第8話〈日常と最初の海戦〉

 ドーリットル空襲の当日から、軍による徹底した緘口令かんこうれいが敷かれ、空襲の被害を口外する人間は容赦なく検束されていた。

 魚売りのおばさんの話は、大分経った頃に来た食堂で片手な事に気付いてこっそり聞いた当事者同士の情報交換だったので大丈夫だったが……

 

 以前より明らかに元気がなくなった僕を心配してくれる純子ちゃん達には、何があったか言えないので余計に心苦しかった。

 しかし、一人ではなくあいつも……共に真実を知っているヒロという同士がいることが心強かった。


 お花見の日に約束した神田祭りは5月15日にあった。

 正直お祭りという気分ではなかったが……純子ちゃんがせっかく誘ってくれたし、行かないことで更に心配をかけるのも忍びないので行く事にした。


「お待たせ〜ごめんなさい遅くなって」


 神田明神に先に着いていたヒロと一緒に待っていた僕ら二人に、そう言いながら駆け寄ってきた純子ちゃんは……

 紫色のスミレの柄の白地で清楚な浴衣を着ていた。


 その姿に思わず僕は「キレイ……」と呟いてしまい、同じくヒロも見惚れていたが……「馬子にも衣装だな」と相変わらず素直じゃなかった。


「高田さんありがとう! 光ちゃんは予想通りの反応ねっ! お母ちゃんのお下がりの浴衣なんだけど準備に時間がかかってしまって……さあ、行きましょう!」


 神田祭りに初参加の僕は、見るもの全てが新鮮でキョロキョロしてしまった。

 烏帽子を被って着物を着た人達の大行列では、神輿を担いだ人や、御殿様のような人が乗った馬や、傘や旗を持った人達も練り歩いていてとても賑やかだった。


「昔は山車の神田祭と言われる位たくさん山車があったそうなんだけど、関東大震災で燃えたり電線の影響で通れないから減ってしまったそうですよ」


 一緒に来た浩くんはヒロによく懐いていたので、純子ちゃんがお祭りの豆知識を色々と教えてくれた。


「神田祭りは元々9月15日だったんですけど、台風の時期と重なるから5月になって……昔、徳川家やすが関ヶ原の戦いに臨む際に武運を神田明神で祈祷したそうなんですが……見事に勝って天下統一を果たしたのが偶然9月15日、神田祭の日だったそうなんです」


「へえ〜それはすごい偶然だね」


「だからそれ以降、縁起の良いお祭りとして天下祭とも呼ばれる盛大なお祭りになって……神田明神は徳川幕府によって江戸城を守護する神社になったらしいですよ〜」


 純子ちゃんの豊富な知識と分かりやすい説明に感心しているうちに、人混みの中でヒロと浩くん達と合流した。


「よく見えないよ、肩車して〜」


「よっしゃ」


 ヒロは軽々と浩くんを肩に乗せて足を抑えながら悠々と歩いた。


「お前、絶対いい父親になりそうだよな」


「そうか〜? 自分じゃよく分からんが昔から子供に好かれるんじゃ」


 ふと純子ちゃんとヒロが夫婦のように仲良く歩いている将来の姿が浮かんでしまい……少し意地悪が言いたくなった。


「じゃあ将来は先生が向いてるんじゃないか? 漫画家よりも余程現実的だ」


「何〜? 協力してくれる言うたやないか〜」


 祭りの明るい雰囲気もあって、元気を取り戻せた気がして嬉しかった。


 その裏で日本の戦局は益々厳しくなっていたのだが……

 事実と乖離した大本営発表のため多くの国民は日本の勝利を信じていた。


 大本営とは天皇直属の最高戦争指導機関のことだが……

 悲惨な事実を報告して国民が戦意を喪失してしまうことを最も恐れていて、戦意高揚のもとに虚偽の戦果報告が横行していった。


 4月の本土爆撃に大きなショックを受けた日本軍部は、一矢報いようと必死だった。

 5月初旬の珊瑚海海戦……

 日米両海軍の空母同士の最初の海戦である珊瑚海海戦で日本軍は勝利と報じていたが……事実上は引き分けだった。


 6月5日のミッドウェー海戦……

 先の珊瑚海海戦で米空母1隻を撃沈、1隻を大破させていた日本軍は圧倒的に優位にあると索敵を軽視しており……

 アメリカ空母の発見が遅れ、攻撃隊を発進させる前に爆撃を受けて空母4隻、航空機約300機等を失う大損害を受けた。


 米軍は日本軍の暗号を解読して作戦の概略をつかみ、大破していた空母も数日の修理で前線に復帰、日本の攻撃部隊を待ち受けていたらしい。 


 日本は慢心と情報軽視のせいで兵士らを3千人以上も失い、沢山の被害者を出してしまった。


 しかし新聞は、あたかも日本が勝利したかのような見出しで戦局を伝えており……


「やっぱり日本はすごいや〜ミッドウェー沖で大海戦! 米空母2隻擊沈だって!」


 お父さんからの誕生日プレゼントであるブリキの戦艦長門を持って嬉しそうに飛び回る軍国少年の浩くんは、記事の内容を素直に信じて喜んでいた。


「お父ちゃん元気かなあ? 海軍志望だったけど目がよくないとだからメガネで入れなくて……陸軍に入ったけど、きっと何処かで活躍してるよね!」


 僕は4月の空襲の事もあり、新聞の内容を俄に信じる事が出来なかった。


「そうだね。よし出来た……はいコレ少し遅いけど誕生日プレゼント」


「わ〜ありがとう! 僕の大好きな戦艦長門だ〜お前すげえな見直したよ! 姉ちゃんはやらないけどな〜」


 僕はブリキのオモチャを見ながら描いた戦艦長門の絵を浩くんにあげた。


 長門が陸奥、大和とともに第1戦隊になったミッドウェー海戦が戦艦大和にとっての初陣だったが、空母部隊の後方500kmに配備されていて交戦する事無く帰還……

 その船に自分の父親が乗艦することになるなんて、この時の僕は全く思っていなかった。

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