第11話〈最後の箱根駅伝〉

 1943年1月4日の昼過ぎ……


「それでは改めまして……明けましておめでとう~今年もよろしくね!」


 年末年始は埼玉の実家に帰っており、三が日が終わってアパートに帰る前に播磨屋に新年のご挨拶をと寄ってみたら……すっかり新年会にお呼ばれしてしまった。


「よし純子、景気付けに歌じゃ~」


「任せて光ちゃん! ほら、みんなでお正月の歌を歌いましょう? せ~のっ……年のはじめの、ためしとて~終わりなき世の、めでたさを~松竹たてて、かどごとに~いおうきょうこそ、楽しけれ~」


 まだ未成年でお酒は飲んでいないが飲んだかのように上機嫌な純子ちゃんとヒロと浩くんは、お正月によく歌う『一月一日』を歌ってくれた。

 ヒロの声がデカくて聞こえづらかったが、相変わらず純子ちゃんはキレイな歌声だ。


「源次~お前も歌わんか~」


 僕は歌が下手で歌いたくなかったので、慌てて誤魔化した。


「そっそう言えば1月1日の誕生花は『スノードロップ』で花言葉は『希望』らしいよ?」


「へえ~源次さんて色んな事を知ってるのね」


「純子ちゃん達から色々神田の事を教えてもらったから僕も何か教えられたらと思って色々勉強してるんだ」


「そうじゃ! これから神田明神に初詣に行かんか?」


「賛成~」


 僕達は初めて一緒に初詣に行った。

 年明けの神田明神は賑やかで、ウサギのお守りや色々な厄除けの品が売られていた。

 ヒロは四人の中でも特に気合いを入れてお願い事をしていて……


「…………ますように!」


「今なんて? ヒロはなんてお願い事したの?」


「それはな…………秘密じゃ」


「何だよ」


「どうかウサギの力を、お分け下され~」


「なんじゃそりゃ」


「そう言えば前から明日の1月5日は空けといてって言ってたけど何かあるの?」


「それは明日のお楽しみ~明日は7時半に靖国神社に集合な! 実家から届いったっちゅう誕生日祝いの自転車も忘れんなや!」


 1943年1月5日……

 朝から快晴だったその日、純子ちゃん達と一緒に靖国神社に着くと……

 ものすごい数の人がいて、その奥の場所に書いてあった文字に僕達は驚いた。


「靖国神社、箱根神社間、往復、関東学徒、鍛錬継走大会!?」


 更に奥に行くと、ヒロを含む沢山の学生らしき人達がいた。


「光ちゃん、これってどういうこと?」


「実は夏前から駅伝の選手にならんかと誘われててな~今年こそ戦争で中止になっとった箱根駅伝を復活させるから、人数が足らん分を走ってくれ~言われたから協力しとったんじゃ」


「だから一緒に帰らなくなったのか……」


 僕は今までのヒロの言葉を思い出し、一瞬で理解した。


「箱根は物資や兵器の輸送で民間人の立ち入りが制限されとったらしくて……軍需物資の動脈線でもある国道1号線の使用許可が下りずに一時は開催が危ぶまれたんや」


「じゃあ、どうして……」


「試しに、出発も到着も靖国神社で箱根神社を折り返し地点にした『戦勝祈願の大会』ならどうや~ちゅう風に交渉してみたら陸軍の許可が下りたんや」


 その時、陸上部の主将らしき人が僕達に話しかけてきた。


「本当に篠田くんが色々手伝ってくれて助かったよ。しかも運動神経がいいと聞いていたから誘ってみたら、長距離走は未経験なのに僕ら経験者並かそれ以上に早くなるとは……」


「いやいや、そないなことありまへん」


「帰りは家まで走ってるって聞いたけど、君は本当に素晴らしい努力家だよ。今では僕らの期待の星だ! 第1区、頼んだぞ! 突破口を開いてくれ!」


「はいっ! 頑張ります!」


 午前8時少し前……

 僕達も出発地点付近に行ってみると大勢の応援団達がいて、出場選手が集合して準備運動をしていた。

 出場校は11校……立教大学の他に出場するのは慶應義塾大学、專修大学、拓殖大学、中央大学、東京農業大学、東京文理科大学、日本大学、法政大学、早稲田大学……そして初出場の青山学院だ。


 選手であろう人達が寒空の下で薄いトレーニングウェア姿となり、走り出す時を今か今かと待ちながら出発地点に立っている。

 その中にヒロの姿があるのが、何だか不思議でドキドキした。


 僕は自転車で並走するために、出発地点から大分先に進んだ離れた場所でペダルに足を掛けて準備をした。

 ご時世的にガソリン不足のためか伴走自動車は禁止されていて、木炭車・自転車・サイドカーのみが許可されていた。


「源次さ~ん! 私も乗せて~!」


「うえ~? でも僕、二人乗りしたことないから……」


 試しに周辺を二人乗りしてみたが、余り影響がないくらい純子ちゃんは軽かった。

 そう言えば下敷きになった時もそんなだった気がする。


 そして迎えた午前8時……


 「ヨーイ…………ゴー!」


 合図とともに一斉に選手たちが飛び出した。

 ヒロを含めた駅伝選手達の顔は皆、走れる喜びと希望に満ち溢れていた。


 栄養不足の中で体力もなく、練習すらまともにできなかったらしいが……その走りはとても力強かった。


「頑張れ~! ヒロ~!」


  並走をしようと駆け抜けた沿道には、歓声を上げる応援の人がつめかけて声援を送っていた。

 人々の表情はみんな明るく、戦時下の暗い影など何処にも感じられなかった。


 立教のタスキの色は、『江戸紫』だった。

 校歌の歌詞に紫や武蔵野が出てくるが、武蔵野で栽培していた紫草……通称ムラサキは6月~7月に星のような小さな白い花を咲かせる。

 その根を染色に用いることで鮮やかな紫色が生まれるそうで、紫草によって染められた『江戸紫』は江戸時代に最も流行した色だったそうだ。


 1区は強豪校のベテラン揃いといった感じで、集団の中で抜きつ抜かれつが繰り返されて暫く固まって走っていたが……

 六郷橋に差し掛かる手前でヒロのペースが落ち始めた。


「光ちゃ~ん! 頑張れ~! 負けるな~!」


 純子ちゃんの応援の声が届いたのだろうか……

 ヒロの表情が明らかに変わり、覚醒した獣のようにスピードを上げた。


 さすが亥年生まれだと思うよりも早く、あっという間に後続を引き離し……

 なんとヒロが1位に躍り出た。

 その後を日本大学と東京文理科大学が追いかけていく。


「ヒロ~そのまま突っ走れ~お前なら出来るっ、お前なら、大、丈、夫だ~」


 その頃、僕の体力は限界を超えていて……声を出すのがやっとだった。


 既に自転車で追いつけないスピードで先頭を走っていくヒロの後ろ姿は、普段ふざけてばかりの姿が想像できない位かっこよくて……

 沢山の鳥達の先頭を飛ぶ、渡り鳥のリーダーみたいだった。

 昔、妹にせがまれて渡り鳥を図鑑で調べたことがあるが……立教の紫と重なってムラサキツバメの姿が浮かんだ。


 1区のゴール地点は僕達の大分先の方だったが、その歓声から誰が一番にゴールしたのかが分かった。


「すごいぞ~立教1位通過!」 「区間賞だー!」


 急いでゴールに辿り着くと、立派に紫のタスキを繋いだヒロは待ち受けていた応援団に胴上げされていた。


「ヒロ~よくやったー! おめでとう!」


「おめでとう、光ちゃん!」


 胴上げから降りたヒロは僕と熱い抱擁を交わした後、泣いている純子ちゃんを見て真っ直ぐにこう言った。


「おめでとうはお前や純子! 明後日の誕生日おめでとう! 俺は誕生日祝いで俺にしか出来ない祝いをあげたかったんや……今日明日の箱根駅伝の結果が丁度1月7日の新聞に出るような日程になったんは偶然やけどな」


「すごい……すごいよ光ちゃん。このために頑張ってくれてたんだね……私、本当に嬉しい」


 ヒロと純子ちゃんは僕の時より全然長い熱い抱擁を交わした。

 二人は何処からどう見ても、お似合いのアベックだった。

 純子ちゃんにこんなにも幸せをあげられるヒロは、『幸福な王子』の王子様みたいで……同時に幸せを運ぶツバメみたいだなとも思った。


 結局その後の2区はそのまま立教が1位を守ったが、3区で抜かれて日大がトップに立って4区で慶應が先頭を奪い、往路を制したのは慶應大学で立教大学は7位だった。


 2日目の復路は靖国神社にゴールを見に行ったが……

 日大、慶大、法大が激しい争いを展開していく中、日大が10区で逆転……13時間45分5秒で日大が総合優勝を飾った。

 その次の2位でゴールしたのが慶應、3位が法政、立教は大健闘の6位だった。


 戦時下で行われた今回の箱根駅伝は、ペース配分に失敗した者や途中で肉ばなれになった者、抜きつ抜かれつの様々な人間ドラマがあったが……

 参加した11大学全校が途中棄権することなく、見事に最後までタスキを繋いだ。


 そのゴールはチームメイトだけではなく、参加者全校の選手が出迎えた。

 最下位は初出場の青山学院だったが、首位から3時間近く遅れているような状況でも沿道からの応援の声は止まず、日没近くになってゴールした際には歓声が上がり……

 参加者の皆にあたたかく迎えられた最高の最後のゴールだった。


 皆が興奮と感動で涙を流している中……選手達や監督は、ある予感を抱いていたそうだ。


 これが最後の箱根駅伝になるのではないか、という確かな予感を……

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