えろおとこ、かねもちからもなかりけりの巻
むしくい
今の私は虫嫌いで、虫を見たらキャーと黄土色の悲鳴をあげるのだが、昔はそうでもなかった頃がある。
小学校低学年から中学年にかけては、虫取り網をふりまわしていたおぼえがある。
あの頃からセミは嫌いだった(注1)が、セミ以外は大丈夫で、机のひきだしにカマキリの卵鞘がしまってあったりした。
私はカマキリが好きだったらしく、虫かごにはしばしばカマキリがいた気がする。
そういえば、一緒に虫取りにいったEくんが虫かごを忘れたといったとき、快く差し出した私の虫かごの中にもやっぱりカマキリはいた。
Eくんはバッタを何匹もつかまえていたはずだが、翌日、彼が自分の虫かごをもって現れたときには、バッタたちは姿を消していた。
そんな私であるから、ファーブル昆虫記はしっかりと読んだ。
印象に残っているのは、ムシキング的昆虫バトルと昆虫食の話だ。
前者はいくら勝負がつかないからといって甲虫の鎧を剥がしたらいかがなものかという感想、後者については、まぁ、食い意地が這っている(誤変換だが、誤変換ではない)私ゆえに、うまそう、である。
私がおぼえているのはセミを食すファーブルで、セミは怖いけれど味は気になって仕方がなかった。
まぁ、それでも怖さのほうがまさって、今でもセミは食べたことがないけれど、それ以外の昆虫はそこそこに食べた経験がある。
イナゴの佃煮というのは、けっして珍しいものではなかったし、最近でも売っているところを見つけると買う。
外国でも、昆虫を食べる人々、地域というのはさほど珍しくなく、そういうところに行ったら当然のように食べた。
だから、私自身は昆虫食にさほどの忌避感はないけれど、忌避感をいだく人がいるのは不思議には思わない。
食というのは、結構保守的なものだし、コオロギの前にもウシガエル(とその餌のアメリカザリガニ)とブラックバスなんてのがあるわけだ。
ウシガエルはけっこう美味いし、モモの唐揚げをみても、それほどキャーって感じがするわけでもないのに、避けられている。
ただし、戦前の海軍だかのカレーのレシピの肉がこいつ(注2)だったから、昔はそこそこ食われていたのかもしれない。
話が少しそれてしまった。
虫というのは結構高級品だ。
先日食ったイナゴの佃煮だって、けっこうな値段がしたし、昔、蜂の子を買おうと思ったら、目の玉が飛び出るような値段であきらめたことがある。
その地域の人はもちろん日常的なものとして食べているかもしれないが、あくまで採集品で管理しているわけではない。
もちろんタイのタガメのような例外はいくつも見つけられると思うが、まぁ、いきなりは難しいのではないだろうか。
先ほど、食は保守的などと適当に書いてしまったが、本当にそうだろうか。
私たちは近年、川魚もあまり食べずに、牛肉のような歴史の浅い食材を喜んで食べている。
結局、空気なんだろう。
とりあえず、韓流アイドルにポンテギを広めてもらいたい。
新大久保で若い子たちが蚕に行列するようになれば、私の口にだって入るかもしれない。
日本古来の伝統、養蚕、天然のシルク以外にも命をありがたくいただくというのでどうだろう。
注1:セミ嫌いについてはこちらでも書いている。参照してくだされば幸いである。
「セミ」、『立蝮帖』
https://kakuyomu.jp/works/16817330658925656472/episodes/16817330661218879649
注2:ふと気になって調べてみたら、ウシガエルとは書かれていない。赤蛙だ。
『西洋料理指南 下』三一頁。
https://dl.ndl.go.jp/pid/849074/1/31
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます