幸せな毎日を歩こう。海の上歩いてたら抱っこされてた! 私も!

 四月。


 あれから一年と三ヶ月ほど経過した春の日。

 ここは思い出の地。カナリア帝家のプライベートビーチ。

 南風が暖かい風を運んでくる。


 双頭の竜の襲撃以来、ダイモン大陸全体で驚くほど平和な日々が続いていた。

 魔境も人も戦いに疲れているのかもしれない。


 では。

 まずはクリード王国の顛末から語ろう。


 結論から言うとクリード王国は滅亡した。


 自らの守護者を侮蔑し。

 自らの守護者を追放し。

 それが正しいと言った国は。


 竜の襲撃によりまずは壊滅した。


 王城は竜の仇であるサージの匂いが濃く残っていたようで、執拗に破壊し尽くされ、王族の生存は絶望的であった。事後処理にてその死亡を確認する事もできないくらいに破壊されており、城外への秘密の抜け道すらも破壊されていた事からの推測である。と報告書には記載されていた。

 その次に被害の大きかった部分は冒険者ギルドであった。こちらもきっと仇の匂いが色濃く残っていたのだろう。建物は跡形なく破壊され、まるで更地のようだったとこちらも報告書に記載されていた。

 総合的な被害としては、帝都に住んでいた人口の七割程度が竜の餌食となったようだった。生き残った三割の内訳は命からがら逃げのびた平民二割、地下に逃げ道が存在する屋敷に住んでいた貴族が一割との事だった。


 なんにせよ。生きていたのは良い事だ。


 しかし平民はまだしも貴族はここまできても厄介であった。


 民の傷の癒えぬ内から王国の再興を目論んでいるという報告が暗部から上がってきたのである。もちろん国の再興は良い事だ。やはり民だけではどうしても路頭に迷ってしまう。国と民は不可分である。

 復興のために。

 理由がそれだけなら良いが実際は違う。

 この状態から王国を再興させれば権力の座も思うがままという算段が報告書のあちらこちらからプンプンと臭う。四六時中貴族のそういう企みが含まれた書類を見ているカイエルにはよくわかる。それでもまあ。それも王国内の話だ。勝手にやればいいと思っていた。それで復興するのであれば連合国で復興の手助けをする必要もなくなるだろうと。

 が、こいつらがまた頭が悪かった。

 なんとクリード王国再興の旗頭としてシュート公爵家を使おうと考えていたのだ。今や大陸の守護者として名高いメイベルを使おうと考えたのだ。話の筋として確かに正当性はあるだろう。公爵家は王家の血筋であり、王家が滅び、重要貴族が共に消えたのだ。

 跡を継ぐのは誰か。

 そこに王家の血筋があるじゃない?

 そうなるのはフラットに見れば自然な流れだろう。


 だが。それは何の遺恨もない場合だ。今回は全く違う。


 国家総出で散々、侮蔑し、迫害し、一族丸ごと国から追い出すような真似に加担した人間が考える事ではない。どの面さげて言ってやがんだこの野郎。となるわけで。


『国が滅びそうになったからと言って今更ツヨツヨ公爵様を頼ってきてももう遅いw』


 まさにこれである。


 まあ。遅いというか。

 これが完全に悪手であった。

 猛烈に悪手であった。

 なにせメイベルに手を出そうとしたのだ。


 黙っていない人間が一人いる。


 暗部からの報告書を見たカイエルは烈火のごとく激怒した。あの時のカイエルであれば暴虐皇帝と呼ばれても違和感はなかっただろう。一緒にいたメイベルが若干引いて、狸のポンの尻尾が五倍ぐらいに膨れ上がった。それほどに激怒していた


 即座に暗部を駆使してその貴族たちを闇に葬った。迅速だった。命令した次の日には馬鹿な貴族の半分以上は消えていた。そこから数日して、竜の襲撃を生き残った貴族の九割は闇に消えた。


 これが事実上、クリード王国のトドメであった。

 暗殺されなかった貴族たちももうこの国を復興させようなどと思う事はなかった。


 ここでクリード王国は滅亡した。


 竜の襲撃だけなら存続の目はまだ残っていたが、自分達で今度は虎の尾を踏み抜きに行ったのだ。

 竜と虎に滅ぼされた愚かな国として遠い未来まで語り継がれるだろう。


 滅びた王国の領地は、竜の襲撃で被害を受けたエルー神聖国、ポージ共和国、マイナ王国で共同管理する事となった。

 教皇の力が及ぶ範囲で結界を広げ、その部分を農地としたり、クリード王国の魔道具開発技術を継承するための研究都市としたりする事で、クリード王国の難民を受け入れる形となった。

 しかし受け入れられたとは言え難民は難民。当然生活は厳しいものとなり、自分たちの愚かさを反省するもの半分、竜を恨み他国を恨むもの半分といった所だろう。どうか等しくエルー神のご加護がありますように。と祈る他はない。どこまで行っても結局自分たちの選んだ道であるのだから。


 どうであれカナリア帝国には影響はない状況である。


 カイエルは海を見ながら幸せなため息をこぼした。


 視線の先には一人の幼子がいる。

 とても愛らしい金色の髪に、エメラルド色の瞳、春の日の光を跳ね返すようにツヤツヤぷにぷに色白な頬が特徴的なとても愛らしい幼子である。


「えう。見て。かいがあ。スゴイね」


 拙い言葉で己の名を呼び。砂浜で貝殻を見つけては自分の所へせっせと運んでくるふくふくとした天使。


「ああ、カイメイ。スゴイな。父さんはこんなにいっぱいの貝殻持った事ないぞ」


「えへ。もと。もてくる」


 再びとてとてと砂浜まで駆けていく丸っこい背中が愛おしい。


 お察しの通り、カイエルとメイベルの息子である。

 名はカイメイ。

 カナリア帝国の王子である証の「カイ」にメイベルの「メイ」を合わせて名付けられている。名は体を表すというのか。すでに二人の特徴を併せ持っている。まだ一歳にもなっていないのだが言葉を話すほど賢く、とてとてと自分の脚でどこまでも歩く健脚。流石にまだ海の上を歩いたり空を飛んだりはしないがその内するのではないかとカイエルはハラハラしている。何せメイベルの子供である。ありえない話ではないだろう。


 だが今は一生懸命砂浜を掻いてはお気に入りの貝殻を探すその純真な姿を楽しもう。

 どうやらまた気に入ったものを見つけたようでとてとてと砂浜を駆けてくる。本当に健脚である。


「えう。見て」


 そう言って差し出してきたのは貝殻ではなく、ぐったりと狸寝入りの狸魔獣のポンである。


「カイメイ。これは狸同志じゃないか。貝殻はどうしたんだい?」


「あな。ほったら。出てきた。魔獣。死すべし?」


 どうやらカイメイのお守りに疲れて穴を掘って隠れていた所を貝殻を掘るカイメイに見つかったようだ。


「ははは。カイメイ。母さんの真似かい? 狸同志はカイメイの友達だろう? そういう事を言ってはいけないよ」


「あい。でも。ポン。遊んでくれない」


「疲れているのさ。狸同志も若くないからね」


「……ぽふん(まだ若いよ! 若いけど、カイメイの無尽蔵の体力には付き合いきれないよ! 子守りを狸に押し付けて夫婦二人の時間にするのはやめてくれないか? しかもご主人いないし!)」


 若くないと言われ、憤慨したポンはカイエルだけに伝わる大きさの声で抗議する。


「すまないな、狸同志。仕方ないじゃないか。君はカイメイのお気に入りなんだ。何せ生まれてからずっと一緒に寝ているんだからね」


「ぽん(そこはいいんだけど……僕だってカイメイは好きだし……でも、疲れは別問題だよ! 狸は元来夜行性で怠惰で風雅な生き物なんだよ、労働は似合わないの!)」


「はは、そうだな。じゃあ、一旦カイメイは引き取ろう」


 そう言ってカイメイを片腕で抱っこする形で持ち上げた。同時に狸寝入りをやめて、カイメイの腕の中からするり抜け出したポンは手近な木陰まで移動し、丸くなるとフーンと鼻を鳴らした。

 カイメイは一瞬逃げていくポンを目線で追ったが、それよりも抱っこされた事へと興味が動く。


「たかい!」


 抱っこされたカイメイは急に視界が高くなってご機嫌である。すでに意識はポンから逸れており、逃げたポンの事を捕まえる気はないようだ。


「えう。うみ。ひろいね」


 遠く広がる海を見て子供らしく素直に驚くカイメイ。


「ああ、広いだろう? これがカイメイの守っていく景色だよ」


「まもるの?」


「ああ。カイメイが守っていくんだ。父さんや母さん、ジジとクーさんが守ってきたように」


「まもる。うん。まもう!」


 まもるという言葉に喜ぶカイメイはやはりカイエルとメイベルの息子なのだろう。


「ああ、えらいぞ」


 そう言ってメイベル譲りの金色の髪をわしわしと撫でてあげるときゃっきゃと笑い喜ぶ。


「えう。かあさん。いた」


「どこだい?」


 カイメイが指差す先にメイベルを見つける事ができない。


「あそこ。はしってう」


 ジッと目を凝らすと遠くに人影と水飛沫が立っているのが見える。水面を走るメイベルであろう。メイベル以外に水面を走れる人間がいるのであれば別だが。その姿はあっという間に大きくなり水面から地上へ。地上から目の前に移動してきて。今はカイエルとカイメイを見つめている。


 美しいな。

 とカイエルは思わず見惚れる。

 春の日が海に反射してメイベルの後ろからキラキラとした光が降り注ぐ。

 出産を経たとは思えないほどに体は引き締まり、神の加護が与えられた脚も一層研ぎ澄まされているように見える。光を浴びた金色の髪は輝きを放っているが、さすがに海上を走ってきた影響か少し乱れて顔にかかり、数本口の中に入っている。そんなあどけない感じが絶対的な美しさの中にある一粒の可愛らしさとしてスパイスになる。


「エル。私も。抱っこ」


 カイエルとカイメイを見つめていたのはどうやら抱っこされているカイメイが羨ましかったらしい。少し恥ずかしそうに両腕をカイエルに差し出した。


「ははは。ベルも甘えん坊だな。おいで」


「うん」


 まるでカイメイのようにとてとてと歩いてカイエルの空いた腕の中に入る。


「ベル。髪の毛食べてるよ」


 カイエルの筋張った指がメイベルの頬の上をスッと走ると口の中の髪の毛がサラリと元の位置に戻った。

 せっかくのチャームポイントであるが抱っこする前になおす気になったらしい。


「……ありがと」


 うつむいて小さく礼を言う。

 頬を走った指の感触が嬉しいような恥ずかしいような、なんだかふわふわしていて、メイベルは急に恥ずかしくなって顔を隠した。


「……よっ! と」


 掛け声と共に長身のメイベルがスッと持ち上がり、カイエルの腕の中におさまった。

 メイベルとカイメイはカイエルの横顔越しに向かい合う。メイベルはカイエルの首に腕を回し、その先にいるカイメイの頭を優しく撫でる。

 その撫でる感触からメイベルの喜びがカイメイに伝わる。


「かあさん。うえしそ」


 にっこりと笑う。


「うん。うれしい。メイも」


 にっこりと笑う。


 愛の根源のような笑顔がふたつ。


 カイエルの腕の中にある。


 カイエルの人生は人間との戦闘の連続だった。

 たくさんの血を流した。


 メイベルの人生は魔獣との戦闘の連続だった。

 たくさんの血を流した。


 他人に畏れられ。

 他人に蔑まれ。


 孤独な人生を歩んできた。


 でもあの日。

 二人は出会った。


 ありふれた貴族の茶番劇。


 カイエルが。

 クリード王国を訪れていなかったら。クリード王家に挨拶を頼まれなかったら。それを断っていたら。茶番に辟易して帰っていたら。


 出会わなかった。


 メイベルが。

 王家からのパーティへの出席を拒んでいたら。出席だけして帰っていたら。王太子がもう少しまともで正規に婚約破棄していたら。


 出会ってなかった。


 いくつもの馬鹿みたいな話、有り得ないような話が重なって二人は出会った。

 出会うだけではなくその瞬間に恋に落ちた。


 カイエルはもちろん。恋というものを知らなかったメイベルも思い返せばあそこで恋に落ちていた。だから婚約の話が上がってきた時に気になっていたのだろう。


 運命といえば安っぽく。

 筋書きといえば物語じみて。

 神の導きといえば大仰で。


 でも恋とはきっとそんなものなのだろう。そうカイエルもメイベルも思っていた。その恋だって今は愛に形を変えて、その愛が結晶化してふくふくした天使の形になっている。


 なんでもいいじゃないか。

 今は幸せで。

 未来も幸せで。

 世界は美しい。


 そんな三人の見つめる先。


 そこには穏やかな春の海が広がる。


 南風が水面を撫でて立つ白波。


 それがまるで幸せの白兎のようで。


 ふわっとメイベルの記憶がよみがえる。


 カイエルがシュート公爵邸を訪れた日に夢想した幸せな日々。


 あの風景に似ている。


 記憶と現実の風景が重なり合い。


 なんだか無性にあの続きを見たくなったメイベルが、海岸線を歩くように腕の中からせがむと、カイエルはもちろんこれを快諾。カイエルは二人を抱いたまま、海岸線を歩き出す。


 ゆったりとした波の音。


 穏やかな春の日差し。


 きらきらと光る水面。


 柔らかい風を浴びて。


 一歩ずつ。


 砂浜に足跡が刻まれていく。


 メイベルもカイメイも穏やかに笑っている。


 そんな愛の根源のような顔で笑う二人をその両腕に抱きながら。


 海岸線をゆっくりと歩くカイエルは誓う。


 こうやって。


 特別な一日ではなく。


 幸せな毎日を。


 三人で紡いでいこうと。



 了


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

穢れと呼ばれた守護令嬢は婚約破棄されたので南方の帝国皇帝に嫁ぐ~一目ぼれしてきた褐色の皇帝を無自覚に溶かします~ 山門紳士 @sanmon_j

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ