第14話 笑顔でいてくれたら

「こんにちは!」


 翌日のお昼ごろのことだった。「さかなし」はいつもの様に営業中で、お昼ごはんのためにたこ焼きを求めるお客さまがちらほらといる時間帯である。


 元気な声の主は和馬かずまくん。その横で母親がしとやかに頭を下げた。


「和馬くん、お母さま、こんにちは」


「こんにちは。先日はほんまにありがとうございました。今日はあらためて、こちらでたこ焼きをいただきたいと思いまして」


 母親はまだ少し疲れが見える表情だが、それでも以前見た時よりは、顔色が良い様に見えた。白い肌にほんのりと赤みがさしている。


 お昼の仕事の社員昇格は、母親の中で安心材料になっているのだろうか。


 渚沙なぎさはもちろんたけちゃんも座敷童子ざしきわらしも、そうなることが母親にとって良いと信じているのだが、実際のところは不透明である。社員になれば責任だって増えるだろう。


 だが、今はこうして和馬くんと一緒にお昼ごはんを食べようとしている。心の余裕も出て来ているのでは無いだろうか。


「嬉しいです。お時間がありましたら、ぜひ店内でごゆっくりなさってください。何個しましょう」


 渚沙が笑顔で聞くと、母親はさっと鉄板に視線を巡らす。


「和馬はいつも10個やんね。今日もそれでええ?」


「うん」


「私は、そうやなぁ、この大きさやったら、やっぱり私も10個かな」


「はい。10個がおふたつですね。お飲物はどうされます? ビールもありますよ。缶のんですけど」


「あら、お昼からお酒なんて、贅沢ぜいたくですねぇ」


 母親はそう言って、ゆったりと微笑む。やはりゆとりが出て来ている様に感じた。


「でも、しばらくはお酒は控えようと思ってまして。ジュースにします。サイダーみたいなんありますか?」


 ああ、と言うことは、夜のお仕事を辞めることができたのか。渚沙は心底ほっとする。


 スナック勤めだとお客さまに付き合って、どうしてもお酒を飲むことが避けられない場面もある。自分の意思では無く、お客さまの要望や、売り上げのためだ。


 ここ近年ではアルコールハラスメントだなんだのと言われていることもあり、飲酒の強要は悪とされている向きだが、酔いどれにはどこ吹く風である。


 それがほぼ毎日だと、体調もなかなか整わないだろう。二日酔いの悪心おしんを抱えたままお昼のお仕事に行くなんてこともあったかも知れない。


 母親はきっと身体にむち打って、それでも和馬くんとの生活のために、和馬くんの将来のために、踏ん張っていたのだと思う。


 お昼だけのお仕事になれば、和馬くんとの時間はもちろん、母親の身体だって労わることができるだろう。


「スプライトならありますよ。どうでしょうか?」


「はい。それで。和馬はどうする?」


「ぼく、コーラがええ」


「和馬はほんまにコーラが好きやねぇ」


 母親が嬉しそうにくすくす笑う。小さな子の飲み物はいろいろと制限している親もいると聞くが、和馬くんはもう小学生だ。ある程度なら好きなものを飲み食いさせているのだろう。


「ほな、店内でお待ちくださいね」


 ふたりが中に入って行く。渚沙はさっそくたこ焼きとドリンクの準備をする。10個ずつ、合計20個を2枚の舟皿に盛り付けたら、鉄板がほぼ空になってしまった。次を焼かなくては。その前に運ばなくては。


「はい、お待たせしました〜」


 和馬くんと母親の前に、ほかほかのたこ焼き、ジュースとグラスを置く。するとふたりの顔がふんわりと和んだ。


「美味しそうやねぇ」


「お母ちゃん、ここのたこ焼きおいしいんやで。ぼく、続けて買いに来とってん」


 それは座敷童子効果だったと思うのだが、和馬くんにとっては「さかなし」のたこ焼きが美味しかったから、通ってくれていたのである。


 もちろん座敷童子の関与を和馬くんが知るわけが無い。母親もだ。だからそう思うのは当たり前と言えばそうなのだが、座敷童子がいない「さかなし」に、こうして母親とふたりで来てくれたのだから、本当に好きでいてくれているのだと、渚沙は嬉しくなる。


「そうなんや。楽しみやねぇ」


 母親は少し興奮する和馬くんを、にこにこして見守っている。その微笑ましさに、渚沙の頬も緩んでしまう。


「ごゆっくりどうぞ〜」


 渚沙は鉄板の前に戻り、新しいたこ焼きを焼こうと、たこの角切りを掴んだ。手を動かしながら和馬くんたちを見ると、ふたりはたこ焼きを頬張りながら笑い合っている。


 ああ、この親子は、もう大丈夫やな。渚沙は安堵の息を漏らした。


 昨夜、座敷童子は言っていた。母親を正社員にし、こうして親子の時間を作ることで、和馬くんの本心と向き合える様にしたいと。


 和馬くんが本当はどうしたいのか。このまま私立の小学校に籍を置くのか、そしてまた通える様になるのか。


 せっかく入学した高偏差値の学校ではあるが、それが和馬くんの負担になってしまうのなら意味が無い。学校は無理に通うところでは無いと思っているが、そこでつちかわれるものだって確かにあるのだ。


 それはきっと、これからふたりで話し合って決めることだ。和馬くんは聡明なので、そこは渚沙も竹ちゃんも、きっと座敷童子も心配していない。だが、母親がどう捉えるか。


 しかし、和馬くんを前にして、あんな暖かな笑みが浮かべられる母親が、和馬くんの意思を無下むげにするとは思えない。


 もしかしたら公立の小学校に転校するなんてことになるのかも知れない。だが私立小学校に通ったこと、受験に挑戦したことは決して無駄にはならない。その和馬くんの頑張りは大きな財産になるだろう。


 それを挫折と人は言うのかも知れないが、それを経験した時に上を向けるかどうか。人の強さはそこに表れる。


 和馬くんの今回のことは、絶対に挫折では無い。通過点なのだ。辛い思いもしたのかも知れないし、そもそも物理的な病気や怪我でも無いのに、学校を休んでしまうのは勇気がいることだ。和馬くんはきっと折れてしまいそうになりながら、それを振り絞ったのだ。自分を守るために。


 座敷童子はまだ当分和馬くんのお家にいると言う。親子の生活基盤が整うまでは、居座るらしい。


「いつもは家人が調子に乗っておこたったら、わしはその家を出て来た。結果その家は没落してしまうわけじゃが、それは自業自得の側面もある。じゃがわしも浅はかじゃったのかも知れん。今回は実験的ではあるのじゃが、ある程度目的を達したら家を出てみようと思う。もちろん家人が真摯しんしに励んでいる時にな。和馬の家の場合は、母親の店長昇進じゃな」


 それが巧く行って欲しいと、渚沙は心の底から願う。和馬くんの溌剌はつらつとした笑顔が、母親の穏やかな微笑みが、曇ることが無い様にと。

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