第36話〈僅かな希望〉

 右側から倒れてくる木製の電柱の一番近くにいたのは浩くんで……気付いたヒロは浩くんを庇って倒れ込んだ。


バリバリバリバリ………

ズドゥオーーーン!!


 不幸中の幸いで途中で折れて直撃はしなかったが……ヒロは右側にいた浩くんを庇うように覆いかぶさって燃え残りの電柱の下敷きになった。


「ヒロ!! 浩くん! 今、助ける!」


 電柱を持ち上げようとしたが、ものすごい熱で……僕は勢いをつけて背中で体当たりした。


「ぐぁっ」


 左肩の後ろに高熱で焼ける痛みが刺したが、そんな事に構っていられない……

 ヒロの上に乗った電柱が落ちるまで押し続けた。


「光ちゃん! 浩! 源次さん! 大丈夫?」


「あっつ〜俺は大丈夫や……右肩の後ろに火傷してしもうたみたいやけど源次のおかげで助かったわ〜ほんまにおおきにやで」


「僕は……全然大丈夫……弘兄ちゃんが庇ってくれたから……」


「源次さんは?」


「だ……大丈夫…………それより早く講堂に行こう!」


 幸いな事に講堂は無事で、既に多くの避難民が逃げ込んでいた。


 被っていた布団はビシャビシャにしたのにカラカラに乾いて焦げていた。

 多分被っていなければ逃げる途中に死んでいただろう……

 顔はススだらけで真っ黒だったが、純子ちゃんと浩くんにケガがなかった事に安堵した。

 自分達の安全が取り敢えず確保された分、静子おばさんの事が心配になった。


「お母ちゃん大丈夫かな?」


「濡れ布団二重にしたし、きっと大丈夫や!」


 そう励ますヒロは名前の通り、純子ちゃん達のヒーローみたいだった。


 講堂の奥に行くと色々な人がいた。

 火傷を負ってうめき声を上げている者、無傷だが死んだ目をしている子供、不安そうに寄り添う親子、煙が目に入って見えないと手探りで歩いている者……

 たまたま看護婦をしているという人もいて人々の応急処置をしていた。


 集まった人達は惨状をそれぞれ報告し合っていた。


「神田和泉町の方もやられた……関東大震災の業火の時は町民達が必死に消火して守った奇跡の町と言われとったのに……」


「神田明神の方は燃えてないらしいわよ」


「あそこはウサギの神さんに守られとるからのう」

 

「みんな燃えた……家族も、家も、今まで築いてきた財産も……日本ももうおしまいだよ……こんなことなら俺も一緒に死ねばよかった……」


「おいらは地下鉄に逃げようとしたけど入れてもらえなかった……何度頼んでも『防空法で地下鉄への避難は許さぬと決められておる』の一点張りで……そのせいで母ちゃんが……母ちゃんが……クソッ」


 地下鉄への避難を禁止する理由は「空襲の直後は身を挺して消火活動をする義務があるため、安全な地下駅に逃げることは許されない」……「空襲時には軍事・消防目的の輸送が優先されるから、国民一般の避難に使わせることは不可能」というものだった。

 一方のロンドンでは地下鉄への避難が奨励されていたそうで……空襲があると地下鉄の入り口を閉めて人が入れないようにする日本とは真逆だった。


 午前2時37分……B-29の退去が確認され、空襲警報は解除された。


「本当は今日みんなで、ここで卒業式をあげるはずだったのに……みんな助かったかしら……知っている顔を全然見かけないの」


「みんな家の近くに逃げたんじゃないかな……そうだ純子ちゃん、卒業おめでとう! これ卒業祝いに渡そうと思ってたんだけど……」


 僕はカバンの中に入れておいたクシを渡した。


「ありがとう! 素敵なクシね」


「喜んでもらえてよかったよ……ク・シにかけて君の苦しみも僕がとかしてあげられたらいいな〜と思ってコレにしたんだけど……」


「ありがとう……嬉しい!」


「坂本くんみたいにキザやな……すまんな俺は何にもやれんで」


「光ちゃんは軍粮精あんなに沢山くれたじゃない! 本当は食いしん坊なのに……だから嬉しかった」


「姉ちゃん〜お腹すいたよ」


「僕、食べ物も沢山持ってきたんだ! 取り敢えず食べよう!」


 僕達が乾パンを食べていると羨ましそうに人だかりができたので「よかったらどうぞ」と皆に分けていたら、あっという間になくなってしまった。


 空腹が少し満たされ皆が少しでも眠ろうとしていた頃……若い母親の腕に抱かれていた赤ちゃんが大きな声で泣き出し、母親が何をしてもずっと泣き続けていた。


「うるせー黙らせろ! 静かにできねえんだったら出ていけ!」


「すみません……すみません……」


「私にも何かできることないかな……そうだ! あの……私、歌好きなんで子守唄、歌います! せ〜のっ」


 純子ちゃんは立ち上がって『ゆりかごの唄』を歌いだした。

 その声は講堂の中に響き渡り、天使の歌声が舞い降りたようだった。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

ゆりかごの唄を カナリヤが歌うよ

ねんねこ ねんねこ ねんねこよ


ゆりかごの上に びわの実がゆれるよ

ねんねこ ねんねこ ねんねこよ


ゆりかごのつなを きねずみがゆするよ

ねんねこ ねんねこ ねんねこよ


ゆりかごの夢に 黄色い月がかかるよ

ねんねこ ねんねこ ねんねこよ

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 いつの間にか赤ちゃんは泣き止んで眠っていて……聞いていたみんなも純子ちゃんの歌声に癒された。


「ありがとうございます……本当に……ありがとうございます」


「……なんだか怒鳴ってすまなかったな……おかげで心がスーっと洗われたわ……おい姉ちゃん、さっき今日が卒業式って言ってなかったか?」


「そうですけど……」


「なあ、みんな! 姉ちゃんへのお礼によう、みんなで『仰げば尊し』を歌わねえか? 禁止なんて話があるが知ったこっちゃねえ! 下町の心意気でい!」


 それから僕達はみんなで『仰げば尊し』を歌った。


「仰げば尊し、我が師の恩〜教えの庭にも、はや幾年いくとせ〜思えばいとし、この年月〜今こそ〜別れめ〜〜〜いざさらば〜〜」


 おじさんが指揮をしてくれて、息がピッタリで……皆が不安を忘れて一つになった気がした。

 中には歌いながら涙を流す者もいて……きっと大切な誰かとの悲しい別れがあったのだろう。


「ありがとうございます! 忘れられない卒業式になりました!」


「こちらこそお姉ちゃんありがとうだよ〜私しゃ、おかげで元気が出てきたよ」


「全部燃えちまったけどよう! また一から下町のど根性で見返してやろうぜ!」


「そうだ! それぞれ最大限にやれる事をしよう!」


 すると、勤労学生らしき女の子も立ち上がった。


「私、伝えます! 大阪が地元で、この間から地下鉄の駅員やっとるんですけど……地上が大変な事になっとるのに地下鉄に逃げられへんなんておかしい! すぐに電車を動かせば被害のない所に沢山の人が逃げられたかもしれへんのに……だから、また今度こんな空襲があったら同じ事は絶対繰り返さへんでって」


 火傷を負って横になっていた女性は言った。


「私は治ったら看護婦さんになって、みんなを助けたい……」


 母親を亡くした男の子は言った。


「僕は消防士さんになって日本中の火事を消しに行きたい!」


 純子ちゃんの歌をきっかけに、皆の中に無くしかけていた希望が生まれた。

 こんな絶望の中でも歌は前に進もうという勇気を与えてくれる……傷つけ合っていた人達を変えてくれる……

 歌でだったら世界中の人の心を一つにすることができるかもしれない、と強く思った。


 火は遠くの方で夜通し燃え続けていたようだったが……幸いなことに僕達の逃げ込んだ講堂は致命傷となる爆撃も風向きによる延焼もなく無事だった。


 いつの間にか皆で眠ってしまい夜が明けていたが、静子おばさんは朝になっても来なかった。

 ヒロと僕は純子ちゃん達に講堂にいるようにと伝えて、二人でおばさんを探しに行った。


「静子おばさんも無事でありますように……」

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