SNSの妖怪

 ツイッターをやっている。

 もともとは自作の宣伝用につくった。

 現在は、読んだ作品についてつぶやいたり(流れていくのでコメントより心理的なハードルが低い)、当初の目的通り、自作の宣伝をしたり、たまにクソリプをとばしたりしている。


 作品の宣伝効果は残念ながら、あまりないようだ。

 自分のツイートについては、細かく反応を見ることができる。気になってポストのアナリティクスというのをチェックしても、リンククリック数はたいてい0のままである。当然、PVもまわっていない。

 自分自身で宣伝するときよりも、別の方に言及していただけたときにPVがまわっている気がする。

 考えてみれば、私だって、作者自身の宣伝よりも、作者以外の方が熱量をもって言及しているときにクリックしたくなるのだ。

 読んだ作品について、つぶやいたりするようになったのも、心理的ハードルばかりでなく、自分自身の熱量でおすすめしたいなと思ったところもあるからだ。

 面白いな、これいいなと思ったものは、他の人にも薦めたい。ごく当たり前の心情だろう。


 そもそも、自分自身を、あるいは自分自身の好きなものを見てほしいという欲望は、目新しいものではない。たとえば、夜道には全裸のおっさんやおねえちゃんという妖怪がたまに徘徊している(一度遭遇してしまったことがある。怖かった)。


 SNSにおいても、よく妖怪に出くわす。

 妖怪たちは私の物欲や性欲に訴えかけてくる。

 プレゼントをくれると書いてみたり、きれいなおねえさんのアイコンでセクシーな文言を並べたり、「成功の秘訣はプロフィールにて」とか書き連ねたアカウントで私をフォローし、隙あらば取って喰おうとしてくる(のだろう)。

 おいちゃんおにいちゃんは、大男総身に知恵が回りかねと笑われるレベルの人間だが、美味しい話はないということだけは家庭で教育されているので、基本的に妖怪には関わらず放っておいている。

 

 他のSNSの妖怪といえば、最近はX(こういうときにはXという新名称を使いたくなる)の名物となったインプレゾンビというやつが代表的だろう。これの破壊力はすさまじく「話題を検索」という機能が働かなくなったが、考えてみればこれをクリックすると差別的な文言に出くわす確率が高いので、個人的にはかえってよかったのかもしれないぐらいに思っている。そもそも、対処しようもないし。


 さて、これらの怪異、怪異という言葉を使ってみたが、怪異として見ると、合理的すぎてあんまり面白くない。

 どちらも、極めて経済的な動機で動いているからだ。


 そんな私だが、しばらく前、より怪異らしい怪異に出会った。

 私が投稿した自作の宣伝に突然つく無関係なリプ。

 そのリプライ上ではそのアカウントの中身が執筆したらしき作品を薦めてくるのである。

 お義理で作品フォローがついてくることはあるが、PVは回ることはない。

 しばらく放っておくとリプは消え去る。私にはこれがスパムにしか見えない。


 私はこれに妖怪ワガサクモヨカッタラドウゾと名前をつけた。

 妖怪ワガサクモヨカッタラドウゾがどうして怪異として優れているかといえば、合理的に解釈ができないからである。

 この妖怪のおかげで知ったことだが、この妖怪、自分のプロフィールにセンシティヴな言葉をプロフィールに載せてスパムよけとするという「ライフハック」(注1)らしきものを実践しているのだ。

 自分はスパムを受け入れたくないが、自分(スパム)は受け入れられると考えているとしか思えない。

 これは合理的には解釈できない行為で、怪異としてすばらしい。

 ついでにいえば、このライフハックの効果は疑問視(注2)されていて、それでも使っているあたり、人間性のみならず知能まで疑わしくなってくるのだ。

 徒然草の有名な文言、なんたらの真似とて大路を走らば即ち、というやつだ。知能が疑わしいということは、ある意味人知を越えた存在ということもできるわけで、やはり、怪異としてすばらしい。


 インプレゾンビもスパムアカウントも、嫌悪感を買うこと上等で収益をあげたり、千分の一なり万分の一なりの割合で詐欺にひっかかる相手をさがしているわけだ。

 そこには倫理や善性はなくともそれなりの合理性がある。ゾンビと言われようとも、そこには知性が存在するのだ。しかし、妖怪ワガサクモヨカッタラドウゾには倫理や善性のみならず合理性も知性ない。

 自作と自身に対する嫌悪感をかなりの確率で買いながら、何分の一かわからぬ宣伝効果にかけるという行為に、経済的合理性を見つけることは、私にはできない。

 やはり、あれは怪異なのだ。

 そう考えるのが合理的判断というものだ。


 ちなみにすぐに腹をたててう◯ちなう! と叫ぶわりには小心者な私である。腹を立てて思い切り小馬鹿にした文章をこのようにして書いたわけだが、ここまで書いた時点ですでにびびっている。

 蛮勇なのかもしれないが、あの肝の座り方だけはほんの少しうらやましい。


追記

 この文章を仕上げてから、「魔除け」について私と同じようなことを考えている方のエッセイを見つけて、少しほっとしている。下にリンクを貼る。もちろん、こちらの方は、私のように下品ではないことはしっかりと明記しておく。


神崎あきら 「想像力と配慮」、『創作活動よもやま話−昭和のヲタ話から創作小説の心得、人付き合いまで』

https://kakuyomu.jp/works/16817139558935650997/episodes/16818093074736358669


注1:「もちろん、著作権侵害なりセクハラなりは憎むべき行為なのだが、それを避けるために、多くの人の生命を奪ったり人生の歯車を狂わせたりした事件の名前を、ことさらに持ち出さなくてもいいはずだろう」という安田氏の意見に私は同意する。

安田峰俊 「魔法の呪文は『天安門事件』だけではない…中国からの無断転載を防ぐ『闇のライフハック』を考える 現代の『習近平体制』を揶揄するほうがイヤがられる」 PRESIDENT Online (二〇二四年四月二日閲覧)

https://president.jp/articles/-/61325

注2:なお、前掲記事の著者である安田氏は「道義的に問題があるうえ、中国語としても歴史用語としても若干ピンときにくい単語なので、肝心のBAN効果が限定的である可能性がある」として、「スパムよけ」としての効果を疑問視している。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る