第29話〈最初の特攻〉

 訓練に励んでいた10月末のある日、ヒロだけが飛曹長に呼ばれた。

 部屋から出てきたヒロの様子が明らかにおかしいので問い詰めると……


「明希子おばちゃんとこのただしがな……あ、高知に住んどる従兄弟なんやけどって住んどったか……アハハ」


「正くんて、宮本正くん?」


「戦死したんやて……10月25日にな、フィリピン方面で爆弾積んだ零戦で体当たり攻撃して……特別攻撃隊の一員として戦死した〜ちゅう公電があったとのことやったわ」


「えっ?」

 

 10月25日……それは日本の海軍最初の特攻隊となる 「神風しんぷう特別攻撃隊」が初めて敵艦に突入した、最初の特攻の日だった。

 「神風特別攻撃隊」は「敷島隊」「大和隊」「朝日隊」「山桜隊」の4隊が編成され、この4隊から漏れた者達は別途「菊水隊」などへ編入された。

 レイテ上陸を阻止すべく、250キログラムの爆弾を積んで搭乗機ごと敵艦船に突っ込むという計画だった。


 特攻は名目上命令ではなく志願制で、特攻隊に参加する意志を問う希望の紙に名前を書いたり、「志願する者は一歩前へ」との言葉に皆が前に出て自分から志願したとされているが……

 実際は志願しなければ非国民という空気が醸し出されて「志願させられていた」という表現が近いかもしれない。

 特攻を打診された時に即答したと美談にされている者も、実際には「一晩考えさせて下さい」と悩み苦しんだ末に出撃の返事をしていた。


 指揮官に指名されたのは「敷島隊」の隊長でもある霞ケ浦海軍航空隊で教官を務めていたエリートの大尉で……

 出撃前に「僕のような優秀なパイロットを殺すなんて日本もおしまいだ……僕はお国のためじゃない……妻を護るために行くんだ」と漏らしていたそうだ。


 特攻の発案者でなく最初は反対するも特攻を命じる立場となった、第一航空艦隊司令長官は「特攻の父」と呼ばれ……

 最初に出撃する「敷島隊」への訓示で「日本はまさに危機である……私は一億国民に代わってこの犠牲をお願いし、皆の成功を祈っている……しっかり頼む!」と話している間に顔面蒼白で小刻みに震えていて……

 涙ぐみながら隊員達一人一人の顔を目に焼き付けるように見回し、訓示の後は全員と握手したそうだ。


 「大和隊」には飛行予備学生出身者が多く、同じ大学出身の者もいた。

 一人親を残してきた者、結婚したばかりの者、子供が生まれたばかりの者……

 残される者を想って書いたそれぞれの遺書には、家族や友人・恋人の幸せを願う言葉が溢れていた。

 皆お国のためにと書きながらも、大切な人達を守りたい一心で……二度と戻れない空に旅立った。


 「神風特別攻撃隊」の戦果が内地で発表されたのは10月28日午後5時のラジオニュースが最初で……

 ヒロは最初の特攻の戦死者が自分の従兄弟であり高知出身の若者だという事がショックで、食事も喉が通らない様子だった。


 正確な最初というと公式ではないが、日本で最初に亡くなられた特攻隊員は皆に慕われていた「大和隊」の隊長で……

 ピアノが好きで出撃前日に基地の士官室のピアノでベートーベンの『月光』を演奏し、基地に響いたその静かなるも想いが込められた切ない音色に大勢が涙を流したという。

 レイテ決戦で「神風特別攻撃隊」が初めて出撃したのは10月21日だが、悪天候もあって全ての隊が引き返して帰還する中、「大和隊」の隊長だけは引き返すことなくレイテ湾に突入し散華されたそうだ。


 同じ頃、陸軍の航空隊でも陸軍最初の特別攻撃隊である「万朶ばんだ隊」や浜松の「富嶽ふがく隊」が編成され11月に出撃したが……

 「万朶隊」は百里原から車で30分位の所にある鉾田陸軍飛行学校の教官・ベテラン搭乗員などで構成されていて、僕達と同じ鹿島灘の景色を見ながら厳しい飛行訓練に励んだ方達が旅立たれたのだと思うと余計に苦しかった。


 志願を募る方法も「志願する者は一歩前へ」から「志願しない者は一歩前へ」などというやり方がまかり通るようになり……志願した覚えがないのにいつの間にか特攻隊に指名されるまでになった。


 11月8日には、空だけでなく海の特攻である人間魚雷「回天」が初めて出撃していた。

 山口県の大津島の基地から初出撃した部隊「菊水隊」の中には、開発に取り組んだ中尉もいたという。


 「回天」は特攻用に改造された魚雷といった感じで潜水艦の甲板に搭載され、敵地まで運ばれる。

 全長約15メートル、胴体直径1メートルの暗い空間にイスに座る形で乗組員が操縦し、脱出装置はなく……先端部分に装備された約1.5トンの炸薬とともに敵艦に突っ込む。

 体当たりに失敗しても回収されることはなく、見た目通りまるで棺桶だった。


 同じ11月8日……僕達の誕生日の真ん中であるその日に届いた慰問袋の中には、僕達宛の手紙と誕生日祝いの飛行マフラーが入っていた。


 出撃する際に首に巻くマフラーは、負傷時に止血したり応急処置にも使うため通常は白だが、純子ちゃんが送ってくれたマフラーはキレイな紫色をしていて……

 ヒロが駅伝で掛けた襷の色でもある「江戸紫」で、立教の校歌にもあるように武蔵野で自生していた紫草で染めたとのことだった。

 絹などの燃えにくい素材で作らなければいけないが、貴重な素材なのでどうしたのだろうと思ったら、わざわざ静子おばさんの花嫁衣装から切り取って作ってくれたようだった。


 純子ちゃんが「誕生日おめでとう……どうか無事でありますように」と願って送ってくれたヒロとお揃いの紫のマフラーに、僕は嬉しくて涙が出そうになったが……


 ヒロは「これ巻いて正のかたきとったる!」と今まで見たことがない憎悪に満ち溢れた表情で……

 人が変わっていく瞬間を、初めて見た気がした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る