第37話〈残酷な現実〉前半

 講堂の外に出ると、何とも言えない嫌な匂いがして……逃げてきた方面は見渡す限り焼け野原でほぼ何もなく、あちこちで火がくすぶって水道の水が噴き出していた。

 電線や都電の架線が垂れ下がり、地面の熱がまだ残っている中を進むと……播磨屋に近くなればなるほど被害の状況が酷く、目が染みるような焼けた臭いが強くなった。


 進む中でよく見かけたのは、黒い小さな塊の上に覆い被さった大きな黒い塊……


「なんだアレ……黒いマネキン? じゃない…………人間だ……」


 そこには男女の区別もつかないほど炭のようになった黒焦げの遺体が無数に転がっていた。


「なんじゃあ、こりゃあ!!」


「なんだよ……何なんだよ、これ!!」


 よく見ると大きな黒い塊は四つん這いになっている。

 それはきっと子供を必死に守ろうとした親達だったのだろう……

 ホースを持ったままの消防士など、至る所にまるでマネキン人形のように横たわって亡くなっている人、人、人……

 地獄のような光景に、これは夢なんじゃないかと思った。


 トラックが来て、遺体をどんどん荷台に乗せて運んでゆく……

 防空壕で蒸し焼きや窒息で亡くなった人達の遺体も引き出され、トラックに山積みにされる幼い兄弟の遺体や、手を繋いだままの男の子と女の子の遺体……

 あまりの光景に感情が麻痺し、涙も出なかった。


 なんとか播磨屋の近くに着いたが、最初に逃げようとしたコンクリート建てのアパートが無惨な姿になっていた。

 僕達は助けられなかった人を思い出し、悔しくて苦しくて申し訳なくて……ヒロと一緒にそっと手を合わせた。


 播磨屋の方を見ると建物があった場所は燃えて何もなくなっていた。

 ここにはいませんようにと願いながら防空壕の中を見ると……


 そこには缶を抱えてうずくまり、背中側が炭になった静子おばさんがいた。


「……おばさん? 静子おばさん!!」


 僕達は膝から崩れ落ち、その場にへたり込んでしまった。


「クソッ! クソーッ! なんでおばさんが死なんとあかんのや!」


「そんな……そんな……」


 ヒロと僕は現実が受け取められなくて、暫く呆然としていた。

 ふと下を見ると……静子おばさんが抱え込んでいた缶はススだらけだがキレイに焼け残っていた。


「これ、お米が入ってた缶や……」


 丁寧に引き離した缶を開けると、底には少しだけお米が入っていて……

 中には仏壇から持ち出した位牌と、駅伝の新聞、僕が描いた純子ちゃんの絵とヒロがあげたカンザシと……

 僕達が描いた『未来を生きる君へ』が入っていた。

 そしてもう一つ、ドロップの缶が入っていて……中を開けてみると溶けて固まった砂糖の塊が入っていた。

 匂いからして、おそらくそれは僕達があげた軍粮精……


 火がまわって外に出られなくなったおばさんは、きっと最後の力を振り絞り……遺しておきたい大切なものをかき集めて缶に入れ、防空壕に戻ってこの缶を守ったのだろう。

 何もなくなった地で僕達が、食べ物に困らないように……

 みんなの希望を残したいという子供の意志を尊重し、その成長と未来の幸せを願うように……

 大好きな旦那さんの想いを守り、「最後まで一緒にいたい」と言っていたかように……


 暫くするとトラックが来て、静子おばさんの遺体は小学校に運ばれて火葬されてしまった。

 火葬の前にせめてもの形見と燃え残った服の一部をもらい、僕達は朦朧としながら帰途についたが……

 講堂に戻った僕達は、純子ちゃん達に缶を渡しながら嘘をついた。


「いや~よかったよかった、おばさん生きとったわ~取りに行ったもんも無事やし……缶の中に入れるとは、さすが静子おばさんやな~」


「心配しなくても大丈夫! ちょっとケガしてて今は一緒に来れないけど、治ったらココに会いに来るって」


「なんだ、よかった~安心したら僕お腹すいてきちゃったよ……源兄ちゃんコレ見て~みんなが乾パンのお礼にって持ってきてくれたんだよ?」

 

 乾パンを渡した時にお礼を言われたが、お返しまでとは……ありがたいし日本人は律儀な国民性だ。


「あの……コレよかったら配給の粉ミルクなんですけど乾パンのお礼です……少しですけど、お腹の足しになれば……」


「いやいや、こんな貴重なモノ貰えませんよ」


「いいんです! もう必要ないので……」


 その時、気付いた。

 目の前にある貴重な食べ物は、本当は大切な誰かに食べさせたかった物だということに……

 ふと、おばさんが残した軍粮精のことが浮かんだ。


「あり……がとう……ございます……」


 その途端、今まで我慢していた涙が溢れ出た。


「源兄ちゃん? なんで泣いてるの? ねえ……そんなに嬉しかったの?」


 その時、純子ちゃんが……


「嘘なんでしょ!? お母ちゃんが来るって……源次さん嘘つくの下手過ぎ……左肩も火傷してたのに黙ってたし、もう大丈夫だなんて嘘つかないで!」


 僕とヒロが看護婦さんに両手の火傷を応急手当してもらった時、ヒロはすぐに右肩の処置もしてもらったが……僕は朝になるまで隠していた分、火傷が悪化しているとのことだった。


「本当は何があったの? ねえ、教えて!」


「すまん純子……ほんまはな……静子おばさん死んでもうたんや……」


「ごめん……播磨屋に行ったら防空壕の中で亡くなってた……もう火葬されて、おばさんの形見は洋服の一部しかもらえなくて……」


「え? 嘘……嘘だよ、お母ちゃんが死ぬわけないよ……冗談だよね、弘兄ちゃん?」


「死んだんや!…………すまんのう……俺がもっと戻るのを止めていれば……」


「私のせいだ……私が取りに戻るなんて言わなきゃ、お母ちゃんが戻る事なかったもの…………私が死なせた……私が……」


「違うよ! 純子ちゃんのせいじゃない! おばさんは自分の意志で取りに戻って、この缶を守ったんだ……見て? この中には静子おばさんの願いが込められてる」


「取りに行ったのが全部入ってる……あれ? この缶なに?」


「軍粮精……浩くんが食べたがってたから一緒に入れておいてくれたんじゃないかな? みんなで食べて元気に生きてほしいって……それとコレがおばさんの形見……」


「そ、んな……嫌だよ……食べるの楽しみにしてたけどさ、軍粮精よりお母ちゃんに会いたい! お母ちゃんに会いたい! お母ちゃ~ん!! お母ちゃ~ん!!」


 浩くんはヒロに抱きついて大声で泣き続けた。

 純子ちゃんは形見の布を受け取りながら涙も流さず呆然とした顔で震えていて……僕はただ純子ちゃんの手を、ぎゅっと握り返すことしかできなかった。

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