めた。


 もしお祖母ちゃんに竹ちゃんが見えているのなら、この様子なら、受け入れてくてれいるということなのだと思う。ならきっと、渚沙はこのままで良いのだ。


 見えておらず、何かの気配を感じての行動だとしても、同じことである。お祖母ちゃんはそれを、竹ちゃんを「良いもの」と正確に判断してくれた。


 渚沙は竹ちゃんを安心させる様に、笑顔で頷いた。竹ちゃんは納得行かないという表情をしつつ、鼻を鳴らして小さく頷いた。


 そうしてたこ焼きが温まる。渚沙は6個ずつを持って来た舟皿に盛り、ソースとマヨネーズを掛け、削り節と青のりを散らした。


「はい、お祖母ちゃん、お待たせ」


 できあがったたこ焼きをダイニングテーブルに置くと、お祖母ちゃんは立ち上がり、「まぁ」と眩しげに目を細めた。


「ほんまに上手に焼ける様になったんやねぇ。綺麗なまん丸」


 お祖母ちゃんはダイニングチェアに腰を降ろすと、さっそく熱いそれをお箸で半分に割り、口に運んだ。


「美味しいねぇ。なぎちゃん、ほんまに美味しいわぁ」


 お祖母ちゃんは言って、嬉しげに目尻を下げた。


「良かった」


 お祖母ちゃんはこういう時にお世辞を言う人では無い。特にたこ焼きは「さかなし」の商売道具なのだから、駄目ならそうだと言ってくれるはずだ。否定するのでは無く、前向きなアドバイスをくれる。だからこのお祖母ちゃんのせりふは本当にそう思ってくれていて、渚沙の励みになるものなのである。


「なぎちゃんのたこ焼き食べたら、お祖母ちゃんまだまだ長生きできる気がするわぁ」


「それやったらもっと持って来る。せやから元気で長生きしてね。あ、弘子ひろこおばちゃんとか他の常連さんも、元気にしてはるで」


「ふふ、良かったわぁ」


 渚沙はこれからも、竹ちゃんとともに「さかなし」を盛り立てて行く。反対されても押し通し、お祖母ちゃんから受け継いだ大事な大事なお店である。


 これから何があっても、それだけは変わらない。


 竹ちゃんはのっそりと立ち上がると、渚沙の元に来て、たこ焼きにかぶり付いた。そして満足げにふすふすと鼻を鳴らした。


 竹ちゃんと、人間のお客さまと、あやかしたちと、そしてお祖母ちゃんの心と。それらとともに、在り続けるのだ。

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たこ焼き屋さかなしのあやかし日和 山いい奈 @e---na

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