想像力と配慮

最近、SNSで気になる記載を見つけた。


少し前からある文化で、スパム除けのためにハッシュタグにとあるワードを記載すればスパムが減るという仕組みらしい。

皮肉な言い回しだが魔除けと称して使われ、実際にスパムが減ったという報告もあるようだ。


この仕組み、ネット検索してみるとなるほど理に適っている。スパムの大半は大陸からなので、大陸で規制されている禁忌ワードを書いておけばアカウントにスパムが寄り付けないというもの。


私はそれを見て気持ちを覚えた。

それはそもそもスパムを大量発生させることへの憤りもあるが、そのワードは大陸における検閲の禁忌ワードというだけではなく実際に起きた悲劇的な事件だからだ。


悪質なスパムにほとほと困り果てて、それを書けば被害に遭わない便利な仕組み、とカジュアルにやっている人がほとんどだと思う。

しかし、実際にどんなことが起きたのか事件の概要を調べてみると、私はおいそれと「魔除け」に使うのは憚られてしまう。


私は三国志が好きで、コロナ禍前は中国に旅行して遺跡巡りをした。

そのときに知り合った中国人の友達は親切でとてもいい人たちだし、中国好きの日本人の友人も素敵な人たちばかりだ。

旅先の風景やお茶や芸術などの文化、中華ドラマも好きになった。


小説で中国を題材にしているのは彼らのおおらかで大きくて優しい気質や中国文化が好きだし、良い点を紹介したいと思っているからだ。

中国という国自体にはしがらみがあるが、文化や人が好きだ。(もちろん、出会った中でろくでもない人もいるがそれは日本でも同じ)

なので、「魔除け」として事件を表す単語をただの文字列として扱っている場面を見ると複雑な思いを抱いてしまう。


中国人の知り合いがいるなら、そのワードを「魔除け」として書いているのを見られたときにどう思われるか。いや、好き嫌いを置いといても、人道的な意味で配慮に欠けるというのが最初にくるべきかもしれない。

そうした想像力があれば、この「魔除け」を使うのが本当に適切なのかどうか、立ち止まって考えられるのではないか。


中華ドラマが好きといいながらこのタグを使ってるのも見かけたので、考え方は人それぞれだなぁと思ってしまった。


私も実は気づいていないだけで、自分が関心のないものに対して同じような行動を取っているかもしれない。

自分から遠いものであれば実害はない。そういう心理に至るのもわかる。


この件は他者に対する配慮について考えるきっかけとなった。これに限らず一般的なものに対する発言や行動、その行動が他者にどう見られるのか、やってしまう前に考えてみると良いと思う。

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