第40話〈新しい空へ〉後半

 その日の夜、浩くんが布団に入りながら言った。


「今日も寒いね……桜の木、大丈夫かな~古い木みたいだけど枯れちゃわないかな?」


「そっか~あの桜、まだ残ってるのか~懐かしいな……枯れないで早く咲くようにって昔、布を巻いたな」


「布を巻くと枯れないの? じゃあ、巻きに行こうよ!」


「今日はもう遅いから、明日学校が始まる前にな……おやすみ」


 4月3日の早朝、浩くんと出掛けようとしたら純子ちゃんも起きたので三人で小学校に行った。


「よし! これで大丈夫!」


「やった~これで桜が咲くね! わ~い、わ~い!」


 校庭の向こうで純子ちゃんと嬉しそうに跳ね回る浩くん……

 その時だった。


ブーーーーーーーーン


「なんだろ? こんな朝早く……」


「この音は……姉ちゃん、危ない!!」


ヒューーーードゥオーーーン


 校庭に爆弾が落とされ、すり鉢状の大きい穴が開いていた……

 こんな田舎に爆弾が落ちるなんて夢にも思わなかった。


「純子ちゃんは? 無事か……浩くん、大丈…………両足が……ない……」


 純子ちゃんを庇った浩くんは、足に爆撃を受けて両下肢がなく……太ももから大量に出血していた。

 幸い意識はあるようで、急いでカバンの中の紫のマフラーで止血した。


「線路の向こうに陸軍病院があるんだ! 急いで行こう!」


 僕は浩くんを背負って純子ちゃんと一緒に走った。


「浩くん……浩くん? 大丈夫だからな! 絶対助かるから!」


「相変わらず源兄ちゃん……嘘が……下手だなあ……僕の足……もう、ないんでしょ? ケンケンパ、もう……できないね……そういえば昔……一緒にやったよね……」


「喋ると余計に出血するぞ!」


「源兄ちゃんの背中……お父ちゃんに似てるや……まるでお父ちゃんに……おんぶしてもらってるみたいだ……」


 腰に生暖かい液体の感触が広がっていく……


「お母ちゃんを……守れなかったからさ……せめて姉ちゃんだけは……絶対守るって決めてたから……これでいいんだ」


「もうすぐ……もうすぐ病院に着くから!」


「源……兄ちゃん?」


「何?」


「お姉……ちゃんを……お願い……ね?」


 その途端、ずっしりと浩くんの身体の重さが背中にのしかかった。

 その後、病院に着いてすぐ診てもらったが……


「先生、浩ちゃんを助けて下さい! 輸血が必要なら私の血、全部あげます! 浩ちゃんが助かるなら何でもします!!」


「残念だが……この子は、もう……手遅れだ」


「そんな……」


 その時、奇跡的に浩くんが意識を取り戻した。


「お……姉ちゃん……どこ? お姉ちゃん……」


「浩ちゃん? お姉ちゃん、ここにいるよ?」


 純子ちゃんは浩くんの手を握った。


「お姉ちゃんに……星のお守りあげる……僕はもう……大丈夫だから」


「お守りはいいから、何もいらないから、お願いだから死なないで! 姉ちゃんを一人にしないで!」


 純子ちゃんは浩くんに抱きついて号泣していた。


「大、丈、夫……これからもずっと……一緒……だよ?……」


 その時、純子ちゃんの頭を撫でていた浩くんの手がパタリと落ちた。


「浩ーーー!!! 嫌よ……いやぁああ!!!」


 僕は涙が止まらなかった。


 純子ちゃんは過呼吸状態になり……

 人は想定できない程つらい事が起きた時、息が出来なくなるのだと初めて知った。

 僕は純子ちゃんの名前を呼びながら、少しでも落ち着かせるために強く抱き締めることしかできなくて……

 抱き締めた純子ちゃんの身体は折れそうな位、細くて弱々しかった。


 落ち着いた頃、病院では火葬ができないと言われ……お寺に浩くんの遺体を運ぶ事になった。

 朦朧としながらお寺に着いた時、あの嫌な音が聞こえた。


ゴォォォォォォォォォォ

シャーーーシャーーー

ヒューーーードゥオーーーン


 爆弾が30発以上も落ちてきて、隣町は地獄絵図になった。


 僕達はお寺にあるお堂に隠れたが……

 昨日までは何の変哲もない日常や笑顔に溢れていた町が、炎の中に消えていく様をただ呆然と見ていることしかできなかった。


 見慣れた町が、見慣れた景色が一瞬で破壊されていく……

 家族や恋人や友人、大切な人が……

 ただ毎日を一生懸命に慎ましく生活し、昨日まで笑っていた人達が……

 一瞬で火の海に飲まれていった。

 

 僕はショックで動けなかった。

 何も出来ない自分が悔しくて堪らなかった。


 敵機の集団が近くを通り過ぎる音がしたので、急いで純子ちゃんの頭を守ろうとしたその時……

 お堂を飛び出した純子ちゃんが焼夷弾の雨が降る空に向かって叫んだ。


「もうやめて! もう誰も殺さないで!」


「純子ちゃん、敵機に見つかる! 隠れて!」


 必死に手招きしたが純子ちゃんは、お堂に横たわっている浩くんを指差して……


「この子が何をしたって言うんですか? あなた達に恨まれなきゃいけないことをしましたか? 親を失くして本当はつらくて堪らなかったはずなのに……それでも笑顔で小さな楽しみ見つけて一生懸命に生きていた……ただそれだけなのに、なぜ殺されなきゃいけないんでしょうか?」


「純子ちゃん!……危ないよ?……」


「返して下さい……この子の笑顔を返して下さい! ねえ、返してよ!!」


 その時、集団の中の一機が戻ってきて残っていた爆弾をお寺の近くに落とした。


「純子ちゃん、危ない!!」


ヒューーーードゥオーーーン


「キャーーー!!!」


 僕は必死に引き寄せようと純子ちゃんの左手を引いたが……結局、純子ちゃんは右目上と右前腕に大怪我をして病院に入院することになってしまった。


「何が安全な場所だよ……こんな所に連れてきてごめん……せっかく浩くんが守ってくれたのに……守れなくて…………本当にごめん」


「私がもっと早く気付けばよかったの……浩ちゃんは音で気付いてた……戦闘機が米軍か友軍かを聞き分ける『爆音聴音』……女学校の音楽の授業でも習ってたはずなのに、全然真面目に聞いてなかった……だから私のせい」


 包帯を巻いた純子ちゃんの姿は痛々しかった。


「君のせいじゃないよ……」


「いいえ、私のせいよ……『音楽なんだから音を楽しまなきゃ』なんて言って、友達とのん気に童謡なんか歌って……浩ちゃんごめん、馬鹿なお姉ちゃんで……本当にごめん……」


 それからと言うもの、純子ちゃんは歌を歌わなくなってしまった。

 まるで浩くんがいないのなら歌っても仕方がないというように……

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