セミ
これを書いているときはセミがとてもうるさい時期であるが、公開される頃には季節外れになっているだろうか。
それはさておき、私はセミが嫌いだ。
基本的にエッセイでは嫌いとかむかつくとかいうネガティヴな話や表現を避けているが、これはもはや避けられない。
セミが嫌いなのだ。嫌いだから嫌いだ、いやだからいやなのだ。
セミが怖くて仕方がない。近くを通りかかるときはいつも身構えているし、こちらに向かって飛ばれでもしたら半狂乱になる。
幼い頃からそうだったので、セミとりをしたことは一回もない。
いや正確にいえば、一回だけある。
大学生の頃だ。
教育実習に行くためにはボランティアをしなければならなかった。
何かと引き換えにボランティア(注)をするということになんともいえぬ嫌なものを感じたが、それは説明会で出てきた教職課程の教授のせいだろう。教育原理を講ずる彼をその言行不一致さゆえに私と同級生の一部は嫌っていた。まぁ、それでもボランティア先を探した。大嫌いな習字までやったのだ。なんとしてでも免状は取らねばならない。
ボランティア先を紹介しているセンターみたいなものを見つけ出し、結局、学童保育だったか児童館だったか今となっては憶えていないが、子どもが集まるところの手伝いをすることになった。
子どもを遊ばせ、子どもを昼寝させ、その間にスタッフの方々は様々な準備をする。頭の下がる思いだった。
定められたボランティア期間は終わった。何かと引き換えのボランティアに無駄な反感をもってしまったし、かえって迷惑をかけたのかもしれないという申し訳無さがあった。それゆえ、お願いして小学生の夏休みいっぱいは続けさせてもらうことにした。八月まるまる続けてもなお大学生の夏休みは腐る程あるのだ。
毎日いる背の高いお兄ちゃんはそれなりに人気者になってしまって、その背の高さゆえに子どもたちのセミとりにもスカウトされてしまうことになるわけだ。
ただ、このお兄ちゃんはセミとり経験値が〇の上にへっぴり腰だったので、あまりセミは捕まえられなかった。それでも夏のセミはものすごく多く、何匹かは網の中に勝手に入ってきた。セミには触らず、「ほら、あげるよ」とセミとり経験値が低い子たちに渡してあげた(という体裁をとって、自分で触らずに済むようにした)。
そうこうしているうちに八月も過ぎ去り、私は日常に、そして大学に戻った。
セミの声でたまに思い出す。
注:もちろん、このボランティア観は日本語的な意味合いで英語的な意味合いは含まれていない。
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